一期一会・前 エイトの掘った落とし穴が異次元に繋がりました。 「…………」 「…………」 「なぁ、ククール」 「……なんだ」 「…………ここ、どこ?」 「オレが聞きたいわっ!」 スパン、とククールの平手がエイトの後頭部へ閃いた。何すんだ、と少年が文句を口にする前に、極太の油性ペンで顔面に『不機嫌です』と書いてあるかのような表情をしているククールが、スパンスパンと連続で頭をはたく。 「そもそもオレらはベルガラックにいたんだよな?」 右側頭部をペシン、と一発。 「どこかのバカが自分で掘ったことを忘れてた落とし穴に落っこちて」 左側頭部へスペン、と一発。 「這いあがってきたところ優しいククールさんが助けてやった、と」 もう一度右側頭部へ平手を一発。首の揺れがおさまったところで頷いたエイトが、「そうそう、で、ついでに、」と言葉を続ける。 「一緒に落ちとこーぜーっつって、」 「お前に引っ張り落とされたってわけだ」 ごつん、と今度は握りしめられた拳が頭頂部へ。 悲鳴を上げる間もなく落とし穴の底まで二人して落ち、色々と口にしたいことはあったが説教その他諸々は地上に出た後だ、と思いのほか高い土壁をえっちらおっちら上り、日の下まで出てきたところで、二人の目の前に広がっていた光景は先ほどまでのベルガラックの街並みではなかった。 ベルガラックといえば、大陸屈指の娯楽の町。整えられた町並みはどこか上品さが漂い、どちらかと言えば富裕層の多い町だ。歴史はあまり感じられないが、十分鑑賞に足る建物が並んでいたはずなのだが、今二人の目の前にはそういった建物は一つも見当たらない。というよりもそもそも、町自体が、ない。 あるものは海と砂浜と岩。以上。 鈍痛のする頭を抑えて右を見たエイトは、広がる海原から視線を反らせる。そして左を見て砂浜と岩山に呆然とした後、「ククール……」と長身の仲間を見上げた。 「おうち、帰りたい」 「オレも帰りてぇよっ!」 もう一発、怒りに震える拳がごつん、とエイトの頭に落とされた。 「――――ッ」 痛みのあまりエイトは頭を抑えてその場に蹲る。そんなリーダへ視線を向けることもなく前髪を掻きあげ、額に手を当てたままククールはくるり、と辺りを見回した。 海と岩。足元は砂浜。背後には自分たちが今這いあがってきた穴。一人でここまで深い穴を掘るのは相当の労力がいっただろう。どうしてこの熱意をもっと別の方向へ向けられないのか。考えたところで頭の中が異次元である彼の思考回路を追うことなど不可能だ。とりあえずククールが把握しなければならないことは現状のみ。あとはバカが一匹いることさえ分かっていればなんとかなる。 そしてそのバカの掘った穴のせいで妙な場所に飛ばされたのだとすれば、ここから帰ることができるのではないか、と考えるのはごく普通の思考回路だろう。 ちらり、と未だ蹲って泣き真似をしているエイトへ視線を落とし、穴へ目を向け、もう一度エイトを見下ろしたところで、顔を上げた少年と目が合った。 「ッ!」 「甘いわっ!」 捕えようとしたククールが手を伸ばすより先に、何かを察したエイトはそう言ってその場を飛びのいた。 が、如何せん足元は砂。細かな粒が集まっているだけの柔らかな地面に足を取られたエイトがどうなるか。 ずるっ、べしゃっ。 綺麗に転ぶのである。 「……甘かったな、お前の考えが」 「そうみたいデス」 さすがに少し凹んでいる様子のリーダが立ち上がるのに手を貸し、身体に纏わりついている砂粒をはたき落してやる。口の中にまで砂が入ってしまったのか、エイトはしきりにぺっぺっ、と唾を飛ばしていた。行儀が悪いから止めなさい、と頭を叩き、ハンカチで顔と口元の砂を拭ってやっているところで、くすくすと誰かの笑い声が耳に届く。どうやら女性らしいその声は岩場の向こう側から聞こえてくるが。 姿を現そうとしない彼女にとりあえず顔を見合わせ、気配を殺してそちらへ歩み寄る。笑い声はまだ聞こえており、一体何がそんなにおかしいのだろうか、彼女以外にも誰かいるのだろうか、そう思いながら岩場の影を覗き込めば、はたしてやはりそこには一人の女性が蹲っていた。 「ッ、く、ふふふっ、こけっ、こけた……っ、あたま、から、キレイに……っ」 どうやら彼女、目の当たりにしたエイトのこけっぷりが相当ツボだったらしい。 「……お前、笑われてんぞ」 「…………すげぇ複雑。殴りたいけど、女のひとだし……」 とりあえずしゃがみこんで腹を抱えている彼女を見下ろしククールが言えば、苦虫をかみつぶしたかのような顔をしたエイトが唇を尖らせる。さすがの少年も、初対面で誰とも分からぬ女性に手をあげるほど常識がないわけではないらしい。 「あーのさぁ、どうせ笑うなら隠れてないで正面から笑ってくれた方がまだマシなんだけど」 それはそれでどうだろう、と思うようなことをエイトが口にしたところで、ようやく彼女が顔を上げた。 「お、美人」 嬉しそうにククールが呟いた通り、かなり容姿の整ったひとだった。白い肌にす、と通った鼻筋、細められた瞳はエイトと同じように深い漆黒で、ふっくらとした桜色の唇が笑みを形作っている。顔を上げた拍子に彼女の頭を覆っていたフードがぱさり、と背中へ落ちた。 「あ……」 「あれ? その耳……」 さらりと風に流れる髪の毛の隙間から飛び出た耳。赤みを帯び尖ったそれに見覚えがあり、エイトが指さして言ったところで、「きゃぁあっ!」と彼女が悲鳴を上げた。 「えっ?」 「ちょっ、なに、」 素早い動作で二人から距離を取った彼女は、慌てて背中で揺れるフードを頭へと戻す。突然のことに驚いて声を上げるエイトたちへ背を向け、その場から走り去ろうとした彼女は。 「……まあ、そうなるよな」 「ですよねー……」 砂に足を取られ、先ほどのエイトと同じように綺麗にこけた。 ずるっべしゃっ、と。 「あー、えーっと……大丈夫?」 砂浜に顔を埋めたままの彼女の側にしゃがみこみ、エイトがそう声をかける。顔を上げた彼女が涙目のまま「大丈夫じゃ、ない」と小さく呟いたところで、再びの闖入者。 「ちょっ、ウィニアさんっ!? どうしたのっ!」 今度は男の声だ。しかもどこかで聞いたことのあるような声音。 現れたのは大地色の髪をした若い男だった。簡素な服装ではあるが、仕立てが良さそうでどことなく気品が感じられる。人の好さそうな顔をしている彼は、驚いた表情で倒れこんでいる女性の元へと駈け寄った。 「エルト……」 「うわっ、砂だらけ。あーあ、髪まで……ちょっとじっとして」 「口の中に砂入った……」 「ぺっしなさい、ぺって」 先ほど自分たちが行っていたであろうことを目の前で再現され、エイトとククールは非常にしょっぱい表情を作ることしかできなかった。 どう見てもこの男女は恋人同士であり、若い二人の間に割って入るほど野暮なことはない。ここは静かに退散するべきだろう、言葉を交わさずそんな意思疎通を行った二人はそっと踵を返したが。 「…………ちょっと待て、今彼女、『エルト』っつったか?」 「あの男の人、『ウィニアさん』って呼ばなかった?」 ぽつり、と言葉を落とし、同時にばっ、と振り返る。 その気配に気がついたのだろう、ようやく二人へ視線を向けた男が、「なに、」と眉を寄せて女性を庇うように前に立つ。警戒心をむき出しにした彼の態度だったが、エイトとククールにはもはやそのようなことはどうでも良かった。 広げた両の手のひらをまじまじと見つめ、エイトは震える声で感極まったように呟く。 「俺は俺の才能が、恐ろしい……!」 「オレもお前の能力が恐ろしいよっ!」 一体何をどうして、どうやったら過去へタイムスリップするような穴を掘ることができるというのか。伸ばした腕でエイトの胸倉を掴み、小柄な少年をがくがくと揺さぶる。 「こっの、脳みそ異次元のちゃらんぽらん男っ! 何でもいいからオレを元の時代に戻せぇえっ!!」 この時ほど心の底から切実に叫んだことはない、と後に赤いカリスマは疲れ切った表情で語ったという。 中へ→ ↑トップへ 2011.02.15
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