恋人宣言・10 もしかしたら鍵が閉められているかもしれない、そんな危惧を抱いてノブへ手をかけたが、それはククールを拒絶することなくすんなりと室内へと招き入れてくれた。 寝るときは鍵かけろって言ってんのに。 こんなときにどうでもいい考えが頭をよぎる。何度言ってもエイトのその癖は直らない。 薄暗い室内へそっと入り込むと、壁際のベッドの上でもそもそと動く気配がする。暗さに目が慣れるのを待ってからサイドテーブルの上のランプへ火をともすと、ベッドの上でシーツに包まったまま座り込むエイトが、驚いたようにこちらを見ていた。 彼は何か言おうと口を閉じたり開いたり繰り返した後、結局「戻ってこないと思ってた」とだけ言った。 ククールも初めはそのつもりだった。とりあえず今夜は適当な相手を見つけて夜をともにし、エイトと普段どおりに会話ができる程度まで気持ちの整理をつけようと思っていたのだ。 それなのに、こうして今エイトを前にしていても不思議と気持ちが落ち着いていた。 エイトの言葉に答えることなくククールは彼のベッドへ近づくと、ゆっくりとその手を伸ばした。 びくりと怯える彼を無視してその顎をつかむ。 少ない明かりの中漆黒の目を覗き込んで、「少し赤いな」と呟いた。 「何でお前が泣くんだ?」 言外に泣きたいのはこちらの方だ、という意味を込めて尋ねる。エイトは唇を噛んで眉を寄せ、ククールの手から自由になろうと身をよじった。しかし彼はそう簡単には解放してくれないらしい。その手から逃れることを諦めたエイトは、両腕をクロスさせて自分の顔を覆った。 「質問に答えろって。何でお前が泣くんだ?」 エイトの抵抗をあっさりと封じ込め、ククールは顎をつかんでいた手を離す。そしてエイトの細い手首を捉えて、目を覆っていた腕を壁へと押し付ける。 じんわりと浮かんできた涙をどうすることもできなくて、エイトはうつむいたまま顔を上げることができない。 「エイト」とククールがじれたように名前を呼び、腕を捕らえる手に力が込められた。それでもなかなか口を開こうとしない彼に、もう一度呼びかけようとしたところで「だって……」と小さな声が耳に届く。 「だって、俺、ほんとにククール好きなんだ。利用するとかしないとか、そういうの関係なく、ほんとにただ、好きなんだ」 うーと唸って、何とか泣くのをこらえようとしているのだろう。腕を捕らえたまま顔を覗き込むと、こらえ切れなかったらしい涙がほろり、とエイトの頬を伝い落ちた。 その表情を見てやはり、とククールは思う。 先ほどからククールを悩まして仕方がなかったエイトの表情。この部屋を出て行く間際に見たエイトの漆黒の瞳は、どこから見ても酷く傷ついた、そんな目をしていた。 エイトは傷ついていたのだ。ククールの一言に、彼が出て行った後一人で涙するほどに、傷ついていたのだ。 「じゃあ、さっきオレが言ったことは全然的外れだったってこと?」 彼が傷ついたということは一つの事実として認めよう。事実から目をそらしていては、手に入る結論にさえ至れない。ただ事実を手にしただけで満足していては先には進めない。 拒絶され傷つくくらいなのだから、彼の好意は本物であると考えてもいいだろう。だとしたら、ククールが思い至ったあの結論はなんだったというのだろうか。屋外と室内とでのあからさまな態度の違いに、他の理由があるとでもいうのだろうか。 問いかけると、エイトはゆるゆると首を横に振った。そして小さな声で「ごめん」と謝る。 「最低なことしたって、分かってる。ククールが怒るのも無理ないし……きら、われても、仕方ないと、思う」 その言葉に、やはりククールの考えは間違ってなかったのだと知る。あの態度の違いにはあてつける意味も含まれていたのだ、と。 それもまた一つの事実であろう。次なる問題は、どうしてエイトがそんなことをしたのか、だ。そのことをククールが尋ねる前に、エイトはぽつりぽつりと己の心情を語り始めた。 「夢を見るんだ、不思議な泉に行って姫が短時間でも人間に戻れるようになってからずっと、夢の中で姫殿下と話しをしてるんだ。ただの夢かもしれないって思うけど、姫の仕草とか見てたらどうも夢じゃないような気がして。 その中で、姫がおっしゃるんだ、『サザンビークの王子を愛せるかしら』って。『相手がエイトなら良かったのに』って。姫は聡明な方だから、自分の立場をよくご存知でいらっしゃる。だからそういったことは滅多におっしゃらないのに。 姫殿下はトロデーン国の姫君だ、俺なんかを好きになっちゃ駄目だし、それが陛下の耳にでも入ったら、もしかしたら陛下は姫の望みを叶えようとされるかもしれない。そうなったら俺は困るから」 「どうして困る? 姫が好きじゃないなら断ればいいだろ?」 「俺はたとえどんなものであろうと王や姫の命には背かない」 「命令で結婚するって?」 「俺はそれができる人間なんだ、だから姫は俺なんか好きになっちゃ駄目だと思った」 そう言ったエイトは何処か寂しそうな笑みを浮かべていた。 「俺なんか」とエイトは言う。普段能天気な言動を繰り返す彼からは考えられないほど、自らを卑下した言葉。それが彼の本音か、とククールは思う。こんな機会でなければおそらく一生お目にかかることがなかっただろう、彼の本音。 「姫はまだ本当に俺が好きなわけじゃない、あの豚王子に比べたら幾分俺のほうがましだと思っていらっしゃる。だから今のうちだと思った。まだ今のうちなら手が打てる」 手を打った結果があれであったのだろう。 話は分からないでもなかった。確かにエイトが取った行動は最善のものとは言いがたい。もしこれでミーティア姫が本気で彼のことを好きだったのなら、彼女にとっては酷い痛手となっただろう。彼自身が言っていたように、自己の保身のみを考えた最低の行為だ。 「だからって、なんでその相手がオレ? ゼシカの方が良いんじゃないのか?」 姫を諦めさせるためだけだったら、寧ろ相手は同じ女性の方がいいのではないだろうか。男同士など世間に認められる間柄ではないし、結婚だって許されている国の方が少ない。はっきりとした関係になりえないのにどうして。 そう問うとエイトは「だから言ってるだろ」と苦笑を浮かべる。 「俺はククールが好きなんだ」 何度目になるだろうか、彼のその告白は。はた迷惑なあの宣言からでは既に数え切れないほど耳にしてきた。 しかしどうしてだろう、今言われたその言葉は同じ音のはずなのに、今までの言葉とはまるで違うもののように聞こえる。込められた思いが違うからだろうか、それとも受け取る人間に変化があったからだろうか。 軽くため息をついて、ククールは捕らえていたエイトの腕を解放した。 「好きだって言うんなら、ばれてオレが怒るとか、そういうの考えなかったわけ?」 普段から馬鹿だと言い続けてはいるが、本当に彼が馬鹿であるとは思っていない。戦闘においては敵の行動を一つ先、二つ先と読んで仲間へ指示を飛ばしている。そんな彼がこんな単純な展開を予測していなかったはずがない。ゼシカも「わかっててやったんでしょうね」と言っていた。 案の定エイトは首を横に振る。 「分かってた。で、最悪、口も聞いてもらえなくなるほど嫌われるだろうなと思ってた」 「ならなんで」 好きだと思う相手に嫌われることが分かっていて、どうしてそんな行動を取ったのか。さらに問いかけようとしたククールの言葉をエイトは「それで」とさえぎった。 「それで良いと思ったんだ。嫌われて良いと、思った」 エイトの言葉の意味が分からなかった。 好きな相手に嫌われても良いと、どうしてそう思えるのかが分からなかった。 怪訝そうに眉をしかめたククールを見上げたエイトは、やはり何処か寂しそうな笑みを浮かべている。いつも彼が浮かべる無邪気なものとはかけ離れた、陰のある表情。もしかしたら彼はこんな顔をいつも何処かに押し隠していたのだろうか。 その表情のまま、エイトは口を開く。 「だって、こういう理由もなしにククールに『好きだ』って言って、『冗談じゃない』って嫌われてみろ。俺、立ち直れない」 まだこちらの方がましだ、と。 嫌われる理由が自分の存在そのものではなく、自分が取った言動なのだから、まだましだ、と。 どんな気持ちでそんな事を言うのか。 どれほどの想いを押さえ込んでそんな事を言うのか。 考えたら堪らなくなって、ククールは衝動的にエイトの細い体を抱きしめた。 ←9へ・11へ→ ↑トップへ 2006.01.18
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