silent night」の続き。


   holy night


 どんな風に謝ろうだとか、どんな風に抱きしめようだとか。下町へ続く道を行く間、そんなことばかりを考えていた。最愛の半身はぶっきらぼうでがさつで短気に見えてひどく優しいから、表面上は怒りを見せながらもお疲れ様、とこちらを労ってくれるだろう。それが分かるからこそ、気を遣わせる前に、彼から怒りや寂しさといった感情を引きだすにはどうすればいいだろうか、と。
 さすがに真夜中近い時間帯。外で活動している人間もほとんどおらず、石畳を歩く足音だけが冷えた空間に響く。眠っているであろう人々の邪魔にならぬよう、極力物音を抑えて移動し、まだ明かりの見えていた一階の食堂へ顔を見せることもなく静かに階段を上る。
 そ、と木の扉を開けて中を覗き込めば、こうであればいいのに、と約束を取り付けた日から夢見ていた光景が広がっていた。
 温かな部屋、柔ららかな明かり。テーブルの上に用意されたチキンとケーキ。普段自分たちがあまり口にしないような洒落たシャンパン。もちろんグラスは二つ。
 こんな食事を彼と囲むことが出来たら幸せだろう、そう思っていた。

「……ユーリ?」

 その彼は一体どこへ、と少し声を抑えて名を呼んでみる。イスに腰掛けていないことは一目瞭然で、窓枠に腰掛けて外を見ているわけでもない。ベッドの上もまっ平らで人がいる様子はなく、ではユーリはどこにいるのだろうか。首を傾げたところでぱたむ、と床を叩く小さな音。
 部屋へ足を踏み入れテーブルに近づき、並んだ料理がほとんど冷めているにもかかわらず、まったく手を付けられた様子がないことに思わず泣きそうになった。

「ユーリ」

 これを作ったであろう彼はきっと、フレンと二人で食べることを考えてくれていたのだ。揃わなければ意味がない、と考えてくれたに違いないのだ。
 ぱたむ、と床を尻尾で叩く鈍い音。テーブルの奥、ベッドのすぐ側に身体を横たえるラピードの姿が見えた。そんな相棒が守るように抱き込んでいるのは毛布の塊。あの長身をどうやってそこまでコンパクトにできるのだ、と感心してしまうほど、身体を小さく丸めて眠っているユーリがそこにいた。見ればラピードすら食事を取っていないようで、心苦しさと嬉しさが綯い交ぜになり胸がつぶれそうだ。

 先に食事を取ってくれていて良かったのに。
 帰って来ない相手を待ってくれていなくて良かったのに。

 用意された食事を零さぬよう、少しだけテーブルを避けて床のスペースを広げる。ベッドの上にはもう何枚か毛布があり、それらをひっぱり下ろしてもそもそとユーリの隣へ潜り込んだ。
 本音を言えばフレンだって飲み物以外、何も口にしていない。身体は空腹を訴え、テーブルに並んでいる鶏肉は非常に魅力的に見える。
 けれど、そこはやはりユーリと同じ理由。
 二人で食べなければ意味が、ない。
 ユーリがどうしてわざわざ床で眠っていたのか。その理由が分からぬほど、フレンも呆けてはいないつもりだ。

 くぅん、とすり寄ってくる相棒の鼻先へキスを一つ。待っていてくれてありがとう、ユーリの側にいてくれてありがとう、そんなお礼を込めて。
 そうして毛布の中で愛しい半身を抱きこめば、ようやく彼の意識が半分ほど浮上してきたらしい。きゅ、と眉が寄せられた後、驚くほど長い睫毛が小さく震え、ゆっくりと開かれる目蓋、奥から現れるどこかとろりとした紫の瞳。囁くような声で「フレン」と名を呼ばれ、たまらずその唇を奪えば微かにアルコールの香りが鼻を擽った。そういえば、テーブルの上のシャンパンは封が開けられており、グラスも一つだけ使われた形跡があったように思える。
 おそらく、彼が口にしたのはその一杯だけなのであろう。
 まだ眠りの世界から戻ってこれないのか、あるいは空腹時に飲んだためアルコールが回っているのか、ユーリは普段よりもゆったりとした口調で、「お前、飯は」と尋ねてくる。

「食べてないよ」

 当たり前のように答えれば、「腹、減ってる、だろ」と途切れ途切れの言葉が返ってきた。それにうん、と頷きながらユーリの身体を抱きしめ、広がる黒髪へキスを降らせる。

「じゃあ、飯……」

 起き上がろうとするユーリを敢えて止めなかったのは、ベッドへ移動したかったから。これ以上彼に冷たく硬い床の上で眠っていてもらいたくなかった。
 ユーリが立ち上がったところでベッドへ押し倒し、毛布と一緒に覆いかぶさる。眠気には勝てないのか、「めし」と呟いただけでユーリはさして抵抗をみせることなくフレンの腕の中に収まった。

「お腹、空いてるよ、すごく」

 フレンの囁きにじゃあやっぱり飯、と呟いたユーリの耳元へ「そっちじゃなくて、」と唇を寄せる。

 ユーリが、足りない。

 気が遠くなりそうなほど膨れ上がる飢餓感。それは身体が求めるエネルギィへの渇望ではない。精神が求めるエネルギィへの渇望。
 すなわちユーリという存在が、足りない。

「だから、ちょうだい」

 はやく。
 ぜんぶ。

 この飢餓感は、ユーリにしか、埋めることができない。




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2010.12.27
















早く満たして。