silent night」の続き。


   holy night


 本当はもっと早くに戻ってくるつもりだった。戻って来れる予定だった。

 男が帰りたいと希望していた町はキラーパンサーの足でも時間が掛かるほど、遠い場所にあった。この距離を知っていながらも日が落ちて尚向かおうとしていたのか、と男へ問えば、この距離があるからこそ一刻でも早く出発したかったのだ、と彼は言う。
 待っているのは病気の娘らしい。
 ようやく辿りついた先、町の入り口で別れようと思えばせめて暖かい飲み物だけでもと請われ、帰りは移動魔法で一瞬だということもあり軽く顔だけ覗かせるつもりだった。何故だか少しの間家を空けなければならない、と男が言いだし、病気の娘の守りをする羽目になり、ついでに怪我人がいたため治癒魔法を唱えれば、俺も私も、と話が広まった。どうやらこの町には治癒魔法を使えるものがいないらしい。そうこうしているうちに夜が更け、ようやく解放されたのがつい先ほど。ルーラがあまり魔力を必要としない魔法で助かった。
 移動するのも面倒で男の家を出てすぐに術を展開させる。屋根さえなければどこででも使えるというのがこの魔法の利点。ただし、着地点は必ず町の入り口になる。

 町の入り口から宿へ続く道を向かい、足を踏み入れると同時に違和感を覚える。いくら一階部分にあるとはいえ、あまりにも寒すぎるのだ。何故、と思えばカウンタ付近にある窓が僅かに開いていた。一体誰がこんなことを、と考える前に気がつく。ソファの上になにやら塊が転がっていることに。
 とりあえず窓を閉め塊へ近づけば、思った通り大地色の髪の毛が毛布の間からはみ出ていた。
 どうしてこんなところに、と思わなくもない。何故窓が、と思わなくもない。しかし見下ろした少年の姿に言葉を失う。

 死んでいる。

 一見してそう、思った。
 体温が下がっているせいだろうか、少年の顔は血の気がなく、気味が悪いほど青白くなっている。普段ころころと変わる表情も見えず、ただ静かに目を閉じている。この姿を見て死を想像するな、という方が無理だ。
 本来ならば、彼の仲間であるならば、彼と身体を繋げているものであるならば、慌ててその生を確認するべきであろう。揺すり起こしても良い、名前を呼んでも良い。
 しかしそんな感情は露ほども浮かばず、どうにも落ち着いたままでいるのは、この程度でエイトが死ぬはずはないと信じているからか、あるいは。

 そこまで思考を進めたところで、ようやくククールは膝を折って身を屈めた。手を伸ばしかけて一度止め、手袋を引きぬいてから指先を少年の口元へかざす。僅かな呼吸。必要最小限に抑えていると言わんばかりのそれにようやく、安堵に似た何かを覚えた。
 先ほどまで外にいたククールの指先の方が冷えているのは当然で、軽く触れた頬に温もりを感じる。しかし良く考えればこの程度しか温かくないのか、と眉を顰めるレベルではないだろうか。

 エイトが寒さに弱いのは今に始まったことではない。以前ここを訪れたときから、どうにも動きが緩慢で、魔物の心配をしなくても良い宿の中だと更に気が抜けてしまうらしい。エイト、と名を呼び肩を揺すってみるが起きる気配はなく、仕方がない、と毛布ごとその少年を抱き上げた。
 いくらエイトが小柄なほうであるとはいえ、ひと一人を抱えるのはさすがに辛い。上半身を肩へ担ぐように抱いたまま階段を下り、あてがわれた部屋へ戻ろうとすれば、その一つ奥の扉が静かに開いた。
 ひょっこりと顔を出したのはもう眠っていたのだろう、オレンジの髪の毛を解いて背中へ揺らした少女。
 ククールと抱えられたエイトを見てすぐさま事態を把握した彼女は、ぱたぱたと走り出て二人の部屋の扉を開けてくれる。

「部屋、温まってるから」

 ゆっくり休んで、と静かにそう告げてくれた彼女へサンキュ、と笑みを返した。扉を閉める間際に耳に入り込む「メリークリスマス」という鈴の音のような声。

「メリークリスマス」
 良い夢を。



 彼女の言葉通り、部屋は程良く温まっている。抱えた少年をベッドへ転がし毛布とシーツを上から被せると、ククール自身も手早く横になる支度をした。髪を纏めているリボンを解きリングピアスとマントを外す。そうして潜り込む先は、当然小さくなって眠っている少年の隣。冷えた身体へ体温を移す様に腕を伸ばして胸の内へ抱き込んだ。
 ここまでしても起きる気配のないエイトだったが、それでも温かなものが近くにあることは分かるのだろう。すり、と暖を求め身体を寄せてくる。

 クリスマスだとか聖なる夜だとか、どこぞの神が生まれた日だとか。そんなことはもはやククールにとってはどうでもいいことで、今は腕の中にいる少年だけが全て。
 寒さに弱く、広い場所が苦手だというエイト。キラーパンサーで駆けたあの大地は、彼にとっては恐れる対象にしかならないであろう。

 どこまでも無慈悲な世界のなかで、苦しみながら生にしがみ付くよりは一層のことむしろ、何もかもを手放してしまった方が、彼にとっては幸せなのではないだろうか、と思ってしまうほど。
 世界は広く、美しく、そして残酷だ。
 ククールにできることと言えば、細い身体を抱きしめキスを落とし、そして祈るだけ。

 せめて一時でもこの悲しい少年に安らかな眠りが訪れんことを。




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2010.12.27
















エイトさんが起きてくれませんでした。あれ?