裏の「配偶行動」の続き。 精神的に痛いです。苦手な方はご注意をば。 生きる道の中に・前 全身がだるく、体に力が入らない。リウの意識が浮上した時、まず覚えたのは倦怠感と疲労感。目を開けようとするがうまくいかず、瞼が腫れているのかもしれない、と判断。そうなるまで泣くような出来事、体に残る感覚、今自分が何も着ずにベッドへ横になっていること。 諸々の状態から何がどうなって今に至っているのか、起きたばかりで多少鈍っている脳を回転させて、結論に至り。 「――――――ッ!」 驚きと焦りに目を見開いて体を起こそうとしたが、隣で眠っている人物の腕が絡まっていて動けそうもなかった。たとえその腕がなくとも、ろくに力も入らない体では起きることもままならなかったかもしれないが。 身体は動かなかったが、それでも一度正気付いてしまえばもう、迫りくる現実から逃げることはできない。 (や、ばい、やばい、まずい、ものすごく、まず、い……ッ) 発情期、という言い方は動物のようで同族たちは使わなかったが、一番しっくりくる表現の仕方はそれだろう、と思う。突き詰めれば人間だろうがスクライブだろうが動物は動物だ。そもそも人間などは万年が発情期のようなもので、単純にスクライブだと定期的にそれがくる、というだけのこと。パートナーのいない一族のものは薬を飲んでそれを抑えるなり、一人で始末をつけるなりで凌いでおり、体が二次性徴を迎えて訪れるようになったその時期をリウもまた薬で抑えてきていた。 シトロにいるときならばまだしも、城に来てからはレッシンとそういう仲になり、パートナーと言えなくもないため付き合ってもらう、という手も取れた。しかしそれをしなかったのは自分から求めるのが恥ずかしかった、というのもあるが、それ以上に、この時期の性交が今のリウにとっては非常にまずい結果を齎すからだ。 (中出し、され、た、つか、オレがしろ、っつったか……?) 真っ青な顔で口元を押さえ、混乱する脳を何とか整理しようとする。そもそも一番初めに交わったときから、ろくな避妊などしていない。レッシンも知識がないわけではないだろうが、男同士だということから中で出すのが当然だとさえ思っているようだ。しかし、それは人間の間での常識であり、生物学的に異なる種族であるスクライブが相手では通用しなかったりする。 もともとスクライブ一族は昔から異様に数が少なかったらしい。生物として種の保存を第一目標に掲げ、それに応じた進化を遂げるのは当然のこと。それが故の発情期なのだろう、とは思っている。折角性的興奮を高め他者と交わるように仕向けたとしても、その結果が得られなければ意味がない。 結果、すなわち子を成すこと。 発情期中に性交を行った場合、確実にそのスクライブは体内に新しい生命を宿す。もちろん避妊具を着用するなり、体内で射精しなければその例からは漏れ、より正確に表現するならば性交を行うというより、精子を取り入れた場合となるだろう。 発情期中に他者の精子を体内へとりこんだ場合、そのスクライブは妊娠する。 明らかに人間とは違う性質だが、生物としてはそれもありえなくはない、と思うだろう。しかしスクライブの場合は決定的に他の生物とは異なる部分がある。 それは、精子を取りこんだ側の性別がまったくもって無視される、ということ。 つまりは男であろうが関係なしに、妊娠するのだ。 (オレ、間違いなくあの時期、だったよな……) 脳がぐらぐらと煮えたぎり、もう何も分からなくなって、とにかく目の前にいるレッシンのことしか考えられなかった。その体温を感じたくて、もっと近くに寄りたくて、ただひたすら手を伸ばしていたことだけは何となく覚えている。 (……やば、いよな、どう考えても。まずい、よ、これ……) リウの体はスクライブ特有の発情期のまっただ中であり、蕩けた体内へ散々に注ぎ込まれたもの。 何らかの異常事態が起こっていない限り、確実にレッシンの子供を妊娠してしまっている。 たとえ城のすぐ側まで協会軍が攻めてきている、という状況に陥ったとしてもここまでは焦らないだろう。 どうしたらいいのだろう、どうするべきなのだろう。 体内には、惚れて惚れて仕方のない男の子供が宿っている。 その相手はまだリウと同じ年ごろの少年で、その上強大でややこしい相手とケンカのまっただ中で、こんなことに彼の手や心を煩わせている暇はまったくもってない。もちろんリウ自身だって、考えなければならないこと、やらなければならないことが腐るほどあるというのに。 どうしよう、などと途方にくれたように呟いている場合では、ない。 *** *** 個人的に調べたいことがあるから、と同族や友人たちの同行をすべて断り、リウは単身で樹海の村へと戻ってきていた。線刻を継承したものの、ほとんど村へ寄りつきもしなかった長が戻ってきたことに一族のものは訝しげな視線を向けている。それらを肩を竦めて受け流し、そうして向かった先は前長、ラオ・クアンが生活をしていた集落奥の大木。彼女が眠っている場所で手を合わせた後、家の中に並んでいた蔵書を端から順番に追いかけていく。それらはもちろん書に関することも多かったが、一族の歴史や村での出来事を綴ったものもあるため、きっとリウが求める情報もあるに違いない。 そうして書についての新たな事実、あるいは別の見解の知識を取り入れながら資料を漁ること数刻。これだ、とようやく見つけたページに記してあるものはある薬の作り方。綺麗な水の流れる川の側に生えるある種の草を干して水分の抜き、粉にして飲むだけだという簡単なもの。 「……材料さえ手に入ればできるな」 ある種の民間療法あるいは、呪術的な意味合いさえあるようだったが、今のリウはどんなものにでもすがらざるを得ない。試せる方法が手近にあるのならば、片っ端から試しておきたいのだ。 開かれたページに記してあるものは、堕胎を促す作用のある薬。 冷静に考えれば、無理に決まっているのだ。レッシンもリウも、それぞれ自分の食いぶちくらいならばどうとでもできるし、たとえ子供ができたとしても、リュウジュ団団長として彼が活躍してくれる限り、いやレッシンだとそうでなくてもきっと、リウと子供くらいならば養ってくれるだろうと思う。あるいはレッシンがおらずとも、昔培った交易の知識と経験で、自分と子供一人くらいなら食べていける程度には稼ぐ自信もある。 授かった命を自分がまだ子供だから、という理由で手放すつもりもない。それならば子供と共に成長すれば良いだけの話で、きっと手伝ってくれる人たちも大勢いるだろう。 そうではなく何よりも一番の問題は、現状。ひとつの道の協会と争っている最中であるということ。協会の、ベルフレイドの意図が徐々に明らかになっている今、彼を止めないとこの世界全体が滅びるという最悪の結末さえ訪れるかもしれない。全世界に生きる人々の命がこの戦いにかかっている。そしてその戦いの中心にいるのがレッシンなのだ。 あの少年の両肩には、多くのものの生活が乗っている。それを少しでも軽くしてやりたくて、支えてやりたくて、だからこそ厭うていた一族を受け入れ、線刻を受け入れ、側で持ちうる限りの知識と知恵を奮っているというのに、足を引っ張る存在にどうしてなれようか。 生むという選択肢は始めからない。 リウが考えなければならないのは、どのように堕ろすか。 リウが決めなければならないのは、ひとを殺す覚悟。 たとえまだひとの形をしていないものであったとしても、宿った命を個と考えたくなるのはやはり親だからだろう。 これからリウは、ひとを殺す。 それが故の罰ならばどんなことでも受けよう。 「……せめて、戦争が終わった、後に」 神様頼むぜ、と小さく呟いて、リウは本に記してある詳細を頭の中に叩きこんだ。 *** *** リウが倒れた、という知らせを聞いたのは、帰城してすぐのことだった。団長と参謀が恋仲であるということを知っているものは少ないが、異常なほどにレッシンがリウを側に置きたがることは皆が把握しており、早馬で知らせを送ろうか、と持ち上がっていたほどだという。 なんとなく受けていた依頼を少し早めに終わらせ、なんとなく早めに城へと戻った、そのなんとなくはおそらくこのためだったのではないか、とレッシンは階段を二段飛ばしで駆け上って医務室へと急ぐ。 そうしてそこで見たものは、いつも以上に青白い顔をして横たわっているリウと、何やら深刻そうな顔をしている医者、看護師の二人。ああきっと、何か悪い知らせがある、と直感的に悟ったが、聞きたくないと耳を塞ぐわけにもいかない。 リウに関することならば、たとえどんなことであろうと聞いておかなければ気が済まない。あの参謀は、少し気弱で優しくて、でもどこか頑固な異種族の少年は自分のものなのだから。 後へ→ ↑トップへ 2005.09.06
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