ブリリアント・ワールド 10


 お前先週帰って来れなかっただろ? と電話の向こうで養父がそう口にする。高校でのテストが近いこと、加え遠慮なしに入り込んできた悪魔祓いの任務のせいで時間が取れず、先週は結局修道院へ帰ることができなかったのだ。燐とは電話で話をし、ごめんね、と謝っておいたが、やはり寂しがっていたという。

「で、会いたいなら会いに行ってみるかっつったらすげぇ食いつかれてなぁ」

 雪男、今日午前中授業だろ、と言われそうだけど、と返す。本日がテスト最終日であり、授業は四時間で終わりだ。明日が休みであればそのまま修道院に戻ったが残念ながら通常授業があるため、おとなしく寮へ戻って本でも読んでいようと思っていた。

「……会ってもいいの?」

 養父の方から燐の雪男への依存が強くなりすぎないように、と言い出したはずだ。わざわざ会う機会を増やして良いものだろうか。卑屈になっているわけではなく、純粋に疑問に思ってそう言えば、獅郎はやや間をあけて決まり悪そうに口を開く。

「や、なんつーか、燐のやつがな……」

 やっと会えると思っていた雪男が帰ってこないことを聞いたとき、かなりしょぼんとしていたらしい。それでも心根の優しい彼は、獅郎や他の修道士たちに心配をかけまいと気丈にふるまっていたのだとか。

「でもこう、ほぼ毎日な? 『雪男、いつ帰ってくる?』とか聞かれてみろ、お前」

 首傾げて上目づかいで『明日?』とか聞かれてみろ、ばか、と何故か雪男が罵られた。要するに、寂しそうにしている燐が可哀そうになってしまったのだろう。口ではどう言おうが結局のところ養父は燐に甘いのだ。もちろん雪男も同様で、苦笑を浮かべて「分かった、ごめん」と謝っておいた。

「とにかく、ふたり分の弁当持たせてそっちにやるから」
「って、え? 燐ひとりで!?」
「おう。大丈夫だ、ちゃんとバスにもひとりで乗れるし、道だってひとに聞けんだから」

 それは知っている、毎週帰る度に何ができるようになっただとか、こんなことをしただとか、燐から話をいろいろ聞いているのだ。飲み込みが早いのは、七つまで普通に暮らしていた知識が身体に残っているせいかもしれない。

「授業が終わるころに着くバスに乗せるから、悪ぃが正門まで迎えに出てやっててくれ」

 雪男と食うんだ、ってすげぇ張り切って弁当作ってたぞ、と言われては断れるはずもない。もとより何らかの用事があったとしても、燐の方を優先させただろうが。
 そんな養父からの電話が三時間目と四時間目の間の休憩時にあり、最後のテストは正直身が入らなかった。解けるだけペンを走らせはしたが、いつもの自分らしからぬケアレスミスがあっても仕方がないというくらい気が急いている。会うことができずに寂しかったというのは燐だけではない、雪男だってそうなのだ。
 きちんと食事を取っているのか、ゆっくりと眠れているのか、ひとりで震えて泣いてはいないか。顔を見ない時間が長ければ長いほど、燐のことばかり考えてしまう。会いたい、会って抱きしめたい、この腕に体温を感じたい、頬を撫でて、額にキスをしたい。それらはもはや彼を慰めるためでなく、雪男自身の欲求と成り果てていた。
 四時間目が終わりそのまま流れでホームルームが終わり、教室が一斉にテストからの解放感で満たされる。折角終わったのだから今日はどこか遊びに行こうか、と特進科のものたちですらそう会話をするくらいで。

「あ、あの、奥村くん!」

 急ぎ帰り支度をしていた雪男へ、クラスメイトの女生徒が声を掛けてきた。

「あの、今日、これから時間、ないかな。良かったら……」

 続けられそうになった言葉を「ごめん」と遮る。ばたばたと、雪男が慌てている様子なのは、誰が見ても明らかだった。

「これから用事があるんだ、ごめんね」

 もう一度謝罪して、雪男はそのまま教室を飛び出す。基本的には物腰穏やかで、何事にも動じない性格をしている、と思われている雪男のそのような姿を見るのは初めてで、クラスメイトたちは一体何事だ、とどこか呆然とその後ろ姿を見送った。
 息を切らして学園正門まで走ってきたが、どうやらまだ燐は来ていないらしい。良かった、と胸を撫で下ろして携帯を取り出す。開くは一通のメールで、そこには獅郎が燐に持たせたという携帯電話の番号が記されていた。家族フォルダに新しい項目を作り、そこへ新規登録。バスの到着時刻を大きく過ぎてもやってこなければ連絡を取ってみよう、と思い待つこと数分ほど。

「雪男っ!」

 もし服の外に尻尾が出ていたら、きっと大きく左右に揺れていただろう。そう思うほど嬉しそうな顔をして燐がこちらに走り寄ってきた。背中には紺色のリュックサックを背負い、首からは水筒をぶら下げている。まるで遠足に行く子供のようだ。くつくつと笑いながらこの姿を作り上げた養父の姿が目に浮かぶ。

「燐、よくひとりでここまで来れたね。迷わなかった?」

 抱きしめてそう尋ねれば、「大丈夫だった」と燐は笑って答えた。そんな彼の手を取り(触れようとすればびくりと身を竦めるのは相変わらずで、雪男は当然のごとく無視して手を繋ぐのだ)ゆっくりと昼食が取れそうな場所を探すことにする。
 全寮制の学園の敷地は広く、学生でなくとも自由に出入りできる場所も多い。周辺住民の憩いの場となるようにと解放されている公園もあるくらいで、その中のひとつを選んで昼食場所と決めた。
 木陰にレジャーシートを敷き、向かい合わせに座ったふたりの間に並ぶ重箱。

「俺が作ったんだけど……」

 そう言って開けられた蓋の下からは、俵型のおにぎりと、卵焼き、ウインナー、から揚げといった定番のおかずが現れた。いただきます、と両手を合わせ、思い思いに箸を伸ばす。卵焼きを口にすれば「甘い?」と尋ねられ、「美味しいけど、僕はもうちょっと辛い方が好きかも」と正直に答えた。

「分かった、じゃあ次はみりんを少なくしてみる」
「え、砂糖じゃないの?」
「砂糖、入れてねぇよ?」

 砂糖入れたら厚焼き玉子になるんじゃね? と言う燐の料理の腕は日ごと上達しているらしく、今は皆の夕食を作ったりすることもあるらしい。

「皆、俺が作ったものでも食べてくれるんだ」

 それが嬉しい、と真っ直ぐに告げられた言葉へ、「だって美味しいし」と雪男はから揚げを頬張りながら言った。

「それに、燐が一生懸命作ってくれたのが分かるから」

 そのひとの心が込められたものを喜ばないものなど、いるはずがない。
 父さんに聞いたよ、張り切って作ってくれたんだってね、と笑みを向ければ、燐は「獅郎のやつ……」と唇を尖らせる。若干頬が赤くなっているため、照れているのだろう。こんな表情も見せるようになったことが嬉しくもあり、常にそれを見ることのできない立ち位置が歯がゆくもある。「なんか悔しい」と思わず呟けば、「何が?」と首を傾げられた。

「僕も毎日燐のご飯食べたい」

 毎日顔を見て、挨拶をして、燐の作ってくれたご飯を食べることができたらきっと幸せだろう。もちろんそれが不可能であることなど、分かってはいるのだ。

「ねぇ、戻るときは絶対連絡入れるから、その日は燐がご飯作ってくれる?」

 せめて修道院に戻れるときだけでもそれを味わいたくて頼んでみれば、「うん」と燐は快諾してくれた。

「俺だって、ほんとは毎日、雪男に飯、作ってやりたい」

 けれど雪男が寮にいる限りは難しいのだ、ということを彼はきちんと理解している。嫌だと駄々を捏ねられても困るが、物分かりが良すぎるのも少し寂しいと思ってしまうのだから、ひとの心というのは勝手なものだ。
 苦笑を押し殺して先週会えなかった分、出来なかった会話をしながら腹と心を満たしていれば、「あれ、奥村?」と背後から声を掛けられた。振り返れば、目を丸くしてこちらを見ているクラスメイトたちが三人ほど。

「さっき急いでたのって、待ち合わせがあったからなのね」

 そのうちのひとりが近寄ってきてそう口にし、「うん、まあ」と曖昧に頷く。

「すごい急ぎようだったから、ついに奥村に彼女ができたんじゃないかって大騒ぎだったのよ」

 でも違うみたいね、と彼女は燐へ視線を向けて言った。どうして自分に彼女ができたくらいで大騒ぎになるのかは分からなかったが、とりあえず「まさか」と笑っておく。今この状況を見てふたりが恋人同士であるとは、誰も思わないだろう。そんな事実もないが、もしかしたら雪男にとっては同じようなもの、むしろ恋人以上に大事な存在かもしれない。
 そう思っていたところで、「あっさり断られて松野、ちょっと落ち込んでたわよ」という声が耳に届く。勇気を出して声を掛けたというのに一言で断られてしまい、彼女としても切なかったのだろう。さすがにそこまで意識は回っておらず、「ごめん」と謝罪を口にすれば「あたしに謝ってもしょうがないじゃない」と笑われた。

「クラスの女子から怒られたくなければ、明日にでも軽く謝っといた方がいいと思う。けど、あんたにとってはどうでもいいことかもね」

 そう口にする彼女は、どちらかといえは豪胆な性格をしており女性にしてはさばさばと付き合いやすいタイプだと認識していた。それはどうやら間違いではなかったようで、的確にこちらの心情を言い当てられ返す言葉もない。

「ごめんね、お昼ご飯邪魔しちゃって。後はごゆっくりどうぞ」

 苦笑を浮かべた雪男から視線を反らし、きょとんとしたままだった燐へそう声を掛けて彼女は友人たちの元へと戻っていった。
 ええと今の、と箸を咥えたまま呟く燐へ、「クラスメイトだよ」と答える。

「クラスメイト……」
「そう、学校で一緒の教室で勉強する仲間、みたいなものかな」

 なかま、と言葉を繰り返した後、「断った、って?」と首を傾げた。

「ああ、さっき、帰るときにね」

 尋ねられるまま教室を出る間際の出来事を口にする。燐との約束の方が先だったから断らせてもらったけどね、と続けた雪男へ燐は「そっか、」と頷いた。

「……燐?」

 どうにも表情に陰りが見え、名を呼んでみるがなんでもない、と彼は首を横に振る。なんでもないようには全く見えなかったが、ここで深く問い詰めて微妙な空気になるのも嫌だった。折角会えたのだから、と先ほどまでのようにいろいろ会話をしようと試みるが、どうにも返ってくる言葉に覇気がない。それでも離れがたくて、夕方のバスの時間まで一緒にすごし、今週は絶対に帰るから、と約束して別れる。先ほど養父と話をしたときも、今週末は泊まり込みの任務があるから可能なら帰ってきてほしいと頼まれていた。

「燐、ご飯、楽しみにしてるね」

 バスに乗り込んだ燐へそう声を掛ければ、うん、と笑って頷いてくれる。
 けれど、その顔はどこか泣き出しそうな、そんな表情を浮かべていた。




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2012.06.05