鐘を鳴らして・2 本来ならば「ばっかじゃねーの」と笑い飛ばしたいところだがそれも出来ず、また無自覚的に人と距離を置こうとしてしまうのは、ユーリ自身もそれを否定できないから、なのかもしれない。 (……まさか、犬までとは、なぁ……) 昼前から降り出した雨に打たれながら、ユーリは呆然と道路に横たわるものを見下ろしていた。天気予報を気にする方ではないため、当然傘は持っておらず、さっさと帰ってしまおうと濡れながら小走りに帰路を急いでいたところで急に目の前で起こった事故。 どん、と轢かれたそれが犬であったことを確認した運転手は、そのまま走り去ってしまった。犬はぴくりとも動かないため、おそらくは息絶えているのだろう。せめて道路の脇にでも避けていけばいいのに、と思っていたところで、不意に横たわるものへ駆け寄る小さな影。見覚えのある姿にまさか、と思いユーリもまた近寄り、雨に濡れるそれに言葉を失った。 バイトもなく、かといってすることもないため、少しだけ遠回りをして家に帰ろうと思い立った日。河原で見つけた犬の親子。おそらくは野良であるだろう彼らは、その割には小奇麗で、人に牙を剥くことはほとんどない。ただ警戒心が強く始めは懐いてくれなかったが、何度も通う内にようやく一緒に遊べるほどまでになった。うちがアパートでなければ共に帰っても良かったのだがそれもできず、かといって放置しておくこともまたできず、時間が空いた時には河原へ出かけるようになっていた。 くぅん、と鼻を鳴らし、横たわる大きな犬へとすり寄っている子犬。母犬だか父犬だかは分からないが、もう親が死んでしまっていることをこの子は理解ができるだろうか。 雨が降っている、このままここにいたところで親犬は生き返らない。子犬もただ雨に濡れ続け、風邪を引いてしまうかもしれない。けれど寂しそうに鳴く子犬を無理に親から引き離すこともできず、そもそもユーリには連れて帰ってやることもできない。 どれだけすり寄っても親が動かないことに疑問を覚えたのか、子犬は今度はユーリの方へと鼻を寄せてきた。見上げてくる丸い目玉。抱き上げる、濡れた身体、やっぱり早く温かい場所に連れて行ってやったほうがいい、とそう思う。 「……ごめんな、オレのせい、かも……」 けれどその場から足が動かない。横たわる親犬の姿を見下ろしたまま、ユーリはそう子犬に謝った。 一番初めは言わずもがな、ユーリの実の両親だ。生まれてすぐ共に事故で亡くなったと聞いた。次は引き取ってくれた祖父。病死した彼に代わって叔父夫婦の元へ預けられたが、こんな疫病神とは一緒にいられない、と数年で施設に行くことになった。生活環境も良くなかったため施設の方が何倍もマシだろう、そう期待していたが、残念ながら施設の方もまともではなく、虐待一歩手前の出来事は日常茶飯事。幸運なことにしばらくして行政の手が入り、児童たちは別の優良施設や里親のもとへ行くことになった。 別の施設でまた数年を過ごし中学二年になった時、里親として名乗り上げてくれた資産家の老夫婦。私たちにはもう先がないから、できるだけ早く学校を出て立派になった姿をみたいの、と笑っていた保護者達。引き取られてすぐにまた二人一緒に事故で亡くなってしまい、親戚たちから「お前のせいで」と罵られた。 否定が、できなかった。 きっと自分には、何か他人を不幸にするものでもとりついているのだろう。関わったものたち、手を差し伸べてくれたものたちが次々と良くない目に合う。 人でなければ大丈夫だろう、そう思っていた結果が、道路に横たわりつめたくなっていく親犬の姿だ。 「………………ごめん」 腕の中の子犬をきゅう、と抱きしめ、絞り出すような声で呟く。きっとこの犬もユーリといれば同じような運命を辿るだろう。幸せに生きるには離してやった方がいい。それは分かるが、体温を奪われ震える小犬を置いて帰ることもできず。 どうしたらいいのだろう。 どうするべきのだろう。 そう、途方に暮れる。 どうせなら一層のこと。 「……オレが死ねば良かったのに」 どうして、自分のようなものがのうのうと生き残っているのか。 ユーリには不思議で堪らなかった。 ** ** 几帳面な性格故、フレンは折りたたみの傘を常に学校に置いていた。突然雨に降られて困りたくはないし、そもそも制服が濡れて苦労するのは自分ではなく、両親が雇うハウスキーパーだ。彼女に余計な迷惑はかけたくないという思いもあり、昼前から降り止む気配のない雨の中、置き傘を使って帰路についていた。 普段は自転車を使うがチェーンの調子が良くないため、ここ最近は仕方なく徒歩で通っている。逆にだからこそ普段通らない道に足を踏み入れ、彼らを発見することが出来たと思えば、壊れた自転車にもそれなりに意味があったと思えた。 降りしきる雨の中、道路の脇に佇む人の姿。呆然としたように見下ろす先には何かが横たわっており、近づけば車に轢かれでもしたらしい犬の姿。腕の中に同じ毛色の子犬を抱えた彼は、ただ茫然と、その場に立ち尽くしていた。 制服が自分が通う高校のものだったからか、あるいは、男子生徒が気になって仕方がない彼だったからか。 深く考える前に足が動き、立ち尽くす彼の頭の上に傘を掲げていた。 急に遮られた雨に顔を上げた彼は、こちらを一瞥しただけでまたすぐに視線を足元へ落とす。それほどひどく轢かれたわけではないようだが、ぴくりとも動かない。しゃがんで犬に触れて見たが、やはりもう温かさは残っていなかった。彼もそれが分かっていたのだろう、首を振ったフレンに何も答えることなく、眉間に皴を寄せる。 「…………帰らないのかい?」 どうにも動く気配のない彼に声をかけてみるが、彼は答えない。 「……風邪、引くよ」 青ざめた唇から彼自身もそうとう体温が下がっているだろうことが伺える。子犬だけでなく彼の体調もまた心配だ。「ほっとけ」とフレンをつき離す言葉を返すくせに、「お前こそ」と彼は続けた。 「風邪引く。早く帰れ」 オレのことはいいから、と力のない声で言われるが、こんなにも憔悴したような表情をしている人間を置いて帰れるものがいたら見てみたい。 「ッ!? お、い、何すん、だっ」 言葉で諭すことを諦め、実力行使に出る。彼の腕を強く引けば、ふらりとその体が傾いた。落としかけた子犬を慌てて抱えなおした彼を無視して、そのままぐいぐいと腕を引く。 「おい、シーフォ」 初めて名を呼ばれた。きちんと覚えていてくれたのだ、とそのことがなんとなく嬉しい。 「僕の家、近いから。君が風邪を引くのは勝手だけど、その子犬は早く温めてあげたいだろう?」 よろよろと、フレンに引かれながらも足を動かす彼へそう告げれば、効果は覿面だった。ぴたりと口を閉ざして子犬を見た後、「だったらこいつだけでも」と小さく呟く。 「じゃあ君が傘をさしてくれる?」 子犬か傘か、どちらかを選んでくれ、とそう言う。どちらにしろ一緒に行かなければいけない選択肢に気付いた彼は、嫌そうに眉を顰め舌打ちをした。本当に嫌ならば、犬とともに彼の自宅へ戻ってもいい。そういう選択肢もあると提示すれば、「オレん家、アパートだから」と返ってきた。 「うちは一軒家だし気にしなくていいよ、今の時間なら両親は仕事でいないから」 誰に気兼ねをすることもない、雨に打たれながらぽつりぽつりとそんな会話を交わして自宅へと向かう。 「……分かったから手、離せ」 「駄目。君、気づいたらいつもふらっとどっか行っちゃうから」 そう言って握り直した手首は思った以上に冷たくて、フレンは進む足を速めた。 ←1へ・3へ→ ↑トップへ 2010.10.30
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