バイオレント・プリンセス 前 何か目的があったわけではない。時間が空いたため、乗馬でもしようかと思ったのだが、生憎と今日は馬の機嫌が悪そうだった。馬屋番にしきりに謝られたが、たとえ言葉を使えずとも相手は生き物だ、そういう日もあるだろう。どうしても乗りたいわけではなく、諦めたはいいが、結局時間を潰す方法を思いつかない。そのままふらふらと馬屋から綺麗に整えられた庭を抜け、フレンは更にその奥へと足を進めた。 ちょうど城の裏側にあたる辺りは、ここを居とするフレンでさえあまり訪れたことがない。むしろフレンだからこそ、とも言えるかもしれない。金髪碧眼に優しげな美貌を有する彼はこの国の第一王位継承者であり、まさに絵にかいたような王子様そのものであった。 城の中とはいえ、王族が共も付けずに一人で歩き回ることは珍しい。ときにはこういう時間も必要だ、と思いながら木々がそびえ、草花の揺れる庭園を歩いていたところでがさっ、と物音が耳に届いた。足を止めてくるりと周囲を見回すが人影はない。腰に佩いていた剣へ左手を添え、いつでも抜刀できるように身構えたところでもう一度、がさりっ、と木の葉をかき分けるような音。出所を探れば、右斜め前の大木からのようで。 誰ぞ身を隠しているのだろうか、表情を険しくしてそちらを見やれば、「う、わっ! 引っ掻くな、バカ!」という声が聞こえた。枝の間からにょっきりと足が生え、そのまますとん、と降りてきたのは城の女給仕。ひざ下までのスカートであるにもかかわらず、彼女が木に登っていたのは胸元に抱えた子猫のためだろう。 「あんたも、殺気放つの止めろ、こいつがおびえ、ん」 だろ、と続けられる予定だった言葉を留め、乱れていた髪と服装を簡単に整えた彼女は、「失礼いたしました、フレン様」と笑みを浮かべてみせた。あからさまな愛想笑いに、いっそ清々しささえ覚えてしまう。 腰まである黒い髪の毛を緩やかに結い、すらりと長い手足は透き通るほど白い。す、と通った鼻筋に桜色の唇、何より印象的だったのが、王族であるフレンに対しても引く様子を見せない意思の強い紫の瞳。 「これは失敬」 くすくすと笑いながら剣から手を離し、「そちらへ行っても良いだろうか」と彼女へ問う。散策用にレンガでしつらえられた歩道から離れた場所にいた彼女は、肩をすくめて「どうぞ、ご自由に」と答えた。 「この子はあなたの?」 彼女の胸に抱かれたままの子猫へ指を伸ばしながら問えば、「いいえ」と首を振られる。 「逞しくも城の庭にもぐりこんだはいいものの、あまりの広さに迷子になった挙句、木に登って下りられなくなった、ただの間抜けな野良猫ですわ」 すらすらとそう述べる彼女へ、「まるで見てきたように言うね」と口にすれば、「八割が想像ですけど」と返ってきた。おそらく木に登って下りられなくなった、という部分だけが事実なのだろう。まったく悪びれる様子もない彼女に思わず苦笑を浮かべたところで。 「あっ」 「ッ」 急に暴れ始めた子猫ががりっ、と爪を立てて彼女の腕の中から抜け出した。地面へ飛び降りた彼(あるいは彼女)はたたた、と軽やかな足取りで歩道の方へ向かい、また別の茂みへと入り込んでいく。 追いかけた方がいいのだろうか、と思ったが、彼女にそのつもりはないらしい。自分で保護をするつもりでも、城の外に追い出すつもりでもなく、ただ単に下りられなくなった子猫を助けただけだったのだろう。 ひらひらと痛みを飛ばすように振られる彼女の右手には、子猫が引っ掻いた爪痕がくっきりと残っている。色が白いため、その赤さがより目について、痛々しさに眉が寄った。 「う、わっ」 再びの小さな悲鳴を耳にし、はたと気づけば、彼女の手を取り唇を落としているところだった。自分の行動に驚きながらもぺろり、と赤い傷を舐めれば、びくりと彼女が身を強張らせる。 「…………これが王族の間では常識なのか?」 「いや、違う、けど。痛そうだったから、つい」 顔を上げたフレンはごめん、とそう謝罪を口にした。 「つい、で舐めるか、普通、人の手を」 若干頬を赤らめて憮然としたまま彼女が言う。確かにその通りだ、しかも女性の肌にこうも簡単に触れるなど、失礼にもほどがあるだろう。言葉づかいが崩れているところから、双方ともかなり動揺しているようだ。 もう一度ごめん、と口にしたところで、互いに顔を見合わせ小さく吹き出した。 「ええと、君は城の侍女だよね。名前は?」 砕けた口調のまま問えば「ユーリですわ、フレン様」と返ってくる。 「……その言葉づかい、疲れそうだね」 「ええ、舌が縺れそうですわ。できれば口を開きたくないくらいですの」 「それは僕とは話をしたくないっていう意味?」 「普通に話す許可をいただきたいという意味ですわ」 まったく物怖じしないその言い方に、「さっきは普通に話してたじゃない」と笑いながらどうぞ、と言えば「助かる」と一気に口調が砕けた。 「で、王子様がこんなとこで何やってんだ?」 首筋にまとわりつく黒髪を後ろへ流し、ユーリはそう尋ねてくる。地の彼女の口調がさばさばしているどころか、いささか男じみて乱暴だというのは、一番初めに声を掛けられた時点で気付いてはいた。 「何って、時間が空いたから散歩を」 「そりゃ、ずいぶんと無意味な暇つぶしだな」 呆れたように肩をすくめたユーリへ、「そうでもないよ」とフレンは笑みを浮かべる。 「お陰で面白い猫と可愛いひとに出会えた」 フレンの言葉を耳にし一拍ほど間をおいて、「…………猫とひとが逆じゃね?」とユーリは首を傾げた。 ** ** フレンが時間を作って裏庭へ足を向けてみれば、半分くらいの確率で侍女ユーリと会うことができた。話を聞けば、清掃の担当がこの周辺らしい。彼女はかなり要領のいい方らしく、決められた時間前にさっさと終わらせては残りの時間でゆっくりと庭を歩きまわっているのだとか。少し刃の毀れた剣を振り回している姿を見かけることもあり、荒いが鋭い身のこなしに感心したくらいだった。 「ほんとは兵士希望だったんだけどさ。女は駄目だって」 「……それは、そう、だろうね。剣は誰かに教わったりしたことが?」 「ここで働く前に少しな。やっぱり身体動かすの、好きだし」 しかしだからといってきっちり剣の訓練をするほどまで時間は取れないのだろう。仕事の合間を縫っては、剣を振り回しているらしい。 「でもだからって、何もその服でやらなくても」 「このまま暴れられた方が、なにかあったときに便利だろ?」 「いや、一応城のなかだからね、ここ。暴れなきゃならないことには、そんなに遭遇しないと思うよ?」 そう突っ込めば、そりゃそうだ、とユーリは呵々と笑う。そして「いちいち着替えるの、めんどくせぇじゃん」と本音を口にした。 彼女は動くためには邪魔であったスカートの裾を、膝の少し上のあたりで一つに絞り、結んでいる。白く細い足が惜しげもなく晒されている状態に始めは驚いたが、その内に慣れてしまった。それを解いて皴を伸ばしながら、「そういえばさ、」と思い出したかのように口を開く。 「お前、結婚するんだって?」 それに触れられるだろうとは思っていた。発表があってまだ数日しかたっておらず、国内中その話題で持ちきりだ、と言う。苦笑を浮かべ、「まあね」と肩を竦めれば、ユーリは眉を寄せてじ、とフレンを見つめた。 「おめでとう、って言おうかと思ってたけど、どうもそんな顔じゃねぇな」 言動ががさつである割りに、彼女は人の感情を察するのが上手い。フレンの雰囲気からすぐにそれと気づいたらしく、「隣国の第二王女、だったっけか」と相手を呟いた。 「おしとやかですげぇ美人だって噂だけど」 もしかしてすっげぇブスなのか? その推測には思わず声を上げて笑ってしまう。 「いや、違うよ。二度ほどお会いしたことがあるけど、綺麗な桜色の髪をした、美しいひとだった」 「じゃあいいじゃん」 「や、ユーリ、結婚って容姿だけが問題じゃないからね、普通。僕たち王族だと、それが役目の一つみたいなところもあるし」 フレンの言葉に「あぁ、そりゃあ、なぁ」とユーリも腕をくんで頷いた。 「仕方ないと割り切るけどね」 ただ何もせずに与えられるものに胡坐をかいているなどできるはずがなく、王家のものとして不自由なく暮らせている分、責任を全うするべきである。それが内政であったり外政であったりするだけの話で、隣国との同盟強化もまた国として必要なものだとフレンも理解していた。 「……お前、いい王さまになるよ」 王族であるということを盾にはせず、かといって放り投げもせずにしっかりと責任を受け止めている。彼の誠実さは本物だろう、と言葉を交わしていくうちにユーリはそう思う様になった。 「幸せにな」 ふうわりと、珍しく優しい笑みを浮かべて言う彼女へ、「ありがとう」とフレンも返す。 「ユーリも早く、良いひとを見つけるんだよ」 「うっせぇ。余計な世話だ」 「君、見た目はすごくきれいなのに、言葉づかいで損してるよね。せめて一人称を『私』にしたら?」 「あー、初対面のヤツの前だとちゃんと『私』って言ってるぞ」 そうして続けられるその会話が表面的なものである、と二人ともが分かっていた。 心の奥底に抱いている本音、こうして顔を合わせて話をするたびに惹かれ始めているのだ、という事実。互いに自身の感情も相手の感情もなんとなく察しているにもかかわらず、二人ともが決してそのことを口にしようとはしない。 伝えたところでどうしようもない、と。 そのことを理解している。 だから仄かに抱き始めた恋心をなかったものとし、二人は飽くまでも仲の良い友人のふりを続けるしかなかった。 後へ→ ↑トップへ 2010.10.19
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