我儘に育てる方法・前


 医者に話を聞いた限りでは、若干の衰弱はあるがただ眠っているだけ、らしい。栄養失調の傾向もあるため、必要なものはゆっくり休めるベッドと暖かな部屋、十分な食事、だとか。
 面倒くさいものを拾ってしまった、そう思うが、さすがにあのまま雨の降る路地に捨て置くわけにもいかない。せめてその時自身が騎士団隊長主席の姿をしていれば良かったのかもしれないが、ギルド任務の帰りであったためレイヴンと名乗る格好であり、その状態で騎士団に助けを求めることもできなかった。
 行き倒れていた子供を医者まで連れて行き、診察を終えたのちどうするか、としばし考察。いい案は思い浮かばず、仕方なく城の自室へとこっそり連れ込んだ。望んで得た地位ではないが、それなりのものを与えられる立場にいるため、部屋もまた広い。子供へベッドを貸したところで、自身はソファで眠ればいいし、最悪騎士団用の仮眠室という手もある。
 夜も更け、明日は朝から騎士団の任務が入っていた。今日はもう寝てしまおう、と最後に一度子供の様子を伺えば、小さく呻いた彼がうっすらと目を開く。

「……気がついた?」

 囁くような声で尋ねれば、「こ、こ……」と少年は目だけで室内をくるりと探った。とろり、と潤んだその目は髪の毛と同じ、綺麗な茶色。

「別に怪しいとこじゃないから安心しなさい。気分はどう? 起きられる?」

 ベッドの側へ膝をついて尋ねれば、少年は小さく首を振って「眠い」と一言。

「そう。じゃあせめて水だけでも飲んで」

 乾いた少年の唇から、水分は取った方がいいだろう、と水差しを口元へ差し向ければ、素直に口に含んで喉を鳴らした。そして口内を濡らして自身が乾いていたことに気付いたのだろう、半分ほど飲んだところで、少年は水差しから口を離した。

「あとはゆっくり休みなさい」

 おそらくはまだ十にも満たない子供など、どう接していいのかいまいち分からない。手を伸ばして頭を撫でれば、少年はどこか安心したかのようにふわり、と笑ってそのまま眠りへと戻っていった。

「……結構可愛いじゃない」

 小さく呟いて苦笑を浮かべる。これからこの子供をどうするかまったく考えてはいないが、そう簡単に放りだせるものでもない。しばらくの付き合いとなるかもしれない、そんな覚悟を抱きながら自身も睡眠をとるべく、隣室のソファへと足を向けた。



**  **



 『レイヴン』ならば「知り合いの子を預かってんの」と軽く言えるのだろうが、『シュヴァーン』ではそうもいかない。もともとの性格はシュヴァーンであるときのものだとは思うが、努めて真逆の性格を演じているうちに、もしかしたらそちらの方が楽なのかもしれない、とも思うようになってきた。
 どちらにしろそもそもこの身体自体が、偽りに満ちた生だ。中の性格がどちらも偽りであってもなんら問題はないだろう。
 子供が目覚めたときのために、簡単な食事と飲み物を用意する。メモ書きを残すべきかどうか、そもそもあれくらいの子供がどこまで文字を読めるのかどうかが分からず、とりあえず出勤前に様子を見ておこう、と隣室を覗けば、少年は上半身を起こしてベッドに腰かけていた。

「あ……」

 こちらへ視線を向けて彼は小さく声を上げる。

「起きていたか」

 トレイを持って近づき、小さなテーブルをベッドの側まで引き寄せてその上に食事を置いた。

「名前は?」
「え、あ……えと、カ、カロル……カロル・カペル……」
「そうか。私はシュヴァーン・オルトレイン。ここはザーフィアス城内にある私の自室だ」
「……お城?」
「そうだ。下町で倒れている君を発見して、とりあえず休ませるためここへ連れてきた」
「倒れ、て……」
「医者がいうには、疲労と空腹によるものらしいが」
「…………そう、いえば、ご飯……」

 少年が呟くと同時にきゅるり、と小さく腹の鳴る音が響く。顔を赤くして俯いた彼の前に、パンや果物の乗ったトレイを差し出した。

「食べたらまた少し休むと良い、まだ体調は万全ではないだろう。昼、また顔を出す」

 ありがとうございます、と小さく礼を言ってトレイを受け取ったカロルへ背を向け、部屋を出ようとしたところで「あの」と声が掛けられた。

「昨日、のひとは、いない、の?」

 おどおどとした問いかけの意味が取れず、眉を顰めてしまう。もともとシュヴァーンであるときは表情の変化を極力抑えているため、睨んでいるように思われたのだろう。「ご、ごめんなさい」と突然謝った少年へ「謝る必要はない」と返したところで、ようやく思い至った。
 どうやら彼は昨夜話をした人間と今目の前にいるシュヴァーンとが同一人物であることに気がついていないらしい。昨夜はまだレイヴンのままの姿で、服装も髪型も、言葉づかいも表情も変えていたのだ。
 誤解を解くべきか否か、一瞬だけ迷い。

「また、気が向けば現れるだろう」

 それだけ言ってシュヴァーンは自室を後にした。





***   ***





 下町の路地で倒れていたくらいなのだから、少年の家庭環境についてはなんとなく想像がついていた。話を聞けば大よそその通りらしい。親はおらず、家もない。下町の孤児たちが集まっている場所で生活をし、心優しい大人たちに少量の食料を恵んでもらってなんとか生きながらえていた。唯一驚いた点といえば、彼の年が十一だったことくらいだ。栄養状況の良くない環境で育ったため、平均よりも体格が華奢であるらしい。
 どうして倒れていたか、といえば、最近また小さな子供が二人ほど、孤児として増えたのだ、と少年は言う。

「その子達にご飯、分けてあげなきゃいけないし、でも、これ以上下町の人たちに迷惑かけるのも良くないし……」

 そう思い、言いだせないまま自身の食事を渡していたらしい。
 心の優しい少年だが、下町では生きていけない類の性格だろうとも思う。

「行くあてがないのなら、しばらくここにいると良い。幸い私は独り身だ。君がいたところで不都合は何もない」

 仕事があるため、この部屋でゆっくりと過ごす時間はあまりない。カロルとの会話も、部屋で食事を取りながら交わすことが多かった。

「でも……」
「もちろん、嫌なら強制はしないが」

 淡々と話す口調は、シュヴァーンであるときの癖だ。子供相手によくはないと思いはするものの、長年培ってきた性格はそう簡単には覆せない。その言葉に、カロルはぶんぶんと首を横に振った。どうやら嫌ではないらしい。

「遠縁の子を預かっている、と話してある。城内ならば好きに歩いていい。入ってはいけない場所ならば騎士が止めるだろう」

 この部屋のある辺りは、騎士の家族も身を置く部屋が多い。そのため小さな子供を時折見かけることもある、遊び相手もまた見つかるかもしれない。

「じゃあ、お世話に、なります……」

 十一の、小さな子供が口にする台詞とは思えないほど、しっかりしたことを言う。それほど成長せねば生きていけなかったのだ、ということが、今はどこか無性に寂しく思えた。



**  **



 他人の気配が部屋にあるということが、意外にもどこか安らぎをもたらしてくれる、ということに、シュヴァーンは初めて気がついた。相手が小さな子供だからか、あるいはあの少年だからか。遠慮をしているらしく決して彼から近寄ってくることはないが、今日のことを尋ねれば楽しそうに遊んだことや出会った人、見たものの話をしてくれる。少しだけ文字が読めるようになった、と言う彼へ、誰ぞ教えてくれるひとがいるのか、と問えば、非番の騎士が教えてくれたらしい。

「名前、忘れちゃったけど、えっと、金の髪で青い目の、すごく綺麗で優しいひとだったよ」

 また次も教えてもらう約束をしたのだ、と嬉しそうにそう口にした。金髪碧眼だけでは絞れないかもしれないが、もし分かるならこちらからも礼を言った方がいいのだろうか、と考え、自分も保護者が板についてきたな、とシュヴァーンは苦笑を浮かべた。
 その笑みをどう受け取ったのか、今まで笑顔だったカロルが「あ、」と小さく声をあげてしょぼん、と俯いてしまう。

「……どうした?」
「や、あの、ボク、お世話になってる身、なのに、騎士さんの、お仕事の邪魔、しちゃ、だめだよね……」

 ごめんなさい、とどうにも彼は、人の表情からマイナスな方向へ思考を走らせることが得意らしい。子供らしからぬ気の使いようで、寂しさと切なさと、若干の怒りを覚える。

「その騎士は非番だと言ったのだろう?」

 ひばん、という言葉の意味が分からなかったようで、首を傾げた少年へ、「仕事が休みだ、ということだ」と補足すれば彼はこくり、と頷いた。

「もちろん非番でも呼びだされることはあるが、そうなったときに邪魔さえしなければ問題はない」

 シュヴァーンの言葉に幾分安心したのか、ほ、としたように表情を緩ませ、笑みを浮かべる。子供らしい無邪気な表情を目にし、思わずその頭を撫でようと右手が伸びかけたが、なんとなくシュヴァーンの性格ではしそうにない気がして、留めておいた。



**  **



 彼を部屋に住まわせるにあたって問題となったのは寝台である。寝室には大きなベッドが一つ置かれ、執務室を兼ねているもう一つの部屋にはソファがある。カロルがまだ弱っていたときは少年にベッドを譲っており、彼もまたそのことに疑問を抱いていなかった。しかし、ある程度体調が回復し、部屋を自由に動き回るようになったとき気がついたらしい、シュヴァーンはどこで眠っているのか、と。
 身体が小さいからボクがソファで寝る、と言ってきかなかった彼のために、もうひとつ小さなベッドを買おうかと提案したが、お金を使ってほしくないと頑なに拒否された。どうしてだかそういう点では少年は非常に頑固だ。
 シュヴァーンはカロルをソファで寝かせたくはなく、カロルはシュヴァーンをソファで寝かせたくない。かといって、自分用のベッドを買ってもらいたくはない。平行線を辿る二人の主張を噛みあわせるため、結局落ち着いた手段が、今あるベッドで共に眠る、というもの。カロルがまだ子供だということもあり、大きめのベッドに二人くらいならば余裕で横になることができるのだ。

「遅く帰ってきたとき、ボクを起こすから、とか、そういう理由でソファで寝ちゃ、駄目だよ。もしそんなことしたら、次の日からボク、ソファで寝るからね」

 シュヴァーンの顔を見上げて、懸命にそう主張する子供へ、口元を緩め分かった、と答えるしかない。カロルならば本気でそうするだろうことが分かるため、できるだけベッドを揺らさないように潜り込めるようにもなった。
 下町で他の孤児たちと共にいたとき、暖を取るため団子のように固まって眠っていた、とカロルは言う。その時の癖が抜けないのか、あるいは単にもの寂しいのか、人恋しいのか。触れあわずに眠っていたはずなのに、朝目覚めると抱き込める位置に少年が転がってきていることが多い。

(あるいは単に寝相が悪いだけか……)

 昨夜寝る前も直したはずなのに、また腹を出して寝ているカロルを見下ろし、苦笑を浮かべてシーツをかけ直してやる。この少年を手元に置くまで、自分がここまで面倒見の良い性格だとは思ってもいなかった。
 もしかしたら、案外に。

(俺自身もこの生活を気に入っているのかもしれないな)

 きちんとした食事と睡眠を取っているため、カロルはここに来たころよりもずいぶんと血色がよくなり、ふっくらと子供らしくなってきた。その頬へ軽く触れながら、シュヴァーン自身、いつもよりもずっと柔らかな表情をしていることに気付いていなかった。




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2010.08.27