「月夜に剥げる化けの皮」「水面の底で嘲笑う」の設定です。 嫌な予感はしていた。 肌を滑る夜気がやけにざわつき、ぴりぴりとしている。頭上に浮かぶ満月は妖しげな光を放ち、それを反射した水面はどこか悲しげに波を打つ。ざ、と土を踏みしめる音を耳にし、ゆっくりと振り返った。 現れた灰色の髪の男。がっしりとした体格で腰の左右に一本ずつに刀を佩いている。 こちらを真っ直ぐに見やって男は言った。 「書を寄こせ」 マントの下から伸びてきた腕の太さに僅かに驚きながら、「……嫌だ、と言ったら?」と返す。その言葉に目を細めた男は「ならば」と口元をにやり、と歪めた。 「――力尽くで奪うまでだ」 今度は、二人で。・1 生きるか死ぬかの瀬戸際など、そう何度も経験するようなことはないだろう。 「……ちょっと前にもこんな状況、あった気がする」 「意外に落ち着いてるな、マリカ」 「ジェイルに言われたくはないわ」 幼馴染というよりは兄弟のように共に育った二人の会話を聞きながら、「勝てねぇかな、あいつ」とレッシンは身を隠している壁から顔を出して敵を伺った。 「馬鹿か、お前は! 力量を見極めろといつも言ってるだろうが!」 小声でそう叫んでレッシンの頭をひっこめさせたのは、村で指導役兼お守役のような立場にいる少年少女の兄貴分、ディルク。 「というか、お前たちは何でそんなにいつも通りなんだ。そもそもここはどこだとか、そういう疑問はないのか?」 額を抑えはぁ、と深くため息をついたディルクを見やり、子供たちは顔を見合わせて首を振る。 「だって前にもこんなの、あったしなぁ?」 「あのときの方が怖かったわよね」 「相手が人間だったから尚更な」 しみじみとそんなことを言ってのける少年たちにディルクの口元がひくり、と引きつった。 彼らは今、まったくもって覚えのない、見知らぬ町に来ていた。来ていた、と表現すれば彼らが自主的にやってきたかのように聞こえるため、より正確に表現するのならば、飛ばされてきた、となるだろうか。 「……だから近づくなと言ったのに」 「無理よ、レッシンが止まるはず、ないじゃない」 村の周辺を見回り中、平原の真ん中にぽつんとある妙な光を発見した。何か危険なものだろうか、と警戒しながら近寄るが凝視したところでそれが何か、分かるはずもない。こういう場合は村長か、あるいは最近村に流れ着いたばかりの、素性は分からないがかなりの知識を有しているあの若者へ聞いた方がいいだろう。 そう判断したディルクが、一旦シトロへ戻ろう、と号令をかける前に、「あの穴、前にも見たな」と好奇心旺盛で怖いもの知らずなレッシンが駆け寄って手を伸ばした。 「レッシンッ!」 慌てて止めるも時すでに遅く、光に触れた瞬間ふっ、と彼の姿はその場から消えうせてしまう。 「レッシン!」 追いかけて同じように手を伸ばしたディルクもまた、光に指先が触れた瞬間ぐなり、と視界が歪んだのが分かった。次に目を開けた時には見たことのない建物の並ぶ町の中におり、レッシンや追いかけてきたらしいマリカ、ジェイルの姿にほっとしたのもつかの間。 「……人の気配がねぇな」 鼻の頭にしわを寄せてレッシンが呟いたと同時に、背後に嫌な気配を覚え振り返れば、「ッ、な、にあの金色のっ!」とマリカの声が響いた。 四人の前に現れたそれは金色の狼。ぐるる、と唸り声を上げる獣は幸いなことにまだこちらに気付いている様子はない。 「――ッ、逃げるぞ!」 シトロ周辺では見たことのない魔物、どれほどまで強いのかが分からず、まだ修行途中である少年たちを守りきる自信などない。ディルクの号令で一斉にその場から去り、金色の獣の視界から外れるよう建物の影へと身を潜めた。 息を整えながら獣の様子を伺い、そうして交わされるどこか緊張感の欠けた会話。どうすればあの獣から逃げ切ることができるか、そもそもこの町はどこなのか、どうすればシトロへ戻ることができるのか。 考えなければならないことは多々あるが、まずは身を守ることが第一だろう。 いざとなれば自分が囮となり、せめて子供たちだけでも、と腰に佩いていた剣の柄へ手をかけたところで、人の悲鳴が耳に届いた。 「なんだっ!?」 「あ、ちょっとレッシン!」 驚いたディルクの声に、マリカの声が重なる。飛び出したレッシンを追いかければ、案の定、金色の狼の前にへたり込んで震えている男の姿。魔物の牙が今まさに男へ突き刺さろうとしているところで。 「っのやろっ!」 レッシンが投げつけた小石が見事狼の顔へヒットした。 「あのバカ……」 駆け寄りながらディルクが呟いたが、レッシンのあの性格はもう治らないだろう、と幼馴染二人はどこか諦めてもいる。ここでぐだぐだ言うよりはまず、彼一人だけを危険に晒さないことだ。 「早く逃げて!」 マリカの言葉が聞こえてはいるが、牙を剥く獣を前に足がまともに動かないのだろう。簡素なものとはいえ鎧を纏っているため、兵士かなにかだとは思うのだが。 「マリカ、あの男を頼む」 とん、とジェイルがマリカの背を押し、自分はレッシンの隣へと並び立って拳を構えた。横から飛んできた石に狼の敵意は当然ながらレッシンへと向けられている。 「お前たちはほんとに無茶ばっかりだなっ!」 教育の仕方が悪かったのか、と怒鳴りながらもこうなってしまっては逃げ切ることはできない、とディルクもまた武器を構えた。 獣と対峙してみたはいいが、畑を荒らすもさもさとは種類が違う。肉食獣の姿を持っているだけあり、より凶暴でもあるだろう。 「ッ、く、っそ、早ぇ!」 「レッシン、無理するな!」 「でもディルク……ッ!」 飛びかかってきた獣を地を蹴って避け、構えた得物で切りかかってみるが簡単に交わされる。レッシンたちとて、今までままごととして武器を振り回してきたわけではない。弱い魔物相手とはいえ実戦経験だってあるわけで、戦うセンスはある、とディルクは思っていた。そんな彼らだからこそ気づけただろう、今の自分たちではこの獣には敵わない、と。 やはりここは自分が囮になって、とそう思ったところで。 「……来た」 獣の爪を飛び避け、ざ、とディルクの隣へ着地したレッシンが小さく呟く。彼の視線の方向を追えば、そこには奇妙な風景があった。 「なんだ、あれは……」 呟いたディルクの言葉に誰かが返事をする前に、まるで水面に広がる輪のように歪んだ空間から現れた二人の人物。 「あら、なかなかのピンチみたいね」 「なんで毎回こーなってるかなぁ」 頬に手を当てどこか呑気に呟いたのは、先日レッシンたちを村まで送り届けてくれた細身の女性。確かディアドラ、という名前の術師だったように思う。その隣でふぅ、と溜息をついたのは。 「リウ、お前、なんでここに……」 ディルクの言葉を聞きとめたのか、彼はこちらを見やってにへり、といつものしまりのない笑みを浮かべた。 「まあ、そこはいろいろ手があんの。とりあえず話が出来る環境を整えるから」 2へ→ ↑トップへ 2010.09.17
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