キミの笑顔 ― monochrome ― 11


 始めから、後ろめたさがなかったわけではない。
 弱っている彼に付け入ったという負い目はある。
 それでも彼への想いだけは間違っていない、と自信を持っていた。

 エイトのことが好きだ。
 他の誰よりも彼が大事で、彼を愛しく想う。その気持ちだけは嘘ではない。

 それなのに何故、と思う。
 そんな迷いや苛立ちが昨夜の行為には現われてしまっていたのかもしれない。シーツに沈んだまま気を失うように眠ってしまった彼を見て思う。散々焦らして散々攻め立てたせいで、エイトの顔には涙の痕が残っている。それをそっと指で辿ると、その感触にエイトが小さく声を上げた。

「エイト……」

 どうして彼は泣きそうな顔で笑っていたのか。
 ただ慰めたかった、それだけだった。
 そのはずなのに。

 間違っていた、のだろう。
 きっとそう、伸ばしたその腕が間違っていた。
 あのときにもし、彼に別の言葉を掛けていたなら。
 別の慰めをしていたのなら。
 もっと鮮やかな、彼らしい笑みを今も浮かべていられたのかもしれない。
 こうして腕の中にはいなかっただろうが、それでもあんなふうに傷ついたように笑わなくても良かったはずなのだ。
 色褪せた笑みを浮かべることはなかったはずなのだ。

 そんな顔をさせたかったわけでは、ない。



**  **



「迷惑かけてしまってごめんなさい」

 ようやく杖の支配から逃れたゼシカが、いつもの彼女らしくなくしょげた表情で頭を下げている。

「ゼシカ、オレらは別にそんな言葉が聞きたかったわけじゃないぞ」

 ククールの言葉に顔をあげた彼女は、きょとんとした表情で首を傾げる。しかし彼が何を言いたいのかすぐに気付くと、くしゃりと表情を歪めた。鼻をすすった後、にっこりと笑みを浮かべて、ゼシカは口を開く。

「助けてくれてありがとう」

 その言葉に「どういたしまして!」とエイトが笑い、ヤンガスも「無事でよかったでげす」とほっとしたように笑った。
 杖は持ち去られ、また人が一人殺されてしまった。そのことを悔い、また彼を悼む気持ちはあるが、ここでそれにとらわれ立ち止まるわけにはいかない。とりあえず今は仲間の無事な姿を喜び、前に進むことを考える。

「気分が悪いとかはない? なんだったら今日は休んで話は明日でも」

 エイトの提案にゼシカは首を横に振る。

「私自身は全然平気。みんなにやられた傷もククールがベホイミかけてくれてるし。それよりも情報を早く整理しておかなきゃ。宿屋へ戻る? それともどこかにご飯、食べに行く?」
「安心したらアッシは腹が減ったでがすよ」
「じゃあとりあえず食事だな。ゼシカも戻ってきたことだし、派手に行こうぜ」
「ちょっと! 私がいない間にどれだけ稼いだか知らないけど、無駄遣いはしない!」

 ククールの言葉にゼシカが眉を吊り上げて怒る。それを「まあまあゼシカのねえちゃん、戻ってきたばかりで怒らないでも」とヤンガスが宥めるが、「私がいない間のことを考えると頭が痛いわ」とゼシカが額を抑えた。
 日常、といって差支えないその光景。
 きっとパーティの誰が欠けても駄目なのだろう。
 そう思いながらエイトを見やると、やはり彼も同じように考えていたのか、ふわり、と優しげな笑みを浮かべてゼシカのほうを見つめていた。ククールの視線に気づいた彼は、「すごい安心した」と崩れた笑みを作る。

「オレも。良かったな、ゼシカが無事で」

 そう言って笑うと、エイトはこくりと頷いた。
 そんな彼を見て、今までなら、とククールは思う。
 おそらく今までの自分なら、「良かったな」と笑って彼に触れていたはずだ。手を伸ばし、肩に触れ、頭を撫でて、その体温を感じていたはず。
 それなのに、今はそれができない。

 怖い、とそう思った。
 彼に触れるのが怖い。その体温を感じるのが怖い。
 安心したような、それでもどこか傷を隠した、モノクロの笑顔を見るのが怖い。
 あんなにも触れたいと思っていた相手に触れるのが怖くなった。近寄れば近寄るだけ彼を傷つけているような気がする。
 一度そう思ってしまうと、もうその思考に歯止めは掛からない。愛しく思えば思うだけ、恐怖も増していく。
 エイトのあの笑みがククールの過ちを指摘しているかのようで。
 もう二度と、以前の関係には戻れないだろうことを告げられているかのようで。

 潮時だな、とククールは思う。
 ちょうどゼシカも戻ってきたことだし、エイトも以前より不安を感じなくなっているだろう。このあたりがちょうどいい、とそう思う。
 徐々に、しかし不自然にならないように。
 エイトとの距離を空けていく。
 普段の会話は今まで通り。くだらないことで笑いあい、怒り、時々真面目になって戦闘をこなす。
 痛む胸や苦しくなる呼吸はすべて無視。罰だと思えば軽いものだ。
 徒に彼を傷つけた罰。
 つかなくてもいい傷をつけた罰。
 決して触れない、視界にその姿を治めない。
 彼に触れてしまうと、彼の姿を見てしまうと、今度こそもう気持ちを抑えられない、そう思ったからだ。
 できるだけ見ないようにすれば、そのうち彼の姿も忘れられるかもしれない、そんな淡い期待。


 ふと脳裏に蘇るのは、ああいう関係になる前のエイトの笑顔。太陽のようにきらきらと輝く笑顔。目を細めたくなるほど眩しいその表情がククールは好きだった。かげりのない、真っ直ぐな笑みにどれほど救われたか分からない。

 彼への想いは嘘ではない。
 でもそれなら何故、彼を振り向かせることさえできないのか。
 エイトを傷つけたくない、などと綺麗ごとを考えてはいるが。

「結局は、オレがこれ以上傷つきたくないだけじゃねぇか……」

 好きなのだ、年下で同性で、突飛な性格をしている彼のことが。
 どうしようもなく。

「好きだよ、」

 エイト、と声に出さずに名前を呼んだ。



**  **



 誰が悪いわけではない。
 きっと誰も悪くない。
 ただ人を好きになった、それだけのことだった。
 何か悪いことをした人間がいるわけではない。
 だから誰も悪くない。


 そう、強いていうならば、きっと。


 人を愛しく思うという心を与えた、



 神が悪い。






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2008.04.21
















一応ここで、monochromeサイドは終了。
colorへ続きます。