キミの笑顔 ― color ― 9


 そう、本来はとても綺麗な想いなのだと思う。
 誰かを好きだとそう思う。
 愛しいとそう思う。
 けれど、愛しすぎて逆に苦しい。
 報われなくて、逆に辛い。
 だからといって、人は人を愛することを止めようとはしないだろう。
 きっとそれは、その想いが綺麗なものであることを知っているから。
 たとえ叶わずに傷ついたとしても、その傷さえ愛しく思える日が来ることを知っているから。



 ミーティア姫を好きだと思った心はエイトだけのもので、それはとても素敵なことだったのだと、そう思う。
 同じように、ククールを好きだと思う心はエイトだけのもの。
 たとえ彼に嫌われていようが、拒絶されようが、いつかはその傷もまた愛しく思えるようになるかもしれない。

 そう考えられるようになるまで、ずいぶんと遠回りした気がする。しかしその分、とてもすっきりした気分だった。やはり彼女に聞いてもらえてよかった、とエイトは隣を歩く白馬へ笑みを向ける。彼女も鼻先をエイトに摺り寄せて答えてくれた。

「また近いうちに泉へお連れしますね」

 そう挨拶をして、エイトは宿の部屋へと戻る。
 扉を開くと、丁度ククールが出かける支度をしていたところで。

「よう、早かったな。もうちょとゆっくりしてくれば良かったのに」

 彼は相変わらずエイトを見ることなく、それでもいつもの口調でそう声をかけてきた。今まではそんな彼を見ることが辛かったが、今なら大丈夫。きちんと己の心情を理解し、向き合った今ならその姿さえ愛しく思える。ふわり、と零れる笑みは、今までのように意識して作ったものではない。
 返事がないことを不思議に思ったのか、ようやくククールがこちらを向いた。
 そして、エイトの表情を見て一瞬だけ驚いたような顔をする。もしかしたら笑顔なんて見たくなかったのかもしれない。笑っているから驚いたのかもしれない。そう思うが、一度沸き起こった感情を消すことなどできなくて。

 ふ、と小さく息を吐き出したククールは、身支度を整えながら、「何か、久しぶりにエイトのそんな顔、見たな」と呟いた。

「そ、うかな?」

 そう、なのだろう。何せここの所、彼の顔を見れば意識して笑うようにしていたから。その不自然さを、勘の良い彼が気付かないはずがない。

「良いこと、でもあったんだろうな。って、この状況で良いことなんて一つしかないか」

 前髪をかき上げて、ククールはエイトを見る。こうして視線が交わるのもずいぶん久しぶりな気がして、それだけでエイトは泣きそうだった。

「ミーティア姫とうまくいったんだろ? 良かったな、恋が実って」

 おめでとう、と。

 そう言われ、エイトは気付く。
 確かに、彼にはそう思われても仕方がない。散々そのことを愚痴り、傷を見せ、慰めてもらっていたのだ。未だエイトが彼女のことを好きだと、そう思っているのが普通だ。

「まあ兵士と姫なんて、戻ってからが大変だろうけど、呪いを解いた騎士とお姫さまがくっつくってのも童話の中じゃよくあるしな。ありなんじゃねぇの?」
 そのためにはさっさとラプソーンを倒さないとな。

 言葉を続けるククールの視線は既にエイトから外されており、またいつものようにこちらを見ようともしなくなってしまった。

 名前を呼びたい。
 視線を向けて欲しい。
 それよりもまず、言いたいことがある。
 言わなければならないことが、ある。

 溢れ出そうになる想いをうまく言葉にできず、エイトは無言のまま近寄って、ククールの服の裾を引いた。どうかしたか、と尋ねてくれるが、名前は呼んでもらえない。

「ククール」

 だから代わりにエイトが名前を呼ぶ。
 自分の中で育った想いを伝えるために。
 この世で一番大切だと思う名前を。

「姫には今、俺の気持ちを全部伝えてきた。どうか身分に囚われないでください、って」
「……もしかして振られてきたのか?」
「振られた、っていうか、まあ似たようなものだけど。どうせ今から振られるし」

 首を振って続けたエイトの言葉にククールが小さく首を傾げた。さらり、と銀の髪の毛が肩を流れる。

「ククール、俺はね、姫に『姫が好きでした』って言ってきたんだ」
「でした、って……?」
「そう。今は姫のほかに好きな人がいますって、言ってきた。姫のときみたいに逃げたくないから、これから玉砕しに行きますって」

 声が震えていないだろうか。顔が歪んでいないだろうか。頭の片隅でそう思うが、そんなことにまで気を回している余裕は今のエイトにはない。

「お前、前に俺に言っただろ? 伝えることはきちんと伝えろって。言葉にしてみないと、どうなるか分からないって」

 だから伝える。言葉にして伝える。振られると分かっていても。
 もう傷つくのが嫌だからなんて、甘えたことは言わない。
 傷ついてもいい、彼に伝えたいことがある。


「俺はククールが、好きだ」


 色々考えて、考えて、それで気が付いたこと。
 エイトはククールが好きなのだ。
 だから伝えた。好きだ、と言葉にした。
 本当は今すぐにここから逃げ出してしまいたい思いが胸にある。
 返答が怖い、拒絶が怖い。
 しかし、ここで逃げては今までと同じことを繰り返すだけ。
 どんなにひどい言葉でもいい、怒ってくれてもいい、軽蔑してくれてもいい、とにかく何か返してもらいたくて、エイトは真正面からククールの目を見つめ返した。

 青い瞳。それは空のような、海のような、穏やかで、時として激しい熱を見せる瞳。
 エイトはこの目が欲望に染まる瞬間を知っている。どのように人を愛するのかを知っている。

 それだけでいいのかもしれない。
 それ以上の幸運はないのかもしれない。

 そうエイトが思っていたところで、ようやく、ククールが動いた。
 伸ばされた手がそっとエイトの手を取る。

「……震えてる」

 言われて初めて、エイトは自分が小さく震えていることに気が付いた。
 ぐ、と力を込めてもおさまらないそれは、恐怖の表れ。
 以前ククールと交わした軽口が思い出される、根性があっても痛いものは痛いし、熱いものは熱い。覚悟を決めても怖いものは、怖い。
 情けない、と自嘲の笑みを浮かべたエイトを目にし、ククールが苦しげに目を細めた。
 その表情にずきり、と胸の奥が痛む。
 違う、違うのだ。
 ククールの、そんな顔を見たかったわけではない。
 辛そうな顔を見たかったわけではない。

「こ、んなこと、突然言っても、お前が困るのは、分かってる。けど、でも、」

 迷惑なら迷惑だ、と言ってほしい。
 たとえその気がなくとも、可哀そうだからとほんの少しでも情けを掛けられたら、今度こそもうククールの手を離せない。その自信がある。

 爪が食い込むほど強く握られた拳を撫で、震える手にククールは静かに口づけを落とす。
 まるで宝物を扱うかのような、慈しみに溢れたキス。
 あまりに久しぶりに感じるその温もりに、ひくり、とエイトの体が跳ねた。


「本気、なんだな」


 指に吐息が掛かる距離でククールは静かに囁く。彼は目を伏せたままだが、エイトは視線をそらさない。


「俺はククールのことが好きだよ」


 もう一度、同じ言葉を繰り返す。
 同時にぐい、と腕を引かれ、きつく抱き込まれた。
 その体温、匂い、腕の力強さ。
 焦がれるほど望んでいたものに、じわりと涙が浮かぶ。
 ククールの背に縋りつく腕を止められない。
 ぎゅうと同じ強さで抱き返したエイトの耳元で、ククールが「ずっと」と言葉を紡ぐ。


「ずっと、好きだった」


 エイトが姫に想いを寄せていたときから、今も、ずっと。


「エイトが好きだ」


**  **





 誰かを好きだとそう思う。
 愛しいとそう思う。
 その想いはとても綺麗なもので、叶わなくて付いた傷さえいつかは愛しく思える日が来る。
 けれど、想いが通じ合えばこんなにも綺麗な顔で笑うことができるのだ。
 だからこそ、人は人を愛することを止めようとはしない。

 笑顔、というものは作るものではなく、自然に溢れるもの。
 耳に届く言葉と、伝わる温もりと、想いから生まれるもの。



 願わくは、君の笑顔が二度と色褪せることの、ないように。








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2008.04.30
















いろいろ言い訳はしたいですが、とりあえずこれで終わりです。
友人がカラオケで歌ってくれた、
ジャンヌ・ダルクの「seed」という歌が元ネタ。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。