このふざけた素晴らしき世界は、僕らの為にある・後


「いやぁ、ちょっと楽しくて浮かれすぎてたね」

 失敗した、と照れたように頬を掻いて笑っているのは、頭に真っ白い包帯を巻いたライブラの副官、スティーブン・A・スターフェイズ氏である。頭に衝撃を受けていたため検査入院をしているが、幸いにも命に別状はないとのことだ。その話を聞くまでレオナルドがどれだけ心配したと思っているのか。へらりと笑っている男には分からないに違いない。

「あのあと大丈夫だった?」

 見たところ大きな怪我はしてないみたいだけど、とこちらを気遣って笑ってみせる。大丈夫なものか。気を失った成人男性(しかも長身)ひとり運ぶのがどれほど大変か。周辺をうろうろしていたマフィア連中から隠れるため、救援がくるまでずっと自分たちの姿を義眼で隠さなければならなかったことがどれほど大変か。頭から血を流し、どんどんと青白くなっていく姿をただ見ているしかできないことのどれほどつらいことか。
 少なくとも、へらへら笑っていられるような状態でも心境でも決してなかったというのに!
 とうの本人はなんともないような顔で笑って、レオナルドのことを心配して。
 その気の抜けたような笑顔にぷちん、とレオナルドのなかで何かが切れた。奥歯を噛みしめ、右手を閃かせる。ぱしん、と病室に乾いた音が響いた。

「っ、ばかっ! スティーブンさんの、バカッ!」

 突然平手打ちをされたことに驚いて目を丸くしている男へ、レオナルドは感情のままストレートな罵声を投げつける。

「お、おれっ、スティーブンさん、がっ、ほんと、死んじゃう、って、おもっ思って……っ!」

 あのときの恐怖がよみがえり、鼻の奥がつん、と痛んだ。堪えようと唇を噛んで唸ってみるが、じわじわと目尻に涙が滲んでくる。零れる前に手の甲で擦ってみたがそれが余計にまずかったようで、次から次に涙が溢れてきた。ううう、とのどの奥から呻きが零れる。
 畜生、と思いながらもスティーブンのほうを見やれば、男はぽかんとした、ひどく間の抜けた顔でレオナルドのことを見ていた。なんだその顔っ!
「ッ、なんっ、でっ! そんな、驚いた顔、してんっすかっ! 俺が泣いちゃ、おかしいですかっ!?」

 他人事のような顔をしているスティーブンにいらだちを覚える。いったい誰のせいで泣いていると思っているのか。あんたが悪いわけじゃないのは分かってるけど、あんたのせいだよあんたのっ、と肩を揺さぶりながら叫んでやりたい。
 少年の激昂を前に、しかし相変わらずきょとんとしたような顔のまま、「いや、」とスティーブンは口を開いた。

「君はよく、泣く、から別におかしくはないんだけどただ、」

 そこで言葉を区切って言いよどむ。この後に及んでなにを逡巡しているというのか。「ただ、なんっすか」と泣きながら睨みつければ、男はす、とレオナルドから視線を逸らして呟いた。

「……僕が、泣いてもらえる、とは、思ってなかった、から」

 本当に、心底そのことに驚いている、予想外だった、というような顔をして、言うスティーブンに、レオナルドはかっ、と頭に血がのぼるのが分かった。なんだこのひと、なんなんだ、このひと、一体何を考えて生きているんだ!?
 なんでっ、と声を荒げる。ここがひとり用の部屋で良かった、とは後で思ったことだ。

「なんで、あんたは……っ! あんた、バカですかっ!? や、たぶん俺もバカなんですけどっ! なんで俺があんたとセックスなんてしてると思ってんっすか!」
「……え?」

 「え」じゃねぇよ、おっさん!
 突然の言葉に目を丸くしている男の顔が、いつもより幼く見えてとにかく腹が立つ。あんたが好きだからだよっ、とレオナルドはやけくそ気味に叫んでやった。好きでもない男とセックスなんかできるかバカ、と。何せこちらも男なのだ。しかも抱かれる側。嫌いじゃない、レベルの感情で足が開けるかバカ!
 叩きつけるようなレオナルドの告白は、しかしまだ男の脳にはうまく届いていないようだった。えーっと、ああ、うん、と非常に曖昧なあいづちばかり繰り返している。やっぱあんた頭打ったせいで脳の回路鈍ってるよ、バカになってるよ、いやこういうところは前からだった気もしてきた。もともとバカだったのかもしれない。スティーブンさんのバカ、ともう一度罵って、びしっと指を突きつける。

「あんたも、俺のこと、好きなんでしょーがっ!」

 どうしてレオナルドを抱くのか。問いかけたとき、どうしてだろう、と男は言った。好き嫌いという感情を尋ねたことは今まで一度もない。ただ、嫌われてはいないだろうと思っていたくらいだ。
 セックスをしている相手から、きっぱりとそう言われたスティーブンは、「え、分からない」とひどくあっさりと答える。分からないというより考えていないの間違いではないだろうか。

「分からない、じゃねーよばかっ、好きなんだよ、俺のことが!」

 たしたしと地団駄を踏み、まるでだだをこねる子どものように、レオナルドは十以上も年上の上司の気持ちを決めつけた。

「だって、俺っすよ? こんな、ちびでちんちくりんで糸目で、おっぱいもくびれもない僕なんですよ!? この貧相な身体におっ勃ててんだから、好きじゃなかったらただの変態のペドですよっ!」
「ええぇぇぇ……」

 あまりにもひどい物言いに、スティーブンが顔を顰めて不満の声をあげていたが、そんなの知ったことではない。ふぅふぅと、鼻息荒く、興奮のまま、どうせなら言いたいことは全部吐き出してしまおう、とレオナルドは言葉を続ける。

「俺は! あんたが好きだからセックスしてるし、あんたといて楽しいし、あんたが死にかけて大泣きしてるんですっ!」

 最初は確かにただの間違いでしかなかったけれど、それがずるずると続いたのも、この男と過ごす時間がイヤではなかったのも、結局は「好きだから」という一言がその背景にある。ただそれだけのことだったのだ。
 ぐずぐずと泣きながら、スティーブンさんはどーなんっすか、と少年が大人を追いつめる。

「変態ペド野郎ですか、そーじゃないんですかっ!?」

 なんだその二者択一は、とつっこみを入れることのできる人物はこの場にはいない。心配と安堵と怒りと興奮と、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって泣いている子どもと、そんな子どもに甘えていたずるく情けない大人がいるだけで。
 降参、とばかりに包帯を巻いた男が両手を上にあげた。何なら白い旗を探してきて振り回してもいいくらいには、すがすがしいほどの敗北である。
 そう、レオナルドの言うとおり、どうしてセックスする関係が続いているのかといえば、彼のことが好きだからという単純な理由からだろう。好きだから一緒にいて楽しい、好きだから一緒にいて年甲斐もなく浮かれてしまっていたのだ。本当に、ただそれだけのこと。
 ふぅ、とため息をついたあと、スティーブンは目を細めて愛しい子を見つめる。手を伸ばし、彼の名を呼んで涙で濡れる頬を撫でた。好きだよ、と自然に零れる言葉がすべての答えだ。

「相手が君だったら僕は、たとえ十歳の子どもでも勃起する自信がある」
「それはそれでただのペドじゃねぇかっ!」

 真顔で紡がれた言葉に男の手を払いのけて叫ぶ。
 「うぇええっ、このおっさんもぉやだぁああっ」という少年の泣き声と、あはははは、と楽しそうな男の笑い声が病室内に重なって響いた。




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2016.07.20
















お前らみんな愛してるぜ。

Pixivより。