竜と人間の恋の歌・11〈Side-W〉 里へ連れ帰られ、ウィニアは目に見えて弱っていった。彼と無理やり引き離されたことが思った以上にショックだったのだろう。本当なら何もかもを捨て去ってもう一度ここから逃げてしまいたかったが、それもできない。 何故なら今、ウィニアの胎内には彼の子供がいる。 言葉にして伝えてはいないが、きっと彼も気づいていただろう。別れ際にそっとお腹を撫でてくれた。その仕草に彼も喜んでくれているのだと、そう思って救われたのだ。 ウィニアが今生きているのは、ほとんどこの子供のためだ。 自分が死んでしまってはこの子までも命を無くしてしまう。 それだけはなんとしても避けたかった。 しかし、子供を身籠っていることは決して誰にも知られてはならない。人間との間の子であることが知れたらおそらく、この子は殺されてしまう。 「それだけは、駄目」 父とヴァンが連れ戻しに来たとき、力のないウィニアを守ってくれたのはエルトリオだ。しかし今ここに彼はおらず、この子供を守れるのはウィニアしかいない。 「絶対に、守ってあげる、から」 そっとお腹を撫でて話しかける。 そうして二人でいつか、エルトに会いに行こう。 きっとエルトも私たちを探してくれているはずだから。 軽い運動をしないと母体に悪い、というのをどこかで聞いた覚えがあるので、体調が良いときには軽く外を歩くようにした。いろいろ話しかけてくる同族はいたが、今の彼女には風の音と同じようなもの。耳に届くばかりで意味を成さない。 お腹の膨らみが目立ってくるようになると、日中は部屋に閉じこもり、夜、外を歩くようにした。そうすれば誰にも気づかれることはないだろう。 しかし、同じ屋根の下に暮らす家族に、父に己の変化を隠すのは無理だろう、とそう思ってはいた。できれば隠しておきたかった。戸惑いもなくエルトリオを殺し、サザンビークを滅ぼすと、そう告げた父ならこの子供も殺してしまうかもしれない。もしそんなことになったら、自分がどうなってしまうのかが分からず怖かった。 「夜中の一人歩きは、感心せんの」 ほとんど日課となっていた夜の散歩から戻ってくると、そこにはグルーノが待っていた。おそらく彼はずっと気がついていたのだろう、娘が夜中に出歩いていることに、そしてその体の変化に。 ゆったりとした服で一見それと分からぬように隠してあったが、それでも膨らんだお腹を目にすると、グルーノは小さく首を振った。 「日光にも当たらんと、腹の子にも悪いぞ」 想像していたものとはまるで違う言葉にかくり、と膝の力が抜けた。両目から零れる涙が止められない。 「ご、めんなさい、父さん。ごめん、ね」 こんな娘でごめんなさい。 泣きながら謝る我が子の肩をそっと撫で、グルーノはもう一度緩く首を振った。 「わしは人のいない静かな場所が好きでの。明日は日のあるうちに、散歩に付き合ってもらうから、今日は休みなさい」 ありがとう、と泣きながら呟いた言葉は、しっかりと父の耳に届いたようで、子供をあやすように頭を撫でられ、また涙が止まらなくなった。 「産んでしまえばこっちのもんじゃろうて」 さすがに父娘の二人だけで出産に臨むことはできないだろう、とその不安を打ち明ければ、産むぎりぎりまで隠しておいて医者を呼べばいい、という答えが返ってきた。陣痛の始まっている妊婦を前に父親がどうの、と言いだす者はさすがにいないだろう。 「父親のことは隠しておけばよい。そのほうがその子のためでもある」 父の言葉に、ウィニアは仕方なく頷きを返す。ウィニアにしては隠すべきことではなく、むしろ胸を張りたいことなのだが、残念ながらそうせざるをえない場所なのである。優先すべきは自分の感情ではなく、産まれてくる我が子。 子供に関しては味方になってくれるらしい父が心強かった。体調が悪く臥せっている、と周囲にはいっているため、ときおり見舞いにヴァンが訪ねてくるが、それもすべてグルーノが追い払ってくれている。出歩けないウィニアのかわりに出産や育児に関する本を集めてくれたり、赤ん坊の服を揃えてくれたりと、今ではウィニアと同じように子供の誕生を待ちわびてくれているようだった。 そんな中、グルーノがひどく気落ちしている日があった。何かあったのかと尋ねると、彼は少しだけ言葉を探したのち、苦笑を浮かべて口を開く。 「いや、なに。竜神王様がの、人間の姿を封印すると仰ってての」 竜神王はウィニアたち竜神族を束ねる存在である。王と名乗るだけありその力は強く、幾通りもの違う竜の姿に変わることができるのだ。 「そんなこと、できるの?」 「竜神王様のお力なら可能じゃろうがの」 封印してどうなるかが分からない、とグルーノは言う。 「今お止めしてるところじゃが、それもどこまで持つかの」 そもそもどうして突然そんなことを言い出したのかが分からない。王とはいえ彼だって竜神族の一人だ。人間と竜の、両方の姿を持つのが本来あるべき姿のはずで、その片方を無理やり押さえこんでも仕方がないだろうに。 「考えなおして、いただけたら、いいね」 小さく指を動かしながらそう言うと、グルーノはそうじゃの、と小さく笑った。 「しかしウィニアよ……お前はほんとに不器用じゃの。いつになったら靴下ができるんじゃ?」 「……これでも頑張ってるの!」 靴下を編み始めてすでに一月以上経っていた。 その翌日。 指折り数えて、大体今八ヶ月くらいだろうか。人間の子供が母の胎内にいる期間は詳しく知らないが、竜神族の場合は八ヶ月から九ヶ月で産まれてくる。半分人間の血が入っているとはいえ、母体はウィニアだ、おそらくそろそろ産まれてもいい、そんな時期だった。 グルーノは朝から出かけており、ウィニアは自室で肘掛椅子に腰かけてゆっくりと読書をしていた。 「い、たた、もう、今日はやけに蹴るね。何かあったの?」 くすくすと笑いながらそっとお腹を撫でたところで、不意に階下が騒がしくなった。人の声と、ばたばたと二階へと向かってくる足音。確か今、通いで家事をしてくれている女性が一人下にいたはずなのだが、「お待ちください!」という彼女の声が聞こえた。 何かあったのだろうか、と立ち上がろうとしたところで、急に部屋に飛び込んできたものがある。 「ウィニア!」 息を切らしてやってきたのは、幼馴染のヴァンであった。 「ウィニア、…………!? お前、その腹……」 どうやら彼は何か言いたいことがあってここまで来たらしい。しかしその前にウィニアの体の状態に気づいてしまった。明らかにもう一人の存在を主張する大きくなった腹に、思わず絶句している。 今更隠したところで仕方がないだろう。そっとお腹を撫でて「驚かして、ごめんね」と囁くとヴァンのほうに視線を向けた。 「何?」 用件を手短に。そんな思いを込めた言葉に、ヴァンが眉を寄せて唇を噛む。 「そ、れは…………あの、人間の、子供か……?」 途切れ途切れの言葉にウィニアは緩く首を横に振った。 「あの人間、なんて、私は知らない」 一瞬だけ彼が安堵したように見えたが、次の彼女の言葉でまたすぐに怒りの表情へと戻る。 「この子は、私が愛した人の子。エルトと、私の子」 どん、と鈍い音が室内に響いた。怒りのままヴァンが部屋の壁に拳を打ちつけたらしい。どうして彼がこんなにも怒るのかが、ウィニアには分からなかった。人間と交わることがそんなにもいけないことなのだろうか。人間とは、そこまで避けなければならない存在なのだろうか。 「人間との子供、など、許されるはずがない!」 「誰が許さないの?」 「そ、れは、皆だ、皆! 竜神王様だって……ッ!」 「だから、何」 そもそもどうして許可がいるのだろうか。 生きることも死ぬことも、誰かを愛することも、愛した人の子を産むことも。 誰かに許されて行うことではない。 自然に、心のままに行うことではないだろうか。 「誰に許されなくても、いい。この子は、私と、エルトが愛すから」 きっと、父グルーノも愛してくれるだろう。 だから大丈夫、ともう一度お腹を撫でたところで、入口から「は、」と乾いた笑いが聞こえた。 「そう、だ、俺はお前に教えに、来たんだ、お前の迎えは、もう二度とこない!」 ははは、と笑いながら告げられた言葉を、ウィニアは上手く理解できなかった。 どういうことか、と視線だけで尋ねると、ヴァンは口元を歪めて吐き捨てる。 「あの人間は、死んだんだよ……!」 死んだ。 あの人間。 それは、誰の。 「昨日、里の入口から少し行ったところに人間の死体が転がってたのを見た奴がいてな。人間なぞどうなろうが知ったことではないから放っておいたが、今グルーノ長老がこっそりそこへ向かうのを見て後をつけたんだ。 そうしたら、どうだ! そこで死んでたのは、確かにあの人間だったよ!」 だからもう二度と、あいつはここにくることはできないのだ、と。 ヴァンは続けて言った。 「グルーノ長老も何をするかと思えば、丁寧にその男の墓なんぞ作ってたな。人間など、崖下に放りだしておけば」 「ヴァン……!」 べらべらと言葉を並べたてる彼の口を、鋭い声が止める。騒ぎを聞きつけてグルーノが戻ってきたらしい。彼は青い顔をして、ヴァンをきつく睨んでいた。剣幕に押されたヴァンは、息を呑んで口を閉ざす。 緊迫したその空気を破ったのは、か細いウィニアの声だった。 「うそ、」 緩く首を横に振る。 「嘘でしょ……? エルトが、……ねぇ、違う、よね?」 「ウィニア」 近づいてきた父の腕にすがりつく。 「ねぇ、嘘でしょう!? エルトが、死んだ、なんて! 違うって、そう言ってよ!」 「ウィニア、落ち着きなさい、あまり興奮しては……」 「エルトじゃない! 待ってて、って、そう言った! 言ったもの!」 「いや、確かにあれはあの人間だった! 俺は見たんだ!」 「ヴァンッ!」 「ッ!!」 ウィニアに信じさせようとヴァンも必死だったのだろう。尚もそう口にした彼をグルーノが叱責したと同時に、ウィニアが息を呑んだ。同時に眉をよせ、腹を抱えて体を折る。 「ウィニア? ウィニアッ!」 名を呼んでも返事をすることさえできないらしい。腹部からくる痛みにウィニアはうめき声を上げる。 「ヴァン! 医者を呼んでこい!」 「……ッ、な、なんで、俺が」 「早くせんとウィニアまで死ぬぞ!」 その言葉に、彼は弾かれたようにその場を去った。 「ウィニア、大丈夫じゃからの。今、医者が来る」 娘を励ましながらその体を支え、ベッドへと移動させる。興奮と混乱が母体に影響したのだろう。もしかしたら陣痛なのかもしれない。時期的に早すぎるわけではないのでこのまま出産に至ったとしても問題はないだろうが、それでも間が悪すぎる。 「い、たッ、痛い、よ、エルト……ッ」 額に汗を浮かべ、ウィニアはただ愛する人を呼んだ。 その小さな手をそっとグルーノが握ると、痛みに耐えるかのようにぎゅうと強く握り返される。 「父さ、ん、ね、嘘、だよ、ね? エルトが、もういない、って……」 「ウィニア、今はお腹の子のことだけを考えるんじゃ」 そう告げてもウィニアは首を横に振るだけで、浮かんだ涙がつぅ、と零れ落ちていく。 「嘘、嘘よ……エルト……エルト……ッ、会いたい、よ……」 体を引き裂かれるような痛みはあったが、それもどこか遠い夢の中の出来事のようだった。 産まれたばかりの我が子を胸の上で抱かされたが、その温もりもウィニアにはよく分からない。 きっと今目を閉じたら、もう二度と開けられないだろう。 そう思うが、もうウィニアにはその瞳で我が子を見る力さえ、残っていなかった。 彼が亡くなった、とそう聞かされて。 心が急速に、離れていく。 ごめんね、エルト。 ごめんなさい、名前も付けてあげられなかった私の子。 本当はあなたと共に生きたかった。 この腕に抱いて、ずっと成長を見ていたかった。 人間と竜神族の間の子なんて、大変だろうけれど。 きっとあなたは優しくて素直で、明るい子になってくれると思う。 だって私とエルトの子供だから。 同じ時を生きることは叶わなかったけれど。 私はあなたの幸せをずっと願ってる。 エルト。 私とあなたはここで終わってしまうけど。 私たちの子供がきっと、新しく始まってくれるから。 私はあなたと出会えたこと。 あなたの子供を産めたこと。 すべてが幸せで仕方がなかったよ。 ――私はどこにいても、エルトリオを愛してるから。 ←10へ ↑トップへ 2008.12.17
パパママ過去物語。 本当はもっと別の筋を考えていたのですが、 いとうかなこ「とある竜の恋の歌」を聞いて衝動的に書き上げました。 エロゲの歌だけどね。 |