桃色の甘い誘惑・前


 パーティ内で何らかの騒動が起こった際、十中八九その原因はエイトである。彼以外に問題を起こすような人間はいなかったし、エイトが引き起こす事態が滅茶苦茶すぎてたまに他の仲間が何らかの失敗をしたとしても「エイトに比べれば……」とあっさり流されてしまうためだ。
 失敗を隠せるという点においては非常にありがたい存在であるが、しかしそのためには彼の言動に振り回されるというリスクを負わなければならない。それをリスクとは思えない、あるいはそのリスクそのものを楽しんでしまえる、あるいはそれ以上の何かをエイトから得いている人間でないと彼と深く付き合うことは無理であろう。

 今現在最もエイトの言動のとばっちりを受けていると言っても過言ではないだろう青年、ククールがそのどれに分類されるかは定かではないが、その時も彼は通常ならばありえない声を聞いてまず真っ先にエイトの顔を思い浮かべた。時刻はようやく日も明け、人々が起き出した時間帯。前職の関係でククールは朝に強い。強いられた習慣はなかなか抜けないもので、太陽が顔を出すと同時に自然と目が覚める。身支度を整え、習慣となっている祈りを終えたところで、不意にどこぞより人の叫び声が聞こえてきた、ような気がした。
 今日は赤貧パーティには珍しく一人一つずつ部屋を取っている。たまには完全なプライベートの時間も必要だ、というのがエイトの意見。そのため室内にはククールしかいない。まさかこんな時間に隣室(この部屋の左隣がエイトで向かいにゼシカ、ヤンガスの部屋がある)にまで届く声を上げるほど、エイトも常識がないわけではないだろう。
 気のせいか、もしかしたら寝言かもしれない、と楽観的な方へ流れ掛けていたククールの思考は、扉を叩く音によって無残にも破られてしまう。ドンドンドン、と遠慮なく扉を叩くその勢いに、お前の力で殴ったらドアが壊れるだろう、と思いはするが口にしない。そもそもこの時点で姿も顔も見ていないのに、相手が誰であるのか無意識的に理解している自分に嫌気がさす。
 はあ、とため息をつき無視を決め込もうかとも思ったが、「ククールッ! ククール、ここ開けろっ!」と名指しで呼ばれては逃げようもない。

「なんか、すげーことになってんだって! 早く開けろ、この脳みそ桃色僧侶っ!! どうせ、起きて」

 エイトが言葉を続ける前に扉を開いたククールは、無言のまま彼を室内に引っ張り入れて、やはり無言のまま扉を閉めた。
 そしてごつん、と拳で頭を殴った後、「誰が脳みそ桃色だっ! つか、朝っぱらからうるせぇよ!」と文句を言う。

「やっぱり、起きて、たんじゃんっ」

 殴られた頭を押さえ、涙目になりながらもエイトはそう言う。すぐに出てこなかったことに軽く腹を立てているようだが、彼の怒りなど知ったことではない。

「いや、っていうか、それどころじゃねーんだって! 大変なんだよっ! 超大変っ! 大変って言うか、もう、大変なの!」

 常日頃、自ら称しているようにエイトの頭脳レベルはあまり高いとは言えない。少ない語彙の中で彼の現状を表せるものが「大変」しかないのだろう。しかし聞いている人間がそれだけですべてを察するのは不可能である。
 目の前で「大変」を連呼する小さなリーダの頭をぽんぽん、と軽く撫で、とりあえず綺麗に整えたベッドの上に座らせた。床の上に放置していた荷物から飴玉を一つ取り出して手渡そうとするものの、エイト曰く「大変」なことに意識がいっているため受け取ろうとしない。仕方なく包みを取り除いた飴玉を彼の口の中に直接突っ込んでやった。そこでようやくエイトは口を閉ざして大人しくなる。
 程よい甘さと適度な酸味のある飴をしばらく転がし、それほど大きくないそれを噛み砕いた頃に「落ち着いた?」と声をかける。

「何がどうなって大変なのか、オレにも分かるように説明しろ」

 頷いたエイトを確認して、そう続ける。
 するとエイトは右斜め上を見上げて少し考えた後、ククールへ視線を戻し、こてん、と首を傾げた。

「俺が女になって大変?」

 聞いているのはこちらなのにどうして疑問形なのか。腑に落ちないがそこを問いただしていては話が進まない。今までの経験からして、話半分程度に聞いていた方がいいのだ。

「女になるって、具体的にはどういうこと?」

 想像できる範囲で考えるなら、誰かの愛人として見染められただとか、女装を迫られて断り切れなかっただとか、あるいは誰かに無理やり突っ込まれただとか。もし三つめだった場合、相手の命はないものを思ってもらおう。そんなことを考えていたところで、「いや、具体的にも何も」とエイトが、今まで傾けていた方とは逆向きへ首を傾げる。

「そのまんま。肉体的に。ほら」

 ぐい、と手首を引っ張られ、エイトの胸元へ右手を誘われる。いつもならば手のひらには、少しだけ体温の高い平らな胸の感触があるはずなのだが。

「……おい、こら、無言のまま揉むな。気持ち良くなったらどうすんだ、エロ僧侶」

 気持ち良くなって何か問題でもあるだろうか、と考えたところまでが限界だった。ぱし、っと払いのけられた手のひらへ視線をやり、いつもとはまったく異なる柔らかなその感触を思い出して、ククールはぶはっと盛大に吹きだした。

「っ、はっ、あははははっ! な、何だよ、お前、それっ!! どんな嘘胸? 詰め物? リアルすぎるだろ、その感触はっ!!」

 あははは、と声を立てて笑うククールを、キッと睨みつけて「嘘胸じゃねぇんだよ、これっ!」とエイトが吠える。

「いやいや、エイトくん、いくらなんでも、君が男の子だってことはこのオレが誰よりもよく知ってるつーの。どれだけお前の舐めてイかせてやったと思ってんの」

 肩を竦めて首を横に振るククールの前で、ベッドに腰かけたエイトが「ほんとに嘘じゃねーもん」と小さく呟いた。両腕を胸の前でクロスさせ、まるで少女のようなその仕草に、いつもこれくらい大人しければ可愛いのに、と思いながらククールはその手を伸ばした。
 両の手首を一つにまとめてエイトの抵抗を奪い、そのままいつも着ている青いチュニックをたくしあげる。

「ッ!?」

 突然のククールの行動を理解すると同時にエイトは真っ赤になって暴れ出すが、直接その膨らんだ両胸を目にしそのまま凝視したククールは、しばらくしたのち、

「っ、く……ッ」

 やっぱり吹きだした。

「――――ッ、こ、殺す、絶対殺すっ! これ以上笑ったら、本気で死なすっ!」

 ククールの腕から抜け出したエイトは、必死の形相で上着の裾を下ろして押さえながらそう怒鳴る。その言葉にとりあえず声を上げて笑うことを止めたククールは、「確かに、女になってんな」と肩を震わせた。

「だから、そう言ってんじゃん! 大変なのっ!」

 わめくエイトを見下ろし、彼の言葉を聞き流しながらククールはにたり、と意地の悪い笑みを浮かべる。その表情を目にしたエイトはぴたり、と口を噤んだが、その場から逃げるだけの時間は残念ながらなかった。

「ギャーッ! 変態っ、エロ魔人ッ! 離せぇえええっ!!」
「暴れんなって。ほんとに女の子なのか、下も触って確かめようってだけだろ」
「必要ねぇしっ! 自分で見て確かめたから!」
「いやいや、ここは第三者の証言も必要だぜ?」

 ベッドの上にエイトを押さえつけ、じたばたと大きく動く足をなんとか抑えこむ。そのまま下肢へ手を伸ばしたところで、「エイトッ、何かあったのっ!?」とノックすることもなくゼシカが部屋に飛び込んできた。
 乱れたシーツの上、嫌がる少年を押さえこみ、今まさに襲いかからんとする赤い騎士の姿。彼女のゲンコツが飛ぶのも仕方ないことだっただろう。

「ちょっとしたお茶目じゃん……」

 鳩尾へもろに叩き込まれたせいで、しばらく呼吸をするのも苦しそうだったククールは、痛む腹を押さえながら頬を膨らませてそう弁解した。そのころになって騒ぎを聞きつけたヤンガスが、まだ半分寝ぼけた頭で部屋へとやってくる。
 メンバ全員がそろったところで、ようやく問題の事態へ真正面から向き合うこととなった。仕切り役は当然のごとくゼシカだ。

「魔法か呪いかどちらかでしょうね」

 エイトとククールから状態を聞きだした彼女は端的にそう結論付ける。変化の魔法があることは知識として知っているし、身近には魔物や馬に呪いで姿を変えられた存在もいる。考えられない話ではなかった。

「兄貴、ほんとに体ごと変化しちまってるでげすか?」

 一見、エイトの姿は普段と変わらない。今までが男にしては少し華奢で童顔だったせいだろう。そんなヤンガスへ、「何なら触ってみれば?」とククールが笑いながら提案する。それにヤンガスは顔を真っ赤にして慌てて首を横に振った。

「見て触ったオレが言う、完全に女の体だこれは。下もついてな」

 かったし、と続ける前に、枕が飛んできた。投げつけたのはもちろんエイトである。

「気持ちだけで人が殺せるなら、ククールは今日五回は確実に死んでるっ!」
「そんなにオレのことを考えてくれたんだ? 嬉しいなぁ」
「違ぇよっ! 何でそんなにプラス思考なのっ!?」

 二人の間で交わされる言葉にゼシカはふぅ、とため息をつくと、無言のままエイトとククールの額を叩いた。

「エイト、いちいちククールの言うことに返すんじゃないの。ククールも、エイトをからかうのはやめて。話が先に進まないでしょ」

 同じように額を押さえた二人は、彼女の怒りの含まれたセリフに素直に頷いた。
 それじゃあ、と気を取り直して場を仕切ろうとゼシカが口を開いたところで、またタイミングよく部屋のドアが叩かれた。皆忘れているが、一応時刻は朝、まだ眠っている人もいるかもしれない時間帯。さすがに騒ぎ過ぎたのかもしれない、と眉をひそめながら部屋の主が「どうぞ?」と声を上げる。
 現れたのはククールの考えたとおり、宿屋の主人だった。どこか困ったような顔をしている彼へ、「騒がしてしまって申し訳ない」とククールは先に謝罪を口にする。続いてゼシカも「ごめんなさい、もううるさくしませんから」と頭を下げた。
 そんな二人に対して宿屋の主人は「いえいえ、お気になさらないでください」と首を横に振る。その言葉に、謝罪を口にした頭脳労働組二人は顔を見合せて首を傾げた。どうやら彼は苦情を言いにここに来たわけではないらしい。その用件を尋ねようとした矢先に、彼は口を開く。

「あの、もしかして、誰かの性別が変わってしまったとか、そういう騒ぎじゃありませんか?」



 宿の主人から詳しい話を聞き、ようやく納得する。道理で彼は早朝から騒いでいても怒らないはずだ。この宿では度々起こっていることなのだから。彼曰く、原因はここへたどり着くまでの山中に実っている果物だという。手のひらに乗る程度の大きさで、薄い桃色の果物は非常に甘い匂いを放っているらしい。それを食べた生物はすべからく性別が逆転してしまうのだ、と。

「昔から、このあたりは妙な力があるらしくて、その影響でできたんだろうと、昔調査に来た学者様がおっしゃってたらしいんですけどね」

 詳しいことは私ら無学なものにはさっぱりです、と彼は苦笑を浮かべて頭をかいた。

「ただ、その果物の効果は大体三日で消えます。しばらくは不便かもしれませんが、必ず元に戻りますので、どうかお気を落とさないように」

 彼はそれを伝えにきたらしい。それだけ言って頭を下げ、部屋を出て行った。その背中へ「親切にありがとう」とゼシカが声をかける。
 ぱたん、と扉が閉じられると同時に室内に静寂が落ちる。
 無言でじっとエイトを睨みつけるゼシカに、必ず戻るという事実に安心したのか欠伸をするヤンガス、どこか居心地悪そうにしているエイトと、そんなリーダを見下ろして再び笑いの波がこみ上げてきたらしいククール。

「……何がそんなにおかしいんだよ、お前は」

 くくく、と肩を震わせて笑うククールへ恨みがましげな視線を向けるも、彼は笑いやまない。それどころか、伸ばしてきた手でぽんぽん、と子供のように頭を撫でられた。

「ッ! そんっなに面白いなら、今ここで全裸になってやろうかっ!? そんで表走り回ってやるぞっ!」

 ククールの人を小馬鹿にした態度にエイトが切れるのと、「そんなことに怒るより先にっ!」とゼシカが叫んだのはほぼ同時。

「己の意地汚さを反省しなさいっ!!」

 山中の木に生っていた得体の知れない果物を食べたエイトのおかげで、パーティメンバは思いもかけず三日の休日を得ることになった。





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2008.08.13