きみはぼくの、すべて。」の続きでレイカロサイド。



   こころ混ざる。


 宛がわれた宿の部屋へ戻るなり、真っ青な顔をしたまま「どうしよう」とカロルは小さく呟いた。

「ボク、何か余計な事、言っちゃったんだよ、ね、だからフレン、あんな……あんな、」

 小さな手で口元を押さえこみ、もう一度「どうしよう」と言う。そんな少年の肩を見下ろし、レイヴンは彼に悟られぬようにため息を零した。
 本当に、自分の周りの若者たちはどうしてこんなにも真っ直ぐなのだろう。その姿はいろいろなものから目を反らし続けてきたレイヴンには眩しく、また胸に痛い。震える頭をくしゃり、と撫で、「少年、ちょっと落ち着きましょうか」とレイヴンは小さな体を抱き上げた。

「う、わ……っ、ちょ、レ、レイヴ、ンッ」
「はいはーい、暴れないでねー。落っことしちゃうよー?」

 騎士団に所属し、そこで剣を握っていただけあり、見た目はそうでもないがレイヴンもしっかりと筋肉を持った体をしている。危なげなくカロルを抱え移動した男は、そのままベッドへと腰を下ろした。
 腕の中にすっぽりと納まるようにカロルを抱えれば、ほんの少しの戸惑いのあと少年はレイヴンの胸へ背を預けてくる。腹の前で組まれた無骨な手に自分の手を重ね、きゅ、と縋りつくように握られた。どことなく不安げなその小さな手が痛々しくて、思わず眉間に皺が寄る。組んでいた指をほどき、カロルの手を抑え込むように上から掌を重ねて握りしめた。
 預けられた背中からとくとくと鼓動が伝わってくる。人の心臓の音などあまり気にしたこともなかったが、どうしてか少年のものはひどく心地よい。同じ心地よさを分け与えてやりたかったが、残念ながらレイヴンにはその器官が既に存在していなかった。本当に煩わしい体だ、とそう思ったところで、「レイヴン、もうちょっと、ぎゅ、ってして」とカロルが小さく強請る。もちろん断るつもりなどなく、望みどおり腕の力を強めれば、安心したかのようにカロルは全身から力を抜いた。
 しばらくそのままの体勢でじっとしていると、カロルの口から零れた言葉はやはり先ほどまで会話をしていた相手のことだった。

「大丈夫、かな、フレン……」

 すごい真っ青だった、と自身も同じくらい青い顔をしていたのに、人を気遣う少年を更に抱き寄せてあやすように体を揺する。

「ユーリちゃんがいるから大丈夫でしょ」

 いつものような軽い口調であったが、どこか落ち着いた色を見せる声音にそうかな、とカロルは首を傾げる。

「ていうかね、フレンのあれはユーリにしか抑えられないと思うよ」

 直前にどういう会話をしていたのか、フレンを待つ間カロルから少しだけ聞いた。
 少年の心配も分かる。世間や帝国を知らない彼にすれば、ユーリがどうなるのか、考えただけでも怖いだろう。裁くべき立場にいるフレンにそれを尋ねようと思うのも、ごく自然な流れだ。
 ごめん、と謝ったカロルの頭をユーリは気にするな、といつものシニカルな笑みを浮かべて撫でていた。その笑みの裏側に諦めが張り付いていた、そんな気がする。彼が一体どれほどの想いを抱き、何を諦めているのか、レイヴンには分からない。だが、ひょっとすると、と思う。
 ユーリの諦念は切り離せない彼らの関係に対するものなのではないか、と。

「ちょっと、ね、あの二人の関係は俺らにはどうしようもできないから」

 苦笑を浮かべて言うと、振り返って見上げてきたカロルが「そうなの?」と小さく首を傾けた。
 カロルもあの二人の関係が世間一般から少しずれているらしい、ということは分かっているようだ。しかしでは具体的にどうずれているのか、どう歪んでいるのか、までには思考が至らないのだろう。

「んー、そうねぇ、俺様がこう言うのもなんだけど」

 そう前置いて、たとえるなら、とレイヴンは言葉を口にする。

「心臓を混ぜて二つに分けた感じ?」

 人間を生かすための最も重要な器官。ユーリの体の中で脈打つそれはユーリのものでありまたフレンのものでもある。同様にフレンの中で血液を循環させているそれはフレンのものであり、またユーリのものでもある。

「一人で二人分の力になるけど、逆に弱点も二つに増えてる」

 言ってる意味分かるかしら、と少年に尋ねれば、難しそうな顔をしたまま、「ユーリが死んじゃえばフレンも死んじゃうの?」と口にした。

「そうね、そうかもしれないわね」

 推測の語句を選んで答えたが、おそらくはそうなるだろう、と思う。彼らの依存心、執着心は尋常ではない。ユーリがギルドという組織を選ぶ前、二人の関係が多少ぎこちない時でさえそれが見え隠れしていたのだ。並大抵のことであの癒着を切り離すことはできないだろう。
 手を握ったままゆっくりと体を揺すっていたレイヴンの耳に、「なんか、かわいそう」というカロルの声が届く。

「あの二人が……?」

 尋ねれば、うん、と頷きが返ってきた。
 あの二人はカロルが知る中でも群を抜いて強い存在だ。剣を我が手のように扱い、魔物の間を走り抜けて次々と敵を倒していく。二人揃えばその強さは倍以上に膨れ上がり、彼らの姿は金色の光と漆黒の闇が入り混じって舞い踊っているかのようだった。その波に飲み込まれれば無事では済まないだろう、そんな迫力がある。

「かわいそうっていうのとは、ちょっと違う、かな。二人とも綺麗でカッコ良くてすごく強いけど、」
 あんまり上手に生きれてない気がする。

 少年の言葉に言い得て妙だ、とレイヴンは感心すら覚えた。

 上手く生きることができていない。

 では上手く生きるとは一体何を指すのか、問われても困るが、少なくともあの二人に関してはもっと楽な、上手な生き方があったはずだ。
 それを選べない不器用で、可愛そうな青年たち。そんな二人だからこそ多くの人々の目を集めてしまうのかもしれない。

「ねぇ、レイヴン」

 名を呼んだカロルの顔を何、と覗きこめば、「ボクね」と少年はその小さな唇を動かして言葉を紡ぐ。

「ユーリのこともフレンのことも、大好きなんだ」
 だから二人が死んじゃうのはヤだよ。

 幼い少年らしい、真っ直ぐな言葉。世間を知り人間を知り、摩耗した大人には口にできないものかもしれない。そうね、と頷いて、そんなカロルの頭をゆっくりと撫でた。

「だったら、少年が二人のことを助けてあげたらいいんじゃなぁい?」

 彼らは互いの存在が故に、酷く歪んだ生を歩んでいる。それでも相手を手放せない。強く、弱い二人を支えることができるのはその周囲にいる人間だ。

「カロルにならできると思うよ」

 ひたりと放った言葉にそうかな、と首を傾げ、少し照れくさそうにカロルは笑った。

「……ユーリたちみたいなのは、ちょっとあれだけど、でもボクもいつか、すごく大事な人、できたらいいな」

 心臓を混ぜることができるくらいに。

 羨ましい、と単純に思う。何に対する羨望なのかは分からない。誰かの生を純粋に願い、そのために手を差し伸べたいと思うことなのか。手を差し伸べてもらえる彼らのことなのか。無限に広がる未来に思いを馳せ、望みを口にする少年を羨んでいるのか。あるいはその少年の想い人となる相手を、なのか。

「混ぜる心臓持ってないし、おっさんはもう無理かしらね」

 口にするつもりのなかった自嘲めいた呟きが零れ、若干慌てて続きの言葉を探そうとしたところで、「心臓持ってるじゃん」とカロルは言った。

「だって、レイヴン生きてるし。生きてるってことは心臓(こころ)があるってことでしょ」
 だから混ぜることができるよ。

 ごく自然に、当たり前のことのように告げられた言葉。
 それに面食らっている間に、さらに発せられた爆弾発言。


「……ねえ、レイヴン。どうせならボクと混ぜない?」


 失って久しくもう諦めていたものは、もしかしたら酷く近い場所に転がっているのかもしれない。




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2010.02.24
















猛アタック開始。