漆黒の海に沈む黄金の星・5


 ククールを含めた彼の仲間が、元の姿を取り戻して欲しいと思っているのは確かだ。それは決して揺るがない。
 問題はエイトの方だ。
 自分の身に起こっている変化に、彼はあれだけ無関心だった。あまりの他人事具合に、ゼシカが怒ってしまうほど。
 そんなエイトが元に戻りたいと、思っているだろうか。
 強く願っているだろうか。


 昼を過ぎた頃一旦戻ってきたゼシカを交え、ククールは魔法使いの言葉を皆へ伝えた。そして泉の水に関する己の推論も。
 聞き終った仲間たちは、一様に難しい顔をして唸り声を上げている。

「エイトに何か呪いが掛けられているかどうかは分からないけれど、不思議な泉の水が原因っていうのは当たっているかもしれないわね」
「兄貴が変身し始めたのも、あの水を飲んだ日からでげすからね」

 ゼシカとヤンガスが顔を見合わせて頷く。どうやらその部分は賛同してくれるらしい。

「でもじゃあ、あの爺さんが言うことを信じるってぇなら、何もしなくてもそのうちエイトの兄貴は元に戻れるってことでげすか?」

 ヤンガスの疑問に「そうねぇ」とゼシカは首を傾げる。

「水の効果が切れるのを待つっつっても、それが確実に切れるかどうかも分からねえ状態じゃ、待つわけにもいかねぇと思うでがすよ」
「そうね。ただ待ってるだけなんてできないわ。何を探せば良いのか指針があるだけ、今までよりマシよ」
「泉のことをもう少し詳しく聞いてみるのも手じゃろう」

 戦闘に関しては何も手を出すことは出来ないが、調べ物ならばわしでも出来る、とトロデ王が言った。一家臣のためにここまでする王も珍しいかもしれない。

 皆、必死なのだ。
 エイトを取り戻すために。
 うるさいほど元気で能天気な、それでいてどこか影のある、小柄な少年を取り戻すために。
 ただ必死なのだ。

「とりあえず昼間はレベル上げ、少し早めに切り上げて夕方にエイトを戻す方法を捜し歩く、っていうのはどうだ?」

 意見が出尽くした頃を見計らってククールがそう提案する。その意図を素早く察したゼシカが、「ひとまずエイト抜きで戦う準備も進めつつ、ってことね」と頷いた。

「そうじゃのぅ、このまま足踏みをするわけにもゆかぬし、あやつもそれを望んではおらんだろうて」

 あやつも、とトロデ王が小屋の方へと視線を向ける。そこで思わず昨日のエイトの言葉が蘇り、三人は同じように顔を顰めた。
 確かに元に戻らなくても旅は続けて欲しい、とエイトはそう言っていた。だからトロデ王の言葉は正しく彼の心情を言い当てている。しかしエイトは続けて言った、「出来れば殺して欲しい」と。
 誰が殺してやるものか、とククールは思う。そもそも彼が提示した条件は、エイトがエイトでなくなったときのこと。たとえあの魔法使いが竜を前にしてエイトと判断しなかったとしても、ククールは黒竜をエイトと信じ続けただろう。無理やりにも自分でそう言い聞かせ続けただろう。
 つまりエイトに頼まれたことだとしても、黒竜を殺すことなど何にしろできないのだ。

「あの魔法使いは一目でミーティアをそれと見抜いたからのぅ。ならば姿は変わっても、エイトはエイトなのじゃろう」
「たとえ魔法使いのお爺さんがそう言わなくても、あの子はエイトだって信じてたけど、それでもやっぱり安心するわね」

 先ほどククールが思ったことと同じことを口にし、ゼシカはほっとしたように笑みを浮かべる。

「エイトの兄貴だって早く戻りたいって思ってるはずでげす。アッシたちも兄貴が戻ることを信じやしょう」

 ヤンガスの言葉に、ククールを除いた三人と一匹が同じように力強く頷いた。


 これからの方向性が決まったのは既に、空が夕闇に覆われる頃だった。しかし、闇雲に手がかりを捜し歩いていた数日よりは前進した日であることは確かだ。

「今日はオレが残る番だな」

 そろそろ宿へ戻ろう、ということになり、ククールがそう口を開く。前日はゼシカ、前々日はヤンガスだったのだから、順番的に今日はククールだ。

「そうね、じゃあお願いするわ」

 彼の提案にゼシカが笑って答える。

「お夕飯、持ってきてあげる。エイト、何が良い?」
「ゼシカ、オレの意見聞く気はないのか?」

 小屋を覗き込み、黒竜へ尋ねるゼシカへ呆れたように声を掛ける。振り返った彼女は「だって」と笑った。

「あんたは好き嫌い、ないじゃない」
「エイトだって好き嫌いないだろ」

 ククールは基本的に食べ物に関する好き嫌いはない。強いて言えば、これよりもこっちの方が美味しい、程度である。エイトも同じように何でも食べているのだが、ククールの言葉にゼシカは「ふふふ」と笑った。

「それがそうでもないのよ。あの子、口にはしないだけで結構嫌いな食べ物、あるみたいよ」
「へえ?」
「だって、この間海辺の村で海老料理食べたとき、こぉんな顔、してたもの」

 そう言いながらゼシカは、両の人差し指で己の眉尻を下げ、悲しそうな顔を作った。笑いながら「マジで?」と問うと、「うん、マジ」と彼女も笑う。どうやらエイトは海老が嫌いらしい。

「そういえば、あいつ、飴玉食ってるときは幸せそうな顔してるよな」
「そうそう、子供だから全部表情に出ちゃうのよ」

 そう言って、ゼシカは「あ、そうだ」と黒竜を見た。

「飴、買ってきてあげるね。エイトが満足できるように、うんと大きいやつ」

 どれだけ黒竜が無反応であろうと、ゼシカは彼へ話しかけることをやめようとしない。
 おそらく彼女はこれからもその態度を続けるだろう。彼女だけではない、ほかの仲間たちも同じだろう。
 それだけ彼が愛されているということだ。



 怪物王さまと白馬のお姫さま。元兵士に元山賊、家出中のお嬢さまと、不良僧侶。こんなバラバラの組み合わせがここまで上手くやってこれたのは、もちろんそれぞれの相性が良かったせいもあるだろうが、エイトの存在のおかげであった。それはこのパーティの誰に聞いてもそう答えるだろう。
 どれだけ馬鹿な言動を繰り返そうとも人に迷惑を掛けようとも、彼が自分たちの中心だった。それだけは確かだ。
 だからこそ今、こんなにも空虚で物寂しい。
 エイトがいない。
 ただそれだけの現実にこんなにも追い詰められている。

「ほんと、気持ち良いくらい反応ないな」

 夜も大分すぎた頃、小さなランプの明かりだが灯る小屋の中、ククールは小さく呟く。
 ヤンガスやゼシカはまだ、言葉を話せるエイトと過ごせた。しかし、今のエイトは何を見ているのか、何を考えているのか全く分からない。こちらが何を言おうと、何をしようとただじっと、金の目で闇を見やるばかり。
 己の体躯と同じ夜の漆黒を見つめ、どんなことを思っているのだろうか。
 己自身の先行きを心配しているだろうか。主君の安全を想っているだろうか。
 ほんの欠片でも良い。自分を含めた仲間のことを想ってくれているだろうか。

「もともと何考えてるのか、分からない奴だったけどさ」

 小屋の暗さと、エイトの持つ漆黒にその言葉は吸い込まれていったようで、すぐに耳が痛くなるほどの静寂が訪れた。
 こういう静けさに包まれると、どうしても思考が今朝からずっと気に掛かっていることへと流れてしまう。

 本人もそう願っているのなら。

 魔法使いのその言葉。普通ならば元に戻りたいと一番願っているのは、変化してしまったその当人であるはず。しかしエイトに普通は当てはまらない。
 その原因が彼の幼少期にあるだろうことは想像できるが、何故なのかまでは分からない。それでもエイトにはどうしてか、自分の存在をとことんまで軽視する傾向があった。彼の存在が仲間たちにどれほど影響を与えているのか、分かっていないのだ。
 だから、だろう。
 あんなにも簡単に「殺して欲しい」と口にすることが出来るのは。
 それがどれほど残酷なことなのか、エイトには分からない。

 魔法使いは言っていた、エイトはエイトのままである、と。戻りたいと本人が願えば、戻れるだろう、と。

「なあ、エイト」

 本質は変わらないのに姿だけ変わってしまっている。元に戻れるはずなのに戻れていない。
 だとしたら姿が変化したその原因は、元に戻らない原因は。

 エイト自身に、あるのではないだろうか。


「お前さ、そのままだったら王さまや姫さまの呪い、解いてあげることできないんだぞ。分かってんのか?」

 尋ねても返事はない。今日ずっと側にいたヤンガスも反応は全くなかったと言っていた。こちらの言葉を理解しているとは思えない、と。
 それでもククールは立ち上がって黒竜へ近寄りながら、口を開くのを止めようとはしない。

「ちゃんと元に戻らないと、好きな飴だって食えないんだぞ?」

 結局用意された食べ物をエイトが口にすることはなかった。飴玉も鼻先まで近づけたが無反応。
 何をしても、何を言ってもエイトから返ってくるものはない。
 その様子を見ていると、どうしても不安が首をもたげる。

 エイトが元に戻らない原因。
 それは、エイト自身にあるのではないのだろうか。
 エイト自身が、戻りたいと願っていないからではないだろうか。
 そう願うほど、この世界に、あるいは自分を含めた仲間に、執着していないからではないだろうか。

「エイト……」

 壁際に座り込んだ黒竜の前まで歩み寄り、そっと肌に触れる。硬く冷たいその感触。それでも黒竜だって生きているのだ、この内側には血が流れている。
 エイトなのだ、この竜は。
 たとえ姿が変わろうとも。
 反応がなかろうとも。
 この竜はエイトなのだ。

「なぁ、オレのこと分かる? オレの言ってること分かる? いくら馬鹿だっつっても、このオレの顔を見忘れることはないだろ?」

 腕に触れていた手を伸ばし、そっと黒竜の鼻先を撫でる。そのまま顎、頬、頭へ指を這わせ、真正面から目を覗き込む。
 太陽の光を凝縮したかのような、金色の瞳。
 色は全く違うが、この目を見ているとやはりエイトだなと、なんとなく思う。目つきと湛えられたその力強さはエイト以外の何ものでもない。

「エイト、なあ、頼むよ」

 そう言って、ククールは両腕を伸ばし、黒竜の首を抱きしめた。人肌の温かさの欠片もない硬い感触に、ずきりと胸が痛む。
 もしかしたらエイトにとってはこの姿の方が良いのかもしれない。だから戻りたいと思えないのかもしれない。この漆黒の竜がエイトの本当の姿であり、呪いを掛けられ人間として生きているのなら、再び呪いを掛けられ本来の自分を封印されることを望むはずもない。
 ククールのこの想いは酷く自分勝手で、エイトのことなど何一つ考えていない。本当に彼のことを想い、考えるなら、言わない方が良いのかもしれない。
 しかしそうと分かっていても、口から溢れる想いは止めることができなかった。

「頼むから、元に戻ってくれよ」

 それが駄目ならせめて、
 戻りたいって思ってくれよ。

 この世界に。
 もし世界に絶望しているのなら、
 恩人であるトロデ王やミーティア姫がいる場所に。
 もし彼らに恩義を感じていないというなら、
 自分やヤンガスやゼシカといった仲間がいる場所に。
 エイトを愛し、必要とする人間がいる場所に。

 戻りたい、と。


 青い瞳から音もなく零れた涙が、パタリ、と小さな音を立てて黒竜の肌へと落ち、ゆっくりと染みていく。
 体面など気にしていられなかった。
 どうせこの場にはエイトとククールしかいない。

「エイト、頼むから……」

 静かに泣きながらもう一度そう口にする。
 もしエイトがそう望めないなら、願えないのなら、彼の分も望み、願おう。
 だからどうか。
 いるとは思っていないが、こういうときくらいは縋らせてもらいたい。
 神よ。
 どうか、彼を返して欲しい。
 自分たちの元へ。
 彼を心の底から必要とする人間の元へ。
 彼を心の底から愛している人間の元へ。


 こうして情けなく泣いている姿も、エイトには見えていないのだろうか。まだあの金の瞳は虚空を見つめたままなのだろうか。
 おそらくそうだろうな、と思いながら抱きついていた上体を起こし、ククールは黒竜の顔を覗き込んで口を開く。


「戻って来い」


 正直、ドラゴンの顔などこれほど近くから見つめたことはない。だからそもそも竜という生物に表情があるのかどうかも知らない。
 しかしククールは涙を浮かべた目を軽く見開いて、黒竜の、エイトの顔を見つめた。
 動いたような気がしたのだ。
 ククールの言葉を聞くと同時に、今まで一切反応のなかったエイトが、どこか辛そうな、そんな顔をしたような気がしたのだ。

「エイ、ト……?」

 自分の見間違いかもしれない。思い違いかもしれない。希望が見せた単なる幻かもしれない。
 それでもククールはその一縷の望みにかけて、エイトを呼んだ。


「エイト」


 まるで声に答えるかのように、ゆっくりと閉じられる金色の目。竜も瞬きってするんだな、とずれたことを思っていたククールは、開かれたその瞳を見て、目を見張る。
 今まで確かに金色だった。世界を遍く照らす太陽のような、夜空を彩る星のような、黄金だったのに。しかしどうだろう、ククールが見ているその前で、金色の瞳は夜の闇の色へと変わっていったのである。

 それはあたかも、二つの黄金の星が漆黒の海へゆっくりと沈んでいくかのようだった。

「エイト、お前……」

 掠れたその言葉に、にやり、と黒竜が口元を歪める。今度は見間違いではない。確かに黒竜は笑った。
 そしてゆっくりと持ち上げられた右手がククールの頬へ触れる。
 黒く硬かったその手は、いつの間にか人肌の色と温かさを取り戻していた。
 その柔らかさと温かさに、またククールの目から涙が零れる。


「ククー、ル」


 そう彼自身の声で名を呼ばれたときには既に、ククールの腕の中には以前の、人の形をしたエイトが笑みを浮かべて立っていた。エイトは涙を流すククールを笑うことも馬鹿にすることもなく、取り戻した人の手でただ優しく彼の涙を拭う。
 しばらく抱き合ったまま互いの体温を感じた後、ふとエイトが尋ねた。

「ゼシカ、首輪用意してくれてた?」

 その言葉に首を傾げながらも「いいや」と答える。おそらく昨日の夜にでもそういう会話を交わしていたのだろう。

「飴玉なら買ってきてくれてるけど」

 部屋の隅へ視線を向けてククールがそう言うと、エイトは「そっちの方が良いな」とにっこりと笑みを浮かべる。ようやく涙の止まった目を細めて、ククールは口を開いた。

「てか、それより先に言うことないのか、お前は」

 呆れたような言葉に「あはは」とエイトが笑う。
 エイトの言葉にククールが呆れるのも、それをエイトが笑って誤魔化すのも、随分と久しぶりのような気がした。
 実際には数日しか経っていない、けれどとても長い数日だった。
 ようやく帰ってきたのだ、とククールは思う。
 戻りたい、と思ってくれたのだ、と。

 本当に嬉しそうに、安心したような笑みを浮かべるククールを、エイトは真正面から見つめて言った。


「ただいま」
「……お帰り」





 エイトの体に竜の血が流れていることを彼らが知るのは、まだしばらく先のことである。




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2006.07.23
















エイトが竜化する、シリアスなクク主、というリクエストを頂いたので。
こんなに長くなるとは思いませんでした。