月夜に剥げる化けの皮・3 レッシンを押すと同時に、魔物が現われたときからひそかに唱えていた術を発動させる。どん、と大きな音をさせて魔物の体に炎が当たるが、あまりダメージを受けているようには見えない。実際リウはダメージを与えるつもりはなく、ただこちらへあの魔物の意識を向けさせることが目的だった。 黒一色を身にまとった魔物、彼らは異界のもの。百万世界と呼ばれる、この世界とは別の場所にある異なった世界からやってきた魔物。レネゲイドと呼ばれているもの。 「お前の相手はオレ、な」 もう一度、先ほどより小さな爆発を起こして言葉を口にすれば、猪の目がリウを捕えた。 「それでいい、いい子だ」 にたり、と笑んで敵意を放つ。そういった気配には人間よりむしろ、野生動物や魔物の方がより敏感だ。こちらが殺すつもりである、ということを的確に察知し、似た感情を返してくる。 村のある方向とは逆に駆けてレネゲイドを誘導する。出来るだけ遠くへ。村への被害が全くないように、村の人間に悟られることが決してないように。 こうして魔物を相手に戦うということ自体、リウにとって久しぶりなことだった。平原や森には人間に害をなす生き物が多く住んでいる。旅をしていればそれらの相手をすることも多いが、最近はもう戦うことすら止めて逃げ一択であった。理由は単純、面倒くさいから。戦ったところで、ほぼ確実にこちらが勝つことが分かっている。そうせずとも己の命を守る方法を知っているため、それを選んでいるにすぎない。 (あいつらといると昔を思い出す) 忘れていたことをたくさん思い出させてくれたあの少年たち。彼らを守るためならば、どんな手だって打ってみせよう。 気がつけば、空は闇に覆われ、まるで穴をあけたかのような丸い月がぽっかりと浮かんでいた。 ざざざ、と木々をかき分け進み、時折背後へ火球を放って魔物をおびき寄せる。このあたりはシトロへ辿りつく前に少し歩いたためどこに何があるのかは頭に入っていた。このまま北へ向かえば、小さな池のある広場にたどり着く。そこならば広さもあるため丁度いいだろう。 水面に揺れる月を目に出来る位置までやってきたリウは、池を背後に振りかえる。鼻息荒くここまで追いかけてきたレネゲイドは止まることなくこちらへ突っ込んできた。とん、と地面を蹴る。体重など感じさせないその動作は明らかに人間の運動能力を超えた跳躍を見せ、宙に浮いている間に発動させた術をレネゲイドへと叩きこんだ。どん、という鈍い音を立てて光の玉が黒い魔物へと落ちる。 (もう少し、) 弱らせておいた方がいいだろう、とリウは右手をす、と上げた。同時に肌の上へ現れる紫色の線。普段はひとに見えぬよう術をかけているが、力を使う際にはやはりどうしても浮かんでしまう。 それは世界の記憶。 もともとリウたち一族、人間とは異なる生物であるスクライブ一族が生きていた世界の記憶。既に滅んでいるとはいえ、世界そのものであるだけに込められた力もすさまじいものを誇る。当然小さな生き物にその全てを制御できるはずもなく、リウの肉体の時間が止まっているもの、半分はこの線刻のせいだ。 先ほどの光球はリウ自身の魔力しか乗せていなかったが、今度はこの線刻が持つ力も上乗せしてもう一撃。 「死なない、か」 そのあたりに現れる魔物ならば、ここまですれば確実に息の根を止めているだろう。もし仮に相手が人間ならば一撃目の光球でさえ凌げたかどうか危うい。それほどまでに威力のある魔撃を二度も受け、それでもまだ動こうともがく魔物。 レネゲイドは異世界の魔物。完全に亡きものとするには異世界から来たものが手を下さなければならない。 「本当に、面倒くさい……」 もともとリウたちスクライブ一族は、この世界とは別の異世界で生きていた。本来の世界が滅びたのち、線刻という形を成した記憶とともに世界の欠片が融合したのがこの世界。一度融合してしまえばもうこちらの世界の存在である、と認識されるらしい。それはリウが生まれる何代も前の話で、こちらの世界にいたであろう人間とは異なる種族ではあるが、今現在リウたちもこちらの世界の存在なのである。 つまりはどれだけの力を有していようが、リウにこのレネゲイドは討伐できない。 しかしだからといって手がないわけでは、ない。 倒すだけが能ではない。肩の高さまで上げた右手をす、と真横に薙ぐ。何かを振り払うというわけではなく、強いていうならば空間を切り裂いたのだ。 その隙間から取り出したものは分厚い一冊の本。 リウが纏う線刻の比ではないほどの力が込められたこの書こそ、今現在存在している世界の記憶、この世界そのものだ。 この本を手に入れるためにどれほどの苦労を要したか、この本を所持し続けることにどれだけの苦労を要し続けているか。きっとリウ以外の誰も知らない、いや知らなくていいと思う。 これを、心根の腐ったものへ手渡したくなかった。そうなった場合の行く末がどうであるか、肌を這う線刻が教えてくれる。だからどうしてもそれだけは避けたくて、一族で大事に守ってきてた線刻を奪って、この唯一なる書を探し出した。手に入れてからは二つの記憶の力を最大限に利用し、誰からも分からぬように書を隠し持って生き続けてきたのだ。 もう二度と世界の終末を見なくて済むよう、あの言いようもないほどの混乱と恐怖と絶望に支配された世界に突き落とされぬよう。一人で、ひっそりと、誰からも理解されない、誰にも認知されない戦いを、まったくもって無駄かもしれない戦いを続けてきた。 時には交易商だと嘘をつき、時には魔術使いだと嘘をつき、時には学者だと嘘をついた。名を隠し職業を変え、素肌に走る線刻も見えぬように嘘で塗り固めた体を引きずって辿りついた先、それがシトロ村。 あまりにも長い間一人でそうしてきたため、いったい自分が何をしたかったのか、何を求めていたのか、危うく忘れるところだった。 にたり、笑みを浮かべ、光球を食らったせいで地に伏しているレネゲイドへ視線を向ける。 限界だ、と心のどこかで思っていたはずなのに、結局は騙されてしまうのだ、柔らかな光景に、温かな風景に。 線刻の光る手でゆっくりと、見せつけるように唯一なる書を開いた。 そしてまた、リウは嘘を重ねる塗りたくる覚悟を、決める。 「今宵は又格別に月の美しい夜、水面に揺れる女神がため、貴殿に道を開いて進ぜよう」 リウが所持する線刻と書は力の性質上、望んだ世界へ通じる扉を開くことはできない。しかしその力の大きさが故、無理やり空間をこじ開けることならば可能。世界の記憶を以てしても倒すことができないのならば、その存在ごと別の世界へ飛ばしてしまえばいい。 「さあ、お客人、」 お帰りは、こちらです。 滑らかな動作でリウが右手を差し出せば、レネゲイドが倒れた地面の下に捩じれた空間が現れた。異世界と異世界を結ぶ扉のような安定したものではなく、明らかに無理やり開けたとしか見えない、侵入に五体満足を保障できない穴が。 魔物の唸り声はない、抵抗して暴れる音もない。剣を薙ぐ音も、魔術を発動させた音もなく、一切の無音の中で、戦いは静かに幕を閉じた。 ぱたん、と小さな音を立てて書を閉じると同時にリウも軽く目を伏せる。 自分一人で何ができるとも分からない、どこまでできるとも分からない、しかしやれることがあるのなら、精々足掻いてみせよう、と。 そう決心した過去も既に遠い。 しかし。 滅んだ世界の記憶と、今まさに存在している世界の記憶。二つの世界を所持し、嘘の時間の中を生きてきた身体に消えていた過去がゆっくりと現れる。 「思い出したものは仕方ない、か」 守りたいのだ。 この世界を、この大地を、そこで生きるすべてのものを。 リウを温かく受け入れてくれたあの村を、心地よく受け止めてくれた少年たちを。 守りたい、と思ってしまった。 閉じていた目を開き、リウは再び右手を横に薙いだ。裂いた空間の中へ書を投げいれて閉じる。肌を彩る紫色の線刻をそのままに、ため息をついて、「村に戻れ、っつったのに」と小さく呟けばそれを聞きとめたのだろう、ざ、と背後で足音がした。 「帰れるかよ、リウ一人置いて」 出てきた少年は一切悪びれた様子を見せずにそう言う。彼は確実に今のリウの戦いを見ていただろう。少年が手を出す隙間など全くなかったことを理解しているはずなのに、どうしてそんな顔ができるのか、リウには分からなかった。 目を細めてレッシンを見やり、そこでようやく気付く。 「レッシン、お前……」 今まで感じていた彼に対する違和感はこれが原因だったのだ。線刻を纏った今の状態だからこそ、見て気づくことができた。 この少年はレネゲイドと同じ存在。 この世界の人間では、ない。 「……なんだよ」 じ、と凝視され居心地が悪いのか、あるいは気味が悪いのか。眉をひそめて睨まれ、リウはくつり、と喉を震わせた。 「いや、悪い。お前は絶対、誰に負けることもないだろうと思ってな」 「……意味が分かんねぇ」 「分からなければ言い変えよう、お前は決して、誰にも殺されない」 まるで予言のようなその言葉に、レッシンはますます眉をひそめて怪訝そうな顔をする。しかしそれでも、真っ直ぐにこちらを射抜く瞳の強さは変わらない。 変わらない目のまま、少年は問う。 「リウ、お前、何もんだ?」 ざ、と風が木の葉を揺らす。少し湿気を含んだ風、雨が近いのだろう。もしかしたらまたあの夜のような嵐が来るかもしれない。池に小さな波が起こり、ゆらゆらと蠢く黄色い月に、リウはにたり、笑みを浮かべて。 「バケモノ、だよ」 剥いだ化けの皮を月の揺れる水面の奥深くへ沈めておいた。 ←2へ ↑トップへ 2010.07.12
せっかく頂いたリクエストだったんですが、上手く設定を盛り込めてない感が。 ・リウ、20代前半、線刻は見えないように術をかけている。 ・サイナス融合時、一なる王の信奉者を出さないために真正なる一書を探しだしている。 ・一書を手に入れたのち数百年以上旅暮らし。 ・表向きは吟遊詩人、原作と同じ性格。地は輝ける遺志の書の世界の参謀と同じような性格。 ・チートなくらい強い。 ・書は普段異空間にしまってある。 こんな感じで脳内補完して頂ければ。力不足で申し訳ない。 輝ける遺志の書の世界がこちらに融合してない状態っぽいので、 ってことは、レッシンはまだこちらの世界の人間ではないのでは、と。 その場合、レネゲイドと同じ扱いだったら面白いよね。 同じ設定でまだいくつか書く予定です。 リクエスト、ありがとうございました! |