ブリリアント・ワールド 3


 養父への恩義から、というわけではないが、雪男もまた悪魔祓いを学び、称号を得た祓魔師のひとりである。歴代最年少祓魔師と褒めそやされることもあるが、学び始めた時期が早かっただけのことだろう。階級的にもまださほど高くなく、未成年であることも踏まえ大きな任務はあまり回ってこないが、それでも仲間と共に悪魔祓いに出かけることもある。高校生と祓魔師と、二足の草鞋を履いている現状はなかなかに忙しく、毎週修道院へ戻ることはさすがにできていなかった。
 それでも騎士團での上司として顔を合わせ、あるいは育ての親として電話をする際に聞く限りでは、燐の様子にあまり変化は見られないらしい。悪化するわけでもなく、かといって回復に向かっているわけでもない。悪魔を倒しに行きたい、と駄々を捏ねる態度も相変わらずで、その為の得物をずっと抱きしめているそうだ。

「さすがにそのままじゃまずいだろうと思って、『ゴミと雑草は全部悪魔だ』っつったら、毎日掃除してくれてな」

 おかげで院が綺麗になって助かってるぞ、と養父はからからと笑った。彼を引き取った初日に落胆していた様子はもう全く見られない。その思考の切り替えの早さは見習いたいところだが、思いつきで言葉を口にするのはどうかと思う。
 庭の花壇の前にしゃがみ込んだ燐に「これ、悪魔?」と何らかの植物を指さされ、どう答えていいのか途方に暮れてしまっているのも養父のいい加減な言葉のせいだ。

「……ええと、たぶん植えてあるものじゃなさそうだから、抜いていいんじゃないかな」

 対悪魔用の薬草についてはそれなりに知識はあるが、花壇に植えるような植物はあまり詳しくない。これは燐のためにも、観賞用植物について多少知識を入れておかなければならないかもしれない。
 養父が聞けば「真面目すぎんだろ」と笑いそうなことを考えながら見下ろした先には、刀を背負って花壇の草抜きをしている燐がいた。前髪が邪魔になるからか、蝶の飾りのついた可愛らしい髪留めで額を露わにし、真剣な顔をして花壇を眺めているその姿はかなりシュールだ。彼の後ろにある自治体指定ゴミ袋は半分ほど膨らんでおり、中には花壇から抜いたのだろう雑草、落ち葉、飛んできたゴミが入っているようだった。

「たくさん拾ったね」

 燐の側にしゃがみ込んでそう言えば、「うん」と返事がある。

「まだまだ退治するぞ」

 頑張るんだ、俺、と意気込むその理由はもちろん弟に会うために、だろう。魔神の息子である彼の弟なのだから、その少年もまた悪魔の血が流れていることになる。養父の口からは燐の弟の話は一言も出てこず、尋ねていいものか分からなかった。もしかしたら既に処分されているのか、あるいは本当はいない存在なのかもしれない。何にしろ事実を知るだけの覚悟がまだ雪男にはない。それを受け止め、燐の前で平静を装うことができるようになったときに、改めて養父に聞いてみようと思っていた。
 だから今は何も知らないことを武器にして言葉を口にする。

「ねぇ、燐の弟さんって、どんな子なの?」

 日常会話でさえままならないときがあるというのに、弟の話題にだけ燐は目を輝かせて食いついてくる。声も明るくなり、はっきりと喋るそれこそ、きっと彼本来の口調なのだろう。
 雪男の問いかけに、それでも花壇から目を離さずに、「すっげぇ泣き虫!」と燐は答える。

「あと弱虫で怖がりで、いっつも俺のあとばっかりついてくる」

 そう言いながらもにこにこと楽しそうなのは、彼がその弟のことを疎ましく思っているわけではないからだろう。その証拠に「でも!」と燐は手にした雑草をぶちっと引きちぎって言葉を続けた。

「すげぇ優しくて、頭が良いんだ。俺の知らないこと、いっぱい知ってるし」

 いつもいろいろ教えてくれて、すごいんだぞ、とまるで自分のことであるかのように自慢する。見ているだけでこちらも笑みが零れてしまいそうな、そんな表情だ。
 ほんとに好きなんだね、と言えば、当たり前だろ、と返ってくる。

「俺は兄ちゃんだからな!」

 兄が弟のことを好きなのは当然で、兄が弟を守るのもまた当然。

「だから早く帰ってやらねぇと」

 きっとあいつ泣いてる、と紡がれた言葉は少しだけトーンが低くなっており、雪男は慌てて「僕も手伝おうか」と手を伸ばした。

「ふたりでやれば、それだけたくさん悪魔が退治できるよ」

 そう提案すれば、目を丸くしてこちらを見ていた燐が、「お前、良い奴だな!」と嬉しそうに笑って言う。あまりにも直接的な賛辞にさすがに照れを覚え、青い瞳から視線を反らしてありがとう、と礼を口にした。

「でね、燐。花壇の悪魔を退治するなら、茎をちぎるんじゃなくて、根っこから抜こうか」
「ねっこ?」
「そう。じゃないとこの悪魔、また生えてくるよ」

 こっちが本体みたいなものだから、と先ほど燐が引きちぎった雑草の根元を掘り返し、土の中に伸びていた根を引き抜く。土を落としてゴミ袋の中、と手本を示して見せれば、分かった、と真剣な顔をして燐は頷いた。

「これは? これは悪魔?」
「えーっと、うーん、これは悪魔じゃないね。燐、こっちは悪魔、抜いていいよ」

 ふたりで額を突き合わせて花壇の雑草と格闘する。草抜きなど、正直頼まれてもあまりしたいと思わない作業だったが、どうしてだか今の時間はさほど苦痛ではなかった。
 花壇の左端から始め、ようやく右端へ辿りつこうかというころ、不意に顔を上げた燐が「あ」と小さく声を上げる。どうかした? と尋ねるが、少年はじぃと雪男の顔を見つめてくるばかり。

「燐?」

 更に名前を呼んだところで、突然伸びてきた手にがし、と両頬を固定された。今の今まで土を弄っていたため、泥だらけの手で、だ。しかし振り払うわけにもいかずもう一度名を呼べば、彼は小さく「けが」と口にする。

「怪我、してる」
 痛い?

 尋ねられるが、頭部の怪我に心当たりはない。もちろん痛みを覚えているわけもなく、痛くないよ、と答えた。

「でも、怪我……」

 ここ、と指先が辿ったのは額の右上。そこでようやく燐の目にとまっているだろうものに気が付く。確か小学校に上がった頃くらいだっただろうか、雪男は頭に大きな怪我を負ったのだ。
 しかしその原因が何であったのかは覚えていない。原因どころかそれ以前の記憶も朧げだ。半月ほど意識が戻らなかったくらいの大怪我だったらしく、記憶が飛んでいるのもそのせいだろうと養父は言っていた。無理に思い出す必要もない、と何があったのか知っているはずの獅郎は何も教えてはくれず、今に至るまで結局雪男は何も知らぬままだ。
 確かこの怪我が治った後くらいから、祓魔の塾に通い始めた。
 幼い身体に訓練はきつく辛く、悪魔との戦闘も怖くて仕方がなかった。あまり根性のある方ではなかったが、よく耐えてこれたものだ、と今さらながらに思う。
 もしかしたらこの怪我が原因で悪魔が見えるようになったのかもしれない、きつい訓練に耐えるだけの理由が何かあったのかもしれない。そう思うが、その当時のことも、それ以前のことも雪男の頭からすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 いつか思い出すことができる日がくるのだろうか、自分はその日を待ち望んでいるのだろうか。
 そんなことを考えていたところで、ふわり、と額を撫でてくる手に気が付いた。

「こうすると、痛くなくなる」

 そう言って、ゆるゆると額を撫でた後、燐はその手を空へ向かって上げる。

 痛いの痛いの、飛んでけ。

 幼い子供に対して施すその処置は、彼が兄弟でよくしていたものだという。痛いの飛んでった? と首を傾げて心配そうに覗き込んでくる顔に、どうしてだか胸の奥がぎゅう、と締め付けられた。優しさを嬉しく思っているのは確かだが、それ以外の感情が溢れだしそうになる。思わず泣いてしまいそうなほどのそれが何であるのかよく分からないまま、ありがとう、と燐の手を握った。

「飛んでった、もう痛くないよ」

 そう礼を言えば少年は嬉しそうに笑う。こんなにも無邪気な顔をする彼を、どうして殺すためだけの道具として扱えたのか、まったく以て理解できない精神だ。
 燐の心が少しでも平穏を取り戻すために、一体自分は何ができるというのだろう。
 そう思っていたところで、「なんだぁ、ふたりして楽しそうじゃねぇか」と背後から声が聞こえてきた。修道院の窓からひょっこりと顔を覗かせているのはここの主。玄関入口まで回るのが面倒くさかったのか、他の修道士たちの模範となるべき男は、あろうことか窓枠を乗り越えて外へ出てきた。

「父さん……」

 じっとりとねめつけてみるが、「固ぇこと言うなって」とばしばしと背中を叩かれる。
 その手を今度は燐の方へ伸ばし、髪を掻き混ぜるようにぐしゃぐしゃと頭を撫でた。

「良い顔で笑うようになったなぁ」

 口にする彼自身もまた笑みを浮かべたまま言う。

「笑って何でも解決するわけじゃねぇけどな。辛気臭ぇ面しててもいいこたぁねぇよ」
 だから笑え、燐。





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2012.06.05