氷点下の激情・序 自分がどこか人と違っていることはよく知っていた。 記憶がないから、といった基礎だけでなく(おそらくそれが原因ではあるだろうけれど)、それ以外にもちょっとおかしいのではないだろうかと思うことは多かった。 しかし、だからといってそれが治るわけでもなく、直せるならぜひ直してもらいたいがどこに修理を頼めばよいのか分からないのが現状。ならば、それを人に気付かせることなく上手く渡り合っていけば良い。 その結論に至るまでそう時間はかからず、実際そうすることで今まで何とかやってこれていた。 人が笑っているのは面白いから。あるいは楽しいから。 人が泣いているのは悲しいから。あるいはときに嬉しいから。 みんなが笑っているのなら合わせて笑っておけば問題にはならず、泣いているのなら一緒に泣けばいい。単純なことだ。 新しい場面に出会ったら周囲をよく観察し、一番適しているだろう反応を真似すればよい。 そうしていくうちに、そのうち大体のパターンを理解しどんな状況でもちぐはぐな反応を返すこともなくなっていった。 だからエイトは今、非常に久しぶりに困惑していた。 どんな反応をすれば良いのか分からない、このパターンは今まで自分が経験したことがないもの。 参考となるべき他人は周囲におらず、この部屋の中には彼と、エイトの二人きり。 今日は部屋に戻ってこないものだとばかり思っていた。 だいたい機嫌が悪いときに彼が大人しく宿屋にいることはない。どこで何をしているのか、聞かずとも分かる。それで彼の気がすみ、翌日からまた今までどおりに旅をすることができるのなら口を出す気もまったくない。好きにすればいい、率直に言えばそういうことだ。 今日の昼間。聖地ゴルドで彼の腹違いの兄に出会った。 家族、というものがそもそもどういう存在で、人々の中にどういった位置を占める概念なのか、エイトにはいまいち理解できない。初めからそういう存在を持っていなかったのだから、それも当然かもしれない。 だから、ここまで彼があの兄に固執することも分からなかったし、彼の兄がここまで彼を憎んでいるその理由もよく分からなかった。 分からないことだらけのその状況に適切な対応ができるはずがない。 もし、今の彼の考えをゼシカあたりに話していたとしたら、恐らく彼女はこう言うだろう。 「あのね、エイト。どんな状況であっても『適切な対応』が確実にあるとは限らないのよ? たとえそれがあったとしても、人は万能ではないの。それを知ることができるかどうかはまた別の話」 悲しいかな、エイトは誰もが『適切な対応』を求めて考え、時には失敗をするという事実を知らなかった。自分だけが分からないのだと、そう思い込んでいた。 誰も彼に教えなかった。たった一言「みんな同じなのだ」と、そう言ってやればエイトは気付けただろう。 悲しい偶然が重なった、としか言いようがない。 ククールが彼の兄との確執で非常に苛立っていたこと。 間違いを正す存在がエイトの側にいなかったこと。 そして、今までどおりにするしかないというエイトの判断が、決定的にまでこの場合の『適切な対応』とかけ離れていたということ。 やはり自分はどこかおかしいのだ。 自分が『普通』の人だったら、きっと彼はここまで怒ることもなかったに違いない。 ククールに組み敷かれたまま、エイトはぼんやりとそんなことを思っていた。 1へ→ ↑トップへ 2005.01.31
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