一期一会・中


「…………」
「…………」
「…………」
「…………落ち着いた?」

 砂浜に腰を下ろした男、その彼の背に隠れるように座る女性。「あ、やどかり見っけ」とまったく現状を理解しようとしない少年に、疲れたように溜息をついて岩に腰を下ろす男。

「悪い、取り乱した」

 銀髪を風に揺らしてもう一度息を吐き出した後、「オレはククールってんだ。あっちのバカはエイト」と自己紹介をしておく。

「おれはエルトリオ。で、彼女はウィニアさん」

 エルトリオの背に隠れてこちらを伺っているウィニアは小さな声で「よ、よろしく……」と言った。

「ウィニアさん、すっごい恥ずかしがり屋さんなんだよ」

 ごめんね、と笑みを浮かべたエルトリオが謝罪を口にするが、「分かってる、それくらいじゃ驚かない」とククールは乾いた笑みを口元に張りつかせる。
 どういう意味だろうか、と首を傾げている男女を、ククールは失礼にならない程度にそっと観察した。エルトリオの声がどこかで聞いたことのあるものだと思えばなんのことはない、エイトのそれに瓜二つなのだ。ついでに言えば。

「エルトと、その、エイト、くん?」
 そっくり、ね。

 ウィニアの言葉通り、二人の容姿はそれこそどちらかが模倣魔法でも唱えたのかと思うほどよく似ているのだ。

「……それもまあそうだろうな」

 エルトリオにウィニア。
 聞き覚えがない、など言えるわけがない。つい最近耳にしたばかりの二人の名前。
 自分たちの知る人物と同一であるかどうかは分からないが、もしそうであるならば、彼ら二人は破天荒で傍迷惑で、だからこそ目が離せないリーダ、エイトの実の両親である。エルトリオの声と姿、そして先ほど見たウィニアの耳の形からして、そうである可能性は高いだろう。
 二人の悲しき末路を知ったのは先日のこと。そんな彼らがこうして目の前に存在し、喋り、動いている現状。
 ちらり、と砂浜に寝そべってカニと戯れている少年を見下ろし、はあ、と大きく溜息をついた。

「……なんだか訳ありっぽいね」
「まあな」

 あなたの息子のせいで大変な目にあっています、とは口が裂けても言えない。もし仮にこの世界がククールたちが生きているあの世界と時間軸的に繋がっているのだとすれば、余計な干渉はせぬ方が吉というもの。今のところエイトも何かを口にするつもりはないようだが、後で釘をさして置いた方がいいだろう。うっかりぽろっと彼の知っていることを言いだしかねない。

「とりあえずここがどこだか教えてもらえると助かる」
「へ? ここ? ポルトリンクって港町の側の海岸だけど……君たち、そもそもどっから来たの」
「あー……地名を言って理解してもらえるか……ベルガラック、って分かるか?」
「ああ、大陸の端っこにあるカジノの。へぇ、そんなところから来たの?」
「正確に言えば『ベルガラックに近いところ』からだな」

 あの町にはまだ仲間が二人残っているが、今この時代のベルガラックへ向かったところで彼女たちに会えるとは思えなかった。そもそも帰りたい場所はエルトリオの言うベルガラックではない。
 砂浜にぽっかりと空いた穴へは、先ほど一度エイトを突き落としている。しかし残念なことに文句を言いながら彼は這い上ってきたため、この穴から戻るという選択肢は潰された。あるいは移動が発動するには何らかの条件が必要なのかもしれない。
 この場合すぐに打てる手と言えばなんだろうか、と灰色の細胞をフル回転させて思考している男の側で、「なあ、ククール」と元凶が呑気に口を開く。

「このカニ、食えるかな」

 どうやらお騒がせボーイ、腹が減っているらしい。
 エイトの手に寄って理解しがたい事態が引き起こされたのは午前中のこと。空を見上げればそろそろ昼近い時間帯であることが分かり、無駄に騒いだため確かに空腹感はある。

「……食うな。飯、連れてってやるから」

 エルトリオの言葉通りならば、少し歩けばポルトリンクがあるはずだ。食事のできる場所もあるだろう。
 砂浜に寝転がっていたため、再び砂だらけになった少年の服を叩きながら言えば、「だったら、」と同じようにはたはたと自分の服をはたいて砂を落としているウィニアが口を開いた。

「私たちと一緒に、どう……?」

 駄目かな、と小さく首を傾げる姿は少女のように可愛らしい。くり、とした目元がエイトによく似ている、とククールは思った。

「珍しいね、ウィニアさんが初対面のひとを誘うの」

 少し驚いたようにそう言うエルトリオへ、「あ、ごめんなさい、勝手に……」と彼女はしょぼんと俯く。

「や、いいよ。おれも彼らに興味あるし、もっと話してみたいって思ってたから」

 恋人同士である二人と共に食事をするのは多少気が引けなくもないが、おそらくこの機会を逃せばもう二度とこんな時間は持てないだろう。そう思い、エイトとククールはありがたく彼らの誘いを受けることにした。


**  **


「エイト、あの二人には何も言うなよ?」
「俺らが未来から来たかもってこと?」
「それも含め、お前の親だってことも、あの二人のこれからのことも」

 彼らが食事を取る予定だった場所はポルトリンクではないらしい。そこより少し南東にある別の村へ向かいながら、こそこそとそんな会話を交わす。ククールの忠告にエイトは、「言えるわけねぇじゃん」と眉を顰めた。
 彼の場合はわざわざ悲惨な末路を教え無駄に悲しませる必要などない、という意味での言葉なのだろうが、ククールが二人に何も言わない、言えないのはもっと違う理由がある。彼らにこれから先待ちうけているかもしれない未来を話した結果、もしかしたらそうなりうるかもしれない、という可能性。それを避けたいがためだが、そのことをエイトに話す気はなく、彼が何も言うつもりがないことさえ分かれば良い。

 村の入り口が近づいたところで、先を歩いていたウィニアがフードをより深く被り直したのが目に入る。あの耳を人間たちの目から隠すためなのだろう。ポルトリンクへ行かず、こんな小さな村を選ぶのも彼女のためなのかもしれない。
 こっちに村があったのか、知らなかったな、という会話をしていた二人を振り返り、味は保証するよ、とエルトリオが言う。以前にも訪れたことがあるのだろう、真っ直ぐに一つの建物へ向かった彼らを追いかけその扉をくぐれば、そこは小さな食堂だった。アットホームな雰囲気のある店内に小さな丸いテーブルが二つ、カウンタ席が三つ。ほとんどの旅人がポルトリンクへ向かう中、折角来てくれた人に申し訳ないから、と村の女性たちが儲けを考えずに始めた食堂らしい。メニューはあってないようなもので、今日は材料がこれだけしかないからパスタしか作れないだとか、余り物のカレーがあるだとか、自宅に帰ってきたかのような、あるいは友人の家へ呼ばれたかのような、そんな雰囲気の店だった。

「それで正規の料金とっちゃ申し訳ないからねぇ。ほんと、気持ちだけ貰うようにしてんのさ」

 水を運んでくれた女将が言うには、今日は隣の家の奥さんが作ったビーフシチューがあるらしい。一日置いてじっくり煮込んであるから美味しいよ、と勧められ、四人揃ってシチューを食べることにする。

「面白いお店でしょ」

 こんな店があってもいいものか、と驚いていたエイトとククールに、エルトリオは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべてそう口にした。

「よくこんなとこ知ってんなぁ」

 感心したようにエイトが言えば、「探検が趣味だから」とエルトリオはあっさりと返す。

「……そこはあれだろ、デートのためにリサーチした、とか答えるとこだろ」

 呆れたようなククールの言葉に、はっ、とした表情を作ったエルトリオは、「も、もちろん、そのために探検してたんだよ!」とウィニアの方を向いて慌てて取り繕っていた。それは「探検」とは言わないんじゃないだろうか、そもそも探検が趣味と言ってしまうこと自体どうなのだろうか、そう思ったがククールは賢明にも口を閉じておいた。
 しばらくとりとめもない会話に花を咲かせていたところで、思わず腹が鳴ってしまいそうなほど良い匂いをまき散らす皿が四つ、運ばれてくる。女将が勧めるのも分かるほどしっかり煮込まれたビーフシチューと、焼き上がったばかりだというパン。加え、簡単なサラダが本日の昼食だ。

「なんでビーフシチューは茶色いの」
「スープのベースがトマトとかデミグラスソースとか、そっち系だからだろ」
「えっ! そうなの!? おれてっきり、牛肉の色が沁み出てるのかと!」

 スプーンですくったシチューを眺めながら呟いたエイトの言葉に、ククールが答え、それに驚いたようにエルトリオが顔を上げる。

「……いや、そりゃ味とか出汁的な意味で沁み出てるのはあるだろうけど」

 ビーフシチューといえど、さすがに牛肉の出汁だけで味付けされているわけではない。呆れたように言えば、「違うんだ……」とぽつり、エイトも呟いた。どうやら息子の方も同じようなことを考えていたらしい。

「だったら今度、クリームシチューに牛肉ぶち込んでみれば?」

 美味しいかどうかは分からないが、それでスープの色が茶色くならなければ牛肉と色は関係ないと分かるだろう。そう言ったククールの前で、「私、ビーフも好きだけど、クリームも好き」とウィニアがぽつり、言葉を零した。

「ところでさ、君ら二人はあの砂浜で何やってたの?」

 おれら二人は見て分かる通りデート中だったんだけど、と食事をする動作一つにしても優雅さが滲みでている王族が尋ねてくる。なんて答えようか僅かに悩み、隣のエイトを見下ろせば、彼は今ビーフシチューを啜ることに忙しそうだった。
 一つのことに夢中になると他が疎かになる傾向のあるエイトへ、「三角食べをしなさい」と注意をしてから、「絶賛迷子中」と答えておく。あながち間違った答えでもないとは思う。
 そう言ったククールの隣では、今度はサラダに夢中になったエイトがしゃくしゃくしゃくしゃくとレタスを噛み砕いていた。

「旅人さん……?」

 小さくパンを千切りながら首を傾げて聞いてくるウィニアへ、「まあそんなとこ」と笑みを浮かべる。

「エイトは兵士でオレは僧侶」

 他にもまだ仲間がいる、と続けようとしたところで、「僧侶?」とウィニアが反対側へ首を傾げた。そして異口同音に「「「嘘だぁ」」」という言葉が紡がれる。

「……その反応は結構慣れちゃいるが」

 なぜお前まで参加する、と丸いミニトマトを箸でつまもうと躍起になっていたエイトの頭へ拳を落としておいた。

「絶対、僧侶じゃない」

 嘘よ、ときっぱりと言い切られ、僧侶という職、役割に誇りがあるわけでもないが多少の虚しさは覚える。一応ベホマ、ベホマラー、ザオリク使えます、と申告すれば、「でもやっぱり僧侶には見えない」とウィニアは眉を顰めた。

「……派手すぎんだよ、お前」

 ぼそり、呟かれた言葉がしっかりと耳に届いており、むっとしながら隣のエイトの皿へ目を向ければ、サラダとシチューはなくなっているのにパンだけはまるまる一つ綺麗に残っている状態に眩暈を覚えた。

「なんでバランスよく食うってことができねぇかな、お前は」

 溜息をついて言えば「「ごめんなさい」」とステレオで返ってきた謝罪。顔を上げればエルトリオの皿も似たような状態で、思わずぶは、と吹き出してしまった。
 「夢中になると他のお皿のこと忘れるよね」「ねー」と子供のような会話を交わす同じ顔の男が二人。相当ツボだったらしく、ウィニアは口元をおさえてくつくつと笑っている。そんな雰囲気で食事を終えたところで運ばれてきたデザートの皿。
 アイスが美味い、と幸せそうなエイトから一口二口甘味を分けてもらっているククールの前で、「チーズケーキを考えた人は偉大だと思う」とウィニアが真剣な表情で呟いていた。

「ウィニアさん、ほんとにチーズ、好きだよね。こっちも食べてみる?」

 彼らカップルは同じチーズケーキでも、エルトリオはレアを、ウィニアはスフレを選んでいた。これも美味しい、とスプーンを口にしたままウィニアは頬を綻ばせる。

「いいな、俺も今度チーズケーキ食う」

 羨ましげにエイトがそう呟き、「またゼシカに作ってもらえ」と返したところで、不意に外から聞こえてくる悲鳴。驚いた女将が厨房から姿を現し、五人で顔を見合わせたところで続けて響く、「山賊だっ!」という言葉。
 ひっ、と声を引きつらせたのは女将だけで、エルトリオは「あちゃぁ」と眉を顰め、ウィニアは未だチーズケーキに夢中。「あー……」とやる気のない声を上げたのはククールで、エイトはといえばスプーンを咥えたまま「めんどくせ」と吐き捨てた。

「しょうがない、ちょっと行ってくる」
「エルト」
「ん、だいじょーぶ、ウィニアさんはここで待っててね」

 何かあったらいけないから、とにっこりと笑ってエルトリオは立ち上がる。そんな恋人たちの前では「おい、行けよ、アホ勇者」「女のひとが襲われてるかもよ、エロ僧侶」という醜い押し付け合いが繰り広げられていた。
 しょうがねぇ、とエイトが舌打ちをしたのを合図に、「さーいしょーはぐうっ!」と始まる真剣勝負。

「じゃんけんポンっ!」

 珍しく一発で勝敗が決まった。「っしゃ!」と拳を握ったエイトに、己の二本の指を見下ろし「くそっ」と悪態をつくククール。

「復活の呪文を一字一句間違えずに唱えられたら助けに行ってやらぁ」

 そう言いながらひらひらと手を振るエイトの斜め前では、ウィニアが心配そうに顔を曇らせている。店の女将の制止を振り切って男二人が外へ出て僅かな時間も経たぬうちに、カタン、と小さな音を立ててウィニアが立ちあがった。

「……やっぱり、心配」

 怪我してたら大変、と彼女はそのまま外へ出てしまう。テーブルに一人ぽつん、と取り残されたエイトは、まだ食べかけのアイスクリーム(バニラとチョコレートの二段重ね)の皿に目を落とし、外へ続く扉へ視線を向け、もう一度アイスクリームを見下ろした後、大きくため息をついて立ち上がった。
 ただの山賊程度ならばきっとククール一人でも十分だ、力はなく基本的に戦闘補助の役を追う男だが、仲間と力を合わせたとはいえ竜の試練を耐えただけの力量はある。そう分かっていながらも、さすがに女性ですら席を立ったのに、一人座っているわけにも行くまい。

「女将さんは出てきちゃ駄目だよ」

 そう釘をさし、エイトは仕方なく食堂の外へ出た。手にアイスクリームの乗った皿を抱えたまま。




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2011.02.15