このふざけた素晴らしき世界は、僕らの為にある・前


 間違い、というのはどこにでも転がっている。そりゃもう、こんなくそったれな街で生きていれば、一歩踏み出せば間違いを踏み抜き、慌てて後ずされば間違いに尻をぶつけるといっても過言ではない、ような気がする。
 けれども。
 だからといって。

「これはねーわ」

 ははは、と乾いた笑いを立ててみるものの、身体のあちこちが痛いし、口にできない箇所に違和感がある。あ、これ、あれっすね、朝チュンですね、と思ったけど、チュンチュンと可愛らしい鳴き声をあげる小鳥は飛んでおらず、ぐぎゃあ、とよく分からない奇声を発する異界生物が浮いたり沈んだりと忙しそうなだけだ。その場合「朝ぐぎゃあ」とでもいえばいいのか。

「いやいや、いわねーよ」

 己の思考にそうつっこみを入れたところで現状は変わらない。
 足、特に太股が痛い。そしてけつが痛い。目の前には全裸の男が、横になっている。広がる光景に、結局「やっぱりねーわ」と頭を抱えた少年は、悲運と不運をひとりで背負って立っているような元一般人、レオナルド・ウォッチ。レオナルドを混乱の縁にたたき落としてくれてやがっているイケメンな元凶は、スティーブン・A・スターフェイズ。職場の上司である。
 目覚めたスティーブンはレオナルドと同程度に混乱と動揺をみせたあと、「……酒って怖いな」と他人事のように呟いた。つまりは彼にとっても「間違い」であったと確定した瞬間だ。

「とりあえず、忘れましょう。それがお互いのためです。犬に噛まれたとでも思って」

 混乱が収まってくると同時に徐々に昨夜の記憶がよみがえってきた。正直よみがえってきてほしくはなかった。あるいは、思い出したくないほど苦痛しか覚えない行為であればよかった。確かに今は痛みと違和感を抱いているが、最中は死ぬほど気持ちがよかったのだ。右手が恋人なレオナルドにはレベルが高すぎる行為。もういっそ殺してくれと思うほど(もしかしたら泣きながら似たようなことは言ったかもしれない)、追い上げられ追いつめられ追い込まれた。イケメン怖い。ハイスペックすけこまし、怖い!
 過ちなのだ、と理解し納得してスルーしたほうがいい、レオナルドの主張にスティーブンも大まかなところで異論はないようだけれど、何故か渋い顔をしている。その男が次に口にする言葉を、おそらく誰も想像できなかったであろう。

「僕に獣姦の趣味はない」
「俺にもねーよっ!」

 思わず素でつっこんだ。
 誰が犬を犯したと思って忘れろと言ったか。もののたとえだばかやろう、言葉そのまま受け取ってんじゃねぇ、それだとこっちは犬に犯されてあんあん喘いで発射させられたってことじゃねーか! と続けて怒鳴りたかったが、さすがにそこは堪えておいた。

「ほんと、なんの間違いでこうなってんでしょうね……」

 はああ、と大きくため息をつき、レオナルドはぱたり、と広いベッドの上に倒れ込んだ。ホテルのようには見えない室内、もしかしたらスティーブンの自宅なのかもしれない。そんなことすらも今は分からないくらいだというのに、ちゃっかりセックスをした記憶だけは残っている。ダメージでかいっすわー、と嘆くレオナルドへシーツをかけてやりながら、「優しくしたつもりだったんだけど」と男は見当違いな答えを返してきた。どうやらスティーブンにもしっかりセックスの記憶は残っているらしい。

「気持ちよかったろ?」
「そこは否定しませんけどねー……ただやっぱり身体痛ぇし、心のダメージもでかいっつーか……まあ全然知らないおっさんとかよりは、まだ、マシな気もしなくも……」

 うぐうぐと唸りながらベッドへと額を擦りつける。大人の対応でスルーしよう、と提案したのはレオナルドであるが、やはりこんなインパクトのでかい出来事を簡単に流せる精神は持っていないのだ。
 その点、おそらく経験が豊富と思われる上司のほうは、ほぼ立ち直りかけているようで、「僕は身体的ダメージないけどね」と笑っていた。だから笑いごっちゃねぇっつってんだよ。

「……スティーブンさんの場合は社会的ダメージだと思いますけどね!」

 腹が立ってきたので吐き捨てるように言えば、「なんで?」といつもより幼い表情で首を傾げられた。寝起きだからそう見えるのだと思いたい。まさか一発ヤったから情が湧いて、ちょっと可愛いかも、とか思ってしまうわけではない、と思いたい。

「君の年だったら違法にはならないよ」
「この場合法より見た目です。あんた、普段俺のことなんて呼んでるか忘れてんっすか」

 スティーブンとレオナルドは、同じ職場に勤めている上司と部下だ。とりたてて親しい(セックスをするほどに)わけではもちろんなかったが、冗談を交わせないほど疎遠だったわけでもない。レオナルドへ指示を出すとき、叱るとき、褒めるとき、くだらない話を振るとき。レオナルドの実年齢をしっかりと把握しているにも関わらず、この男は常に口にするのだ、「少年」と。

「…………君って本当に、合法ショタだよね」
「死ねっ!」

 若干落ち込みつつそれでもそんなことを口にするスティーブンへ、レオナルドは渾身の力を込めて枕を投げつけた。


**  **


 それで結局どうなったかといえば。
 どうにもなっていない。ただ、なかったことにもなっていない。

「なんでだ……」

 頭を抱えようにも、裸の男にがっしりと背後から抱き込まれているので身動きは取れなかった。すでに一発(レオナルドの出した回数というわけではない、念のため)ヤったあとであり、横になっている男はきっとすっきりした顔をしているのだろう。腹が立つ。
 回数を重ねるごとに行為に慣れが出てきている、ような気がする。悪い意味ではなく、いやむしろ悪い意味なのかもしれない。レオナルドを抱けば抱くほど、スティーブンはレオナルドの弱いところを的確に責めてくるようになった。自分では知らなかった、知り得なかった性感帯を暴かれ責められる恐怖というものがお分かりいただけるだろうか。自分が自分でなくなっていくような怖さ。あ、俺これ、このひとに開発されてんな、とつくづくと思い知らされる屈辱感。を、上塗りするほどの強烈な快感。あの酒による過ちの一夜がなければ、きっとレオナルドは一生知らないままでいられただろうに。

「レオー」

 背後から徐々に熱の下がりつつある肩に額をすり寄せて名前を呼んでくる男に、レオナルドははあ、とため息を零す。

「なんでまたおっ勃ててんっすか……」
「そりゃ、僕だってまだ現役の男だもん」
「だもん、じゃねぇっすよ。限度を知ってください」

 呆れを隠すことないレオナルドの言葉に、けれどスティーブンは楽しそうに笑うばかり。再び芯を取り戻しつつあるぶつを、先ほどまで散々犯していた尻に押しつけている。

「なあ、レオ」

 言葉にされない続きは、「もう一回」だと知っている。下手をすれば「もう二回」かもしれない。今日は少し早く帰宅できて、ベッドに転がるのも早かった。明日はバイトの予定もなく、ライブラでの任務も今のところ割り振られてはいない。スティーブンのほうはどうなのだろう、と少し思ったが、正直知ったこっちゃない。いい大人なのだから、適当に自分でなんとかするだろう。
 明日の朝、と男の腕の中でくるりと身体を返し、交換条件を突きつけてやる。

「パンケーキ、食いたいです」
「ふわふわのやつ、三枚焼いてやる」

 どうも、ふわふわのパンケーキ三枚で身体を売る男、レオナルド・ウォッチです。
 こんなやりとりをしていても、レオナルドは自分とスティーブンの関係をはっきりと言葉にすることはできない状態である。セックスはしている、互いの家を行き来もしている。スティーブンの家だけでなく、レオナルドの部屋でもセックスをした。プライベートで食事を一緒にとることもあるし、暇だからと呼び出されて買い物につきあわされたこともある。さすがに上司を呼び出すことはレオナルドにはできなかったが、意趣返しに「少年の買い物にもつきあうよ」と言われたときに思いっきり荷物持ちとして使ってやった。油、洗剤、小麦粉、安価のパスタの束、重たくて普段敬遠しがちなものを買えたため、非常に助かった。その節はあざっした。
 これもうつきあってんじゃね? つきあってるっていえるんじゃね? と、異性とも同性ともおつきあいの経験がないレオナルドなどは思うのだが、実際のところどうなんでしょうね? はっきりと言葉にしたことはなく、してもらったこともない。つきあおうという言葉はもちろん、好きだとかなんだとか、そういう類のものだって聞いたことがない。恋人という単語が出てくるはずもなく、じゃあなんだと言われたら、セフレか援交、という文字が頭の中に浮かび慌てて振り払った。どっちも冗談じゃない。
 考えていたところでレオナルドひとりの問題ではないため、答えが出るはずわけがない。だから面と向かって「なんでまだ僕とセックスするんです?」と聞いたことがある。「なんでだろう」と首を傾げられた。いらっとした。

「じゃあ逆に聞くけど、君はなんで僕に抱かれてくれてるの?」

 尋ねられて言葉に詰まり、結局レオナルドも首を傾げて、「なんででしょうね」と答えるほかなかった。そんな自分にもいらっとした。「抱かれてくれている」という男の言い方に、ちょこっとだけ嬉しく思ったのは内緒だ。この関係は決して一方的なものではなく、お互いが不思議に思いながらも、意志を尊重しあっているような、そんなものだった。

「最近おめーと番頭、なんか近くね?」

 勘の鋭い野生動物にそんな指摘を受けるくらいには、以前よりも親しくなれているらしい。それについては、素直に喜んでもいいのかもしれない。




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2016.07.20