月夜に剥げる化けの皮・2


「そんで、何でオレがレッシンの家を作る手伝いをしなきゃなんないわけ?」
「いーじゃん、どうせ暇なんだろ? 何とかの吟遊詩人ってのは」
「お前それ、覚えてるのにわざと『何とか』って言ってんのね」
「当たり前だろ、あんな恥ずかしいことを真顔で言うリウが悪い」
「いやいやいや、真顔では言ってないから! 冗談だって分かってんでしょ!?」

 十五、六の少年と、二十そこらの青年がする会話にしてはいささか子供じみている会話に、先を歩いていた少女が立ち止まって振り返る。

「二人ともうっさい」

 長い髪の毛を二つに分けて結い、腰に手を当てて怒る彼女は、村長の娘であり、シスカの妹であるマリカ。その隣には、無言のまま森の木へぺた、と手を当てている少年、ジェイルがいる。年が同じであるため、彼ら三人は小さな頃から兄弟のように育ち遊んできていたらしい。そのお守のようなことをディルクが行っていたというが、彼は今村民からの別の頼まれごとのためグレイリッジの方へと出かけてしまっていた。

「ていうか、木材の調達から君らがやるわけ? 普通、大人がやるもんでしょ、こういうの」

 少年少女を引きつれて森へ来た理由は、レッシンが住む建物を作る材料集めのためだ。まさかここから彼らが行うとは思っていなかったのだが、子供たちは揃って口にする。自分たちが使う場所を自分たちで作るのは当たり前だ、と。
 確かにその通りで、非常に立派な姿勢だとは思う。

「大丈夫だ、実際に建てる段階になれば皆手伝ってくれる」
「そうであって欲しいよ、じゃないとまた風が吹いたら傾く小屋になりそう」

 静かにそう口にしたジェイルの言葉に、リウは乾いた笑みを浮かべて返した。いくら自分たちでやるといっても、やはり子供は子供。彼らの力だけでなんとかなる作業ではないのだ。当然リウだけで何とかしてやれることでもない。
 そうして始まった小屋造りにどうしてだか力を貸す羽目になり、リウのシトロへの滞在は思った以上に長いものとなっていた。当然その間傾いた小屋で寝るわけにもいかず、母親が出稼ぎ中だというジェイルの家へ、レッシンと揃って身を寄せている。

「なぁリウ、ついでにベッド作って、ベッド!」
「二つあるだろ」
「あれよりでっけぇの!」
「なんで」
「オレがでっかくなる予定だから」

 身長が伸びれば今のベッドでは手狭になるはずなのだ、と鼻息荒く言い切られ、思わずぶはっと吹きだしてしまった。

「いいねー、お前、なんか夢いっぱいって感じ?」

 むっとしたらしいレッシンは、「なんだよ、ちょっと自分がでかいからって」と唇を尖らせる。

「いやいや、いいじゃん、レッシンはまだその可能性あるんだし。オレなんかはもう、背とか伸びねーからさ」

 成長しろよ少年、と言ってレッシンの頭をぽん、と撫でた。

「リウも頑張ったらまだ伸びんじゃね?」

 その言葉に、リウは目を細めて少年を見やる。

「無理だよ、オレは」
「そんなの、やってみなきゃ分かんねぇじゃん」
「何やるつもりなのお前」

 笑ってそう返しながらも、リウは何がどうあっても自分の背がこれ以上伸びないことを誰よりも深く理解していた。
 リウの背が伸びることはもう、ない。
 それは身体的成長が止まっているという単純な意味ではなく。
 リウ自身に流れる時そのものが止まってしまっているということ。
 リウは、年を取らない。
 だからこそ、一所に長く居続けることはできないのだ。数年単位で見た目の変わらない生き物など、本来はいるはずがない。しかしその理から外れた状態で旅を続け、もうどれだけになるのかも分からない。少なく見ても二百年はそうしているだろうとは思う。

(たまには、な……)

 長い間誰とも深く関わりを持たず、あちらこちらをふらふらと彷徨い続けてきた。おそらくこれからもそうせざるを得ないだろうが、数百年のうちの数年くらいなら、こうして腰を落ち着けゆっくりする時を持ってもいいのではないだろうか。
 最近のリウはそんなことを思うようになっていた。
 それくらいにこのシトロ村は居心地がよく、ここでの生活を気に入ってしまったのだ。

「リウーっ! お昼ごはん持ってきたー!」
「おー、サンキュー、マリカ」

 ここの村の人々は暖かくリウを受け入れてくれる。まるで今までも村に住んでいたものであるかのように、ここにいることをごく当り前の人物として接してくれるのだ。
 シスカ手製の弁当を下げてやってきたマリカへ手を振って礼を言う。

「レッシンとジェイルは?」
「さっきまでいたんだけどねー。腹減ったら戻ってくるんじゃね?」
「そうね。先食べよっか」
「さんせー」

 新しく建て直している最中の溜まり場の前で、青空の下の昼食。簡単に食べられるように、とサンドイッチを作ってくれたらしい。ランチボックスを広げてそれぞれに手を伸ばす。レッシンと同様、彼の幼馴染たちは他所者であり年上であるリウに物怖じすることがない。年長者というより、友達のような感覚でいるらしい彼らの態度は、リウにとって非常に新鮮で楽しいものだった。

「あッ! あいつら先に食ってやがる!」
「オレの卵サンド……」
「見つかっちゃった」
「ジェイル、安心しろ、卵サンドは残してあっから」

 笑いながら賑やかに食事をしていれば、「これもお食べ」と果物や菓子を村人が持ってきたりする。
 なんてのどかで、平和な。

(こういう、のを……)

 そう、守りたかった、のだろう。昔のリウは。
 いや、今の自分もそう、思っているはずなのだ。

(忘れてた、けど)

 そんな気持ちを忘れてしまうほど、長い時間を過ごしていた。どうして自分がこんな状態に身を置いているのかが、分からなくなっていた。
 それを思い出させてくれたのはこの小さな村、そこに住む人々、マリカやジェイルや、レッシンだ。

(忘れたままで、いたら……)

 そうしたらきっと、リウは自分が所持するものを全て投げ出して、数百年経てようやく得ることのできる安らかな眠りへ身を捧げただろう。もしこの村に立ち寄らなければ、ここでレッシンたちに出会わなければ、近いうちにそうなっていたかもしれなかった。
 それくらいにリウは全てがどうでも良くなってきていたのに。

「思いだしちゃったもんは仕方ない、か……」

 小さく呟いた声を聞きとめたレッシンが、「何か言ったか?」と首を傾げる。少年へ「独り言」と笑って、野菜の挟み込まれたサンドイッチへぱくり、と齧り付いた。



**  **



「はぁ? 森に入っていった? 何やってんだ、あいつ、バカじゃねーの!?」

 そろそろ今日の作業を一段落させ夕食にしようか、という時間帯。マリカからの知らせを受けたリウは思わずそう声を上げてしまった。それに「あたしもそう思う」とマリカは腕を組んだまま眉を寄せる。

「考えなしすぎるのよ、あいつは」

 どうやら森と村の境界付近にモンスタが現われたらしい。毛玉のようなそれは比較的大人しく、強くもない魔物で、追い払うためにレッシンが森へ入って行ったようだ。レッシンはディルクを中心とした村の若者や少年少女で結成された自警団に所属しており、武器の扱いを習ってはいるようだがまだ魔物を相手に戦ったことはさほどないという。何度か稽古の様子を見たことはあり、確かに彼くらいの腕ならもさもさ程度は追い払えるだろうとは思うが。

「これから日が暮れる。夜は魔物が活発になるっつーのに」
「そう、だから探しに行きたいんだけど」

 レッシンと同じように猪突猛進の気がある彼女は、本当は今すぐにでも森へ向かいたいのだろう。しかし隣に控える物静かな幼馴染二人と相談し、まずは大人に相談しに来たらしい。

「さすがマリカ。うん、お前ら二人で行くのはやっぱまずいよ。ディルクは?」
「今日はまだ戻ってきてない」
「村長には?」
「まだ言ってないんだけど……」
「……そっか、分かった」

 木材の上に座って話を聞いていたリウは、立ち上がって腕を伸ばす。軽く屈伸をして体を動かしたのち、空を見上げた。

「もうすぐ日が暮れる。村長たちには村の入口に火、焚いとくよう、頼んでくれるか?」
「火?」
「そ。魔物は火が苦手だし、帰ってくる目印にもなる」

 言い置いて、リウは森へ向かう方向へ足を向けた。

「リウが行くの?」

 心配そうなマリカの声に振りかえって大丈夫、と笑みを浮かべる。

「こー見えてオレ、やる時はちゃんとやるんだよ」
「リウ、武器は」

 訓練用の武器ならば自警団としていくつか所持している。それらを持って行けばいい、というジェイルの申し出にリウは首を横に振った。

「オレの武器はここにあるから」

 笑って指さしたのは自身の頭。

「類まれない頭脳で、無傷のままレッシンを連れて帰ってくるから」

 だから待ってて、と少年少女を残して、リウは森へと入っていった。

 徐々に闇が侵食し始めている森の中は、どこかしらぴりぴりとした雰囲気が伝わってくる。何かがおかしい、と感覚全体がリウに告げて来ていた。
 そもそもが、とリウは考える。もさもさが村の近くに現れたこと自体がおかしいのだ。臆病なあの魔物は人間がいる近くにはあまり来ない。それがわざわざ現れたにはそれなりの原因があったのだろう。餌を探すうちに迷い込んだだとか、あるいは、自分より強い何かに追われて逃げていただとか。
 ぴり、と肌を刺す感覚。まったく知らないわけではないその気配に、ため息をつきかけたところで、木々の間に薄灰色の影が見えた。

「レッシンッ!」

 名を呼べばこちらに気づいたらしい彼が呑気に近づいてくる。

「何でリウがここにいるんだ?」
「バカ、お前を探しに来たんだ」

 ぽこん、と頭を殴れば、「あー、悪ぃ」と少年はにへらと笑う。

「もさもさ追いかけてたら思いのほか奥まで行っちゃってさ。戻ってくんのに時間かかった」

 彼としてはそこまで深追いするつもりはなく、また森で迷っていたわけでもないらしい。日が暮れるまでに戻ろう、という意識はあったようで、多少急いではいたのだとか。

「ったく、あんまり皆に心配かけさすな?」

 案外あっさりレッシンが見つかったのも、彼自身が村へ戻る道を進んでいたからだ。

「つか、何か、森の様子がおかしくね? ヤバそうだからさっさと戻ってディルク辺りに相談しようかと思ってたんだけど」

 二人で並んで村へ戻りながら、レッシンはそんなことを口にする。動物的な勘とでも言えばいいのだろうか。敏感に感じ取っていたらしい少年へ、「ディルクはまだ戻ってきてねーみたいだぞ」と答えれば「そりゃ困ったな」と眉を寄せる。
 確かに困ったことにはなっている。もし仮にディルクが、あの村で一番腕の立つであろう若者がいたとしても、リウの感覚が間違っていなければ、はっきり言ってさほど意味はないだろう。この森をざわつかせている気配の元凶はそういう存在だ。
 このまま放っておいたところで村へくるとは限らず、徒に刺激はしないほうがいいのかもしれない。しかし逆に村に来ないとも限らないため、気づいたのなら今のうちに手を打っておく、ということもできるのだ。
 そこまで考え、リウはぴたりとその足を止めた。そんなことを言っていられない状況になった、と気が付いたためだ。

「…………来る」

 小さく呟いたリウを見上げ、どうした、とレッシンが言う前に、ざっと木々の枝を掻き分けて現れた存在。

「なん、だ、こいつ、魔物か!?」

 全身に墨を塗りたくったかのような真っ黒い巨大な猪のようなもの。ひとに害を成すという点で魔物と言えばそうだが、他の魔物とは根本からして異なっているものだ。

「レッシン、道の先に火が見えるな?」
「あ、ああ、見えっけど……」
「オレが走れっつったら、あれ目指して走れ。絶対振り返るな」
「は? ちょっ、リウ、どういう、」
「オレはこいつをちょっと家まで送り返してくる」
「リウ!?」

 驚いて見上げてきた少年の頭をぽん、と優しく撫でた。

「心配すんな、こー見えてもオレ、やるときゃやるのよ?」

 マリカたちへ言ったことと同じようなことを告げたのち、「走れ」とレッシンの背を押した。




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2010.07.11