そもそも、とエイトは考える。 事の起こりを正確に彼が認識したのはつい昨日のことなのだ。話を聞いてすぐこれかよ、とエイトは頭痛を堪えるかのように頭を押さえ込んだ。 しかしそんな彼を気にする様子は一切見せず、目の前の女は綺麗な眉を吊り上げたまま罵倒を口にする。 「彼も付きまとわれて迷惑してるのが分からないの? いい加減にしてよねっ!」 いい加減にして欲しいのはこちらの方だ。 この際彼女が女性であることを無視して、もう殴っちゃおっかなぁ、とエイトは投げやり気味に考えていた。 限定欲望・前 打倒暗黒神、などという誰からも信じてもらえないような目標を掲げて旅をしていると、一般的な旅人が来ることもないような場所へと赴く回数も増えてくる。もう二度と立ち寄ることもないだろう、そんな町や村も多い。 今エイトたちが滞在している町は、めぼしい道具や武器、防具を売っているわけでもなく、暗黒神に関する何らかの手がかりがあるわけでもない。重要人物がすんでいることもなければ、頼りになる占い師がいるわけでも、大きなカジノがあるわけでもない。娯楽といえば宿屋に隣接している酒場くらいで、その他は至って普通の、言ってみればどこにでもある町だった。 そんなところへ数日間いるのは、一重に力をつけるためである。この町周辺の魔物はかなり強い。おそらくこの先へ進むとより強い魔物が現れるようになるだろう。その前にすぐに休める町の側である程度レベルを上げておこう、というわけである。 町の外へ出て日暮れまで魔物を倒し、疲れ果てて戻ると宿の部屋で倒れ込むように眠る。酒場に出て酒を飲むことが唯一の娯楽、という生活を数日続けた頃、案の定一番初めに根をあげたのはククールだった。しかし、その理由がいつもとはまるっきり異なったもの、むしろ真逆のものであった。 「どしたの、ククール。すっげー疲れた顔してる」 これからのことを話し合おう、とリーダの部屋へ集まったとき、部屋の主であるエイトがククールを見てそう言った。彼はそんなエイトへと視線を向けると、はあ、と大きく溜め息をつく。そして、 「もう、さっさとこの町出ようぜ?」 とのたまった。 「どうかしたの、あれ」 指差してゼシカに尋ねると、「エイト、知らないの?」と首を傾げられた。 ここのところ町の外以外で彼と顔をあわせていない。長期滞在になりそうだから、と一人一部屋ずつ取っているので、パーティを解散した後は完全にプライベートな時間が増えたのである。だからエイトはククールが何故そんなに疲れているのか、ゼシカが知っているであろうその原因をまったく知らなかった。 「エイト、酒場にはまったくこないものね。ククールね、酒場の一人娘に気に入られちゃってて、追い掛け回されてるのよ」 ゼシカの説明を聞き、今度はエイトが首を傾げる番だった。 それの何処が困るというのだろうか、むしろククールにとっては喜ばしいことだろうし、女の一人くらい彼ならば適当にあしらえるのではないだろうか。 それが顔に出ていたのか、ゼシカは軽く苦笑を浮かべる。 「すごく不細工だったりするの、その人?」 「いいえ、むしろ綺麗な人よ? 私までじゃないけど胸も大きかったし、ククール好みだと思うんだけどね」 彼は自他共に認める巨乳好きであった。 「馬鹿言え、ああいう女は一回やったら彼女面して付きまとって来るんだよ。切れるとき面倒だから手を出したくないんだ」 ゼシカとエイトの会話に、話題の本人が口を挟んだ。 「最低な理由だけど、ちょっと分かるわ。彼女、束縛とかきつそうだものね」 「きっぱり断ればいいじゃん」 「断っても言い寄って来るんだよ。故郷に置いてきた女がいるとか、ゼシカは彼女だとか、貧乳が好みなんだとか、色々言ったけど無駄だった」 「…………非常に不快ではあるけど、今回ばかりは不問にしとくわ、その発言」 右手に生み出しかけた炎をかき消して、ゼシカは同情するような視線をククールへと向ける。そして、「今はどうやって逃げてるの?」と尋ねた。 「『実はオレ、男しか愛せないんだ』」 真顔で吐き出された台詞に聞いた三人はぴしりと固まってしまったが、本人は「どうせこれも後三日で通じなくなるんだろうさ」と口にした。その言葉に、いち早く復活したゼシカが苦笑して頷く。 「『私が女の良さを教えてあげる』とか言い出しそうよね」 それにククールは心底うんざりしたような表情を浮かべ、エイトへと視線を向けた。言葉はなくとも彼が言いたいことは十分に理解できる。その言動から彼が本気で疲れていることも分かる。それに答えてあげることができたら良いのだろうが。 「じゃあ聞くけど、ククールは現時点でこの町を発っても大丈夫だと思うか?」 客観的に判断した場合に、とか、自分の個人的事情を抜きにして、などといった余計な言葉は一切はさまない。そうせずとも彼ならきちんと理解しているからだ。案の定ククールは、渋い表情をさらに渋くして首を横に振った。そして「この辺りの魔物に苦戦しなくなるには少なくともあと三日はかかる」と的確な答えが返ってくる。 「悪いな、もうしばらく堪えてくれ」というすまなそうなエイトの言葉でこの日の打ち合わせは終了した。 もしククールの精神的限界が訪れるようであるなら、一旦他の町へルーラで飛ぶことも考えた方がいいかもしれない。エイトがリーダらしく地図を眺めながら自室でそう思案していたところ、不意にコンコンと硬い音が響いた。しばらくするともう一度コンコン、と何かをたたく音。出所はどうやら窓らしい。カーテンを引いているため外の様子は伺えない。気配からして敵意はないようで、多少警戒しながらカーテンを引くとそこにはきょろきょろと辺りを伺っている赤い騎士、ククールの姿があった。 「何やってんの、お前」 エイトの言葉に小さく肩を竦め窓枠に手を掛ける。部屋の主が一歩後退したところでひょいと枠へ足を乗せて、そのまま室内へと飛び込んできた。そして無言のまま扉の方を指差す。 エイトは指示された通りにドアの方へ行き、静かに開いて顔だけ廊下へと出した。 真正面に並ぶ二部屋をゼシカとヤンガスが、右隣をククールが使っている。夜とはいえまだ早い時間であるため宿屋受付前のスペースで談話している客でもいるのだろうか、話し声と笑い声が混ざって聞こえてくる。 何てことはない普段の風景ではあったが、ランプの明かりが灯る狭い廊下に一人、すらりと背の高い女性が立っているのが見えた。女性らしく括れた体に小さな頭がバランスよく乗っている。通った鼻筋に意志の強そうな上がった眉、大きな目。おそらく十人中十人が美人だと評するであろう女性だ。 彼女に気づかれないようにこっそりと扉を閉めて背を預ける。振り返った先にはいつもの彼らしからぬ乱暴な様子でマントや上着を脱ぎ捨て、そのままもそもそとベッドへもぐりこむククールの姿があった。 「綺麗な人ではあるな」 「ここまでされたらもうストーカーだ」 枕に顔を埋めているのか、くぐもった声でそう返されエイトは苦笑を浮かべるしかない。床に落ちているマントと上着を拾い上げて軽くほこりを払い椅子の上へと置く。自分の座る場所がなくなったため、とりあえずエイトはゆっくりとベッドのふちへと腰掛けた。 「でも珍しいよな。お前ならああいうのもあっさりあしらえそうだけど?」 心底不思議そうに首を傾げて言うエイトへ、ようやくこちら側を見たククールは眉をひそめて前髪をかきあげる。「確かにな女に追いかけられるってのは慣れてるけど」と言ってベッドの上へ力なく手を投げ捨てる。そして「ただ」と続けた。 「あそこまで話が通じないとなるとお手上げだな」 「そんなに酷いのか」 「お前とゼシカをかけて更に三乗した感じ」 「どういう意味だよ」 「脳が足りなくてわがまま自己中で、女としての武器を使いまくり」 「ほう、それは俺へ喧嘩を売っているということでいいな?」 言いながらそのまま勢いよく後ろへ倒れ、寝転がっていたククールの腹部へ全体重をかける。「ぐえ」と蛙がつぶれたような無様な声が聞こえても無視してその体勢でいると、「重い」と頭を殴られた。 「あっちの部屋で安眠する自信がオレにはない。頼むから匿ってくれ」 エイトが頭をさすりながら体を起こすと、シーツを引っ張りあげて顔を隠しながらククールがそう言う。どうやら本当に切羽詰っているらしい。ここまで余裕がない状態の彼を見るのは初めてだ。 「じゃあ俺はどこで寝ればいいんだ」 「隣にちょっと思い込みの激しい美女つきのベッドがあるぞ」 「お前は自分が眠れないところを人に差し出すってか」 はあ、と大きくため息をついて、エイトは「もうちょい寄れ」とククールを壁際へと蹴る。自分も眠る体勢を整え終わった後、ふ、とランプの火を吹き消した。 一瞬で室内に暗闇が訪れる。 一人用のベッドに男二人で寝るのは少々無理があるが、不本意ながらこれが初めてというわけではない。むしろ慣れたもので、これでも互いに熟睡できる。だからこそククールもヤンガスのところへ行かずここへ来たのだろう。ここならば床で寝ることも、仲間を部屋の外へ追い出すこともなくベッドで眠れるのだから。 くあっ、とあくびをしながら出来上がった隙間へ体をもぐりこませるエイトへ、ククールが苦笑を浮かべて「悪いな」と謝った。彼自身が悪いわけではないが、やはり多少罪悪感を覚えるらしい。 そんなククールへエイトは笑みを浮かべる。 「気にすんな。悪いと思うなら、お前、そこで壁になっててくれ」 そう言いつつ横になるククールの胸に顔を埋めてきた。いつにない可愛らしい行動にどういうことだろうか、と考え込み、そういえばと気が付く。ククールの背後は壁だが、首を動かして後ろをうかがうとクリーム色のカーテンが引かれた大きな窓がそこにはあった。たまたまではあるがこの部屋は角部屋で、窓が二つ、あったのである。 エイトはいつもなら窓側にあるベッドでは決して眠らない。 何故か知らないが、エイトは空が嫌いだ。特に昼間の青空は苦手らしく、天気がいい日は決して頭上を仰ぎ見たりしない。時間を計るにも影ができる場所で太陽の方向を知り、その長さで位置を推測する。 そこまで避けるものが見える位置でゆっくりと眠れるはずもなく、せめて宿に泊まるときくらいは、とエイトは空が見えない場所で眠る。 「言ってくれれば部屋くらい代わったのに」 ククールがそう言うと、「わざわざそこまでするほどのことじゃねぇし」とエイトは言う。確かに、野宿のときは空を見たくない云々言っていられる状況ではなく、我慢して眠っているのだからできないわけではないのだろう。 しかし、エイトの空嫌いを知っているからこそ宿ではゆっくり眠って欲しいと思うのだ。 彼の視界から窓が消えるようにやんわりと抱きしめてやりながら、「お休み」と旋毛へ軽くキスを落とすと、もう既に半分眠っているかのような声で「ん、おやすみ」と返ってきた。 どうやら今日は互いに、久しぶりにベッドの中でゆっくりと眠ることができるらしい。それにほっと安堵しながら、ククールも目を閉じた。 その安眠がまずかったのかもしれない。 ゆっくりと眠ったためどこか安心していたのかもしれない。少し考えれば分かったはずだ、朝、ククールがこの部屋のドアから姿を現したら後々面倒なことになることくらい。 しかしこの日の朝の二人はそんなことにまで思考が及ばず、時間になってククールに起こされたエイトが彼とともに部屋を出て行くと、ちょうど前にある扉も開きゼシカが出て来たところだった。彼女は事情を知っているため、どうしてククールがエイトの部屋にいたのかを素早く察する。そして苦笑を浮かべて「ゆっくり寝れた?」と聞いてきた。 「エイトが寝かせてくれなかったんだ」 「昨日は何もしてねーだろうが」 ゼシカへ軽口で答えたククールに、エイトがそう言って蹴りを入れる。それに笑いながら「可愛らしく擦り寄ってくるから、お兄さん、理性保つのに必死だったよ」と言った。 「よく言うよ。俺より先に寝てしかも爆睡してたじゃん」 「その分お前より先に起きてただろ」 二人のやり取りにゼシカが「ククールも疲れてたのね」と笑みを浮かべる。 それらがいつもと変わらない風景だったため、彼らは一切気づいていなかった。 ククールとエイトが部屋から出たその瞬間から今まで、じっと彼らを見ている視線があることを。 幸か不幸か、全く気づくことができなかった。 今日もまたククールはベッドへもぐりこみにくるのだろうか。 そんなことを思いながらエイトは一人、宿へと向かっていた。仲間たちはそれぞれ買出しやら酒場やらへ出かけている。夕飯は宿で取れるので特に買いに行く必要もないため、外でのレベル上げが終わったらエイトは大抵まっすぐ宿へと戻っていた。 ククールが部屋に来ることは別に迷惑ではない。昨夜彼に言ったことは事実で、むしろいてくれたほうが嫌いなものを目にする心配もなくゆっくりと眠れる。ククールもあの女性に寝込みを襲われるのを警戒することなく眠れるのだろう。 昨日ククールが言ったとおり、この辺りの魔物を楽に倒せるようになるにはもうしばらく時間がかかる。 この状態ならもうニ、三日ここにいても平気かもしれないなぁ。 宿屋の入り口のドアへ手を伸ばしながらそう考えたところで、突然背後から「ちょっと!」と女性の声が聞こえた。自分を呼んだのだろうかと首をかしげて振り返る。 背後にいる女性を目にし、げっ、と声に出さなかった自分をエイトは手をたたいて褒めてやりたい気分だった。 そこにはここのところククールを追いかけているという、昨夜宿屋の廊下で見たあの娘が立っていたのである。背の高い彼女は腕を組んでエイトを見下ろしていた。 昨日は薄暗い中だったためあまり良く見えなかったが、こうして改めて正面から見てそう悪い顔でもないのに、とエイトは思う。背も高いしスタイルもいい。顔も化粧が少々派手だという点を除けば、なかなか整っている。ククールの隣に並んで見劣りはしないだろう。おそらく彼女も自分の容姿に自信を持っている、そんな立ち姿だった。 「えと、俺に何か?」 基本的にこの年頃の女性がエイトは苦手だった。城にはもっと年上の女性しかいなかったし、進んで酒場に近づいたりしなかったため知り合いもいない。しいて言えばゼシカやミーティア姫くらいだが、彼女たちは別扱いである。 おずおずとそう声をかけたエイトへ女性は頷いて答えると、「ちょっと来てもらえる?」とエイトの返事も聞かずにその腕を取って歩き始めた。 相手が女性であるため乱暴に手を振り払うこともできず、エイトは大人しくされるがままだ。そのまま宿屋裏手の人気のない場所まで連れ込まれ、どん、と壁際へ突き飛ばされた。 こちらも警戒していなかったわけではないので、壁に当たる前に踏みとどまってそのまま背を預ける。そして彼女を見ながらこれからの対応を考えた。 彼女が言いたいことはなんとなく想像が付いた。良い方向に考えたら「友人として彼との仲を取り持って欲しい」、悪い方向ならば「彼をたぶらかすな」、このどちらかだろう。ククールは今彼女から「男しか愛せない」と言って逃げているらしいのだから。 エイトの考えはやはり当たっており、彼女の主張は後者の方だった。 そして冒頭の場面へと移るのである。 後へ→ ↑トップへ 2006.05.22
|