「ヒトを慈しむ方法」の続き。 ヒトと幸せになる方法 ぱちん、と音でも聞こえてきそうなほど勢いよく目を開けた雪男は、一瞬どうして自分がベッドにいるのか、理解できなかった。パジャマ代わりのスウェットを着てメガネを外して眠っていたのだから、自分でベッドに入ったことに間違いはない。けれど昨夜はいったいいつ横になったのか、まるで思い出せなかった。 首を捻りながら、時間を確認しようと手を伸ばしかけてふと気づく。布団のなかに誰かいる。いや、誰かだなんて考える必要もない。兄だ。兄以外にいるはずもない。 久しぶりにすっきりとした目覚めを自覚しながら、やられた、と雪男はため息をつく。思い返せばここ数日、あまり休めていなかったような気がする。表面状はいつもどおりだったと思うが、変なところで妙に鋭い兄にはしっかりばれていたらしい。昨日まで身体全体を覆っていたどんよりとした疲労感が、今は嘘のように引いている。健全な状態を取り戻して、ああ自分は疲れていたのだな、と気がつくだなんて間抜けにもほどがあるだろう。 自分にはそういう癖があるのだ、と知ってはいるのだ。集中してしまうと周りが見えなくなる、己の状態を鑑みなくなってしまう。燐はそうなった雪男を見抜き、彼にしかできない方法で巧みに操って息抜きをさせるのだ。彼の術中にいる間はまるで自覚できないが(何せ自分が疲労していることすら無自覚なのだから)、どうしてだか後で必ず気がついてしまう。全力で甘やかされていたことに対する恥ずかしさと申し訳なさと悔しさと、ほんの少しの幸せに、何度悶絶したことか。結局何一つ、この不器用だけど暖かくて優しいひとにかなわないのだ。 むかむかいらいらと、心のなかにわき起こる感情のまま、隣で寝こけている兄の身体をぎゅうと抱きしめた。もぞり、と身動きをする気配があるが、無視をして腕の力を込める。結構本気で抱きついているため、たぶん苦しいだろうな、と思いながら、「何で兄さんが僕のベッドで寝てるの」と文句を言っておいた。高校生男子の寝るベッドだ、多少大きめに作られているとはいえ、それなりに身長のある男がふたり並んで横になるには手狭だ。ゆっくり雪男を休めさせたいのなら、燐がここにいては逆効果だろう。そんなことも考えなかったのだろうか。(もちろんそこを踏まえたうえで、それでもなお燐がここにいるということはつまり、雪男の我が侭を聞いた結果なのだということくらいは分かっているけれど。) 「狭いし、寝づらいし、意味わかんないよ」 そう言いながらもぎゅうぎゅうと燐に抱きついていれば、「あー、ゆきおくん」と腕の中から掠れた声があがった。 「にーちゃん、ちょっと、じょーきょーが、把握できません」 目が覚めたら弟に抱きつかれたまま文句を言われているのだ。燐でなくても脳内にハテナマークが乱舞するだろう。途方にくれたように呟く燐の声を聞きながら「どうしてくれんの」と雪男はさらに言葉を続けた。 「こんなに甘やかされてさ。兄さんいなくなったら僕、生きていけなくなっちゃうじゃん」 ひどく理不尽な文句を思いつくまま口にする。思った以上にこの目覚めに衝撃を受けているようだ。寮に移ってからは初めてのことだったからかもしれない。(雪男が自覚できていないところではどうかは知らないけれど。)まさか高校生にもなって、兄にこんなふうに甘やかされるとは思っていなかった。日頃あんなにきつい態度を取っているというのに、昔から何一つ変わらない愛情を向けてもらえるとは、思っていなかったから。 もうやだ、兄さんのバカ、と紡ぐ雪男の背に燐の手が添えられた。ぽんぽん、と子どもをあやすように(実際兄としてはそんな気持ちなのだろう)リズムをつけて叩かれる。そっかーごめんなーと謝る口調はひどく幼い。弟の言動に文句の一つも口にすることないその態度は、兄というよりむしろ母親に近いのでは、と少しだけ思った。 「じゃあ兄ちゃん、ずっと雪男と一緒にいなきゃだなー」 それならいいだろ? と続ける彼は、もしかしたら雪男が寝ぼけているとでも思っているのかもしれない。確かにそう思われても仕方のないことをしている、と今更ながらに羞恥が沸いてきたが、兄から離れようという気にはならなかった。こうなればあとはもう開き直ってしまうほかないだろう。 そうだよ、ずっとだよ、と寝ぼけた振りをして燐の額に頬を擦り寄せる。 「ずっと一緒だからね。離れちゃやだよ」 なんて子どもじみた言葉だろう、願いだろう。けれどそれこそが雪男の最大で、唯一の願望なのだ。兄とともにあること。それさえ叶うのならもうほかには何も要らない。 そんな想いをどこまで理解してくれているのだろうか。燐は「はいはい」と笑いながら雪男の背を撫でるのだ。 「だったら雪男がずっと兄ちゃんを捕まえててくれな?」 そしたら俺はどこにもいかねぇよ。 ぽん、ぽん、ぽん、と背中を叩かれるリズムが何とも言えないほど心地よい。こんなにも慈しんでくれる存在を離すわけがないではないか。だったらずっと一緒だね、という言葉にそうだな、と返す燐の声を聞きながら、雪男は再び眠りの中へと潜り込む。 目が覚めて覚えていたら、燐にお礼を言おう。 いつもは照れくさくてなかなか言えないけれど、ちゃんと顔を見て、ありがとう、とそう言おう。 ブラウザバックでお戻りください。 2015.02.17
兄さんも内心「うちの弟かわいすぎんだろぉおおお」と悶えてる。 |