小さな綻び・前


 夢を、
 見ていた。

 遥か遠くの過去の景色か、
 それとも願望が生み出す幻の景色か。

 ぼんやりと浮かぶその情景はどこか懐かしく、
 そしてどこか冷たかった。

 己の夢にさえ拒絶されるのか、とそう思ったと同時に、
 目が覚めた。





 うっすらと開いた目に飛び込んできたものは見知らぬ天井だった。ここはどこだろう、とぼんやりと考える。どうして自分はこんなところで横になっているのだろうか。

 体を起こして周囲の状況を確かめなければならない。眠っている場合ではないのかもしれない。そう思うがそれでも体は思うように動かず、エイトは再び沈みそうになる意識を叱咤してとりあえず寝返りを打った。体を横にすればせめて天井以外の物が目に入るだろう、その彼の思惑は的中し、左を向いてそこに丸くなって眠っているものに気が付いた。
 ぴくりとも動かず眠っているトーポを見ているとなんだか不安になってきて、ゆっくりと手を伸ばす。

「トーポ」

 名前を呼んで、背を撫でる。よほど眠たいときでなければ、大体はこれで目を開けてこちらを見てくれるのだけれど。

「……トーポ?」

 もう一度名を呼んでみるが、小さな体が動くことはない。
 いやな想像が頭の中を駆け巡り、エイトはがばりと身を起こす。途端、頭の血が一気に流れ落ちたようにくらり、と眩暈がしたが、それを押さえ込んでエイトはトーポを抱き上げた。

「トーポ、トーポ!」

 何度呼んでも彼が起き上がる気配はない。

 思い出した。そうだ、自分たちは確か雪崩に巻き込まれたのだ。初めて見る雪国と猛吹雪。結構辛いなぁ、なんてどうでもいいことを思いながら歩いていたところで、急に崖の上から奇襲を受けた。それが魔物だったら良かったものの、雪という自然が相手だったものだからこちらはなす術もなく。
 ここでこうしてエイトが寝ていたということは、あの雪崩から救出されたということだろうか。仲間たちはどうしただろう。王や姫は少し離れたところにいたから大丈夫だと思うけれど。

 トーポを抱いたままベッドから足を下ろし、立ち上がる。またくらりと眩暈が襲ったけれど、いちいち自分の体に構っている余裕はなかった。
 ベッドが幾つか並んでいる室内には自分以外に人はいない。扉が一つ目に付いて、エイトは迷わずそちらへ向かった。
 広がる廊下、右に行けば隣の部屋へ、正面には階段があり二階へと続いている。二階から漏れる明かりに目を細め、エイトは手すりにすがるようにして、ふらつきながら階段を登った。

 パチパチと音を立てて炎が揺れる暖炉に、本棚、大きな机。殺風景ではあるが暖かいその部屋に仲間たちが揃っている。彼らの顔を見て、エイトはようやく安堵を覚える。良かった、みんな無事だったのだ、と。

「兄貴っ! 大丈夫でがすか!?」

 ヤンガスがこちらに気が付いて声を上げる。「エイト、ようやく起きたのね」とゼシカの声も重なった。
 どうやら彼らに心配をかけたらしい。謝らなければな、と思いはするものの、エイトは今それどころではなかった。

「トーポが動かないんだ」

 泣きそうな声だ、と自分でも思う。
 震える手で動かないトーポを皆の前に差し出すと、いつの間にか近寄ってきていたククールがひょいとそれを取り上げる。
 丸くなっているトーポの首筋や腹、小さな手足のあたりへ指を這わせていたが、しばらくして「大丈夫、眠ってるだけだ」とこちらへ返してきた。

「でも、名前呼んでも起きない。撫でても起きないし、前はそんなこと」

 エイトがそう言うと、ククールは「ネズミだし、冬眠でもしてるんじゃねぇの」と簡単に言う。
 ネズミは冬眠をする動物だっただろうか、そもそも今までに何度もトロデーンで冬を越してきたがトーポは冬眠をしていただろうか。
 反論しようと口を開きかけたところで、側からゼシカが手を伸ばしてきた。

「暖炉の前で暖めてあげる。冬眠だとしたらそれで起きるかもしれないでしょう?」

 彼女はそう言ってトーポを抱えると、暖炉の前へと移動した。そこには先客がいたが、彼(だと思う)は文句も言わずにのっそりと起き上がってゼシカへ席を明け渡す。

「そ、それよりも兄貴! お体は大丈夫なんでがすか? 兄貴だけ起きてこないから、アッシはもう心配で心配で!」

 トーポを見やっていたエイトへ、ヤンガスが心配そうな顔でそう言ってきた。

「ああ、うん、大丈夫。悪い、心配かけた」

 ようやく謝ることができたのだが、そのエイトの手を横か取り上げる人間がいた。触れると同時にククールは「うわ」と小さく声を漏らす。

「お前、これ人間の体温じゃねぇよ。どうやったらここまで指先が冷えるの」

 眉を顰めて放たれた言葉に、ヤンガスも「失礼しやす」と断ってエイトの指先に触れてくる。

「あ、あ、あ、兄貴! 兄貴が死んじまう!」
「いや、死なねぇって」

 あまりの冷たさに蒼白になって叫んだヤンガスへ、とりあえず突っ込みを入れておいた。勝手に殺されてはたまったものではない。

「エイト、とりあえず薬湯もらって飲め。体が温まるぞ」

 オレたちはあの婆さんに助けられたんだ、とククールが指差して、初めてエイトは彼女の姿を目に止めた。助けてもらったその存在を一切意識していなかった、というのはずいぶん失礼なのではないだろうか。
 とりあえず礼を言わないと、と彼女の方へ近寄ると、老婆は「ほれ、お前さんの分」とカップを手渡してくれた。

「そこに座って飲みなさい」

 指差された先の席に大人しく腰掛けてゆっくりと薬湯を飲む。確かにククールが言う通り、体が温まる飲み物だ。
 エイトが人間の体温を取り戻す間、トロデ王がいかにして自分たちを救出してくれたかを話してくれた。守るべき主君に助けられる家臣などどこの世界にいるだろうか。あまりの情けなさに今すぐにでもこの場から逃げ出したい思いに駆られたが、小さな自分のプライドなどこの際どうでもいい。とりあえず王に謝罪と謝辞を述べ、メディという老婆へ改めて礼を言う。
 老婆は気のよい性格をしているようで、からからと笑った後「吹雪がおさまるまでここにおりなさい」と言ってくれた。ありがたい申し出に一同の顔がほころぶ。

 しばらく会話を交わし、メディがどうしてこのような場所で一人暮らしをしているのか、その理由を聞いていたところで、「あら」とゼシカが声を上げた。

「やっぱり寒かっただけなんじゃないの」

 笑いながら、今までずっと抱いて暖めてくれていたらしいトーポを机の上に乗せた。トーポはエイトの姿を見つけると、いつものようにとたとたと駆け寄ってくる。

「お前、寒かったの?」

 尋ねると、トーポは小さく前足を動かしてひげを掻いた。
 エイトはまだ少しだけ残っている自分の薬湯に目を落とし、メディを見やる。彼女は視線だけでエイトの言いたいことを理解したらしく、「少量なら大丈夫じゃよ」と答えてくれた。
 少し冷めてしまった薬湯で濡らした指をトーポの口先へと持っていく。ちろちろとそれを舐めるトーポを見やって、彼にもずいぶんと苦労させているな、と思った。エイトに飼われていなければ、もっと普通に暮らせたのではないだろうか。
 エイトの考えを知ってか知らずか、トーポは薬湯を飲み終わると口を開けて小さく炎を吐いた。もしかしたら辛かったのかもしれない。

「火を吐くとは、ずいぶん変わったネズミですのぅ」

 その様子を見ていたメディはそう言ってまたからからと笑った。「変わっている」の一言ですむ問題なのだろうか、と思いはするものの、今までそれですませてきていたのでまぁいいか、とエイトは肩を竦める。

「ヌーク草の薬湯は飲んだあと効果が続きますからの。しばらくは寒さに凍えることはないじゃろうて」


 外ではいまだに吹雪が続き、しばらく家から出ることはできそうもない様子だった。






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2005.02.21