マキャヴェリズム・2


「で、何で逃げたんだよ、お前は」

 二人が生活の拠点としている部屋へ戻り、ベッドに腰を掛けてユーリは問いかける。怪我を負った右腕には既に包帯が巻かれているが、手当を受けているあいだもユーリはフレンを離そうとはしなかった。そんなユーリの様子から、逃げられない、と覚悟はしていたのだろう。
 ふう、とため息をついたフレンは少し体をずらし、ユーリから距離を取ってベッドへ腰かけなおす。

「ごめん」

 こちらへ視線を向けることもせずにただ謝罪を口にするなど、普段の彼からは考えられない。眉を寄せてフレンを睨みつけながら、「何に対して謝ってんだよ、おまえは」とその腕を引いた。

「……邪魔を、したから。さっきユーリは、あの人に誘われてた、んだろ?」

 そう言うフレンはまだユーリを見ようとしない。そんな態度にイライラしながらも彼の言葉の続きを待つ。

「ああいうのは良くないとは思うけど、確かに彼女の言うとおり、僕が口出すことではなかったよね」

 だからごめん、と続けた彼の腕を引き、「で?」とユーリは首を傾げる。

「謝った理由は理解した。それで、オレの最初の質問の答えは?」

 ユーリが一番はじめに尋ねたことは、どうして逃げたのか、である。今の謝罪はその理由にはなっていない。
 ユーリの言葉に緩く首を振ったフレンが、ぎゅ、と強く拳を握りしめたのが分かった。どうもいつもの雰囲気とは若干異なっている親友を疑問に思い、「フレン?」とその名を呼ぶ。
 相変わらず顔を上げようとしないフレンは、床をじ、と見つめたまま口を開いた。

「僕はもう、ユーリとは一緒にいられない」
「……は?」

 言葉の脈絡が読み取れず、ユーリは思わずそう返してしまう。どんな思考でどう飛躍すればそんな結論に至るのかが分からない。
 軽く混乱しているユーリを置いて、フレンは言葉を続けた。

「僕はたぶん、ユーリが誰かと付き合ったりすることに耐えられない。側でそれを見ててあげることができない。きっと今日みたいにまた、邪魔をしてしまう」
「え、っと、ちょっと待て、フレン、お前、何が言いた、」

 ユーリの言葉を遮るように緩く首を振ったフレンは、ようやく顔をあげてこちらを向く。

「僕はユーリが好きだから」

 そう告げた時の青い目は、いつもと同じように真っ直ぐで曇りも迷いもない。その視線が一番フレンに似合っていると思っているのだが、本人には恥ずかしくて言ったことはない。
 その強い目に呑み込まれそうになるのをなんとかこらえ、「そりゃ、」とユーリは口を開いた。

「オレもフレンのことは、好き、だぜ?」

 直接的な言葉を口にするには近過ぎる関係であり、またユーリの性格上難しかったが、他の誰よりも特別な場所にいることに違いはない。言葉がたどたどしくなってしまったのは、慣れぬ雰囲気に戸惑っているせいだ。
 しかしユーリの言葉に、フレンはもう一度首を横に振る。

「違うよ。僕の『好き』はユーリの『好き』と種類が、違うんだ」
「……何がどう違うって?」

 どれだけ好きでいるのかという程度ではなく、種類が違うという意味がいまいちうまく取れない。自分と同じように好きでいてくれているのではなかったのか、ということに、軽くショックを受けている自分にも腹が立つ。
 眉をひそめて聞いたユーリへ、どこか苦笑にも似た笑みを浮かべてフレンは手を伸ばす。
 肩を押されるがまま、ベッドへと横たわる。相手がフレンだということと、今までにない部屋の空気に逃げる、逆らうという選択肢がユーリには思い浮かばなかったのだ。フレンが何をしたいのか、何を言いたいのかが分からないまま見上げていると、覗き込むように圧し掛かってきた彼がくすりと笑みを浮かべた。きょとんとした表情が間抜けだったのかもしれない。むっとしてフレンを睨みつけると、その手に顎を捉えられた。
 近寄ってくる親友の顔。
 こんなにも間近で彼を見たのは久しぶりかもしれない。
 そう思っている間に唇に何か生暖かなものが触れた。
 キスを、されている。
 そう認識したと同時に、ぬるり、と唇を舐められた。

「んっ」

 驚いて開いた唇の隙間から入り込んでくるもの。
 顎を固定されているため逃れることもできず、びくりと震える体は抑えこまれてしまう。水音を響かせて口内で暴れているものはフレンの舌、だろう。ディープキスの経験がないユーリは、ただフレンの舌に捕えられぬよう狭い中を逃げ回るしかない。

 どこでこんなエロいキスを覚えてきやがった。

 そんな思いから閉じていた目を開けて睨みつけると、彼はす、とその青い目を細める。

「っ、は……っ」

 ようやく解放されたときには唇どころか顎のあたりまで唾液で濡れ、離れたフレンの唇の間に銀糸が掛かるほどだった。ぺろり、とそれを舐め取り、己の指でユーリの口元をぬぐったフレンは「ユーリは何をやってもユーリのままだね」と笑った。

「ど、いう、意味だよ」

 長い口付けの間上手く息つぎができず、酸欠気味のユーリは途切れ途切れにそう文句を言う。しかしフレンはそれには答えずに、ユーリへ重なるように圧し掛かかってきた。

「分かった? 僕の『好き』はこういう意味を含めてのもの、だよ」

 正直なところ、衣服のせいと動揺していたせいで、足に何か硬いものが押し付けられていると分かるまで時間がかかった。しかし、涼しい顔をして卑猥な腰つきを見せる親友に、かっと頬が赤くなる。思わずびくり、と跳ねたユーリを見下ろし、「ね、嫌だろ?」とフレンは苦笑を浮かべる。

「だから、僕はユーリとは一緒にいられない」

 せめて僕が冷静になるまでは、と続けて体を起こし、ベッドから足を下ろす。す、と離れていく体温。いつの間にかユーリの手を振りほどいていたフレンは、そのまま背中を見せて立ち上がろうとする。
 ユーリと同じように頑固で自分の意思を曲げることのない彼ならおそらく、言ったことを何が何でも成し遂げるだろう。一緒にはいられない、とフレンはそう言った。今まではこの部屋で共に寝起きし、食事を取り、遊びに行き、剣の訓練をし、賃金のために働いていた。これらすべてを別々に行う、と彼は言っている。

 駄目だ、とそう思った。
 嫌だ、ではなく、駄目なのだ。
 それは違う、そんなのは何かがおかしい。
 そんな関係は自分たちではない。
 衝動に突き動かされるまま飛び起き、既に離れかけていたフレンの腕を掴んだ。

「ッ、ユー、リ……?」

 驚いてこちらを振り返ったフレンを見上げ、首を横に振る。上手い言葉が出てこない、けれどここで彼を逃したら本当に自分の側からいなくなってしまう。それだけは分かっていた。
 無駄に力の入ったユーリの手に自分の手を重ね、「いいよ、無理しなくて」とフレンは笑う。

「気遣ってくれるのは嬉しいけど、僕は大丈夫だから」

 同性の友達から突然告白をされ、混乱しない人間などいないだろう。ユーリの反応も仕方がないことだ、とフレンは言う。その彼の言葉を否定するように、ユーリは首を横に振って彼の腕を強く引いた。
 とす、と再びベッドに腰かけたフレンを見て、「違えよ」とユーリは口を開く。

「別にフレンを気遣ってるとかじゃねえ。お前が大丈夫でもオレが大丈夫じゃねぇんだよ」

 手を離すことにこれほどまでに恐怖を覚えるとは、思ってもいなかった。フレンの言いたいことを理解していないわけではない。しかしそれでも、駄目、なのだ。
 この手は離せない。
 きっぱりとそう告げるユーリの名を、どこか歪んだ表情を浮かべたままフレンが呟く。

「……でも、側にいたら、僕はきっとまた今日みたいに」
「いい。いくらでも邪魔しろ。つか、お前が嫌なら誘いは全部断る」

 別にどうしても、というわけではないのだ。フレンが嫌だと思うなら、そういった事柄をすべて振り切ってしまってもユーリ自身に問題はない。それで彼が今まで通りに過ごせるというのなら安いものだ。
 しかしそんなユーリの言葉も彼の考えを変えるものにはなりえないようで。

「駄目だよ、ユーリは根本的に理解してない」

 緩く首を横に振られてしまった。そして続けるのだ、「やっぱり一緒にはいられない」と。

「だから、何でっ!」

 ここまで譲歩しているのにそれでも受け入れられないというフレンに、声を荒げてそう叫ぶ。ユーリが激昂しているのに対し、フレンが冷静なままでいるというのもまた、苛立ちを増幅させていた。
 しかし彼が平静なように見えたのも表面上だけで。

「ッ!」
「ほんとに、分かってないよね」

 どん、と先ほどよりも強い力で肩を押され、勢いのままベッドへと倒れこむ。そんなユーリへ再び圧し掛かってきたフレンは、逃れられないように両肩を強く抑えこんできた。

「僕が言った『好きだ』って意味。僕はね、隙あらばこういうことがしたい、って思ってるんだよ」

 ちゅ、と小さな音を立てて落ちてきたキスに赤面しつつ、それでもユーリはフレンを振りほどこうとはしなかった。

「き、キス、くらい……」
「キスだけで満足できると思う?」

 触れているだけで欲情してしまうのに、子供のようなキス一つで満足できるはずがない。
 爽やかな雰囲気を纏ったまま、彼の口から零れる言葉はどこまでも本能に即し、暗い欲の滲んだもの。ユーリの腰骨あたりに昂ったそれを押し付けながら、「僕はね、ユーリ」と耳元で低く囁いた。

「君の中に入りたいんだよ」





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2009.11.10