竜と人間の恋の歌・10〈Side-E〉




 彼女を連れて行ってしまったその父親と、同族である男に対する憎悪はある。しかしそれを上回るほど憎いのは、己の無力さだ。
 惚れた女一人取り戻せず、どうしてのうのうと生きていられるか。
 できることならこの場で殺してやりたいほど、自分が憎くて仕方がない。
 しかしどこかで彼女が生きている限り、死ぬわけにはいかない。

「ということで、陛下。私を第一王位継承者から外して頂きたい」
「何が『ということで』なんですか、兄上ッ!」
「クラビウス、後のことはお前に頼む。お前は私と違って真面目で優秀だ。十分国を治める器に足ると信じている」
「兄上!」

 本来ならば今すぐにでも国を発ちたいところだったが、先日のヴァンのようなことをする竜神族が現われないとも限らない。できる限りの避難経路の確保と警備の強化。ドラゴンに関する資料を集め、それに対する策を練って父王へと渡しておく。その準備に二ヶ月、かかった。

「もしこの国に竜が襲ってきたらそれはすべて私のせいです。被害が出るようなら、私の名を出して頂いて構いません」
「お前を憎むように先導しろ、と?」
「ええ。ドラゴンを憎んだところで仕方ない。憎むべき相手が人間ならば、しかもそれが突然王位を捨てて逃げ出した男ならばある程度納得できるでしょう」

 父と弟には事情を説明していたが、大臣以下城のもの、国民にはもちろん何も言わずに出ていくつもりだ。このことについては弟からは散々思いなおすように言われている。しかし王位を放棄することを伝えてから二ヶ月、この父親は何も言わぬままだった。

「……何も、言わないんですね」

 普通親なら止めるなりなんなり、言葉があるだろう。弟のように顔を合わせてはその話題ばかりではさすがに辛いが、せめて一言何か聞いておきたかった。
 しかし父親は緩く首を横に振る。

「言ったところで聞くような息子か?」

 その言葉にエルトリオは「いえ」と苦笑を浮かべるほかない。

「それに、今のお前に王座など譲れん。お前の眼は既に正気ではない」

 狂っている、と実の父親にそう告げられ。
 エルトリオは思わず笑い出してしまった。
 彼女を失って以来上辺だけの笑みを繰り返していたが、今この時だけは本当に、腹の底からおかしかった。

「あははは! 実の息子を狂人呼ばわりしやがるか! さすがだよ、親父。
 でもさ、仕方ないよね、恋は人を狂わせるんだよ」

 ラブイズクレイジー、とウインクしてみせると、父王は「さっさと出て行け馬鹿息子」と呆れたようにため息をついた。




***   ***




 手がかりは彼女がいつも飛んで来ていた方向と、「祭壇」という言葉だけ。その場所を捜し出すのに四ヶ月かかった。
 その間かなり腕を磨いたつもりだったのだが、さすが人間を拒む場所にあるだけある。魔物の強さも地上に現れるものとは比較にならなかった。
 ここで死に至っては意味がない、と焦る気持ちを無理やり押さえこんで少しずつ力をためながら、前へと進んでは戻る。回復魔法がまったく使えないというのが痛い。持てるアイテムにだって限界があるのだ。しかしそれだって、頭を使えばなんとかなる。限られたものをぎりぎりまで使い、長い洞窟の中をひたすら前進する。
 はっきり言ってしまえばこの先に彼女がいるという確証はない。ただ、誰も足を踏み入れたことのないらしい場所だから可能性がある、というだけの話。
 それでも、今まではその糸口すらつかめていなかったのだ。それに比べれば格段と進歩している。

「ウィニアさん、元気かなぁ」

 聖水を撒いたところでこのあたりの魔物には効かないだろう。しかしそれでも気休めにはなる。危険のある場所だと分かってはいても、体力に限界はあるわけでたまの小休止は必要だ。
 暗い洞窟の中、剣からは手を離さぬように腰をおろして息を整える。

 彼女と離れて既に半年以上経っている。
 彼女は元気でやっているだろうか。泣いていないだろうか。
 いや、彼女ならば家の中でめそめそしているよりもきっと、外へ出てこちらへ来る方法を探しているだろう。

「無茶してないかなぁ」

 それが一番の心配だ。
 おそらく、彼女の体は彼女一人だけのものではない。
 最後に会った少し前くらいから、ずっと彼女は体調が悪いと言っていた。体がだるく吐き気がする、と。きっと彼女も察していたのだろう。あの日。マヒャドが目の前に放たれたとき、彼女は急所である頭を庇う前にまず、自身の腹を庇っていた。

 その行動はまさしく、母親のもの。
 自分の胎内にいるかもしれない子供を、まず第一に庇おうとしたもの。

「あの時が二ヶ月か三ヶ月くらいだとしたら、もう九ヶ月くらい? そろそろ産まれてもいい時期だよなぁ」

 自分と彼女の子供。
 考えただけでも頬が緩む。
 その愛しい結晶をこの腕で抱けたらどれほど幸せだろうか。
 小さな我が子を胸に抱き、愛する人にキスができたらどれほど幸せだろうか。

「よぉし、パパ、もうひと頑張りしちゃおっと!」

 声を張り上げて、エルトリオは立ち上がった。
 実際のところ、己をそう奮い立たせなければならぬほど、彼の疲労は激しかったのだ。洞窟の奥深く、そろそろ最奥に到達してもいい頃合いではないかという場所。頬を撫でる風に、かすかに外の匂いを感じる。
 襲ってきた魔物を切り捨て、そのまま強引に押し切った。持ってきていた回復アイテムは当に使い切っている。魔力の残りも乏しく、攻撃魔法を一度でも使えば、脱出用の移動魔法分がなくなってしまう。
 そんな時だった。

「……光……」

 視線の先に、久方ぶりに見る太陽の光。
 出口だ。
 ようやくこの長いトンネルの終わりが見えたのだ。

「ッ、ああ、もう、うざってぇ魔物だなッ!」

 地面を蹴り、剣を振りおろして立ちはだかる魔物を斬る。同時に横からもう一体魔物が現われ攻撃の構えを見せているが、攻撃を回避しながら戦闘をする時間が惜しい。今はとにかく、ようやく見えた光を浴びたいのだ。

「どけ、ってんだろうが、よ!」

 肩と左足に魔物の爪を受けたが、気にせずに進む。回復方法がない今はなるべく傷を受けないように、慎重に戦うべきなのだろうがそれだけの余裕は既にない。
 魔物を横になぎ払って倒し道をあけると、光さす出口はすぐそこ、
 のはずであった。

「ッ!?」

 背中からの衝撃。
 始めは何が起こったのか理解できなかった。
 痛みを理解する前に、反射的に体が動く。

「焦げ、さらせ!」

 残しておいた魔力を左手に集め、振り返ると同時にメラゾーマにして魔物へとぶつける。「お前はいつか国を焼き滅ぼすつもりか」と父王さえも呆れたほど威力のある炎の魔法。

「しま、った……ルーラ分、だったのに……」

 消炭となった魔物を見下ろして呆然と呟く。しかしこの傷では魔法でも使わない限り、今の魔物を倒すことはできなかっただろう。どちらにしろ、移動魔法分の魔力は残らない。
 現状を理解すると同時に体に痛みが走る。
 じわり、と上着に広がる赤黒い染み。背後から突き刺さった魔物の爪は腹部を貫通していたようだ。溢れる血の量が普通の怪我ではないことを物語っていた。あまり見たくはないが、それでも手当をしないことには進めない、とそう思う頭の中で、同時にこれはもう助からないという思いもわき上がる。
 どちらが冷静でかつ客観的な見解なのか、今の自分にはもうその判断すらできない。
 裂いた布を腹に巻きつけて縛ってみるが、それも数歩歩くうちにすぐに黒く血に染まっていく。止血できそうなものなど、手元にはもうない。あとは今着ている服を裂くしかないのだが。

「いやいや、全裸は、まずい、っしょ」
 仮にも元王子、だし。

 誰にともなくそう突っ込んで、エルトリオはふ、と口元に笑みを浮かべた。案外こんな状況でも人間笑っていられるものだな、と一人思う。それと同時にがくり、と足から力が抜けた。脳が揺れる。血の流し過ぎだろう。
 それでも何とか剣を支えに移動して、洞窟の外へと無理やりに出る。
 ここで倒れてしまっては、せっかくの太陽を見ることさえできない。
 その思いだけで体を動かして、なんとか岩肌へ背を預けるようにして座り込んだ。

 目の前にはどれだけ深いのか分からない崖。そして空、雲、太陽。
 とくとくと、流れる血が止まる気配はない。
 おそらくもう、自分は立ち上がれないだろう。
 ぼんやりと、そう思う。

「ごめん、ね、ウィニアさん」

 この先にいるかどうかは分からない、それでも世界のどこかで自分に会うために努力をしてくれているだろう、最愛の人。
 信じて、なんて言っておきながらこの様だ。どれだけ謝罪しても謝り足りない。優しい彼女のこと、許してはくれるかもしれないが、それでも悲しませることだけは違いない。

「頑張ったん、だけどな……」

 それでも手が届かなければ意味がない。
 もう一度、彼女をこの手で感じたかった。
 柔らかな髪の毛を指で確かめたかった。
 彼女の頬に、唇に口付けたかった。
 思い切り抱きしめたかった。
 どれだけ望んでも、もう叶わない。
 もう決して、叶わない。

「ちくしょう……絶対、化けて、出てやる……っ」

 心残りが、多すぎる。







 ごめんね、ウィニアさん。
 ごめんね、まだ見ぬ我が子。
 一度だけでも君を、この手で抱いてみたかったよ。
 きっと可愛くて、賢くて、誰からも愛される子になるだろうね。
 だっておれとウィニアさんの子供だもん。
 同じ世界に生きることは叶わなかったけれど。
 おれは君の幸せを、ずっと願ってるよ。

 ウィニアさん。
 おれはここで、力尽きちゃうみたいだけど。
 君だけはどこかで生きていて。
 お腹の子供と一緒に、笑っていて。
 いつまでも迎えにこないおれのことは、怒って忘れてくれていいから。
 もしいつか、ここにいることに気づいてくれたら、そのときは。
 ちょこっとだけ泣いてくれたら、それでいいから。



 おれは、どこにいても、ウィニアを愛してるよ――





9へ・11へ
トップへ
2008.12.17