このふざけた素晴らしき世界は、僕らの為にある・中


 今日も今日とてこのくそったれな街は騒がしく、平和だ。何をもってして平和といえばいいのか分からないため、何があっても自分が生きている限り平和と思うことにしている。たとえバイト先のすぐ近くでマフィア同士のドンパチが突如展開されたとしても、だ。

「こりゃ家につくまでに死ぬな……」

 銃弾の飛び交う中を生身で原チャに乗って帰れるほど、己の身体能力と運を信じられない。どこか安全な場所に一旦避難して、と考えていたところで端末が着信を知らせる。画面に現れた名前はクソ先輩だ。

『番頭からてめーの回収指示があったんだよ! バイト終わってんだろ、こっちこい、25番ストリートの角の! そのへんだ、見つけられるだろおめーなら! 勝手に死ぬなよ!』

 言うだけ言ってぶつりと切れた。たぶん戦闘中なのだろう。回収指示というわりに雑である。扱いがたいそう雑である。しかし、そういう指示が出る程度にはこのドンパチは厄介なようで、やはりひとりで帰宅するのはやめて良かったと己の判断に拍手を送っておいた。
 ザップの言うとおり、彼らの場所を特定するだけならばすぐにできる。ライブラのメンバのオーラは記憶してあるし、方角の検討さえつけば捕捉に五秒もかからない。

「ただどうやって行くかだよなぁ」

 自宅に戻るよりは距離が近いとはいえ、マフィアたちの戦闘の中に足を踏み出すという事実は変わらない。銃弾や弾道が目に見えていたとしても、それを避けるだけの身体能力がレオナルドにはないのだ。
 原チャは諦めた。あれは壊れていなければ後日回収にくればいい。隠れることのできるものがある道を選び、物理的に身を隠しながら、それもできない場合は義眼を使って錯覚を起こしながら徒歩で進む。ザップのオーラの位置と、アーマードスーツのマフィアたち、彼らを捕まえようと必死になっているHLPDの位置を同時に捕らえ、慎重にルートを検索した。表に出ているものほとんどすべてが銃火気を構えているため、どこから何が飛んでくるかも分からない。細心の注意を払っていなければ、身を守るすべを持たないものはすぐにお陀仏だ。
 生きるか死ぬか、緊張の糸をぴんと張ったまま集中していたせいだろうか。

「あれ? 少年? あ、そうか、君のバイト先、この辺だったな」

 突然かけられた声に、飛び上がるほど驚いてしまった。すすすすす、とどもりまくったあげく、その名前が出てこない。しかしスティーブンのほうも身の安全を図ることに忙しいようで、ぱきん、と作り出した氷で銃弾を防ぎながらレオナルドを連れて走り出す。

「クズに合流しろって伝えたはずなんだけど」
「れ、連絡は、あり、ましたっ、こっち来いって言われてっ」

 遅れないよう懸命に走りながら伝えれば、男が大きくため息をついたのが聞こえた。振り返り、追ってくるものがないことを確認してようやく足を止める。ビルとビルの間の狭い路地、普段ならば治安の関係で決して入らないような場所だったが、スティーブンが一緒ならば問題ない。ていうか、今このひと、ナチュラルにクズって言ったな。

「あいつらに、少年が死なないように見といてもらいたかっただけだからいいけどね」

 もう一度ため息をついた男は、どうやら純粋にレオナルドの身を案じてザップを派遣しようとしてくれたらしい。

「はあ、すんません」

 ありがとうございます、と下げた頭にスティーブンの大きな手が乗った。ぽんぽん、と撫でながら男は端末を取り出して耳に当てる。

「いいよ、僕とおいで。まあザップとツェッドのふたりに比べたら心細いだろうけど」
「あんたがそういうこと言いますか……」

 正直嫌みにしか聞こえない。
 戦闘の能力的に誰がどの程度強いのか、レオナルドにははっきりとは分からない。分かっていることは、レオナルドよりも格段に強いということと、彼らは自分の命を自分で守ることができるということ。

「ザァップ? 僕は少年を回収しろって言ったんだけどな? まあいい、ああ、偶然ね、合流したよ。僕と一緒に行動してもらうから。そうだな、HLPD以外は殲滅でいい、は? いや、考えなくていい、そんなもん、名前書いてないほうが悪い、全部叩き潰せ」

 ひどく大ざっぱで、しかしだからこそ分かりやすい指示だ。ザップなどはそれくらいがちょうどいいだろう。
 かつかつと、靴音を立てて進むスティーブンの説明によれば、この騒動はマフィアの分派同士の争いらしい。大ボスの死により内部分裂を起こした結果、どちらが本流かを争っているのだとか。それはつまり話し合いの余地がないということであり、どちらかの組織が壊滅するまで続くだろう、というのがスティーブンの予測だった。

「死んだ大ボスの弟と、義理の息子だったかな。きれいにぱっかり組織が割れちゃったみたいで。なんかもう、君ら仲良くケーキ入刀でもしたんじゃないかってくらい」

 どんなもののたとえだそれは、と思ったが、口にはしないでおく。女性や取引相手にはスマートな物言いができるくせに、身内に対してはどこかピントのずれた言葉を返すことの多い人物なのである。たぶん面倒くさくて考えずに口を開いているのだ。リーダであるクラウスも天然な部分があるため、ふたりの会話を聞いていると大丈夫かこのひとたち、と思うことがごくまれにあった。

「割れたんなら、それぞれ別々にやっていけばいいのに」

 どうして争うことがあるのだろうと思えば、名前を取り合っているのだとか。フィンハルファミリィという看板を掲げるための戦争だ。なんとも空気の抜けるようなしまりのない名前を掲げているものであるが、それがあるとないとではきっと大きな違いがあるのだろう。そういうもんっすかねぇ、とぼやいたあと、「で、僕はそれぞれのボス、探せばいいんっすね?」と上司を仰ぎ見た。

「へ?」
「あ、いや、だから、その分裂したマフィアにもボス、いますよね? そいつら捕まえたらいいのかな、って」

 どんな組織であろうと頭は存在している。大将を捕らえてしまえばその指揮系統が崩れる可能性も高い。たとえそうでなくとも、どちらにしろ探し出して捕まえる必要のある存在だ。
 レオナルドの言葉に、スティーブンは口元を押さえて「あーそうか、そうだよな」となにやらぶつぶつ呟いている。どうやら本気でただ殲滅することだけを考えていたらしい。確かにライブラの面々であれば力業でどうにかなる騒動なのかもしれない。それならば下手に小細工をせずとも、正面から潰したほうが早いということもありえる。余計な口出しをしたかと思っていれば、「ボス探すのも面倒だと思ってたんだけど」とスティーブンが見下ろしてきた。ぱちり、と瞳を開いてみせる。零れる青い光。だよねー、と男が笑う。

「冴えてるね、少年。それでいこう」

 端末に呼び出された二枚の顔写真。「視る」ことにかけて比類ない能力を持つ義眼を使えば、たとえデジタル化された写真からでもその人物のオーラを読みとることはできたし、さらにいえばそのオーラの持ち主が今どこにいるのか辿ることもできる。もちろんそれはただ見て分かる、という類のものではない。オーラの読みとりと記憶、さらにあらゆる存在のオーラが混ざる場所で記憶したものだけを探し出すための選別。尋ねられたら、どういうプロセスを経ているのか、順に説明することもレオナルドには可能であった。ライブラに入ってから心がけるようになったのだが、できるだけ義眼を感覚的に使わないようにしている。もしレオナルドの次に義眼を使うものが現れたら、その人物にできる限り系統的に使い方を伝えられるようにしたいのだ。それが役に立つかどうかは分からないが、ないよりはあったほうがいいだろうと勝手に思っている。
 そんな風に考えていることを、誰かに話したことはない。自分がいなくなったあとのことを考えているのか、と嫌な顔をされることが分かっているからだ。悲しそうな顔をされると分かるくらいには、ライブラのひとたちに大切にされていることは理解していた。
 見ることのできるレベルを徐々に引き上げ、飛び込んでくる膨大な情報をより分けていく。なんとなく、全体を俯瞰で見てから一枚一枚ヴェールをはいでいくという感覚だ。通常の人間で見えるレベルのもの、見えないけれども物質として存在しているもの、生物の体温、鼓動、息づかい、匂いという感じることはできるものから、術式、オーラといったある特定の能力がないと分からないもの。その中でオーラだけを映すヴェールを、人間の視覚で捕らえられる世界に重ねる。ここから二百メートルほど離れた場所で、緋色のオーラと水色のオーラが見えた。ザップとツェッドだ。

「ひとりは、ここから近いですね。こっちの、H・ルースってひと。北東、1ブロック先のイーストヒストリービル、最上階。もうひとり……カーター・D・ラボーは、ああ、クラウスさん今セントラルパークにいますね。クラウスさんが一番近そうです、けど、これは……このおっさん今、ホテルにしけこんでますよ。あー、ビヨンドヒューマー合わせて四人侍らせて5P真っ最中、お盛んだなぁ」
「……そういうとこまで見えちゃうの? 君の眼って」
「実像として見えるわけじゃないですよ。見えるのかもしれないですけど。地図とこのひとのいる位置を重ねればどんな建物内にいるのか分かりますし、それがどこか分かれば、周りの四つのオーラがどういう人物なのかも推測できます。女性だということも分かりますし、どう動いているのかも、みなさんの体温が高いのも見えますから。ただ、普段からこのレベルで世界を見てたら、ぼかぁとっくに発狂してますね」

 あるいは脳が焼かれて溶けてしまうほうが先か。
 忌々しいこの眼は、様々な情報を視覚の元へと引きずり出す。何もせず見えるがままにした場合、レオナルドは通常の生活を送ることはできないだろう。義眼を埋め込まれてしばらく、見えるものが多すぎて吐きとおしだった。義眼と自分自身に負担のないレベルでの制御をなんとか覚えたが、義眼を使い、意図的に見るものを選別するということは、逆に「何の制御もしていない状態」に近づけることでもある。制御しなければ狂い、制御すれば脳が焼かれ、どちらにしろくそったれな眼だとしか言いようがない。
 さらりと吐き出した言葉にスティーブンがわずかに驚きをみせた、ような気がする。義眼の能力についてはそれなりに報告をしているが、具体的にどんな負担があるのかはあまり口にしていない。言ったところで正確には伝わらないだろうし、知らなくてもいいことがらだと判断している。レオナルドのできることだけを伝えておけば問題はないはずだ。
 そうか、と小さく頷いたあと、「イーストヒストリーには僕らで行ってみよう」と端末を操作しながらスティーブンは言う。

「5Pのおっさんのほうは?」
「クラウスに突入させられる?」

 尋ね返され、ふるりと首を横に振る。かのリーダだっていい年をした大人であり、秘密結社などという裏家業に身を置いているのだ。セックス真っ最中の部屋への突入など、進んでやりたいことではないだろうが、生娘のように恥ずかしがる、あるいは嫌がることもないと思う。しかしそこはそれ。あの善意の塊であるかのような男に、そういった場面を見てもらいたくないとついつい考えてしまうのである。

「ツェッドさんに場所を転送します」
「話が早くて助かるよ。あーザップ、お前らちょっとホテル行って5Pに興じてるジジィ捕獲してこい。場所は今からツェッドの目に映すぞ、ツェッドは大丈夫か? OK」

 ちらりと視線を向けられ、仲間の目に先ほどのホテルの場所、ターゲットのいる位置を映し出す。口で説明するより手っ取り早いため、レオナルドと行動することの多いあのふたりにはよく使う手段だ。「よし、もういいぞ」と頭に手を置かれ転送を終了する。軽くまぶたの上から両眼を抑えた。熱を持つところまでは至っていない。しかし短時間で集中して使用したため、少しばかり疲労を覚えている。ふぅ、と小さく息を吐き出せば、ザップ相手に指示を出しながらスティーブンがレオナルドの目尻を撫でた。するりとひどく自然な仕草で、なんの裏もなくただこちらを気遣ってくれているのが分かる撫で方。こういうとこがずるいんだよなぁ、と思いながらスティーブンを見上げ、大丈夫です、と笑ってみせた。
 こういった優しさは、ここ最近、具体的にいえばセックスをするような間柄になってから与えられるようになったものだ。もしかしたらスティーブン本人は気がついてさえいないかもしれない。くすぐったいし照れくさいけれどその心地よさは手放しがたく、手を引っ込められたくはないので黙ったままでいる。

「応援、呼びますか?」

 たったふたりだけで敵(半分)の本拠地のような場所に乗り込むというのも、考えてみればずいぶんと無茶な話だ。しかもひとりは目がいいだけの非戦闘員、足手まといでしかない。うーん、と唸りながらも足を止めない男のあとを追いかけ、レオナルドはもう一度ボスのオーラを捕らえたビルを、今度は至近距離で直接見上げた。七階建て、四階まではおそらくマフィアとは無関係な企業がそれぞれ借りている。五階から七階までがはた迷惑な組織の借りているフロアだ、とこの短時間でどこより仕入れた情報かは分からないが、スティーブンが説明をした。

「ボスは最上階です。七階にボスを含めて十、や、十一。その下に五、もう一つ下にこっちも十一。意外に少ないですね」
「ほかの構成員は表で騒ぐのに忙しいんだろうよ」

 どうでも良さそうにそう返した男は、そびえ立つビルを見上げ、「さて、」と首を鳴らす。

「その人数なら僕ひとりでもどうにかなるかな。武器の有無は分かる?」
「火薬……ハンドガンを持ってるのが複数人。あとはマシンガンっぽいのがありますね。それ以上の武器、少なくとも銃火気はないっす。生体兵器をしこんでるやつもいないですし、本当に普通の人類ばっかですね」
「ますます僕だけでどうにかなりそうだなぁ」

 ぼやくような口調からは、できればこの仕事を誰かに押しつけたいという気持ちがありありと伝わってくる。けれど頭の回転が早く、合理的な言動を好む男は、現在取ることのできる手で一番効率のいいものを選ぶのだ。

「しょうがない、行くか。少年、僕から離れるなよ」
「あーやっぱり僕も行くんっすね……」
「当たり前だろ、君だけここに置いていったら、合流した意味がないじゃないか」

 スティーブンに言われ、そっすよねー、とレオナルドは頭を掻いた。
 普段の任務においてザップやツェッドと行動をともにすることが多く、スティーブンと動くことはまずない。作戦指揮を取る男のそばでナビ役をこなすことが何度かあったくらいだ。
 斗流のふたりであれば、その動き方も最近なんとなく分かってきたところである。彼らがどう動くのか、レオナルドをどう助けてくれるのか、どこにいれば邪魔をしないでいられるのか。ただ逃げまどうだけ、あるいはただ守られるだけという本物の「お荷物」はさすがにごめんだ。
 けれどスティーブンが相手だと、彼らと一緒にいるときのように動いてはいけないだろう。ザップのように乱雑な扱いをされるとは思わないが、ツェッドほど気を使ってはくれなさそうだ。ただ、たとえ怪我の一つや二つ負ったとしても、レオナルドが命を失うことはない。その点は信頼している。
 おいで、と手を伸ばされ(子どもかペットを呼ぶようだとは思ったけど思ってないことにする)、ゴーグルを装着してスティーブンのそばによる。ビルの入り口へ向かうものだとばかり思っていたが、男は何を考えてかレオナルドの腰へ腕を回して抱き寄せた。

「うぇっ!? えっ!?」

 驚いて思わず目を見開いてしまう。ゴーグルをしていて良かった、でなければ誰ぞに青い光を目撃されていたかもしれない。
 こっちの動揺をよそに、レオナルドを抱えたままスティーブンはかつかつとビルのほうへと歩み寄っていく。しかしその行く先は正面の入り口ではなく、側面にひっそりと続く路地。人ひとりがようやく通れるほどの幅であり、もはや道ではないそこからどうやってビル内へ潜り込もうというのか。
 首を傾げる前に答えが与えられた。ひゅぅ、と足下から立ち上る冷気、男の使う技は氷を纏った武術だ。エスメラルダ式血凍道、と紡がれる声が聞こえた。嫌な予感しかしない。

「しっかり捕まってろよ、少年!」

 腰を抱える腕に力を込められ、咄嗟に隣の男にしがみつく。一応こちらの歩幅に合わせてくれているのだろうが。

「うぁああああああっ!?」
「あはははは! あんまり暴れると落っこちるぞ!」

 悲鳴をあげるレオナルドをほぼ抱えるような状態で、スティーブンは笑いながらビルの側面に作られた氷の階段を駆け上った。かかかかか、と氷を蹴る音がビルとビルの間に響く。自らの血液を凍らせることのできる血凍道の使い手、それがライブラの副官、スティーブン・A・スターフェイズという男である。だから彼の戦っている場に氷が現れることは当然なのだけれども。

「何も外から上らなくてもぉおおおっ!」
「ボスは最上階にいるんだろう? エレベータに乗るのも面倒じゃないか」
「でもだって! スティーブンさん、こういうキャラじゃないでしょう!?」

 こういった無茶はザップだけで十分だ、と嘆き叫ぶレオナルドへ、男は不満そうな顔を向ける。

「なんだ、おじさんがはしゃいじゃだめってことか?」
「年を考えましょうって、あ、いたっ! 暴力反対!」
「暴力の街のど真ん中にいるような状態でよく言えるね、そういうこと」
「僕に対する暴力反対! もっと優しく! 僕に!」
「じゃあ僕にも優しくしてくれよ。中年男は傷つきやすいんだぞ」

 少しでも視線を外へ向ければ、地表が遙か遠くにあることを見てしまう。そちらからできるだけ意識を逸らせようとくだらない話をしながらなんとか登り切り、ようやく屋上に足をついたときにはレオナルドは息も絶え絶えだった。当然だ、七階分の階段を上ったのだ、すぐに動ける気がしない。

「俺、今度からスティーブンさんのことを雪の女王って呼びますわ……」
「ありのーままでー。君の顔面ににんじん突き刺してやろうか?」
「鼻が低くて申し訳ございませんねっ!?」
「すこーしも寒くないわー」

 このおじさん、とても楽しそうである。楽しくないよりは楽しいほうがいいに決まっているが、できればこっちを巻き込まないでもらいたい。ひとりで楽しくなってもらいたい。
 もしかしたらなんらかのセキュリティが組まれているかと思ったが、さすがに屋上からの侵入は想定されていないらしい。あるいは、セキュリティを備えるほど立派なビルディングではないのか。ただこの街にいれば、いくら金をかけようとも無駄になることなど日常茶飯事ではある。
 レオナルドの息が整うのを待つ間、スティーブンはあちらこちらに電話をかけて情報を集めて指示を飛ばしていた。馴染みのHLPDと連絡を取り、このビルにいる件のマフィア構成員の殲滅と、ボスの確保をすませて引き渡しをするという方向で話がまとまったようである。
 はぁ、と大きく息を吐き出し、レオナルドは腰を上げた。まだ膝ががくがくいっているような気もするが、走ることができるくらいには回復している。マフィア側に侵入がばれていないとはいえ、ここでのんびりもしていられない。ぽん、と頭を叩いた男の背中を追いかけ、建物内部へ続くドアへと足を向けた。
 部屋の構造と人員配置を義眼で確認し、廊下にいた三人の構成員を床に沈めてからボスのいる部屋へ入り込む。室内にはボスを含めて四人。この階にはあと四人ほど残っているが、隣の部屋にいることは把握済みである。突然の闖入者に対し、一斉に銃口が向けられた。もちろん想定内のことだ。
 窓を背にした大きなデスクについていた男、分裂したマフィア半分側のボスである男、ルース氏は一瞬の動揺をすぐに押し込め、にやりと不敵に笑ってみせる。慌てて腰を上げたり、怒鳴りあげたりしないあたり、やはりマフィアのボスの座につくに足る度胸は持っているらしい。正直レオナルドならば、突然顔に傷を持つ長身の男が鼻歌交じりに部屋に入ってきたら平静を保つ自信はない。あ、やばい、このひと逆らっちゃだめなひと、と思ってしまうのはたぶん、経験に基づく条件反射故だろうけれど。
 アポなしの訪問で申し訳ない、と胡散臭い笑み(これは本人に言ったら殴られるやつ。あと地味に本気で落ち込むやつ)を浮かべて、男は言う。

「街で大暴れしているあなたのところの構成員たちを、どうにか止めてもらえませんかね?」

 大変に迷惑だ、とストレートな言い方は、少しスティーブンらしくないなと思った。この男なら嫌みを聞かせて回りくどく話をしそうなものだけれど。その背中にしがみつくように隠れながら、レオナルドはそんなことを思う。ただ単に、嫌みを言う必要がない、もうその段階ではないというだけのことなのかもしれない。
 ふん、とスティーブンの要求を鼻で笑った男は、ぎしり、と革張りのイス(あれ絶対うちのベッドよりふかふかだ、と泣きたくなった)に身体を埋もれさせ、にったりと口元を歪める。

「嫌だ、と言ったら?」
「あ、そういうのいいんだ。答え、聞いてないから」

 にこっと笑顔で言い放った上司の後ろで、「だったら聞くなよ」と思わず呟いてしまい、すぺんと頭をはたかれた。痛い。暴力反対、と思っている間に銃口を向けていた三人の男たちは氷像になり果てている。無許可で部屋の扉を開けたときにはすでに、攻撃のモーションが終わっていたことをレオナルドは知っていた。ザップやツェッドならばその場で瞬時に切り捨てる、という攻撃をするだろうが、この男の場合は事前に仕込んでおくほうが効率がいいのかもしれない。ボスだけその攻撃から除いているのは、彼の口から何らかの情報が得られるかもしれないという淡い期待と、ほかの部屋や階下にいる部下を呼び寄せてもらいたいからだ。
 凍った男の像を蹴り飛ばし、レオナルドを背中に隠しながら入り口から距離を取る。ボスの男から放たれた銃弾が氷の壁で遮られ、その隙に少しばかり強烈な視野混交をお見舞いしてひっくり返しておいた。
 ばたばたばた、と派手な足音を立てて室内に飛び込んできた男が三人。隣の部屋にいたものたちだ。いるはずのボスの姿が見えないことに驚きを表す、その瞬間にスティーブンが床を蹴った。とん、と背中を押されたため、男から離れてソファの背に身を隠す。乾いた銃声は二発で終わった。狭い室内、味方もいる場所で焦って引き金を引いたところで、目標に当たるとは思えない。
 氷を纏った長い足で構成員たちを沈めたスティーブンの背後に、階下からやってきた新しい顔が現れた。数は廊下にいるものも含めて七、更にもう八ほど集まってきている。数が合わない、ボスを含めて二十七人いるはずだ。転がっている男の数、今現れた数を脳の片隅で計算しながら、三階分の空間を義眼で確認する。ふたりほど五階にとどまっているものがいる、見張りだろう。

「ッ!」

 スティーブンの背後で光るナイフに気がつき、咄嗟にその男の視界を奪った。ちり、とわずかに眼の奥に熱を覚えたが、この程度ならば日常茶飯事だ。スティーブンが正面にいた男ふたりを壁まで蹴り飛ばし、そのままくるりと身体を反転させて掲げていた足を下ろす。ぱきん、と氷の刃が現れ、暗闇の中もがいていた男はそのまま冷たい氷のシーツにくるまれることになった。とん、とん、と床を蹴ってドアから身を離すと同時に、スティーブンはレオナルドへ手を伸ばす。ソファの影から走り出て男の腕のなかに飛び込んだ。パパパパパパ、とマシンガンの放たれる音に、銃痕が大量生成されていく。
 ひぇっ、と悲鳴をあげたレオナルドの背中を、宥めるようにスティーブンが軽く叩いた。足下で作り出した氷の刃を物騒なものへ向けて伸ばしつつ、少年の身体を抱えて後退し、ずっしりと重厚なデスクの後ろへレオナルドを突き飛ばす。そこには視野混交でひっくり返ったままのルース氏がいるのだが、マシンガン男を処分してもらっている間に自由を奪っておくことにした。使えるものはないかと机の引き出しを漁れば、書類、武器、その他諸々の中に、手錠やロープといった拘束具を発見する。ボールギャグやフック、バラ鞭、コンドームの箱(開封済み)なども一緒にあったため、まあそういうことに使うのだろうが、無造作に入れてんなよ、そんなもんをよ。
 レオナルドの力で縛るだけでは不安だったため、金属製の手錠、ファーのついた可愛らしい手錠を重ねて手足にかけておいて、ボールギャグをかまし、ついでに目隠しと鼻フックもしておいた。せっかくなのでバラ鞭をそっとそばに添えておく。ふむ、なかなかに素晴らしく下品でひどい出来栄えだ。義眼で記憶しておいて、あとでザップにも見せてあげよう。ちらりとこちらを見やったスティーブンが、ぶはっと吹き出していた。
 くくく、とのどを震わせながらも攻撃の手(彼の場合は足だが)を休めない男のわき腹が空いた。室内の敵の状態をざっと見通し、今ならいけると床を蹴ってスティーブンの立つ右側へと駆け寄る。するり、と肩を撫でられて押されるがまま背後を通って左側へ移動、伸びてきた腕が腰ではなく尻の下あたりに触れたため、止まることなく飛び上がれば、そのまま抱き上げられた。確かに小柄なほうであることは認めるが、こうも簡単にひょいひょい抱えられるのも非常にたいそうものすごく、複雑である。
 そんな不機嫌さを押し殺して(表情には出ていただろう、対照的にスティーブンは一貫して笑みを浮かべておりずっと機嫌が良さそうだった)、男の首筋に腕を回して唇を寄せる。

「右手、ソファの奥、うつ伏せの男、意識あります、あと六秒ほどでもうふたり、ここに到達。五階に残ってた見張りですね」

 このビルの外に異常はなし、構成員が一斉に集まってきている気配もなく、内部での出来事は外に漏れていないようだ。
 倒れている構成員の数を再度確認し、ビル内、周辺の様子をスティーブンに抱き抱えられたまま義眼で見やる。その間にレオナルドを抱えた男は、気を失った振りをしていた男にとどめを刺し、新たにやってきた見張り役のふたりを床に沈めていた。
 非戦闘員であるレオナルドが荒事に身を置く場合、基本的にはそばに斗流兄弟がいる。ツェッドはともかくザップの場合は天性の勘で動いており、レオナルドはそれの邪魔にならないよう、そして巻き込まれないように行動をするよう心がけていた。けれどスティーブンの場合は、レオナルドの考えを理解した上で動いてくれているような気がする。向こうがこちらに合わせてくれているため、こちらも彼の考えを想像しやすく、また合わせやすい。指示に準ずるような言葉はほとんどなく、改めて頭の回転の速いひとなのだと痛感した。

「制圧完了、周囲に異常はありません」

 完全に自分たち以外動くものがいなくなったことを見てから、レオナルドはそう男に報告をする。ぽん、と背中を撫でられ「お疲れさん」と労われた。その声はやはりどこか楽しそうで、「なんか機嫌良さそうですね」と思わず口にしてしまう。そう? とスティーブンが首を傾げた。

「ああまあ、君と一緒に戦闘っていうのが初めてで、浮かれてたのかもしれないな」

 至近距離で(何せレオナルドはまだ男に腕に抱えられたままだ)ふわりと笑みを浮かべてそんなことを言われ、冷静でいろというほうが無理な話だ。かぁ、と頬を赤く染め、けれど動揺をみせるのも悔しいため、「すんませんね、お荷物で」と憎まれ口を叩いておく。実際この状態は荷物以外の何ものでもないだろう。いい加減下ろしてもらいたい。
 そんなレオナルドの気持ちを分かっているだろうに下ろそうとしない男は、うーん、と少年を見上げて笑うのだ。

「僕は氷だからさ。重石があったほうが、滑って転ばなくて助かると思うんだよね」
「わー、ついに僕、重石扱い!」

 すごくユーモアがあって機転の利く重石だね、と言われても喜べるはずがない。重石なら重石らしくしてやろう、と体重をかけるようにべったりとスティーブンの上半身に身体をもたれかけてやるも、男は笑いながらすたすたと惨憺たる状態の部屋を後にするだけだった。だからいい加減下ろせっつーの。

「なんでまた屋上に?」

 そのまま侵入したときと同じように階段を使って屋上へ戻ったスティーブンへ、レオナルドは首を傾げて尋ねた。ビル内にいるマフィア構成員は全員倒しているのだ、まさか屋上にまだ敵が残っていたとでもいうのだろうか。そう思い義眼で確認するも、自分たち以外にいる気配はない。外の様子は相変わらずで、二つほど離れたストリートでの銃撃戦音がこちらまで響いてきていた。
 レオナルドの問いかけに男は、うん? と目を丸くする。どうしてそんなことを聞かれるのかが分からない、というような顔に見えるが、ちょっと可愛く見えるからその表情はやめてほしい。
 けれどそんな呑気なことを思っていられたのも一瞬のことで。

「だってエレベータ使うの、面倒くさいだろ?」

 ぱきん、と男の足下で氷の鳴る音がした。
 顔を青ざめさせたレオナルドが男の腕から逃れようと身をよじるが、それよりも先にスティーブンがひょい、とビルの縁へと飛び乗ってしまった。今この場で手を離されたら、レオナルドの身体は三十メートルほど下の地上に真っ逆様だ。ぞっと、背筋が震え慌てて男の首筋にしがみつく。

「そうそう、しっかり捕まってろよ」

 いったい何がそんなに楽しいというのか。鼻歌でも歌いださんばかりの様子をみせる男は、エスメラルダ式血凍道、と低い声で呟くのだ。

「絶対零度の滑り台!」
「その技、ぜってー今作っただろぉおおおおっ!?」

 絶叫する少年を抱えたまま、男はビルの側面に己の技で氷の滑り台を作り、スケートリンクよろしく滑り降りていった。なんだよこれ、どこのテーマパークのアトラクションだよ、鼻歌のメロディはもちろん「ありのーままでー」だよ! 上司がこんなに愉快なおじさんだっただなんて、聞いてない!
 時間にすればほんの数秒であったのは分かっている。しかしレオナルドにとっては永遠にも等しい時間だった。
 ようやく地上に降り立ち、スティーブンの腕からも解放されたが、その場にへたり込みそうになるのを男の腰にしがみついて堪える。そんなレオナルドを見下ろし、スティーブンは頭を撫でて慰めてくれた。大半はあんたのせいですけどね、と思ったけれど、手のひらが優しかったので言わないでおく。
 恐怖と興奮をなんとか宥めている間に、スティーブンは再び端末を耳に当てて各所へ連絡を取っているようだった。本当にわずかな時間も無駄にしないひとである。(けれどこれが仕事においてだけであり、プライベートではそうでもないことをレオナルドは知っていた。)
 ザップたちに任せたほうの進捗を確認、HLPDへ連絡を入れて転がっているボスの身柄回収を要請、現在の市街の様子を確認し、次にどう動くかを思案している。その間もスティーブンの頬は少し緩んでおり、本当に何がそんなに楽しいというのだろう。こちらは恐怖の滑り台体験で足が震えているというのに。
 思ったんだけどね、と男は端末をポケットへしまいながらレオナルドを見下ろして言った。

「僕ら、なかなか相性、いいんじゃないかな。機会があったらまた一緒に戦いたいもんだね」

 言わなくても何をしたいのか、してもらいたいのかが何となく伝わる。スティーブンがレオナルドに合わせてくれていたということも踏まえ、お互いの考え方や性格をある程度理解しているからこそ分かるのだろう。長いつきあいのあるK・Kやクラウスたちほどではないと分かってはいるが、スティーブンにそう言ってもらえるのは(ひどい目に遭ったという点を差し引いても)なんだかくすぐったく、嬉しいことだった。
 そりゃ光栄です、とレオナルドが答えたところで、どごん、と頭上で爆発音が響く。

「ッ!?」

 慌ててふたりで空を仰ぎ見た。黙々と煙が出ているのは、先ほどまで侵入して暴れていたビルの最上階。

「爆弾でも仕掛けられてたのか?」
「そんなはずは……っ」

 降り注ぐコンクリートやガラス片から身を守るよう、氷の壁を作って紡がれた言葉に、レオナルドは眉間にしわを寄せて義眼を発動させた。何か爆発するようなものがあればこの眼が捕らえたはずだ。科学的に爆発を引き起こすもの、呪術的に似た作用をもたらすものは何もなかった。それは確かだ。今確認してもそれらは捕らえられない。そうだとすればこの爆発はいったい。

「――ッ、ちがう、向かいのビルですっ!」

 視界範囲を広げた眼に引っかかったそれは、煙を上げるビルの、通りを挟んだ向かい側にある建物だった。どがん、と再び大きな爆発音が地面を揺らす。
 ちっ、とスティーブンの舌打ちがいやに大きく耳に届いた。同時に強い力で引き寄せられ、その腕の中に抱き込まれる。レオナルドの正面には男の胸、背後には氷の壁。氷の壁はすぐそばのビルの爆発破片から守ってくれているが、じゃあ、二度目の爆発、向かいのビルから降ってくるだろう破片は何が防いでくれているというのか。
 ごっ、と鈍い音が響き、レオナルドを抱える男の身体が大きく震えた。

「スティーブンさんっ!」

 レオナルドののどから悲鳴があがる。見上げれば、片目を眇めた男の頬に赤い血が垂れてきていた。

「すまん、防御が間に合わなかった」

 もう少し早く向かいのビルの爆発に気がつけていれば、もう一枚氷の壁を作ることも可能だったのかもしれない。しかしそれをするよりも己の身体を壁として使ったほうが早く、確実だと男は判断した。
 何が確実なのかといえば、神々の義眼を有するレオナルドを守るためには、である。
 ずる、と男の身体から力が抜けた。のしかかるそれを懸命に支え、レオナルドはその名を繰り返し呼ぶ。しかし、男が呼びかけに答えて目を開けることは結局なかった。




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2016.07.20