マキャヴェリズム・1


 いくらユーリが美少女と陰で囁かれる容姿をしていたとしても、健全な青少年であることに違いはない。からかい混じりや半ば本気の色をもった男からの口説き文句より、女性から言い寄られる方が遥かに気分がいいのは至極当然のことだろう。しかも第二次性徴真っ只中、所謂思春期を謳歌中といった年ごろなら、そういった事柄に興味を持ってもおかしくはない。庇護してくれる存在を持たないため生きることに精いっぱいで、今のところどうしても、と切望するほどではないが、機会があればそのうちにとは思う。
 これがその「機会」に入るのかどうか。入れてもいいのかどうか。
 左腕に押し付けられた女の柔らかな胸の感触に内心どぎまぎしながらも、ユーリは表面上平静を装って、「どうすっかな」と答える。

「ほんとに好きな子相手に初めてやるより、一回でも練習しといたほうが絶対いいわよ」

 あたしで練習しときなさいな、と女はゆるり、と笑みを浮かべて言った。
 今まであまり見たことのない顔だったので、最近帝都にやってきた者なのかもしれない。いつも一緒にいる幼馴染とたまたま別行動を取っていた今日、声を掛けられた。曰く、「一人になるの、待ってたの」ということらしい。

「一緒にいる金髪の子とはどういう関係?」
「どういうって、幼馴染っつか、腐れ縁みたいな」

 もしかしたら家族に近い情を抱いているかもしれないが、とりあえずはそんなところだ。あっさりと答えたユーリへ女は、「じゃあ、いいわね」と口にする。何の事だろうか、と聞く前に、「あたしといいことしない?」とあからさまな誘いをかけられた。さすがに何をするのか、と聞くほど野暮でも無知でもない。

「……ねーさん、少年愛者?」

 少年というほど幼くはないが、大人というほどまでにはまだ成長していない。そんな男を相手にしたところで彼女に一体なんの得があるのだろうか。そう思い尋ねると、「っていうより、童貞を食べるのが趣味なの」と返ってきた。

「初対面で童貞呼ばわりかよ」

 幾分むっとしながら口にすると、「あら、違うの?」と女は笑う。

「まあでもあなたなら童貞じゃなくてもぜひお相手してもらいたいわね」

 可愛い顔してるもの、と細い指で頬を撫でられた。こちらを煽るような指つきに思わずぐ、と唇を噛む。

「ねぇ、いいでしょ?」

 柔らかなバストに、白く滑らかな肌。少し釣り目気味だったが、容姿もなかなか整っており悪い誘いではない。乗ってみるのもいいかもしれない、そんな風に心を傾けながら、「どうすっかな」ともう一度呟いたところで。

「ユーリ!」

 突然名を呼ばれ、体をぐい、と引かれた。覚えのある体温と匂い、誰か、など考えずとも分かるほど一緒にいる相手。

「フレン?」

 いつにない剣幕の声に驚き、首を傾げて背後を振り返る。しかし彼はユーリの方を見ておらず、女をきつく睨みつけて言った。

「ユーリに変なこと、しないでください」

 予期していなかった闖入者に女は「なによ」と眉を顰める。

「誰もが一度は通る道でしょ。別に変なことでもなんでもないじゃない」
「……誰とでもしていいことでもないでしょう」

 硬い声の親友に、フレンならそう言うだろうな、とユーリは思う。基本的に真面目で常識的なのだ。体だけの付き合いだとか、行きずりの関係といったものを正面から否定はしないものの、歓迎もできないのだろう。
 正確には分からないが、それでもユーリたちより一回り近くは年上であろう女も、褒められた行動ではないことを自覚しているらしい。「そうだけどさ」と唇を尖らせた表情がなんとなく可愛らしかった。それでもまだ諦めきれないのか、彼女は「あなた、この子のお友達でしょう?」とフレンを見る。

「ただのお友達が、こういうことにまで口を出すのってどうかしらね」
 その子だって迷惑してるんじゃないの?

 女の言葉にフレンの体がびくり、と強張った。

「フレン?」

 なんとなく抜け出るタイミングを失い、親友の両腕に捉えられたままユーリは彼の名を呼ぶ。どうした、と振り返れば、青ざめたフレンと目があった。
 どうしてそんな顔をしているのだろう。
 疑問を口に出す前に、するり、とフレンの腕が解かれた。遠ざかる体温に肌寒さを覚える。

「……ごめん」

 一言、そう告げて、フレンは二人に背を向けた。

「ちょ、おい、フレン!」

 彼が何を言いたかったのか、何をしたかったのかがまったく分からない。混乱したまま名を呼ぶが、フレンは止まる素振りを見せなかった。それどころか数歩も行かないうちに走りだしてしまう。

「ッ、あのやろ……」

 どんなことでもさらりとこなしてしまう彼は、ユーリより剣の扱いも上手かったし、走るのも早かった。本気で逃げられたら到底追いつけない。

「悪ぃな、おねーさん。オレ、行くわ」

 一応軽く謝罪をしたのち駆け出そうとするユーリへ、「ほっときなさいよ」と彼女は言う。彼女を置いて友人を追いかけるのだ。女からすれば面白くないだろう、それが分かっているからユーリも苦笑を浮かべ、「ほんと、悪ぃな」ともう一度口にした。

「あいつ、『ただのお友達』じゃねぇんだよ」

 彼は多く存在している友人たちとは、また別の枠にいる存在。だから追いかける、と言外に含め、ユーリは女の返事を待たずにその場を後にする。

「フレン、待てよっ!」

 この町で生まれ、この町で育った二人だ。下町の道など知り尽くしている。フレンは確実に追いかけ辛い道を選んでいるらしく、道幅が狭く障害物の多い通りばかりを走って行った。

「フレンッ!」

 実際のところ、フレンを追いかける状況はさほど経験がない。今よりもっと幼い頃は遊びとして行ってはいたが、成長するにつれ、怒ったフレンに追いかけられはしても、逃げるフレンを追いかけるということはほとんどなかった。
 先を逃げる彼は、金色の髪の毛をなびかせて風のように路地を抜けて行く。この先は確か壁があって行き止まりだったはずだが、壁の前後に木箱が放置されていることをユーリでも覚えている。彼ならば容易く超えて行くだろう。
 思ったとおり、木箱を足場にして壁をよじ登った彼は、とんとん、と軽やかに向こう側へ下りていく。同時にがらがらがら、と何かが崩れる音。フレンと同じように壁を上ったユーリは、着地側を見て思わず舌打ちをした。彼はユーリがこちら側に下りれないように、木箱の山を崩して行ったのだ。
 壁付近にある木箱は不安定過ぎて体重をかけるのが幾分不安だ。かといって、それらを避けて飛べるかどうかが分からなかったし、なにより直接地面に下りるには高さがありすぎる。

「チッ……」

 もう一度舌打ちをしたユーリは、一度もこちらを振り返ろうとしないフレンを睨みつけて叫んだ。

「フレンの馬鹿野郎っ!」

 とん、と壁を蹴り飛びあがる。受け身さえ取れば死にはしないだろう。そう思っての行動であったが、ほんの少しばかり距離が足りず、ユーリは木箱の山へと落ちる羽目になった。そもそも平らな面ではないところで受け身をどうとればいいのだろう。木箱の崩れる音を聞きながらどうでもいいことを考えていたところで、「ユーリッ!」とフレンの声が耳に届いた。

「ユーリ! 大丈夫かっ?」

 ユーリの上に崩れ落ちてきた木箱を放り投げ、埋もれていた体を引き起こす。けほ、と咳こみながら立ち上がったユーリは、とりあえず両足に体重をかけて異常がないことを確認した。肩や背中といったあたりに鈍痛はあるが、我慢できなくはない。一番酷いものは木の破片ででも切ったのだろう、右手首から肘にかけての切り傷だった。

「ユーリ、血が!」
「そりゃ切ったんだから血ぃくらい出るだろ」

 それよりも、とユーリはフレンの右手を握った。

「戻ってくると思った。もう逃げんなよ?」

 そう言って笑ったユーリへ、眉をよせ辛そうな顔をしたフレンは「帰ろう」と口にした。




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2009.11.10