我儘に育てる方法・後


 ここのところずっと騎士団としての仕事が続いていたが、久しぶりにギルド員としての仕事が入った。ダングレストまで足を延ばさなければならず、数日は留守にすることになる。もちろん騎士の仕事もそれに合わせた単独遠征ということになっており、その旨を伝えれば「気をつけてね」と少年は心配そうに言った。

「……一人になるが、大丈夫か?」

 もともと仕事でほとんど共に過ごすことはできておらず、食事時と就寝時に顔を見る程度。それでも少年を一人にして数日も部屋を空けるなど初めてのことで、多少心配になり尋ねれば、「大丈夫」とカロルは笑う。

「もともと一人には慣れてるよ、ボク」

 だから心配しないでね、とその言葉を頭から信じたわけではないが、かといって仕事を放棄するわけにもいかず、「すまない」と謝ることしかできなかった。
 その日の昼間はまだシュヴァーンとして城での仕事が残っており、済ましたのちに城を出てからレイヴンへと姿を変える。このままダングレストへ向かっても良かったのだが、時間的に多少余裕があることに気付き、そこではたと思いだした。
 そう言えば、部屋にいる子供がこの姿の男を探していなかっただろうか、と。
 あの時は彼を抱えていたため、シュヴァーンに戻ることなく、こっそりと城内の自室へと帰ったのだ。気が向けば、と少年へは答えたが、実際にこの姿で城へ、ましてや自室へ戻るなどほとんどないといっていい。ギルドへ身を置く理由は要はスパイであり、騎士団の人間であるなど知れては仕事にならない。できるだけ疑われるような行動は排除すべきであり、そうなると必然的に姿を戻して城へ帰らなければならないのだが。

(俺も、甘い……)

 数日留守にすることで、彼を一人きりにしてしまうことがどうしても気にかかる。それならばせめて、出発間際にその顔を見ておこう、と。少年が探していたこの姿で部屋に戻ろう、と、今までならば決して行わなかったであろう判断を下した。
 そうしてこっそり城へ戻り、自室の扉を開けて顔をのぞければ、気付いた少年が「あ!」とこちらを指さして声を上げる。しっ、と人差し指を唇の前に立てて辺りを伺い、そろり、と部屋の中へと滑りこんだ。扉を閉める際にも音を立てぬように気をつければ、少年も何か気付いたのだろう、小さな声で「こんばんは」と挨拶をしてくる。やはり彼は、レイヴンがシュヴァーンと同一人物である、と気付けていないようだ。
 苦笑を浮かべて、「はい、こんばんは」と挨拶を返す。声を意識して変えてはいないが、話し方が違うため話をしても分からないだろう。

「あの、おじさんは、シュヴァーンの友達?」
「んー、どっちかってとただの知り合い?」

 別に隠しているわけではないが、なんとなく言うのがためらわれ、別人として振る舞うことに決める。

「お久しぶり。少年、元気?」

 表情を崩して彼の側へ寄れば、「うん!」と本当に元気な声が返ってきた。

「ちゃんとご飯も食べられるし、寝る場所もあるから、すっごく元気」
「そっかそっか、そりゃ良かった。前に見たときの少年、風で飛んでっちゃいそうだったから心配してたのよ」

 抱え上げた少年の身体は本当に痩せ細っており、力を込めればそのまま折れてしまうのではないか、と思ってしまうほどだった。その言葉に以前顔を合わせた時のことを思い出したのだろう、「ねぇ」とカロルがレイヴンの服の裾を引く。

「ずっと不思議だったんだけど、なんであのとき、おじさん、この部屋にいたの? 次の日いなくて、シュヴァーンがいて、びっくりした」

 意識が朦朧としたなかで見かけた姿を探すも欠片も見当たらず、代わりに言葉の少ない、けれども優しい男がこの部屋の主だと知った。だとしたら昨夜顔を見た男はなんだったのだろうか、とずっと疑問に思っていたらしい。

「んー、おっさんはね、この部屋にいなきゃいけないんだけど、いちゃいけない、みたいな、複雑な事情があんのよ」

 そう返せば、よく分からない、と少年は首を傾げる。しかし大人には色々と面倒くさいことがあるのだ、ということは理解しているらしく、それ以上突っ込んで聞いては来なかった。代わりに、「また来てくれる?」と次の約束を取り付けてくる。

「どうだろうねぇ。少年はおっさんに会いたいんだ?」

 顎を摩ってにやにやと笑いながら言えば、「だ、って……」と少年は口ごもる。

「ボク、頭、撫でてもらったこと、ほとんど、なかったんだ。なんかぼーっとしててあんまり覚えてないけど、あの時、すごい気持ち、良くて、だから……」

 言いながら俯いてしまったカロルは小さな声で、「今はシュヴァーンもいないし……」と続けた。
 そんな少年の頭をあの時と同じようにふわり、と撫で、小さな身体を抱き上げた。

「う、わっ、な、なにっ?」
「ね、やっぱりシュヴァーンが帰ってこなくて寂しい?」

 バランスの取れた食事で子供らしさを取り戻した身体は、それでもやはり遅れた成長を取り戻すまでには至っておらず、同年代の子供に比べて華奢で軽い。腕に当たる骨の感触につきり、と痛む胸を無視して、カロルを抱えたまま隣室へと移動した。

「寂しい、よ、やっぱり……」

 本人を前にしてはなかなか口にできない本音。それが迷惑をかける、と分かっているからこそ飲みこんだ言葉を、レイヴンを前にしてはほろり、と零す。落ちないようにきゅ、と抱きついてきたカロルを抱きしめ返し、そのままベッドへと腰を下ろした。
 身体をゆるく揺すって、あやすように背中を撫でればぐすん、と鼻をすする音が耳に届く。こんなにも健気で寂しがりやで優しい子供を泣かせる馬鹿はどこのどいつだ、と怒りを覚える自分が滑稽だ。

「少年、もう寝ちゃいなさい」

 小さな身体をベッドに横たえ、無理やりシーツの中へと押し込む。

「寝ちゃえばすぐに明日になるから。いっぱい寝て、いっぱい明日になれば、そうしたらシュヴァーンも帰ってくるでしょ」

 口元を緩め、少年の頭を撫でて言えば、「でも、せっかく、おじさんと、会えたのに、」とカロルは眉を寄せた。

「だいじょーぶ。俺様もそんなにたくさんはこれないけど、また、絶対カロルの顔、見に来るから。ね」

 そう言ってなだめようとするものの、いやいや、と首を振る。横になったせいで睡魔は襲ってきているようだが、眠ってしまうのがもったいないと思っているのだろう。駄々をこねる姿を初めて見た気がして、こんなにも可愛い顔ができるのか、と暖かな気分になれた。

「もー、しょうがないわね。さっさと寝ないと、オヤスミのちゅー、するわよ」

 それが嫌なら目を閉じろ、と脅しのつもりで口にしたのだが、何を思ったのか少年は「じゃあしてよ」とシーツを握って返してきた。

「そしたら、ちゃんと、寝るから」

 だからキスをして、と。
 可愛らしい我儘に苦笑を浮かべ、もう一度「しょうがないわね」と呟いたレイヴンは、白いその頬へそっと唇を寄せた。

「ね……おじさん、の、なまえ、は?」

 うつらうつらとしながら尋ねられ、その頭を撫でて眠りへ誘いながら「レイヴンよ」と答える。回らぬ舌でれいぶん、と名前を転がしたあと、少年はふわり、と笑みを浮かべて言った。

「おやすみ、レイヴン」



**  **



 ギルドの仕事仲間から気持ち悪がられ、あまつさえ本気で心配されるほど、レイヴンは精力的に仕事をこなし、そうして本来予定していた日数よりも幾分短い期間で帰ることができるよう、段取りをつけた。それもこれも、部屋で一人寂しく待っているであろう少年のため。心配をかけまいと、迷惑をかけまい、と本音を隠して送り出してくれた子供の元へ帰るため。
 ずいぶんご機嫌ね、と顔見知りに言われ、「可愛い子と仲良くしてるからね」と返しておいた。実際にレイヴンとして仲良くできる時間は限られているが、それでもあの子供のため、いやむしろ自分のためにまた近いうちにこの姿で会いに行こう、とそう思う。それならば少年にためらいなく触れることができるし頭を撫でてやることも、お休みのキスを送ることもできる。
 ギルド側の仕事と騎士団としての仕事と、双方の残務を終え報告を終え、本当に自由な時間を手に入れてのち、数日ぶりに戻った自室では、愛しい子供が笑顔で待ってくれていた。

「お帰り!」

 本当に嬉しそうに笑顔でそう声を上げ、かたん、と椅子から立ち上がる。こちらに走り寄ってくる前に、はたと気づいたように机の上に広げていた画用紙を手に取った。

「見て! 名前、書けるようになった!」

 シュヴァーンのいない間も練習をしていたのだろう。おぼつかない線で連ねられた文字は、何度も同じ綴りを繰り返している。ところどころKやCの向きが逆になっているが、お手本として書いてもらったのだろう、少年の文字とは違う字体のそれを懸命に真似、画用紙は『Karol Capel』という名前でいっぱいになっていた。

「こっちも!」

 そう言ってくるり、とひっくり返されたその裏側。同じように自分の名前を練習したのだろう、と思えば、そこに広がる文字は『Schwann Aultraine』、hが抜けていたりnが一つ多かったりと、ところどころ目につくミスが可愛らしい。
 ほんの少し見ない間に子供はこうして成長していくのだ、とその事実をまざまざと体感し、「よく頑張ったな」と感心するまま言葉を紡いだ時には自然に、何の意識もなくごく自然な動作で、少年の頭を撫でていた。
 シュヴァーン自身はレイヴンとして何度か経験しているため始めは何も思っていなかったが、「あ、」と少年が驚いたように声をあげて自分の行動に気付く。見上げてきたカロルの大きな茶色い目と視線が合い、「ああ、すまない」と慌てて手を引けば、「まって、違う」とカロルがシュヴァーンの手を引いた。持っていた画用紙はもうどうでもいいとばかりにその場に投げ、ぐいぐいと手を引いてソファへ腰掛けるように促す。求められるまま座れば、背の低い少年と大体同じ視線の高さになるのだが、目の前に来たシュヴァーンの顔をまじまじと見つめ、手を伸ばして片目を隠す勢いの前髪をかきあげられた。

「カロル?」

 少年の意図が分からず首を傾げると、そのままわしゃわしゃと髪の毛をぐちゃぐちゃにされる。そして彼は小さく言うのだ、「やっぱり」と。

「ねぇ、シュヴァーンとレイヴンって、同じ、ひと?」

 何が切っ掛けだったのかは全く分からないが、どうやら少年は気がついてしまったらしい。ここで否定するのもおかしいだろう、と苦笑を浮かべて、「気付かれたか」と肯定の言葉を返す。するとカロルはくしゃ、と顔を歪め、「ばかっ!」とシュヴァーンの胸を叩いた。

「ばかばかばかばかっ!」
「っ、いてて、痛い、痛いって、カロル」

 姿はシュヴァーンのままだが、やはり子供が相手の時はレイヴンであった方が会話がしやすい。ばれてしまった、という気まずさもあり、誤魔化すために口調を変えてみれば、「バカッ」と怒鳴ったカロルは両目に涙をためていた。
 どうして泣くことがあるだろうか、と、「なんで、泣いてんのよ」と慌てて問うも、首を横に振って答えない。涙をこらえているのだろう、唇を噛んで唸る子供を前に、「ああもう、」と髪の毛を掻きむしって、小さな身体を抱き寄せた。
 抱き上げたカロルを、向かい合うように足の上に座らせ、「ごめん、おっさんが悪かったから」とその背中を撫でた。彼が泣いている理由は詳しく分からないが、自分にあるということだけは明白だ。細い身体を何度か揺すって、「ごめんね」と謝罪を口にすれば、ようやく気分が収まったのか、「なんで言ってくれなかった、の」とカロルが尋ねてきた。

「ん? や、そんな深い理由は、ないのよ、全然。なんか、言いそびれちゃった、って言うか」

 本当は同一人物である、など、たとえ子供相手にでも知られたらまずい事柄なのだが、始めから隠さなければという思いはさほどなかった。ただ、彼が勘違いをしているようだから、それを訂正しなかっただけで。

「レイヴン、って、名前も、うそ……?」
「うーん、難しいわね。ウソって言えばウソかもしれないけど、あのカッコの時はそういう名前を使ってるのはホント」

 偽名ではあるが、ギルド員であるだらしない風来坊になっているときはレイヴンと名乗っているのは事実。お仕事のために二つの格好と名前があるの、と言えば、少年は小さく首を傾げて、「よくわかんない」と呟いた。

「でも、お城の中では『シュヴァーン』なんだよね?」

 それだけ分かっていれば十分だ。少年の頭を撫でてその通りだ、と笑みを浮かべる。

「おっさんがレイヴンだってことは皆には内緒よ」

 バレたら大変なんだから、と少し茶化して口にすれば、神妙な顔をして頷いた少年は「じゃあ、一つ、お願いしてもいい?」と首を傾げた。

「いいわよー。泣かせちゃったからなんでも我儘きいたげる」

 どれだけ懐いてくれていても、どうしても遠慮が先に立つようで少年が我儘を言う姿を見たことはない。唯一が、寂しい、とぐずったあの夜くらいだ。
 もっと我儘になればいいのに、とそう思う。こちらを困らせるくらいの勢いで、我儘を言って駄々をこねて、そうして子供らしく笑ってくれれば、それでいい。
 そんなことを考えていたところで、耳に届いた可愛い我儘。

「シュヴァーンのときでも、レイヴンのときみたいに、頭、撫でてくれる?」
「うん? それくらいならいつでもいいわよ。なんならお休みのちゅーもしてあげる」

 少し唇を尖らせおどけて言ってみれば、相変わらず少年は嫌がる素振りも見せず、「ほんと?」と逆に嬉しそうに目を輝かせる始末。

「ねぇ、じゃあ、おはようのちゅーもして?」
「…………」
「……だめ?」
「……行ってきますとただいまのちゅーもつけてあげよっか?」

 冗談が冗談にはならない、と分かっていながらも口にすれば、喜色満面の笑みで頷かれ、ほんの短い間しかこの少年とは接していないが、少し育て方を間違えているのではないか、と心の片隅でちらりと思った。が、そんな疑問は丁寧に折りたたみ木箱の中へ押し込んで蓋を閉め、綺麗に無視しておいた。




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2010.08.28
















はいレイヴン、あうとー。
源氏物語レイカロバージョンでございました。

リクエスト、ありがとうございました!