家族になろう。」の続き。


   家族の食卓


 ユキオトコは暑さに弱い。麓の夏の気温に耐えられるだろうか、と心配していたけれど、太陽の照りつける日中は家で静かにしていれば大丈夫らしい。へちまを植えて緑のカーテンを作ったり、打ち水をしたりして室内の温度を下げる努力を地道に重ねる燐へ、「僕のせいでごめんね」と雪男は言うけれど、大事な弟のためならばこれくらいの作業は苦でもなんでもない。誰かのためにしてあげられる何かがあるということがこんなにも嬉しいものだっただなんて、養父を亡くして以来すっかり忘れてしまっていた。

「あ、そうだ。子猫丸が『こないだのお薬よう効きました』って言ってたぞ。雪男にありがとうって伝えといてくれって」

 昨日出会った友達からの伝言を口にすれば、何やら作業をしていた雪男が顔をあげてふにゃりと笑った。良かった、と彼は安心したように言う。

「雪男ってほんとすげーな! みんなが雪男を誉めてくれるから俺も嬉しい」

 ひとりで雪山にいる間、彼が時間をつぶす手段は書籍だったらしい。植物や薬についての本を読んで知らない知識を吸収し、時折雪のない場所までおりては薬草を探して集めていたのだとか。実際に自分に使うための薬を作ることもあれば、動物たちのけがや病気をみてやることもあった。その知識がとても重宝がられ、麓に降りてきて一ヶ月もたたないうちに雪男は村にすっかりとけ込んでいる。彼の知識や薬を頼ってこの家を訪れてくれる村人たちも増えた。
 雪男が来てくれて本当に良かった、と燐は笑う。

「俺、あんまり村のやつらと仲良くできなくてさ」

 物事を深く考えられず、感情のままに行動してしまう燐は、そのせいで他人と衝突することも多かった。

「バカだからうまくしゃべれなくて、いっつも相手を怒らせちまうの」

 怒らせたいわけではないし、傷つけたいわけでもない。できれば燐だってほかのひとたちと仲良く暮らしていきたいと思っているのだ。なかなか思うとおりにひとと接することのできない燐を宥めながら、「ゆっくりうまくなっていきゃいいんだよ」と教えてくれていたひとはもういない。
 本当はこんな燐のところで暮らしていては、雪男までも寂しい思いをするのではないか、と少し心配だったのだ。けれど彼は持ち前の知識と優しさ、ひとあたりの良さでうまく村になじんでくれている。そのことに心底ほっとしているのだ。

「雪男が薬と交換して野菜とか肉とか持って帰ってきてくれるから、飯もいろいろ作れるしな!」

 もともと料理は好きだったけれど、食材が豊富な上に食べてくれるひとがいる今は、以前よりももっと料理をするのが楽しくなった。今まではどうしてたの、という問いかけに、「自分でとってきてたりしてた」と答える。

「野菜はしえみがわけてくれてたもの使ったりして、あとは野兎狩ったり、魚釣ってきたり」
「ああ、いいな、それ。釣ってきたばかりのお魚は美味しいだろうね」
「雪男、ほんと魚好きだな。じゃあ今度一緒に釣りに行くか!」
「うん。連れて行ってよ、兄さん」

 笑顔とともに呼びかけられる声。
 そこに誰かがいるということ、話ができるということ、自分を呼んでくれるということ。そんな事実がこんなにも幸せなことだ、と気がついたのは雪男のおかげだろう。わざわざ雪山からやってきてくれた弟には感謝してもしきれないけれど、逆に雪男のほうはいつも燐に「ありがとう」という言葉をくれるのだ。
 突然やってきた雪男を迎え入れてくれたこと、家族だと言ってくれたこと、お帰りと言ってくれること、名前を呼んでくれること、そういったことの一つ一つが嬉しくて仕方がないと彼は言う。

「いつもご飯を作ってくれてありがとう。こんなにおいしいご飯を食べるのは初めてだし、誰かと一緒に食べるご飯がこんなにも楽しいって気がついたのは兄さんのおかげだよ」

 言葉通り幸せそうな顔をしてそう語る雪男だったが、けれど不意に表情を曇らせた。どうかしたのか、と問う前に「僕が、」と彼は眉間にしわを寄せ、苦しそうに言葉を吐き出す。

「もっと強かったら、ちゃんと勇気を出せていたら、三人でご飯を食べることもできていたのかな……」

 訪れるタイミングが遅すぎたことを、孤独に慣れたユキオトコはずっと後悔している。意地を張らずにもっと早く来ておけば良かった、と緑の瞳に涙を浮かべて言葉を紡ぐ。
 その様子から、彼が心底悔いていることが分かるし、何より養父のことを慕ってくれていたのだということがひしひしと伝わってきた。
 雪男、と弟の名を呼び、彼の座るそばまで歩み寄る。はらり、と零れ落ちた涙は氷の結晶になり、ころころと床を転がってすぐに溶けてしまった。
 きれいだ、とそう思う。
 何度見ても、これ以上にきれいなものはこの世の中にはないのではないか、と。

「でっかい身体のくせに泣き虫だな、雪男は」

 そういって、自分よりも背の高い弟の頭をぎゅう、と抱き込んだ。燐のものより少し茶色がかかった髪の毛を何度も何度も、優しく撫でる。

「確かに、一緒に飯は食えなかったけど、そうやって泣いてくれてんだ。お前はちゃんと獅郎の息子だし、俺たちの大事な家族だよ」

 ともに過ごした時間も確かに大事だろうけれど、心の繋がりがなければ意味がない。たとえテーブルを一緒に囲むことができなかったとしても、きっと天国の養父は泣き虫なユキオトコのことを息子だと言っただろう。血の繋がりのまるでない燐のことをそう呼んでくれたのと同じように。
 ゆっくりと、子供に言い聞かせるように語る声に耳を傾けていた雪男は、両腕を伸ばして燐の腰に抱きついてきた。ありがとう、とまだ少しふるえる声で弟は言う。

「兄さんは優しいね」
「ばか、弟が泣いてたら慰めてやるのが兄ちゃんの仕事なんだよ」

 燐にとって兄とは弟を守るべき存在なのだ。雪男が「寂しい」と泣くのなら飛んで駆けつけてずっとそばにいてやるし、「苦しい」と泣くのならずっとその背をさすってやる。そのための兄なのだ。
 きっぱりと言い切る燐を見上げた雪男は、「僕は幸せものだね」と眩しそうに目を細めて言った。
 こんなにも優しい兄と父を持つことができたのだ。これを幸せと言わずしてなんと言おう。
 そんな雪男へ、俺も幸せものだよ、と燐は笑って答える。

「なあ雪男。親父な、おでんが好きだったんだよ。今度おでん作るからさ、天気のいい日にそれもって墓参りしようぜ」
 家族で一緒に飯を食おう。





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2015.01.17
















「あ、でも日が暮れてからにしような! 雪男溶けちゃうと俺が困るし」
「さすがに溶けたりはしないかな……」