憂鬱の原因・後


 突然黙り込んでしまったククールを、エイトは不思議そうに眺めていた。
 その表情は険しく、いつもの飄々としたものではない。
 何か考え込んでいるのだろうか。そう思うが、その内容がエイトに分かるはずもなく。

 ようやく運ばれてきた料理を取り合えず胃へ収めようとしたそのとき、隙を突いてククールがエイトの手を振り解いた。
 しまった、と思いはしたものの、確かに彼が言うようにあのままでは食事がとりにくい。今回の嫌がらせはこれくらいにしておくかな、と考えていたエイトの横で、突然ククールが立ち上がった。

「え? あ、おい! ククール、お前飯は?」

 そのまま食堂を出て行こうとする彼の背中へ声をかけるも、返事はなかった。


「……なんか俺、また怒らせるようなこと言った?」


 首を傾げるもエイトに分かるはずがない。
 彼には人の心情を想像する能力が圧倒的に不足しているのだ。
 ただ、今の状況でククールと会話を交わしていたのはエイトだけであるし、それを考えると急に彼が不機嫌になったその原因もエイトにあると思われる。それが一体なんなのかが分からないことにはどうしようもできないが、嫌がらせをしすぎたのかな、と思った。

「こんくらいで怒らなくてもいいじゃん……」

 呟くもそれに答えてくれる人はおらず。
 とりあえず出てきた料理を片付けよう、と、エイトは黙々と食事を続けた。


***


 エイトが宿屋へ戻ると、入り口近くの部屋で子供の相手をしているゼシカの姿があった。
 彼女はエイトを見つけると子供に断ってからこちらへ駆け寄ってくる。

「あんた、またククール怒らせるようなこと言うか、するかしたでしょ」

 開口一番そう言われ、エイトは言葉に詰まった。
 どうやら彼女は戻ってきたククールを見かけたらしい。彼はあれから酒場へは行かず真っ直ぐここに帰ってきたようだ。
 エイトが彼に嫌がらせをしていたことは彼女も知っている。あれくらいならばいつものことで、ククールも既に慣れていたはずだ。だからあれ以上の、彼を怒らせる何かをエイトがしたに違いない、と。

 その通りだとは思うが、エイトにはそれが何であるのか想像ができない。
 事の次第をゼシカに伝えると、彼女も「やっぱり嫌がらせのし過ぎじゃない?」と首を傾げた。

「あれくらいで怒んなくてもいいじゃん」

 食堂で一人呟いたことをもう一度言うと、「何事にも限度ってもんがあるのよ」とゼシカに諭される。
 悪戯だか嫌がらせだか判断がつかないようなことなら、何度となくククール相手にやってきている。あまりに度がすぎた、ということだろうか。今までもただ我慢をしていただけだったのだろうか。それとも、今回の嫌がらせに我慢ができなかっただけだろうか。

「いくらククールが付き合いが良くて、ノリが良くても、やっぱり我慢できないことってあるはずよ。構ってもらいたいのは分かるけど、それで嫌われたら意味がないでしょう?」

 そう言われるも彼に嫌われる、という状態がよく分からなかった。人を嫌う、ということがエイトの中では抽象的すぎて理解できていないのだ。
 首を傾げたエイトにゼシカは苦笑を浮かべる。

「じゃあ、ずっとククールがあんな風に怖い顔して、エイトの相手をしないままでもいいの? あんたがいくらボケても突っ込んでくれないの」

 尋ねられてエイトは勢いよく首を横に振った。

「それはヤダ。絶対やだ。っていうか困る」

 彼が相手をしてくれなければ、一体誰を相手に悪戯を仕掛ければいいのか。ボケても突っ込みを入れてもらえないことの、なんと空しいことか。それだけは耐えられない。
 そう否定するエイトの頭へ手を置いて、ゼシカは「じゃあ」と言葉を続けた。

「部屋行ってちゃんと謝ってきなさい。ククールだってエイトのことを嫌いじゃないんだから、謝れば許してくれるはずだから」

 優しくそう言われたら頷かないわけにもいかず。
 エイトはこくりと首を縦に振ってから、ゆっくりと部屋へと戻った。

 どうして俺とククールはこんなにも相部屋になる回数が多いのだろう。

 エイトは偶然だと思っているが、ククールは以前運命だということを言っていた。言った本人も本気ではなくふざけてはいたが、ここまで続くと本当に運命なのではないか、と疑いたくなる。

 扉の前で立ち止まると一度ため息をついてから、エイトは意を決してドアをあけた。




 綺麗な銀髪を持つ彼は、ベッドに体を投げ出して窓から空を見上げているようだった。
 エイトが入ってきても視線を向けることもない。

 やっぱり怒ってる、んだろうなぁ。

 ため息をつきたかったがそれを聞きとめられ、彼の機嫌がさらに降下する可能性もある。それに気付いてエイトはそのため息を飲み込んだ。こうして己のうちにため息を溜め込むことを続ければ、そのうち体がおかしくなるのではないだろうか。

 バンダナを取り外し、トーポをサイドテーブルの上へ乗せてやってから黄色い上着を脱ぎさる。

 このまま寝ちゃおうか。

 面倒くさくなってそう思うも、ゼシカの言葉が頭の中でよみがえった。
 このままで困るのはどう考えてもエイト本人なのだ。何とかして現状を打開しないことには始まらない、そう思うが、それでも何を言っていいのか分からない。
 またここで言葉の選択を間違えて、さらに彼を怒らせる可能性だってある。

 いや、自分の場合その可能性が非常に高い。エイトはそう思っていた。
 想像力が足りない彼は言っても良い言葉と、言うべきではない言葉を判断することが非常に苦手なのだ。考えなしに何かを言って相手を怒らせる、ということなど日常茶飯事。それで取り返しのつかない失敗をしてしまったこともある。
 失敗をして自分が傷つくのならまだいい、その傷を糧にこれ以上傷つかないようにすればいいだけだ。しかし、相手を傷つけてしまった場合、どうしたらいいのかエイトには分からないのだ。確実にこちらのせいだというのに、傷を抉るような言葉しかかけられない。

 どこまで馬鹿なのか、と。

 自分で呆れはするが、それでもその能力はなかなか上達しなくて。


 うん、でもこのままじゃ駄目なんだし、どうせククールはもう怒ってるんだし。

 謝るだけなら、とエイトは腹をくくって、彼の方を振り返った。
 彼は先ほどと同じ体勢のまま動いている気配はない。ゆっくりと近寄ってベッドの側に立っても、ククールはこちらに顔を向けることさえしなかった。

 もう顔見るのも嫌だってことかな。

 そう思って、戻ってこない方が良かったのかなと考える。
 しかしそういうことも直接聞かなければ分からない。もしそうであるならさっさと部屋を出て行けばよいだけで、とにかく少しの間だけククールに我慢してもらおう、とエイトは口を開いた。

「ククール、ちょっといい?」

 尋ねてようやく彼はこちらを見る。
 その青い目は確実にエイトの方を向いているのに、どうしてだかそこに自分が映っている気がしなかった。

 あのときと一緒だ。

 エイトはそう思う。
 あの、混乱してしまったククールが向ける視線とまったく同じ。
 つきり、とどこかが痛んだような気がしたが、それを無視してエイトは言葉を続けた。

「え、とさ。その……ごめん。俺また何かやり過ぎるか、言い過ぎるかしたんだよな」

 何をしたのか分からないけれど、きっと悪いには自分の方。
 原因も分からずに謝るのは、酷く情けないと思うけれど。

「ククールがさ、触られるのが嫌だってんなら、もうしない。もし今までずっと我慢してきたって言うなら、悪戯するのも止めるから。だから、とにかくごめんなさい」

 彼の顔を見ずにそう言って頭を下げる。
 返答はない。
 答えたくないくらい怒っている、とそういうことだろうか。

 今度こそため息を飲み込むことができずにはぁ、と吐き出すと、「ごめん、俺、寝るわ」と背を向けた。



 ふわり、と空気が動く気配がし、そのすぐあとにぐいと腕を引かれる。

「う、わ」

 突然のことにバランスが崩れ後ろへ倒れこみそうになったが、それをベッドと柔らかい腕に支えられた。

「ククール?」

 尋ねるも、彼は後ろから抱き込むような体勢なので顔を見ることができない。頬に銀髪が触れ、ククールが肩口に顔を埋めているのだと気がついた。
 それはまるで、泣いているかのような姿勢で。

「……ククール、俺、また何かした?」

 心配になって尋ねる。
 こういうのはきっと自分で気が付かなければならない。傷つけた本人に尋ねるなど、言語道断だ。
 しかし今のエイトにはククールに尋ねる以外に道がなかった。思えば、どんなときでも彼に尋ねていたような気がする。
 そういうところでも頼りすぎていたのかもしれない。

 考えれば考えるほどククールには迷惑しかかけていないことに気付いて、エイトは自己嫌悪のため息をついた。

 それもそうか、あんだけ振り回してたらな。

 今さらのようにそう思う自分がずいぶんと間抜けだ。
 そう思ったエイトの耳に、ぼそりと小さな声が届く。それがククールのものであることに気付くのにかなり時間がかかった。

「悪ぃ、お前に腹立ててるわけじゃねぇんだよ」
 単純な自己嫌悪だから。

 ククールはエイトの肩口に顔を埋めたままそう言った。

「自己嫌悪?」

 どうして彼がそんな状態に陥っているのか、エイトには全く分からなかった。鸚鵡返しにそう尋ねると、ククールは「ああ」と低く答える。

「オレは覚えてねえけど、混乱したままお前に攻撃したんだろ?」
「いや、でもだってそれは……」

 それは戦闘中ならば誰だって陥りうる状態なのだ。それを彼が理解していないはずがない。現に先ほどエイトが「攻撃された仕返しだ」と嫌がらせをしていたときも、「どうして自分が」と不服そうな顔をしていたではないか。
 あの短時間で宗旨替えでもしたのだろうか。
 エイトの言いたいことが伝わったのだろう、ククールはゆっくりと首を振った。銀髪が頬をかすめる。

「うん、別にな、そりゃ皆あることだし、こんなことでいちいち落ち込んでも仕方ねぇとは思う。でもさっきお前言ってたじゃん。『回復してなかったからやばかった』って。そういえば思い返してみれば、あのときお前、そうとう体力的にやばかったよな。とっさに回復魔法かけたけどさ」

 そこまで言って、ククールはエイトを抱きこむ腕に力を込めた。
 その時になってようやくエイトは、彼が何に傷つき、何に腹を立てていたかを知る。

「ごめん、ククール、俺別にそういうつもりで嫌がらせとかやってたわけじゃ」

 そう言うエイトの言葉をククールは「分かってる」と遮った。

「分かってる、どうせお前はそこまで考えちゃいねぇだろうさ。たださ、下手したらオレがお前にとどめをさしてたのかって思うとな」

 沈んだその言葉を聞き、エイトはやはりまた自分は間違えたのだ、と思った。

 彼は基本的には優しい人なのだ。
 頭のいい人だから、たとえ混乱して仲間を傷つけたとしても割り切ることができる。けれど優しい人だから、それがもしかしたら仲間の命を奪っていたかもしれない、という事実に酷く傷つく。

 そんなつもりではなかった。
 いつもそうだ、彼を傷つけるつもりなどまったくない。
 それでも結果的にこうして傷つけてしまっているのは事実。
 やはり、たとえククールが嫌だと言わなくても、彼に必要以上に関わるのは考えた方がいいのかも知れない。
 そう思って、エイトはまた小さく「ほんと、ごめん」と謝った。




「……なんでお前の方が泣きそうな声なの」

 そう声がして、ようやく顔を上げたらしいククールがこちらを覗き込んでくる。
 自分は今酷く情けない顔をしているだろう。そう思うと見られるのがいやで、エイトはふいと顔をそむけて「だってさ」と言葉を紡ぐ。

「だって、俺、別に怒ってるわけじゃないんだ、お前に攻撃されたこと。そりゃ心配したし、大変だったけど」

 ただ、どうしてだかあのとき、酷くいやだと、そう思ったのは確か。あとで覚えてろよ、そう思ったのも確か。
 その思いのまま嫌がらせしてしまったけれど。

「でも、お前を傷つけるつもりもなかったんだ」

 彼が優しい人だということは知っていたのに。
 あんな風に言えば、優しい彼が気にしないはずがないのに。
 その予測さえできずに言葉を発してしまった。やはり自分は馬鹿なのだ。少し考えれば分かったはずなのに。

「俺、やっぱり駄目だな、人と話すの。傷つける言葉しか出てこねぇの」

 話すたびに彼を、仲間たちを傷つけてはたまらない。
 そう思って言うと、何故か抱きしめられる腕に力が入った。

「だからって、これから話さないようにする、とか言い出すなよ」

 今まさに考えていたことを言われ、エイトは驚いて顔を上げて振り返った。
 「でも」と言いよどむエイトの口を抑えて、「でももなんでも、」とククールは言葉を続ける。

「オレが凹んでるのは、自分の行動に対して。別にお前の言葉が原因じゃない」
「でも、俺が」
「だから、でもも何もねぇっての」

 再び言葉を遮って、ククールは青い目を細めた。

「たとえお前の言葉に傷ついたとしても、お前と会話できないよりはマシだ。多分みんなそう思うぜ?」

 みんな、とはおそらくゼシカやヤンガスをさすのだろう。
 彼らもそう言ってくれるだろうか。ククールのように言ってくれるだろうか。
 不安げに瞳を揺らすエイトにククールは微笑んで「絶対そう言う。オレが保証するよ」と強く言った。

「それにな、オレは多少お前に傷つけられても全然かまわねえんだよ」
 あとでお前にこうして慰めてもらうから。

 そう言ってククールは眦と頬と、唇に一つずつキスを落とす。

「これくらいで慰めになるの?」

 不思議に思って尋ねると「この先もさせてくれれば十分に」とククールは笑った。

「でもこういうのはオレ専用な。他のやつにはやんなよ」

 だとしたら、他の人を傷つけてしまったときはどうやって慰めればいいのだろう。ゼシカやヤンガスへ何かいらぬ言葉を掛けたり、してしまったりしたときはどうすればいいのだろう。
 それを尋ねようと口を開いたが、考え直してまたすぐに閉じた。

 それくらいは自分で考えよう、自分で考えなければ意味がない。
 いつその方法を見つけることができるかは分からないけれど。もしかしたらいくら考えても分からないかもしれないけど。
 そうなれば今のククールみたいに、本人に直接聞いてみればいいのだ。どう慰めればいいのか。


 そう考えて少しだけ安心したエイトは、ごそごそと自分の体をまさぐり始めた彼に向かって、「なんか俺って自分の体、安売りしてねえ?」と尋ねた。

 「してないしてない、こっちは高く買い取ってるつもりだぜ?」

 いつもの彼が浮かべる笑みを浮かべてこちらを覗きこんできたその青い瞳には、ちゃんとエイトの姿が映りこんでいて。



 もしかしたら、あのとき、彼の目に自分が映っていなかったことに腹が立ったのかもしれない。


 エイトはふとそう思った。





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2005.02.08








珍しくラブラブ。
二周目のドン・モグーラ戦でククールが混乱してエイトに攻撃したことは事実ですが、一周目じゃあ混乱したエイトさんがククールさんにとどめをさしてます。爆笑しましたけどね、そのときは。
しかしうちのエイトさん、すごい勢いでククールに依存してますな。