「双子の悪魔、悪魔の双子。(8)」の続き あなたが残すもの 「ほら、シロ。ちゃんと肩まで浸かって温まらないとだめだよ」 ちゃぷちゃぷと、湯を跳ねさせて遊んでいる幼子へ柔らかな声でそう促すのは、尖った耳と牙、黒い尾を持つ悪魔の青年だ。きょとんと、赤い目を向けた子どもはにっこりと笑って彼を「ぱぱ」と呼ぶ。人間で言えば四歳児程度の大きさである彼もまた、悪魔と呼ばれる種の存在であった。しかしぷくぷくとした小さな手を懸命に保護者に伸ばしてくる様子は決して害悪になるようなものには見えず、またその手を愛おしそうに握って抱きかかえる青年も悪魔である雰囲気は欠片も持っていない。 「このまま十数えるんだよ。数えられる?」 大好きな父親の脚の上に腰を下ろした悪魔は、できる! と胸を張って言い切り、大きな声で数を数えはじめた。小さな身体を支えてやりながら一緒に数えてあげている青年は、正確に言えば子どもの父親というわけではない。飽くまでも父親代わりである。そもそも彼はまだ高校生であり、四歳児の父親になるには若すぎるだろう。 「じゅーう! ぱぱ、かぞえた! ねぇ、もうあがっていい?」 あつい、と丸い頬を真っ赤にしている子どもを見やり、笑って「いいよ」と許可を与える。 「外でママが待ってるから、身体と頭を拭いてもらいなさい。危ないから走ったらだめだよ?」 「はぁい!」 元気よく返事をした子どもは父親代わりに言われたとおり、歩いて浴室の外へ繋がる扉を目指す。もともと成長が早く一ヶ月程度で成体になると言われている悪魔だが、つい二週間ほど前までは歩くこともできなかった赤子だったとは思えない。 「ままー! あがったよ!」 小さな手で扉を開けて、脱衣所で待っているはずの人物を呼ぶ。その声に「おー! ちゃんとほかほかのぴかぴかになったか?」と尋ねたのは、「ぱぱ」と呼ばれた存在の兄にあたる悪魔。兄なので男であり、当然血の繋がった母親ではない。こちらも飽くまで母親代わりである。 「なったー!」 楽しそうに笑って答える悪魔の子どもシロへ、母親代わりの燐もまた「そっか」と笑顔を向けた。 「シロは良い子だな! 良い子だからわしゃわしゃしてやろう」 大きなバスタオルで子どもを包み、抱き込むように身体と頭を拭く。タオルの感触が気持ちがいいのか、母親に抱きつかれている状態が嬉しいのか、シロはきゃっきゃとはしゃいでじっとしていない。ちゃんと拭けないだろ、と怒りながらも、手早く着替えさせていく様子は慣れたもので、すっかり母親業が身についているようだった。 そんなふたりの側へ、父親代わりの雪男が追いかけるように風呂から出て歩を進めてくる。疑似ではあるけれども親子の楽しそうなじゃれ合いを目を細めて見やり、悪魔はふふ、と小さく笑った。 「僕も良い子だから、ママがわしゃわしゃしてくれるのかな?」 シロばっかりずるいよ、とそんなことを言ってくる弟を見上げ、兄はむ、と眉間にしわを寄せる。ずるいも何も、自分で自分のことができる年のものが何を言っているのか。 用意していたもう一つのバスタオルを手に取り、雪男に向かって投げつける。 「良い子はそんな物騒なもん、ぶらぶらさせて出てきません!」 前を隠せばか、と続けて投げられた下着をキャッチし、雪男はあはは、と声をあげて笑っていた。 うとうとと首を前後に揺らす子どもを見おろし、「もう寝ようか」と雪男が声をかける。けれどシロは床に敷かれた布団にぺたりと座り込んだまま、いやだ、と首を横に振った。今にも閉じそうな目をしておいて、どうして嫌がるのだろうか。子どもはときに雪男には想像もつかないことを考えているものだ。風呂にも入ったし、アイスクリームだって食べていた。歯も磨いてトイレにも行って、彼の友だちである猫又のクロだって、既に枕の横で丸くなっている。ほかに何が子どもの意識に引っかかっているというのか。 どうしていやなの? と視線を合わせて尋ねれば、「ままも」とシロは拙い言葉を口にする。 「ままも、いっしょ、ねる」 そのママは今、風呂に行っており部屋にいない。ついでに洗濯機を回してくる、とも言っていた。もともと烏の行水族である燐のことだ、少し待てば戻ってはくるだろう。そっか、と苦笑して答えつつ燐の机のほうへと視線を向けた。 シロがやってきてからというもの、どうしても時間を彼にさきがちになってしまうため、彼は課題を塾で終わらせて帰ってくるようになった。自分で面倒をみる、と言い出したのだ。その幼子のせいで本来やらなければならないことが疎かになっては意味がない、と燐なりに考えているらしい。 「あれ? シロまだ起きてんのか? もう寝る時間だろー?」 がちゃん、と部屋の扉を開けて入ってきた燐が、布団の上に座っている悪魔を見て驚いたように言う。眠たそうな目を一生懸命に開いてシロは「ままぁ」と甘えた声をあげた。 「ママと一緒に寝るんだってさ」 兄さんを待ってたんだよ、と弟に教えられ、燐もまた「そうなのか」と顔を崩して笑みを浮かべる。子どもの求める存在が戻ってきたため、バトンタッチとばかりに腰をあげた雪男と入れ替わり、しゃがみ込んでほんわかと眠たそうな顔をしているシロを覗きこんだ。 「待たせてごめんな? ほら、もうお布団入んなさい」 そう言って促すも、彼はまだ「やだぁ」と顔を歪める。どうして? と尋ねれば、「ぱぱもぉ」とシロは立ち上がったばかりの雪男へ両手を伸ばした。 「いっしょ、ねるのぉ……っ」 そばに居てほしい存在は燐だけではない。雪男もなのだ。ふたりが揃っていなければだめなのだ、と幼い悪魔は駄々を捏ねる。 「……だとさ、パパ」 「シロには敵わないなぁ」 雪男が寝るにはまだ早い時間で、やっておきたいことは大体終わらせているとはいえ、目を通そうと思っている資料がいくつか残っていた。あとは燐に任せてそちらに手を出そうかと思っていたのだけれど。 分かったよ、と苦笑を浮かべ、ざっと机の上を片付ける。この時間から眠ってしまうと明日の朝早く目覚めるだろう。その時間を使えばいいだけのこと。 パパも一緒に寝てくれるってさ、と燐に宥められてようやく横になったシロと、そばで眠っているクロを挟むように、双子の兄弟もそれぞれ布団にもぐりこむ。幼い悪魔がやってきてから、床に敷いた布団で川の字になって眠ることが当たり前になってしまっていた。大好きな両親(仮)に挟まれて、小さな悪魔は大層ご満悦の様子である。安心したように笑ったまま、すぐにこてん、と眠ってしまった。あまりの寝入りように、双子の兄弟は思わず顔を見合わせてしまったくらいである。 「やっぱすげぇ眠かったんじゃねぇか」 「半分寝てたもんね、シロ」 笑いながら小声で会話を交わすふたりの視線はとても優しく、慈しみに満ちていた。ゆっくりとシロの頭を撫でてやりながら、「なあ雪男」と弟を呼ぶ。 「一ヶ月で大人になるって割にはさ、シロ、まだ全然子どもじゃね?」 突如双子のもとにやってきた小さな悪魔。力を得てこの世界で生きていけるようになるまで、守ってもらえるような姿に擬態して保護者を得るのだという。悪魔といえど人間に対し積極的に害を及ぼすものではない存在らしい。この寮で過ごす期間はたった一ヶ月。もうそれもあと二週間を切っている。 「最初はさ結構早く大きくなってたけどさ、最近はあんまり成長してねぇ気がするし。どっか悪ぃとかねぇよな……?」 眉間にしわを寄せ、シロを見下ろして不安そうにそう言う。確かに今の姿くらいにまではすくすくと育ってくれたが、それ以降の成長が見られない。ペースを考えれば、せめて小学生くらいには育ってくれていてもいいかもしれない。シロの髪を梳く燐の手を見やりながら、「もしかしたら」と雪男は口を開いた。 「成体、大人って僕たちが言っているだけで、人間の大人と同じ姿だとは限らないだけかもしれないよ」 シロの性質を考えれば、可能な限り長く他者に「保護」してもらうため、これ以上の外見的成長は見られないということもあり得るだろう。一見する限りでは毎日食事も睡眠もしっかり取れているし、具合が悪いわけではないと思う。 「もう少し様子を見てみようよ」 ね? と宥めるものの、それでも燐はどこか不安そうなままだ。苦笑を浮かべ、「本当にお母さんみたいだね」とそんな兄をあえて軽く揶揄した。 もともと燐は優しく情の深い性格をしている。情をかけすぎては離れるときにつらくなる、と分かってはいるけれど、こんなにも愛らしく懐かれてはどうしたって可愛がってしまうのがひとの心というものだ。 「俺、こんなだからさ、」と顔を歪めて燐は言う。 「どれだけ雪男のことが好きでも、子どもは作れねぇんだ」 お互いがお互いを必要として手を取り合い、そうして愛を交わす間柄ではあるけれど、ふたりは兄弟であり、同性同士。いくら悪魔であるとはいえ、さすがに子を望むことは叶わないだろう。 何も残してやることができない、と悲しげに言う兄。 ふぅ、と小さくため息をついた雪男は、シロを起こさないようにそっと腕を伸ばし、むに、と燐の右頬を引っ張った。痛い、と睨みつけてくる兄を、同じほど強く睨み返す。 「たとえ兄さんでも、僕の大切な人を貶しめる言い方は許せないな」 彼が自身を卑下するということは、つまりそのまま雪男の大好きなひとを悪く言っているのと同じことなのだ。確かに「普通」に比べて手に入れることのできないものは多いのかもしれない。けれど、たった一つの存在を得ることができるのならば、雪男にとってその他は些細な問題にすぎなくなってしまうのだ。 「僕には兄さんがいるし、兄さんには僕がいる。周りにいいひとたちもたくさんいるし、若干邪魔だけど変な悪魔たちもいる。クロっていう家族もいるし」 加え今は期限付きとはいえ、シロという家族だって増えたのだ。 何も残せない、と優しい悪魔が嘆く。 けれど彼の優しさは確かに雪男に届いているし、そうして撫でてやった手の温もりは、きっとシロの心にだって残り続けてくれるだろう。 十分すぎると思うけどな、と静かに告げた雪男の言葉に、燐はそうかな、と呟いて俯いた。 「……そうだと、いいな」 ブラウザバックでお戻りください。 2015.01.09
雪燐パパママ奮闘記。 |