三人の英雄・1 「っくちゅんっ!」 突然女の子のくしゃみが聞こえたかと思えば、ごっ、と後頭部に鈍痛が走った。 「――――ッ!?」 目を白黒させて頭を押さえ振り返る。そこには黒く長い髪を腰まで揺らした、同じ年ごろの少女。まったく見たことのないその顔に、頭を殴られたことよりもまずどこから現れたのかというほうが気になった。 ここはニルバーナ城四階、大広間奥の軍師定位置。いくら入口に背を向けて座っているとはいえ、誰かがやってくれば足音で気付ける。そもそも終わったら遊ぶ約束をしていたため、すぐ側にレッシンがいたのだ、その彼が気付かないはずがなく、突然現れリウの頭を殴った少女に、団長も目を丸くして驚いていた。 「っ、お、まえ、今、リウに何したっ!」 ようやく脳が回転し始めたのだろう、腰かけていた椅子からがたん、と立ち上がり、レッシンはロッドを握ったままの少女の腕を掴む。 「ごっ、ごめんなさいっ! ごめんなさい、また私、失敗しちゃってっ!」 慌てたように叫んだ少女はその持っているもの、服装からして魔術を扱うものだろう。 「あ、ちょっ、レッシン、相手、女の子なんだから……」 どことなくおっとりした雰囲気のある少女から悪意や敵意は感じられず、慌ててレッシンの手を掴みその動きを止める。そんな二人の剣幕に押されているのか、あるいは状況に慌てているのか。ぺこり、と頭を下げた少女は、「ごめんなさい、すぐいなくなりますから!」とロッドを掲げた。 「はっ?」 「え? あ、ちょっと、まっ」 ぱぁ、と白い光が少女を中心にして広がる。体が引っ張られる感覚、この時点でレッシンが少女の腕から手を離していれば、あるいはこのようなことに巻き込まれずに済んだかもしれない。しかしあまりに突然のことにそんな判断などできるわけもなく、結局は少女の移動魔法にリュウジュ団団長と参謀が揃って引きずり込まれる羽目になった。 「ッ!?」 「なっ!」 「ひゃっ!?」 光の波が収まったところで目を開ければ、地面からは程遠い上空に放り出されている状態。それを認識すると同時に、当然物理法則に従って三人の体は落下していく。 「きゃぁああああっ!」 「なっ、なんで、こんなっ!?」 「っ、くそ……ッ」 叫び声をあげて落ちる少女を助けてやりたかったが、自分自身を何とかする方が先だ。魔力を高めてひとまず不可視の天蓋を三人へ。レッシンもリウも風に関する星の印は使うことができず、衝撃を和らげる方法が思いつかない。せめてすぐに回復できるように癒しの潮流を発動させつつ、黙せし砂嵐でなんとかできないだろうか、と考えたところで、ふわり、と優しい風が三人を取りまいた。身体を引きよせる重力が急激に弱まり、落下スピードが落ちる。 「そっちの二人は自力で着地、よろしく」 いやに落ち着いた声、二人、というからにはおそらくリウとレッシンのことを指しているのだろう。声の意味するところを認識したかしないかくらいで、リウは無理やり体の向きを変えた。ちらりと回りを見やれば、レッシンも同じように身体を回転させている。とりあえず二人とも頭からの着地は避けられそうだ。もう一人の少女は、と視線を向ければ、どこぞより現れたのか、黒髪の少年が地面を蹴って飛び上がり、ただ落ちていただけの彼女を抱きかかえた姿が見えた。先ほどの声は彼のものだったのだろう、そう思ったところで爪先が地面に触れ、同時に身体を取り巻いていた風が消えた。 「って!」 うまく体重を支えられずにリウはそのまま尻もちをついたが、地に足が付いていることに安堵し、座り込んで大きく息を吐き出す。 一体何がどうなってこんな状況に陥っているというのか。とにかく現状を把握しないことには手の打ちようもない。自分たちが現れたであろう上空へ目を向けるが、今日はいい天気だ、ということしか分からなかった。 「大丈夫か?」 そんなリウの視界をふさぐようにひょい、と覗き込んできた顔。先に立ち直ったらしいレッシンが、やや心配そうな表情でそう尋ねてくる。差し出された手に素直に捕まって立ち上がり、服についた埃を払った。 「死ぬかと思った」 互いに大した傷はないと分かっているが、発動させかけていたため発散させるのも面倒で、癒しの潮流を展開しておく。 「オレも。さすがにこんだけ落ちたのは初めてだな」 死ななくて良かった、と眉を下げて笑いあったところで、「セツナさーん、皆さん、無事ですかー?」と声が聞こえてきた。出所を探れば、すぐ側に建つ城の二階部分。窓より顔を出した茶髪の少年が手を振っている。 「当然だろ、ちゃんと見たか? 俺とルッくんの華麗な共同作業を!」 抱えていた少女を地面へ下ろし、そう言葉を返したのは黒髪にバンダナを巻いた赤い服の少年。年齢的にはこちらとさほど違いないように見えるが、自信に溢れた不敵な様子が伺える。呼びかけからして、セツナという名前なのだろう。 「ていうか、そっちの二人は誰ですかー?」 「聞けよ、人の話」 セツナの言葉をあっさりと無視して、茶髪の少年がそう問いかけてくる。ちっと舌打ちをした後、セツナはようやくリウたちへ視線を向けた。しかし彼が何かを言う前に、「ごめんなさいいっ!」と少女の謝罪の叫び声。 「ほんと、ごめんなさい! 全然関係ない人を巻き込んじゃってっ! すぐ送りますからっ!」 半泣きの状態でロッドを掲げる少女の腕を、背後から寄ったセツナがそっと下ろさせる。 「ストーップ。ビッキー、ちょっと落ち着こうか」 「その状態で転移をしてもまた失敗するよ、君は」 苦笑したセツナの言葉に重なるように、淡々とした声が辺りに響く。誰が発したのかと思う前に、セツナの右斜め後ろの空間がくなり、と歪んだ。そこから現れたのは、薄い茶色の髪を肩でそろえた少年。緑色の法衣を翻し、ロッドを手にしている彼は、風を操っているのか地面から足を浮かせたまま少女を見やる。 「メグやナナミが心配していたよ」 顔見せてあげれば、とそっけない物言いではあるが、どことなく優しさのある言葉に、少女、ビッキーはくしゃりと顔を歪めて笑った。 「ほんと、ごめんなさい。またあとでちゃんと、お家まで送りますから……っ!」 もう一度ぺこり、と頭を下げた少女はそのまま建物の方へと走っていく。 「……落ち着きのない」 「しょうがないよ、ビッキーだし」 ぼそり、と呟いた魔術師の言葉にセツナは苦笑して答え、「さて、」とリウたちへ視線を向ける。 「あんたら、どこから来たか分かるか?」 「うちの城から」 「……レッシン、それじゃあ分かんねーって」 堂々と胸を張って答える団長に溜息をつき、とりあえず端的に状況を説明する。粗方リウの話が終ったところで、「セツナさーん、ルックー!」と先ほどの少年の声が聞こえてきた。建物の入り口から走り寄ってきた彼は、四人の側で立ち止まると、「で、こちらさんは?」とリウたちを指さしてセツナに尋ねる。 「聞いて驚け、なんとこいつらは、時空を超えたお客様だ」 はいはくしゅー、と手を叩いたのはセツナ一人だけで、レッシンとコクウは彼の言葉をうまく理解できずに首を傾げ、リウとルックは眉を寄せただけだった。なんだよ、ノリが悪いなぁ、と唇を尖らせたセツナを無視して、「確かに、」とルックは小さく呟く。 「今あんたが言った地名を僕は一つも知らない」 「オレも、こっちの地名を一つも聞いたことがない」 ついでにリウは先ほどからどこぞにトビラがないか、あるいはそれに準ずる書の力が感じられないか探っているのだが、まったくヒットしない。眉を寄せ、目を伏せて深く集中するが、やはりトビラらしきものも書の力も感じることはできなかった。肌を這う線刻の力を駆使しており、それでも分からないとなると、考えたくない事態に陥っていると考えざるをえない。 「リウ?」 「おかしいだろ、たとえどこにいてもオレらの世界だったら、必ずどこかに書やトビラがある。それが分からない」 本音を言えばものすごく強い力はいくつか感じることができる。それは目の前にいる少年たちからも感じるもので、書によく似た力だとは思う。だが書ではない。 「……リウが分かんねぇとなると、ない、ってことだろ、ここには」 レッシンの言葉に重々しく頷いたリウへ、「面白い力だな、それ」とセツナが声をかける。細めた目で鋭く射られ、リウはぞ、と背筋を寒気が這いあがるのを感じた。感情の読めないその瞳は光の加減で時折赤く輝いてさえ見える。 「紋章じゃねぇな。でもそれに近い。……ルック、分かる?」 「……いや。知らない」 緩く首を振れば、さらりと茶色の髪が揺れた。白い陶器のような肌の少年は表情をほとんど変えることがなく、まるでよくできた人形のようだ、とリウは思う。 「ルックが知らないとなると、うちの城の人間は誰も知らないよね」 苦笑を浮かべそう言った茶髪の少年は、「あ、自己紹介が遅れました」とリウとレッシンへ頭を下げる。 「どうも、ここの城主のコクウです。よろしく」 差し出された手を握り返しながら、「リュウジュ団団長のレッシンだ」と笑みを浮かべた。 「リウです、よろしく」 同じように握手をしたその手のひらは少年のものにしてはずいぶんと固く、おそらく彼も何らかの武器を握っているのだろうと推測できる。そもそもこんな少年が城主、ということ自体、事情があるとしか思えなかった。 「そういえば俺もまだ名前言ってなかったっけ? 俺は過去の英雄、セツナ様だ。で、こっちが俺の愛しのマイラヴァー、ルック」 そう言って指した先にいたのは宙に浮いた魔術師。紹介が気に入らないのか、僅かに目を細めたルックは、持っていたロッドをセツナの後頭部に遠慮なく振り下ろした。 「で、だ。とりあえずビッキーが落ち着くまでは、危なくて転移は勧められないわけだけど」 ごっ、と良い音がした後頭部を摩りながらそう言ったセツナに続けて、「すみません、うちのものが迷惑かけちゃったみたいで」とコクウが頭を下げる。 「お詫びといってはなんですけど、それまでの間城でゆっくりしてもらって構いません。部屋も用意させますから」 そこまでしてもらわなくても、と言いかけたが、確かに何も分からないこの場所で放り出されても困る。それならば、と顔を見合わせ、「じゃあ世話になる」とレッシンが答えた。 「できるだけ早く戻れるよう、こちらでもなんとかしますから」 城主コクウは人が良さそうな顔立ちでどこか頼りなくも見えるが、意外に根はしっかりとしているようだ。そうでなければ城主などとてもやってられないのかもしれない。そう言ってくれた少年の側で「でも、」と魔術師がぼそり、呟く。 「ビッキーの力は不安定だから、狙ってその世界に帰れるかどうかは、五分五分だよ」 「…………ルッくん、それは言っちゃダメだろ」 悲しげな表情をして首を振ったセツナは、「俺でも黙ってたのに」と続けた。つまりは彼もそう思っていたということで。 「……自分でも帰る方法探した方がよさげ?」 呟いたリウの言葉に、「かもしれません」とコクウが項垂れた。 2へ→ ↑トップへ 2010.08.12
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