人体の主な構成物質はタンパク質と水分である。 厳密にいえば人間とは異なる種族ではあるが、大よそ似たようなものと考えてよいだろう。だからきっと、自分の主な構成物質もそれらであるのだろうが、おそらく、と思う。 おそらく、この体の中にはそれらと同じくらいみっしりと「嘘」が詰まっている。 腕を斬り落とせば流れ出てくるものは血と嘘の塊。 きっとそうに違いない。 そのことが辛いのかどうかさえももう、感覚が麻痺してしまい判断ができない。記憶力と洞察力は一族特有のものであるが、同族の中で比べてもなお秀でている方だ、と自負している。端的に言えば、頭はいいのだ。それなのに、長く生きれば生きるほど、逆に分からなくなることが多くなるというのはどういうことだろう。 昔は、分かっていたはずなのに。 その「昔」というものさえ、今では一体いつのことを指しているのか、分からなくなってきていた。 もう、 どうでも良くなっているのかもしれない。 月夜に剥げる化けの皮・1 「お前さん、見ない顔だね。シトロは初めてかい?」 どんな村にも大抵備わっている施設、交易場。訪れた交易商が己の商売品を売買するその建物で、店主らしき老婆にそう話しかけられた。小さな村であるため、知らない顔は目立つのだろう。こういう場は愛想を良くしてやり過ごすに限る、とリウはにへら、と笑みを浮かべた。 手足が長くひょろりと高い背、薄い緑色の髪の毛に同じ色の瞳、白目の割合が多いせいで少しだけ無愛想に見えるが、笑えば細くなるためその印象もなくなる、とリウ自身理解していた。見た目は二十代前半の青年であり、交易商としては少し若すぎるため、どこへ行っても少し怪しげな目で見られる。しかし、力の抜けた笑みを浮かべて見せれば、警戒するには至らないと判断されるらしい。それはそれでなんとなく情けない気もするが、下手に警戒され、身動きが取れなくなるよりは断然マシだ。 「あー、うん、そう。この間までサイナスあたりをうろうろしてたんだけど」 「ほぅ、サイナスから。ようここまで来なすったな。その細い体で、大変だったろう」 農業や放牧が主な産業であるらしいこの村の男性は、ほとんどのものがしっかりと筋肉を持ったたくましい体をしている。そんな彼らに比べたら、リウなど骨と皮だけのように見えるかもしれない。筋肉がないわけではないのだが、もともと人間に比べ筋力に劣る種族なのだ。 「そーでもないよ? 一応オレ、この生活長いから」 「そうみたいだね、兄さんの持ってきたものはどれもこれも質がいい。あんた、若い割にずいぶんと腕のいい交易商だ」 「あはは、そりゃどーも」 老婆の褒め言葉に、笑って答える。本当は交易商だと胸を張れるような状態ではなかったが、いちいち否定したところで事実として口にできる適当な言葉もない。相変わらず嘘ばかりで固められた自身にため息をつきそうになったのを堪えたところで、「ところで兄さん」と老婆が呼びかけてきた。 「今夜の宿はどうなさるね。今の時間からだとどこへ行くにも森で夜を越すことになるよ」 「んー、この村、もしかして宿屋とか、なかったりする?」 「小さな村じゃからの。そもそもここに来るようなものは、親戚やら知り合いやらばかりさ」 つまり見知ったものの家へ泊まるため宿屋が必要ない、ということらしい。 「まあオレ、野宿とかも慣れてるし、いざとなればどこでも寝れるよ」 「そりゃたくましいの。でも今夜は止めておいた方が良いだろうて。ほれ、ご覧、西の山に雲が掛かっているだろう? 今夜は雨が降る」 彼女が指さした方向へ目を向ければ、確かに西にそびえる山の頂上に黒い雲が掛かっているのが見えた。あの色合いからしてどう見ても雨雲だろう。ついでに懐から取りだした機器へも目を落とす。手のひらに乗るサイズの丸いそれは、温度、湿度、気圧の三つを計ることのできるすぐれものだ。 「あー、確かに。こりゃ雨、降るね」 湿度が上がり、気圧が下がっている。雨が降る前兆だ。 「悪いことは言わんよ、村長のところへ行ってみな。シトロじゃあそこが宿屋代わりだ。よしんばほかに客人がいたとしても、別の泊まり場を見つけてくれるさ」 店主に勧められ、少しだけ考えたリウは、「じゃあそーしてみる」とやはりにへら、と気の抜けたような笑みを浮かべた。このような小さな村に長居することはリウの体質上(あるいは性質上)あまり歓迎できることではない。明日には別の地へ向けて経つことになるだろう。ならば一晩くらいは誰かの好意に甘えてもいいのではないか、という判断だった。 「そうか、旅のものか。ずいぶんと若いな。いや、部屋を提供してやりたいが、すまん、生憎と今日は既にほかの交易商がいてな」 案内された村長の家で相対した中年の男。ラジムという名の彼は、長らしくどっしりとした態度ではあったが根本的に人が良いのだろう。突然の来訪者へすまなそうな顔をしてそう言った。 「あ、いえ。無理を申しあげてるのはこちらの方です」 お気になさらないでください、と言いはするが、「しかしこの村に宿はないぞ」とラジムはますます眉を顰めてしまう。 「もしできるなら、と思って訪ねさせていただいただけです。私はどうとでもなりますから」 これは紛れもない本音だ。雨風をしのぐ場所さえ見つければ、どこでだってリウは大丈夫だ。できれば屋根壁のある場所がいいが、ない場合は木の下や岩の影でも問題はない。 「いや、せっかくシトロに来た客人を屋根のない場所で寝させるわけにはいかん」 誰ぞの家が空いていないか確認させよう、とラジムが腰を上げ、そこまでしてもらわなくても、とリウが止めようとしたところで。 「オレんとこ来れば?」 少年の声。振り返れば、十三、四くらいだろうか、少し茶色がかった灰色の髪の毛を持つ、活発そうな少年がそこにいた。 (なん、だ、このガキ……なにか……) 一見はごく普通の少年であるのに、どうしてだか神経に引っかかる。思わず彼を凝視してしまったリウの側で「こら、レッシン。お前、客人の前で」とラジムが眉を吊り上げた。 「いや、だから客の前だから言ってんだけど。そこのひと、泊まるとこねぇんだろ? オレんとこだったら空いてるし、今日はジェイルも家に帰ってるからな」 どうせ一人だし、と彼はあっけらかんと口にする。 「…………」 その少年の言葉にううむ、と考え込んだあと、ラジムがリウへ視線を向けた。 「どうだろうか、こいつが寝泊まりしている場所は村の若者が溜まる家だ。寝る場所には困らないだろう。もし良ければ」 「汚ぇけどな!」 「こら、レッシン! お前、掃除はこまめにしろとあれほど……!」 「いいじゃん、別に死ぬわけでもねぇし。ほら、早くしねぇと雨が降ってくる。そこのにーちゃん、行こうぜ!」 まだリウは一言も了承の言葉を発していないのに、少年の中では決定事項となっているようだ。彼に対する違和感は消えないままだが、幼いが故の真っ直ぐさと傲慢さがどうしだか憎めない。くつり、と苦笑を浮かべ、「じゃあ、お邪魔します」と口にした。 「敬語パス。オレが喋れねぇから」 「たぶん、喋れた方が今後のためにはいいと思うけど、了解」 湿気を帯びた風を浴びながら少年に案内されて辿りついた場所は、家というよりも小屋と言ったほうが正しいような佇まいだった。 「……これ、崩れたりしない?」 「今んとこまだ崩れてはねぇな」 リウの問いかけに豪胆なのか考えなしなのか、少年はそう答えて入室を促す。 「あ、オレ、レッシン。あんたは?」 明らかに年上であるにも関わらず、少年は全く物怖じしない。リウ自身が相手にあまり警戒されにくい雰囲気を持っているということもあるだろうが、八割くらいは彼の性格なのだろう。 「リウ、だよ」 「リウ。聞いたことねぇ響き。この辺の人間じゃねぇな」 適当に座っていいぞ、と言われ、明らかに起きたそのままであるベッドの向かい側へと腰を下ろしながら、「そーだよ」とレッシンの言葉へ肯定の答えを返しておいた。これは嘘ではなく本当。「この辺」の出身ではないし、そもそも「人間」でもない。 「リウは交易のためにシトロに来たのか?」 「あー、まあそんなところ。交易は本職じゃないけどねー」 嘘をつく場合、大事なことは百パーセント嘘で固めないということ。適度に事実を織り交ぜつつ、必要のない嘘、必要のある嘘を重ねて口にする。じゃあ何が本職なんだ、と尋ねられ、さすらいの吟遊詩人と答えておいた。当然それが真っ赤な嘘であることなど、少年にさえ分かるだろう。 ふぅん、と頷いたレッシンは、それ以上の追及はせず、「うち、食うもんなんもねぇよ」と全然違う話題を口にした。もう少し突っ込んで聞かれるかと思っていたが、さほどこちらに興味がないのか、あるいはリウに話す気がないことを察したのか。どちらにしろリウとしては有り難いため、「オレはいいけど、お前はどーすんの」と返しておく。 「オレはさっき村長んとこで、晩飯食ってきた。今から行けば、まだ少し残ってると思うけど」 シス姉の飯、うめぇぞ、とレッシンは少年らしい笑みを浮かべて言う。 「や、さすがにそこまで世話になるのもわりーよ。ここ、台所とかは?」 「あー、一応火は使える。フライパンはあるけど鍋はねぇ」 「……お前、普段ここで食ってないのか」 「食いに来いってシス姉、あ、シス姉ってさっきの村長の娘な。すっげぇ過保護で、オレが一人でここに住むっつったら、『せめて御飯だけは食べにこないとお母さん泣いちゃうから』って脅された」 だから食べに行っているのだ、と言う彼の言葉に「お母さん?」と首を傾げる。 「ほんとのじゃねぇよ? オレ、親いねぇし。ただなんでかシス姉、自分をオレの母親だと思ってるみたいで、いっつもそう言う。恥ずいからやめてくれって言ってんだけどな」 「そりゃ、そのシス姉ってのはレッシンのこと大事にしてんだ」 火、借りるぞ、とあまり使われていなさそうな水場へ足を向け、ひとまず腹に入れることができそうなものを作り始めたリウの背中へ、「分かってるし、ありがてぇとも思ってるけどさ」とどこか拗ねたような言葉。 「せめて『レッシンちゃん』って抱きつくのは止めてもらいたい」 「……そのシス姉さんはいくつ?」 「えー、っと、オレより七つ上、だったかな? 今、二十とか二十一とかそれくらい」 話を聞けば、どうやらそのシス姉は愛情表現が過激で過多なようだ。無償で愛してくれる相手などそうそうおらず、両親を含めたそんな存在を大事にするべきだとは思うが、少年くらいの年ごろだといろいろと難しいのだろう。 「明日、リウに紹介してやるよ。もしかしたら『リウちゃん』つって抱きつかれるかもよ」 「いやいや、さすがに年上の男には抱きつかないっしょー」 「どうだかなー。シス姉、時々意味分かんねぇことするし」 けらけらと笑いながら、他愛もない会話を交わす。彼くらいの子供と話をすること自体が久しぶりで、邪気のない雰囲気もたまには良いものだ、と思う。 「……で、レッシンくん、一つ、聞いてもいーですか」 「んだよ、リウ。オレ、もう、眠ぃ……」 「や、お休みのところ、もーしわけない。あの、この小屋、ほんとに崩れたりしませんよね?」 簡素な夕食を済ませ、汗を流してベッドへ潜り込んだのがほんの少し前のこと。夜が更けるに連れて雨が降リ出しただけでなく、風も強くなってきているようだ。野宿を選ばなくて良かった、と思いはするものの、横殴りの風が壁を叩いているのが室内にいても分かる。 「な、なぁ、この小屋、建物全体が揺れてませんかっ!?」 「そんなの、いつものことだって……。だいじょーぶ、まだ崩れたことは、ねぇから」 今まで崩れなかったからと言ってこれからもそうだとは言い切れない。むしろ蓄積されたダメージが今夜にこそ弾けてしまうかもしれない、その可能性だってあるわけで。 「心配症、だなぁ、リウは。大丈夫だって、安心しろ……」 子供にそう慰められながら、「全然安心できねぇええっ!」というリウの叫び声が、ぎし、と柱が軋む音に重なった。 ** ** 「……うおっ、傾いてら」 「無事で良かった、オレ……倒れないでいてくれてありがとう、オンボロ小屋……っ」 翌朝、かなり強い雨風を伴った雲が通り過ぎた村は、あちらこちらでその被害が出ているようだった。畑の作物が水に浸った、柵が壊れて羊が逃げだした、窓ガラスが割れた等々、随所に見られるそれらの中で最も被害が大きかったのは、どう考えてもレッシンが生活している溜まり場の小屋だった。 明らかに建物全体が傾いてしまっているそれを前に、腕を組んだまま呑気に言ったレッシンの隣で、リウは顔を覆って泣き真似をする。 「これ、蹴ったら壊れんじゃね?」 「やめてっ、レッシン、止めてっ! せめてオレの荷物、取り出させてっ!」 こん、と足先で小屋の壁を蹴るレッシンを必死に止めて、昨夜抱えていた荷物を慌てて運び出した。そんなリウを見やって笑う少年に連れられ、朝食を御馳走になりに行った村長の家で。 「……リウ、ちゃん?」 「やめてください、マジで、ほんとに、『ちゃん』付けはカンベンしてください」 首を傾げたシス姉ことシスカにそう呼ばれかけ、リウは挨拶もそこそこに頭を下げた。リウより頭一つ分背の低い彼女は、昨夜レッシンが話していた通りどこかつかめない雰囲気を持っている。「ごめんなさい、そんな雰囲気だったものだから」と悪気なく言われては、泣くしかないだろう。 「な? 言っただろ、シス姉は時たま意味分かんねぇって」 そんなレッシンの言葉に同意を示しながら村長宅を辞し、さてこれからどうするか、と考えながら一応昨夜の寝床へ戻ってきたところで。 「あ、ディルク!」 「おう、レッシンか。そっちは、見ねえ顔だな」 「昨日から泊まってんだ、さすらいのなんとかのリウ」 「は?」 「あ、や、気にしないでください」 その部分を忘れられてはボケがボケにならないではないか。そう思いながらとりあえず慌てて手を振れば、きょとんとしたような顔をした後、男はにかっと人好きのしそうな笑みを浮かべた。 「俺はディルク。この村の若いもんのまとめ役みたいなことをやってんだ」 ごつごつと男らしい手が伸ばされ、よろしく、とリウも握り返す。 「しっかし、レッシン、お前、よくこんなとこに客人を泊めたなぁ」 「昨日はまだ傾いてなかったんだよ。なぁ、リウ」 「あーまあそうだけど、その兆候はあったと思う」 ぎしぎしと軋む音と揺れる壁にびくびくと震えながら夜を明かしたのはリウだけだったらしく、「そうだったか?」とレッシンは首を傾げている。そんな少年を前に、「まったくお前は」とディルクも呆れたような顔をしていた。 「とにかく、ここを直さないと。危なくてお前を住まわせるなんてとんでもないからな」 「えーっ、まだ崩れてねぇからいいじゃん」 唇を尖らせてそんなことを言うレッシンへ、「馬鹿か、お前は」とディルクが小言を言おうとしたところで、「悪いことは言わないから、」と今まで二人のやり取りを聞いていたリウが口を挟んだ。 「ここ、一度解体して基礎から作り直した方がいい。つぎはぎで何とか使ってきた感じ? 冗談抜きで、蹴ったら壊れる可能性もある。もともと物置とかそういう建物だったんだろ?」 溜まり場の壁のそばにしゃがみこみ、その柱を眺めていたリウは振り返って尋ねる。 「あ、ああ。農具を置く倉庫に子供たちが勝手に遊び道具を持ちこみ始めてな。そのうち布団やら何やらを持ち込むようになって」 「で、オレが住むようになった、と」 ディルクとレッシンと、二人からの説明に「だと思った」とリウは苦笑を浮かべた。ベッドや水場など、明らかに後から継ぎ足したような作りをしていたのだ。もともと物置として簡素に作られた場所は建物というより、ただ屋根と壁を持っているだけの箱のようなもので、昨夜のような嵐が来なくとも、近いうちに崩壊の兆しを見ていただろう。 「ひとが住むにはちょい強度不足。せめて柱をしっかり地面に固定したほうがいい」 リウの言葉を聞いた二人は顔を見合わせた後、神妙な顔をして頷いた。 2へ→ ↑トップへ 2010.07.10
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