鐘を鳴らして・3 君も一緒に温まってきて、と子犬と一緒にバスルームへと押し込む。お前は、と口を開いた彼へ、「お風呂は二階にもあるから」と無理やりバスタオルを手渡した。 フレンの両親はとても忙しい人達で、一分一秒でも時間を短縮させたい、とトイレとバスルームは一階と二階に一つずつ設置されている。その合理主義には恐れ入るが、そもそも家に帰ってくること自体が稀で、あまり意味を成してないとずっと思っていた。今日初めてその恩恵を預かりながらさっとシャワーを浴びて身体を温め、着替えを用意して下へと戻る。僕の服で悪いけど、と声をかければ、「サンキュ」と返ってきた。本当に愛想が悪いだけで、人としては悪くない人物なのだと思う。 冷えた身体を温めるには何が良いだろうかと考え、とりあえずお湯を用意し、牛乳を温めておいた。動物に人が飲む牛乳を与えるのは良くない、と聞いたことがある。薄めれば問題ないだろうか。 キッチンで悩んでいる間にカチャリ、とリビングの扉が開いた。白いタオルを頭に巻いた彼は、バスタオルにくるまれた子犬を抱きかかえている。 「そこ、座ってて。甘いもの、大丈夫?」 尋ねればこくり、と頷くのが見えた。疲れているときに糖分の補給はひどく有効だ。ミルクココアを作ってリビングに戻り、子犬用に温めて薄めたミルクを用意。 「その前に乾かさないとね」 ドライヤを洗面所から持ってきて彼から子犬を受け取る。物怖じしないのか人懐っこい犬をタオルで転がしながら湿っていた毛を乾かした。 その間、若干赤みの戻った頬をした彼は、ソファに身を沈めたまま手にしたカップに息を吹きかけている。この子はローウェルくんの? と尋ねれば、ふる、と首を横に振られた。 「その『ローウェルくん』っての、やめてくれ」 ユーリでいい、とぶっきらぼうな言葉。じゃあ僕もフレンでいいよ、と返し、毛皮が乾きもこもこに仕上がった子犬を抱き上げた。 わん、とまるで感謝を示すように子犬が鳴いたところで、突然ユーリが立ち上がる。ばさり、と頭のタオルをとると、濡れた髪をそのままに「帰る」と一言。 「え、ちょっと待ってよ、帰るって、」 まださして話もしていないのに、髪の毛も濡れたまま自宅へ戻るというのだろうか。せめてもう少しゆっくりしていって、と言ってみるが、彼は聞く耳を持たない。世話になった、帰るの一点張り。 他人からは温厚だと思われがちだがフレンはどちらかといえば短気な方だ。とりつく島もない態度にむっときて、背を向けていたユーリの腕をぐい、と引いた。 「っ、おい、」 肩を押してソファに座らせると、フレン自身は彼の背後に回る。手元にあるドライヤのスイッチを入れ、濡れた黒髪へ温風を当てた。 そのまま無言で髪の毛を乾かすこと数分。始めはもぞもぞと落ち着かなそうだった彼も今は抵抗をやめ、されるがまま髪を揺らしている。 フレンは学校でのユーリを、実はあまりじっくりとは見たことがない。じろじろと見られていい気分になる人間などいないだろうし、凝視できるほど親しいわけでもなかったからだ。だから気がつかなかった。 「髪、こんなに長かったんだね」 おぼろげに覚えている姿では、横顔にかかる髪を頭の後ろで軽くまとめていたような気がする。完全に下ろした姿を見たことはなく、背の半ばまであるとは思っていなかった。 ドライヤの風を止めて呟いたフレンへ、「まぁな」と返した後、「お前ってさ」とユーリは言葉を続ける。 「結構っつーか、かなり強引だよな」 この家につれてこられた時といい今といい、言葉で無理となれば実力行使に出る。ちょっと意外、と呟く彼へ、「そうかな」と苦笑を浮かべておいた。 「こっちの方が手っとり早いしね」 特に彼のような相手には何を言っても無駄なところがあり、それならば本気で嫌がられない限りは腕力に訴えるのも一つの手だとは思っている。 「……で、オレはもう帰っていいのか?」 髪が乾いたことを察したユーリが、後ろに立つフレンを逆さまに見上げて言った。 「そこまで帰りたいなら構わないけど」 君はそんなに僕のことが嫌いなの? 嫌われるようなことをした覚えはないが、好悪にはっきりとした理由もないだろう。それならそれで仕方がない、と割り切るくらいならできる。 しかし、できれば仲良くなりたいと思った相手であるだけに、どうしても声のトーンが下がってしまい、子供のような拗ねた物言いになってしまった。 男子高校生の台詞じゃねぇな、と頭を正面に戻したユーリは喉の奥で笑った後、すくり、と立ち上がって振り返る。 黒く艶やかな髪を揺らし、シャワーを浴びて火照っているせいか、うっすらと頬を赤くした彼は言った。 「その逆だよ、バカ」 嫌いじゃねぇから、さっさと帰りたいんだ。 ** ** 思った以上に強引だった男につれてこられ、小さな犬と体を温めている間、ユーリはとくとくと跳ねる心臓をどうやって大人しくさせたらよいのか、頭を抱えていた。何故こんなにもどきどきしているのか、という疑問はもう持たない。分かりきっている答えから目をそらすことほど、時間の無駄になるものはないだろう。 はっきり言ってしまえば、ユーリは四月のあの日、彼を見たその瞬間から自分の感情を自覚し、認めていた。 俗に言う、一目惚れ。 男が男にというのもおかしな話だが、自分は確かに、この男、金の髪と青い目を持つ同級生フレン・シーフォに心を奪われた。好き、という言葉だけで収まる感情かどうかは分からない。それでもフレンがほかの誰とも違う、自分の中の特別な存在である、とそう思った。 思ってそれからどうするだとか、どうしたいだとか、そこまで思考を進めてはいない。そもそもどうにかなるとも思っていない。自覚した、ただそれだけだ。それだけでいい、とそう思っていた。きらきらと光る金髪を眺め、澄んだ青い瞳を綺麗だと思う、そんな風に過ごすことができたらそれだけでいい。 同性だということももちろんあるが、それ以上に、誰かと深く関わることが怖かった。 顔よし性格よし頭よしで当然女子たちにも人気があり、ときどき呼び出されていることもあるようだし、気さくで少し抜けたところがあるせいか男友達も多い。わざわざユーリのようなものと付き合わずとも、彼のまわりには良い人たちがたくさんいる。それに見る限りフレンは至極真面目で真っ当な性格をしているように思う。 男同士でなんて、きっと彼は嫌がるに違いない。これ以上関わらないためには、手っ取り早く嫌われてしまおう、と思って口にした言葉だった。気持ち悪い、と思われるのはさすがに辛いが、下手に関わるつもりもないため今できることはこれくらいしか思いつかない。 ユーリの言葉の意味が上手く捕えられなかったのだろう、きょとんとしたまま首を傾げた彼へ、「まああれだ、ヒトメボレってやつ」とくつりと笑って肩を竦める。足元で遊んで貰いたそうにしていた子犬を抱き上げ、フレンに背を向けた。 「オレ、実はちゃんと入学式の日、ガッコには行ったんだ」 わしゃわしゃと、子犬の頭を撫でながらユーリは誰にも言うつもりのなかったことをぽつぽつと語る。人が多くてクラス表を見る気になれなかったこと、桜を見ていたこと、そこにいた男に見とれたこと、目が合って動けなくなってしまったこと。 「あんまりびっくりしたもんだから、そのまま帰っちまったけどさ」 でも確かに、ユーリはフレンに見とれていたし、好きになった瞬間と言うならあの時以外はないだろう。笑い話にもならない一目惚れ。「男に好かれてお前もメーワクだろ」と、子犬へ頬を擦り寄せるユーリの顔は酷く穏やかで、それは何もかもを諦めた人間の表情だった。 これできっと、フレンもユーリに構ってくることはないだろう。彼の性格からして学校で人に言いふらすタイプではなく、またそうされても構わないと思った。その覚悟の上での発言で、何の返事も求めていない。 唯一気になることといえばこの子犬のこと。あのまま置いておけば衰弱していたかもしれず、こうして保護してもらえたのは助かった。しかしだからといって押し付けるわけにもいかず、せめて里親が見つかるまで、あるいはユーリ自身がペット可のアパートを見つけるまでの間、預かって貰えないだろうか。 そう頼もうと振り返ったところで、「あ、そっか」とフレンがぽむ、と手を打った。 どうした、と子犬を抱えたまま今度はユーリの方がきょとんと首を傾げる。ソファを挟んで向かい合った男は、「なるほど、なんかすごい納得した」と一人でうんうんと頷いている。 一体どうしたというのか、何を考えているのか。ユーリの告白が彼の中でどう捕えられているのか。分からないまま立ち尽くすユーリを見やり、手を伸ばしかけたフレンは思い直してソファを避けてすぐ側まで歩み寄ってきた。 そうしてもう一度伸びてくる手、頬に触れ、髪を梳くその指先が酷く優しい。益々フレンの考えが分からず、混乱したユーリから「ちょっとごめんね」と子犬を取り上げ、床に下ろした後。 「ッ!?」 両腕を背に回され、きゅう、と抱きつかれた。 驚きのあまり硬直してしまったユーリに構わず、「うん、やっぱりそうだ」と男は一人満足そうに呟く。軽く身体を離した後ぺたぺたとユーリの頬に触れ、そうしてまたきゅう、と抱きしめられた。「おい、シーフォ」と名を呼んで眉を顰めたところで、「僕も」と顔を上げた彼が正面から見つめてくる。 「どうやら君に一目惚れしてたみたいだ」 ** ** どうしても気になって仕方がない、気がつけば目で追いかけてしまっていたのは、彼の容姿が綺麗だからだ、とそう思っていた。 そう、この優しくて孤独を愛するクラスメイトは思わず振り返ってしまうほど綺麗、なのだ。艶やかな黒髪に白い肌、妖しく揺らめく紫色の瞳。男性に対する賛辞になるかどうかは分からなかったが、彼を表すものとして美人、綺麗、そんな単語が思い浮かぶ。一人でいることを好んでいるくせに、どこか物憂げで寂しそうなその横顔がクラスメイトとして気になっているのだ、とそう思っていた。 「何、言って……」 冗談だろ、と掠れた声で呟く彼にむ、と眉を寄せ、「ユーリは冗談だったの?」と尋ねる。それに「いや、オレは、」と歯切れ悪くもごもごと動く唇へ、どうしても視線が吸い寄せられた。 キスをしてみたい、素直にそう思う。 「僕は冗談でこんなことは言わないよ」 その証拠に、今すごく君にキスがしたくて仕方がない。 伺いを立てるつもりで口にしたのだが、言葉にすればもう堪えることはできなかった。後頭部へ右手を添え、そのまま唇を塞ぐ。小さく呻いた彼の声が耳を擽り、ぞく、と背筋を愉悦の波が這いあがっていった。 際限なく求めそうになる自分を堪えて顔を離せば、頬を赤らめたユーリに睨まれてしまう。「嫌だった?」と尋ねると、ふい、と顔を背け「別に、ヤじゃ、ねぇけど」とぼそぼそと呟いた。尖った唇もピンク色に染まった耳も、何もかもが可愛くて愛おしい。 衝動のまま再び唇を重ね、よろけた彼を追いかけてソファへ膝を乗せた。 「んっ、ふ、ぅ……っ」 このときのフレンは既に、何かを考えるという行為を完全に放棄していた。ただひたすら、目の前にある熱を追いかけて舌を伸ばし、甘露を啜ることに夢中になっている。鼻腔を擽る香りは自分が普段使っているシャンプーやボディソープのものと同じであるはずなのに、どうしてだか彼から香ってくるものはひどく甘く覚え、フレンの脳をとろけさせた。 「ぅ、ん、っ、ふぁ……!」 さすがに息苦しさを覚え、最後にちゅる、と柔らかな舌を吸い上げた後顔を離せば、思わずといったような可愛らしい声が濡れた唇から上がる。好きだよ、とごく自然に言葉が零れた。 「ユーリが好きだよ」 桜の木の下で見とれたのはフレンも同じ。薄桃の花弁を纏わせたまま、黒髪を風に遊ばせているその姿は、一瞬その場がどこなのか分からなくなるほど綺麗だった。まっすぐにこちらを射抜く紫の瞳に捕らわれ、吸い寄せられるように足が彼の方へ進んだことを覚えている。 もしあのとき、横から友人の声がかからなければ、あるいはあの桜の下でこうして彼を押し倒していたかもしれない。 「でもだって、お前……」 まったくそのような素振りは見せなかったではないか、とユーリは信じられないようにそう口にする。それもそうだろう、フレンだって自覚したのはつい先ほどなのだ。 「ユーリに言われて気がついた」 河原で子犬たちに向けられていた笑顔に胸がざわついたのは、なんのことはない、単なる嫉妬だ。どうしてその笑顔が自分に向けられないのか、そのことがただ悔しかった。 四月、桜の木の下で彼を見たときの胸の高鳴り。目が合ったときの衝撃。 これを一目惚れと言わずして、なんと言えば良いのか。 ソファに押し倒したしなやかな体に覆い被さり、すり、と額を寄せて、フレンは「笑わないでね」と口を開いた。 だって君を見たとき、鐘が鳴ったような、そんな気がしたんだ。 目と目が合ったその瞬間に、リンゴンと、鐘が鳴る。 柔らかな鐘の音に背を押され、再び二人の唇が重なった。 ←2へ ↑トップへ 2010.10.31
【永遠の】皆で厨二設定考えようぜ【14歳】 伏線を敢えて消化してません、裏設定も満載です。 …………この設定で話を続けてもいいですかね。 それぞれ、リクエスト、ありがとうございました! |