ブリリアント・ワールド 7


 肩の怪我は素早い処置のおかげでさほど大事には至らなかった。日常生活には支障のない程度で、銃を握るにも不便はない。そのため数日の療養で(嫌がる燐を宥めすかして)無事寮へ戻ることができたが、またすぐ修道院へと戻る羽目になった。燐を保護するという立場では獅郎寄りの考えを持っているらしい名誉騎士、メフィストから垂れこみがあったのだ。魔神の落胤を狙って動き出している者たちがいる、と。

「本当はお前を巻き込みたくはねぇんだが」
「何言ってるの、そもそも燐は僕の兄さんでしょう」

 血を分けた己の兄を守るためなら、多少の危険など犠牲の内に入らない。むしろその話を聞かされず、呼び戻されなかった方が腹立たしく思うだろう。
 学園理事長直々の許可を取り付け、高校へは修道院から通うことにし、その他の時間はとにかく燐の側に詰めることになった。もともと外へ出たがる方ではなく、精々が庭の掃除をするくらいで、彼から目を離さないでいることも難しくはない。
 燐はといえば、あまり会う機会のなかった雪男と毎日顔を合わせることができて嬉しいらしく、周囲の緊迫した状況をものともせずに上機嫌だった。雪男が学校から修道院へ戻ってきた音を聞きつけては尻尾を立てて玄関まで迎え出て、おかえり、と飛びつく。兄というよりも弟、むしろ猫か何かに懐かれている気分だ。

「……それ、俺にはやってくんねぇじゃんよ」
 父さんちょっと寂しい。

 燐が雪男にばかり抱きつくのがつまらないのか、獅郎がそう言って唇を尖らせる。騎士團最強の祓魔師とは思えぬ姿に思わずため息が零れた。そんな息子をぎっと睨みつけて養父は声を上げる。

「てめ、ちょっと燐にぎゅってされるからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「調子に乗ってるつもりはないけど、父さん、燐にぎゅってされたいの?」
「されたい!」

 力一杯肯定されても困る。眉を寄せて苦笑を浮かべ、「だってさ」と腕の中にいる燐へ声を掛けた。ぎゅってしてあげてくれる? と頼めば、雪男と獅郎を交互に見やった後、にっこりと笑って燐は頷く。

「りんー! お前、可愛い奴だなぁ!」

 念願かなって息子にぎゅうと抱きついてもらった養父は、嬉しそうに頬を緩めて抱きしめ返している。ぽんぽん、とその背中を撫で、「大きくなったなぁ」と呟いた声がどこか切なげに響いたが聞かなかったことにしておいた。

「ん、もういいぞ、燐。ありがとな。雪男ばっかじゃなくて、たまには俺にもハグしてくれたら嬉しい」

 そう言って頭を撫でれば燐はうん、と素直に頷く。いい子いい子、ともう一度頭を撫でた後、「じゃ次は雪男な」と獅郎がこちらを向いた。

「……何が」
「何がってお前、ハグに決まってんだろ。ほら、父ちゃんの胸に飛び込んでこい!」
「え!? やだよ、なんで?」
「なんでじゃねぇよ、俺は神父だぞ、公平平等の博愛主義者だ! 燐とハグしたら雪男ともハグ、基本だろうが」
「ごめん、意味が分からない」
「いいからほら、こっち来いっつってんだよ!」
「いーやーだっ!」

 雪男の腕を引いて無理矢理抱きしめようとする獅郎と、それから逃れようとする雪男。暴れるふたりを見やり、けたけたと燐が笑う。
 きっと、おそらく、たぶん、雪男は覚えていないけれど。
 八年前にもこんな光景がここにはあったはずなのだ。
 血の繋がりはなくとも、父とふたりの子供とで過ごす暖かい時間があったはずなのだ。
 今更その時間が取り戻せるとは思わない。失ったままで過ごした八年間は三人にとってあまりにも大きすぎた。けれどそれでもこうしてそんな時間を求めてしまうのは、知っているからだ。それがとても柔らかく、幸せな時間であったことを。そしてその時間がいとも簡単に崩れてしまうことを。

「それじゃあ、お休み、燐」

 何かあったら起こしてくれていいからね、といつものように言えば、顎まで布団を引き上げて横になった悪魔がこくりと頷く。その額を軽く撫でて、ベッドの手前にある梯子へ足をかけた。二段ベッドの上が今は雪男の寝床である。
 もともとこの部屋にふたり分の家具が揃っていたのは、いつ燐が戻ってきても大丈夫なように、という意味があったらしい。双子の兄弟が幼い頃は色の違いはあれど、なんでも二つセットで購入していたのだ、と養父は言っていた。たとえここにおらずとも、雪男のものを何か買うのなら、燐のものも一緒に用意するのが癖になっていたのだ、と。
 ようやくその行為が意味のあるものになった、と空きのない二段ベッドを眺め、獅郎は満足そうだった。

 そんな獅郎のためにも、そして燐本人のためにも、何らかの動きがあるのならさっさとしてもらいたい、というのが雪男の本音だ。厄介事や心配事をすべてなくした上で、また家族三人過ごすことができるようになればいい。そう考えているのが通じたのだろうか。
 夜中、ふ、と目が覚めたのは院全体が何か異様な雰囲気に包まれているのを感じたからだ。いくら雪男に実戦経験が少ないとはいえ、ここまでの敵意を放たれては嫌でも目が覚める。眼鏡を掛けて銃を手にベッドを下りた。

「燐……」

 眠っているだろうと思っていた兄は、身体を起こしてはいなかったがぱっちりとその両目を開いて空を見つめている。おそらく彼も何かを感じ取っている、それもあまりよろしくない方向で。

「燐は眠っていていいからね」

 焦点の合わない虚ろな視線を投げる彼の頭を緩く撫で、そっとその両目を閉じさせた。

「起きたら全部終わってるから」

 その声が届いたのだろう、素直に目を閉じた燐はこくり、と小さく頷きを返す。この悲しい子供を今度こそ守り通してみせる。八年前の出来事を繰り返させはしない。
 壁に掛けてあったコートを羽織り装備品の確認、弾の確認をしていれば、「雪男」と起きていることを疑わない声で部屋の外から呼びかけられた。

「出入り口は固めた。俺は外に出る。お前は窓だ」

 現れた敵の狙いは燐ただひとり。この部屋が最後の砦になる。任せたぞ、という養父の言葉にはい、と答え、双銃を構えて窓際へ寄った。
 修道院全体を養父の手に寄る結界が守ってくれている。この窓も例外ではなく、低級悪魔ならは近づいただけで消滅するだろう。本当は外に出て養父たちの隣で戦いたいが、力量的に彼らの足元にも及ばない雪男がいたところで邪魔にしかならない。燐の側にいることもまた必要な任なのだ、と言い聞かせ、外に現れた団体へと視線を向けた。

「……だから、悪魔のいない世界を作るのに、どうして悪魔を使うかな」

 中に手騎士が数人いるようで、呼び出された数種の悪魔がこの場からでも確認できる。思わず眉を寄せて呟くが、その言葉に答えるものはいなかった。
 祓魔師とは悪魔祓いをする者たちのことであり、人間を相手に戦うというのは本来の意味から離れている。しかし悲しいかな、祓魔師として長く活動すればするほど、最終的には人間とやりあわなければならなくなるのだ、と以前養父が言っていた。直接的に害を及ぼすものが悪魔であったとしてもその後ろに人間が控えているケースが多いのだ、と。
 従って対人戦であろうが、彼らが他者に引けをとることはない。何せ獅郎は現存する祓魔師の中で最強であるという意味の、聖騎士の称号を背負っているのだ。おいそれと負けるわけがない。
 悪魔からの攻撃も人間から放たれる攻撃も、まるでそれが来ない場所が分かっているかのように身体を移動させ的確に相手を撃ち抜いていく。柔らかな曲線を描いているようなその動きは、自分を偽ることなく自由に生きている養父の性格そのままの、なんとも奔放な戦闘だ。
 やっぱりすごい、と思わず感嘆の声が零れた。祓魔師としての師ということもあり、獅郎の悪魔祓いに同行させてもらう機会はあったが、ここまでの戦闘を間近で見たことはあまりない。そのような場合ではないと分かってはいるが、かなり良い経験になっているのかもしれない。

 悪魔を使役するものを含めた人間と戦う場合、可能ならばまず人間から潰すこと。もちろんそれをさせぬために敵側も悪魔を呼び出しているのだが、悪魔を使うのも銃や刀を使うのもすべて人間だ。大本を断つことが戦闘の基本。
 建物を覆う結界に体当たりしてくる悪魔のせいで、がん、がん、と音がするたびに部屋が揺れている。悪魔たちは真っ直ぐにこの窓へ向かってきているため、おそらくここに燐がいることを知られているのだ。それならば大人しくしていても意味はない。簡単に破られたりはしないと思うが、その他の悪魔や人間の相手で手一杯の養父らが安心するなら、と雪男は窓を開け銃を構えた。
 タンタンタンタン、と乾いた音をさせて四つほど撃った弾は敵を狙ったものではない。獅郎の張った結界を狙ったもので、この部屋の窓を覆う箇所を補強するためだ。ついでに振り返ってドアの四隅へも撃ち込んでおく。それが上手く機能したことを確認し、今度は攻撃用の弾が詰まった弾倉へと取り換えた。幸いに雪男は竜騎士であり、遠距離攻撃を主とする。微力であってもないよりはマシだろう。
 張られた結界に影響がないよう自分で作り直した弾を放ち、向かってくる低級悪魔を減らすことに努める。敵の大本は養父たちがなんとかしてくれるはずだ、とにかく今は燐を守ること、それだけに尽力する。

「なんだぁ? そこにも一匹いやがったのか」

 その声は、銃声や悪魔の呻き声、詠唱騎士の声が響く中、どうしてだかいやにはっきりと耳に届いた。発した人物を探して視線を彷徨わせれば、ひとり我関せずとばかりに修道院の塀に腰を下ろした男が目に入る。自分を守る結界でも張っているのだろう、銃弾は弾かれ刀剣も通らない。彼だ、と直感的に思った。あの人物さえ引き摺り下ろせば、おそらくこの集団は崩れる。
 外で戦っている養父たちも気が付いているのだろう、しかしそこにたどり着くまでがまた長い。
 自身の絶対的な優位を信じているのか、あるいはただの愚か者か。その男は、周囲から放たれる攻撃に目をくれることもなく、真っ直ぐにこの部屋へと視線を向けていた。




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2012.06.05