シーツの外の私と、中の君」の続き。
※モブ視点です。



   教室の中のふたりと、外のふたり


 彼女が想いを寄せる人物は、少し不思議なひとだった。
 正十字学園高等部に主席で入学し、未だトップの地位を譲らず、それでいてスポーツも万能。背も高く、穏やかな話し方と笑顔は同じ年に思えないほど大人びており、このひとならきっと自分を守ってくれるだろう、と思わず夢見てしまう。彼氏にしたいひとナンバーワンとまで言われ、告白したものも、これからしようと考えているものもかなりの数にのぼるらしい。
 ある意味有名人でもある彼の情報は、女子の間で多く飛び交っている。曰く両親はおらず修道院育ちらしいだとか、双子の兄がいるらしいだとか、お昼はお弁当派だとか。部活はしていないはずなのに、放課後彼の姿を校内で見かけることはほとんどないだとか。
 確かに部活をしている姿を見たことはなく、気がついたら教室からいなくなっている。彼の放課後の行動を知りたい、と思っている女生徒はきっと多いだろう。
 彼女がそんな注目の的である人物、奥村雪男を放課後の校内で見かけたのは単なる偶然だった。普通科の友人を訪れてそのままおしゃべりに花を咲かせ、そろそろ帰ろうか、と連れだって教室を出たときのこと。

「ちょっと、あれ……!」

 友人が腕を引いて小声で彼女を促す。そちらに視線を向ければ、D組の入り口に立つ奥村雪男の姿があった。

「やだ、こっちで見かけるとか超ラッキー」

 普通科にいる女生徒は、そもそも彼を見る機会すら少ないという。同じクラスである彼女は学校があればいつでも見ることができるため、その点は恵まれているのかもしれない。
 どうしてこんなところに、というのがまず浮かんできた疑問だった。友達でもいるのだろうか、と。D組に彼の双子の兄がいる、というのは隣りに立つ友人からの情報だ。

「じゃあお兄さんに会いに来たのかな」

 小さく呟き、そっとD組のほうへと歩を進める。何か示し合わせたわけではないけれど、彼女たちふたりとも完全に覗き見の体勢だ。気づかれないようにと息を潜め、開いたままの入り口からそっと中を窺った。
 教室の中に残っている人物はふたりだけ。ひとりは今やってきたばかりの奥村雪男であり、もうひとりは窓際の席で机に突っ伏したまま眠っている男子生徒だった。
 ふぅ、とため息をついた雪男が男子生徒の前の席に鞄を置いて腰を下ろす。あれが彼の兄だろうか。その考えが正しかったことを、「兄さん」という雪男の声で理解する。大きな声ではなかったが、皆が帰宅し周囲が静まりかえっているため小さな声でもよく響いて聞こえた。

「兄さん、起きてよ。ねえ」

 ゆさゆさと、肩を揺さぶって声をかけているが男子生徒が起きる気配はない。どうやら熟睡してしまっているらしい。授業中いつも寝てるんだって、とまた友人から新たな情報を得た。ということはもしかしたら、ずっと眠ったまま放置されていたということだろうか。
 はぁ、と今度ははっきりとしたため息が耳に届く。けれど、うつ伏せたままの男子生徒を見下ろす雪男の顔はひどく穏やかで、うっすらと笑ってさえいるようだ。

(あんな顔、するんだ……。)

 教室にいるときも決して仏頂面をしているわけではないが、あんな風に笑う顔は初めて見た。家族にしか見せないような顔で笑う彼は、少しだけ考えたあと再び兄の肩を揺さぶる。

「ねえ、起きてってば」

 りんちゃん、と。
 少しだけ声のトーンを抑え、内緒話をするように囁かれた呼びかけにぴくり、と男子生徒の身体が跳ねた、ように見えた。

「…………外では、呼ばねぇんじゃなかったのかよ」

 むくり、と頭をあげた彼が、どこかふてくされたような顔でそう言う。怒っているようにも見えるけれど、あれはきっと照れているのだな、と何となく思った。そんな兄の言葉に雪男は笑って、「誰も聞いてないよ」と答える。思わず友人と顔を見合わせてしまった。

「あと呼んでるのに起きないほうが悪い。燐ちゃん、起きた?」

 そっと伸ばされた手で兄の頬をむに、と引っ張る。兄弟のじゃれ合いというには少し甘さを含んだふれ合いに見えるのは気のせいだろうか。

「起きたっつの! 痛ぇよ、ばかゆき」

 ひっぱんな、と弟の手を払いのけながら、兄はぺしゃんこの鞄を机の上に引き上げた。

「いつから寝てたの? もう放課後だよ?」
「あー……言ったら雪ちゃん怒るから、ゆわない」
「怒られるくらいには寝てたんだね」

 真面目に授業くらい聞こうよ、という弟の言葉に、努力はしてる、と兄は返す。残念ながらその努力はあまり形になっていなさそうだ。ほんとしょうがないなぁ、と雪男が小さく笑った。

「折角この後何もないんだから、早く帰ろ」
「ん。わざわざ迎えにきてくれたんだな」

 さんきゅ、と続けた兄に頭を撫でられ、くすぐったそうに笑っている弟はひどく幼く見える。普段の大人びた様子など欠片も見あたらない。守ってもらいたいのではなく、守ってあげたくなるような顔だ。

「なあ晩飯、何がいい?」
「んー、昨日魚だったから、今日はお肉?」
「お、珍しい、雪ちゃんの口から肉って言葉が出てきた」
「まあ魚の方が好きだけど、燐ちゃんのご飯だったら何でも美味しいし」
「あはは、そっかー。じゃあ、今日は鰯のつみれ汁にでもするか」
「結局魚じゃない」
「俺が食いたいんですぅ」

 かた、かたん、と小さな音を立ててふたりが腰をあげた。相変わらず燐ちゃんの鞄は何も入ってないね、という言葉に、雪ちゃんがつめすぎなんだよ、と兄は返している。
 まっすぐに向かってくるのは当然教室の出入り口。逃げなければ、姿を隠さなければ、と思うのだけれど、ふたりの作る空気に当てられた思考がなかなか正常な動きを取り戻してくれない。とにかく声をあげないように口元を強く押さえたまま、彼女は友人とふたり、廊下で立ちすくんでしまっていた。

「買い物つきあってくれんの?」
「あ、うん、行く。いつも任せてばかりだし」
「いいんだよそれは。だって雪ちゃん忙しい、」

 じゃん、という続きの言葉がとぎれてしまったのは、先に教室から出てきた兄のほうが、廊下にいた彼女たちに気がついたからだ。まさか誰かいるとは思っていなかったのだろう、驚きに目を見開いたあと、彼は少し尖った形をしている耳まで顔を真っ赤に染めてしまった。
 突然黙った兄を「燐ちゃん?」といぶかしげに呼ぶ声。続いて教室から出てきた雪男もまた、そこにいたふたりの女生徒の姿に言葉を失ってしまっていた。
 一番最初に言葉を発したのは、双子の兄の方。

「も、しかして、今の、」

 聞いてた? とおそるおそる尋ねられ、友人と息をのんで兄弟からそっと視線を外す。その反応から大方察してしまったのだろう。

「……ひと、いんじゃん」

 雪ちゃんのばか、と若干涙目になって向けられた言葉に、弟は額を押さえてごめん、と謝っていた。
 今のやりとりが彼らの日常、というわけではないのだろうけれど、あの会話はひとに聞かれないことを前提に交わされていたのだと理解する。幼い子どもが大人に隠れて交わす内緒話のようなものだったのかもしれない。
 申し訳ないんですけど、と雪男が彼女たちに視線を向けた。

「今見たこと、誰にも言わないでいただけますか?」
「聞いたことも全部内緒、な?」

 それぞれにそう言って、人差し指を唇に当てる。双子の兄弟というわりに容姿はあまり似ていないと思っていたけれど、そうして赤い顔のまま困ったように笑う顔はやっぱりそっくりだった。





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2015.01.22
















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