どうしてこうなった!・3


〈side Y〉

 兄さんの視線がずっと唇に注がれてるのが痛いほどよく分かる。あのひと単純でバカだから、意識してるの丸分かり。本人隠してるつもりなのか、それとも意識してることすら気がついていないのか。
 緩みそうになる口元を引き締めて僕はゆっくりと息を吐き出すと、とりあえず作成し終わったデータを保存して、パソコンの電源を落とした。
 恋人だとか、そんな存在を作ると時間をとられて邪魔なだけだ、そう思っていた。いや、今でも相手をする時間が必要になる、とは思っている。けれど、その時間を捻出するために作業効率があがる、ということもどうやらあるらしい。

 兄と、キスをした。すれば何かが変わるかなと、そう思って。
 そもそも僕らのこの関係は、ひどくくだらないことが発端だった。終わらせようにも正直ふたりとも機会を逸しまくってて、自分からは言い出せない状況。終わらせなくてもいいのかな、とかちらっと思ってしまう自分が嫌で、僕はとにかくどうにかしたかったのだ。進むにしろ終わるにしろ、どうにかなりたかったのだ。
 無理かな、と僕自身思っていた。兄とキスをするとか、正気の沙汰とは思えない。だから、そのときの僕は正気じゃなかったのかもしれない。そうすると、今もまた僕は正気を失いつつあるわけで。
 僕の仕事が終わったことに気づいていないらしい兄さんは、ベッドに寝転がったままじっとこちらを、正確には僕の唇を見ている。今度ははっきりと口元を緩めて、ベッドへと近寄る。惚けたように僕を見上げている兄さん、僕が近寄ってきてることも分かってないのか。

「そんなに意識されたらこっちも照れるんだけど?」

 ベッドの縁に腰をかけてそう言えば、きょとん、と目を開いたあと、兄さんは真っ赤になって布団に顔を埋めてしまった。ようやく自分がずっと僕の唇を見ていたこと、僕が近づいてきていたことに気がついたらしい。遅すぎるよ兄さん。
 意地っ張りで照れ屋、でも根が素直なひとだから、兄さんが顔に出す感情はストレートで裏がない。僕みたいに格好つけて取り繕って、愛想笑いばかりするようなひとじゃないから、ものすごく恥ずかしがっているけれど嫌がっているわけじゃない、ということは信じることができた。本気で嫌だと思ってたらたぶんこのひと、言葉より先に手が出てくるし。正直それも覚悟してキスをした。

「……もう一回、してみる?」

 そのときと同じほどの覚悟、というわけじゃない。だって嫌がってないことは分かっているのだから。それでも一回目は不意打ちだったし、さすがに兄弟で二度までは、と断られるかもしれないと思いながら、兄さんの後頭部にそっと手を置いた。髪の毛の間から見える尖った耳が真っ赤になっているのが分かる。ちょっと触ってみたいかも、と思っていたところで、ちらり、と兄さんが布団から顔を上げてこっちを見た。耳と同じくらい赤くなった頬、羞恥からか、潤んだ青い瞳。不安そうに揺れている目のまま、兄さんは確かにこくり、と首を縦に振った。ちょっとだけ。いやかなり、ぐっとくる光景だった。
 僕だってキスをしたのは兄さんが初めてで、そもそも付き合ったのも兄さんが最初のひとだ。(現状を付き合っている、とカウントしていいかどうかは分からないけれど。)だからキスに慣れているわけでもなんでもないけど、それでも自分より慌てていたりうろたえていたりするひとを見ると冷静な思考ができるものだ。双子の兄にキスをする、それに一生懸命応えてくれている兄を見て可愛い、と思っている双子の弟の脳味噌が冷静であるかどうかはこの際わきに避けておくけれども。
 兄さんはちょっと童顔だ。顔が丸し目が大きいから子供っぽく見えるんだと思う。頬も子供みたいに柔らかくて丸いから、両手にぴったり収まる感じがする。ん、ときつく横に引き締められた唇に苦笑を浮かべながら、ちゅ、とキスを一つ。角度を変えてもう一度ちゅ、とキス。唇と同じくらいぎゅう、ときつく目を閉じているその顔は必死で、とてもじゃないけど恋人とキスをしているようには見えない。それでもその赤い唇はとても温かくて柔らかいし、一生懸命な様子が可愛い、とそう思う。
 兄さんはよく「弟は可愛いもの、可愛くて当然」みたいなことを言ってるけど、僕からすれば兄さんだって十分に可愛い。可愛いし、かっこいい。昔から兄さんばかり見てきた僕がいうんだから間違いない。

 ……舌、入れたら驚かれるかな。さすがに嫌がられるかな。

 ふとそんなことを思った。舐めてみたいな、って。閉じられた唇をもう少し開けてほしいと思ったし、兄さんの舌を見てみたいとも思った。恋人なら手を繋ぐし一緒にご飯を食べるしキスをするし、ディープキスだってしておかしくないはず。そう、僕たちは今恋人なんだ、だから、うん、おかしくない、きっと全然、間違ってない。
 言い訳のような言葉をくるくると脳内で回転させながら、僕は恐る恐るぺろり、と兄さんの唇を舐めてみた。途端に兄さんはびくん、と身体をこわばらせ、大きな目をみはらせて僕を見つめてくる。なに今の、と言葉の代わりに表情全体で問いかけてきているようだった。子供みたいな顔。可愛いなぁ。

「大人のキス、だよ」

 ばくばくと、うるさい心臓の音を無視して、僕はできるだけゆっくり、余裕があるように笑って言ってみせる。兄さんの後ろ頭を支えるように、頬を包んでいた右手を移動させた。

「イヤじゃなかったらちょっとだけ口、開けてみて」

 きっと兄さんは何がどうなっているのか、まだよく分かってないに違いない。ディープキスというものがあること、それがどのようなものなのか、思考が追いついていないのだ。それでも僕が言うから(嫌じゃなかったら、という枕詞に、嫌だと思うはずがないといつも返してくれる男気溢れる兄なのだ)素直に唇を緩めてみせる。ありがとう、と笑って、開かれた唇を自分の唇で塞いだ。
 具体的に舌でどうしたらいいのか、だなんて僕だって知らない。知らないから、やりたいと思ったことをそのままするしかない。きっと兄さんだって「正しいディープキスの仕方」とか知らないはずだ。そんなものがあるのかどうかも分からないけど。
 唇を濡らすようにぺろり、と舐めて口のなかに舌を差しこむ。兄さんの舌はたぶん奥に逃げてて、すぐには捕まえられそうもなかったから、歯茎とか歯の裏とか、唇の裏とか、そういうところを舐めてみた。ときどき驚いたように跳ねた兄さんの舌が僕の舌に当たるから、そのときは執拗に追いかけてこれでもかってほど兄さんの舌を舐めてやった。本当は兄さんからも舌を伸ばしてくれたらほかにもいろいろやりたいことがあるのに、ってそんなことばっかり思ってた。
 舌をこすり合わせる刺激から、肉体的な快楽があったわけじゃない。ただ、そのときは僕も兄さんもすごく興奮していた。兄弟だけれど恋人でもあるひとと、普段触れあわせることのない粘膜をくっつけ合っている。そのことに、僕たちは動物みたいに息を荒げて興奮していたんだ。

 本当に、恋人みたいなことを、している。

 そんな、とても今更なことを考えながら、僕は夢中になって兄さんの舌を追いかけた。ぬるぬると逃げるそれを捕まえたくて、もっともっと味わいたくて、気づけば兄さんをベッドに押し倒して、逃がさないように覆い被さっていたくらいだ。ずっと口を合わせているからふたりともうまく呼吸ができなくて、ときどき口をずらしてはあはあと息をしながら、それでも離したくなくて唇を噛んだり吸ったり舐めたり、止めどきが分からない、止まらないかもしれない。そう思いながら、もっと近くで兄さんを感じようと身体を動かしたところで。

「んあっ!」

 びくん、と身体を跳ねあげさせた兄さんの口から零れた声。言った兄さんも聞いた僕も驚いて、思わずお互い目を見合わせてしまった。十五年、兄弟として(ここ最近は恋人として)過ごしてきたけれど、初めて耳にした声音のもの。
 自分がどんな声を出してしまったのか理解したらしい兄さんは、可愛そうなほど顔を真っ赤に染めると同時に、僕を突き飛ばして起きあがり、部屋を飛び出ていった。どさり、と敷布に尻餅をついた僕は、鈍い痛みを覚えながらも、呆然としたまま兄さんが出て行ったドアを見やる。
 たぶん、僕の太股が、当たってしまったのだ。熱を持ち、硬く膨らんだ何かの感触が残っている気がする。舌と唾液を絡めるキスをして、興奮してしまった兄さんのそれが。

「――――ッ」

 じん、と脳の奥が痺れるような感触を覚えて、意味もなく叫び出したくなる。
 とりあえず兄さんを探しに行かないと。その前にトイレに寄らないと。
 冷静な僕が、動揺している僕にそう指示をした。



***     ***



〈side R〉

 恋人とはなんぞや。
 世間一般のいわゆるリア充たちは、いったい何なのだろう。何をしているひとたちのことなのだろう。
 手を繋ぐ、一緒にご飯を食べる、たくさん話をする。優しくしてあげてしてもらって、キスもして、ディープキス、も、して……。
 そこまで考えてまた知らないうちに自分の唇を触っていたことに気がついた。声には出さずに脳内で叫び声をあげてのたうち回る。雪男はまだ帰ってきてない、講師の仕事があるから遅くなると聞いていた。
 ディープキス、べろちゅー、大人のキス。
 それがあんなにもエロいことだなんて知らなかった、聞いてなかった!
 口を塞がれてて息もできなくて、でも雪男のべろが口のなかぐちゃぐちゃしてきて、気持ちいいのかなんなのか全然分からなくて、苦しくて、恥ずかしくて、そんで、滅茶苦茶興奮した。のしかかってきてた雪男の足(だと思う)が俺のアレに当たって、すっごい変な声が出て、恥ずかしくて思わず逃げだしたけど、部屋を出てすぐに走るどころじゃねぇってくらい勃ってんのに気がついて死にたくなった。暴発する前にとりあえず出しとこうって、離れたトイレまで行ったけど、パンツ下ろしたら勢いよくこんにちは! で、どんだけ興奮してんだ我が息子ってちょっと笑っちまったくらいだ。それでも一応三擦りくらいはもった、と思う。いつもはそんなに早くねぇからなって、誰に対して言い訳してんのか分からないけど。
 そりゃ、こんなばっきばきに勃ってるもん触られたら声、出るって。ちょっと間抜けな声だったけど、不意打ちは卑怯だって。いや、触るよって宣言されても困るけど!

 そう、俺は困ってる。
 兄ちゃんは、大変困っているのです。

 だって、雪男とのキス、頭がふわふわしてきて、何も考えられなくなる。相手は弟なのに、もっと、って思う気持ちが止められなくて、気がついたら雪男のべろに吸いついてんだ。そしたらもっとわけが分からなくなって、身体中がびりびりじんじんしてきて、じっとしてられなくなる。しかも最近、ちゅーしてるときに雪男が身体を触ってきて、それがまた気持ちよくて、そうなったら男の身体がどうなるかなんて、言わなくても分かるだろ? 泣きそうなほど恥ずかしくて逃げ出したくて、でも雪男は逃がしてくれなくて。僕も一緒だよ、って、俺のと同じくらい硬くなってるって教えてくれて、もうだめ死にそうってくらい恥ずかしかったけど、もうだめ死ぬってくらい興奮した。

「っ、あーもぉ……俺ら、どーなっちまうんだよぉ……っ」

 最初はただの喧嘩、だったんだ。すっごいバカらしくて、ひとが聞けばたぶん皆笑うくらい、くだらない言い争い。それがどうして今こんなことになっているのか。俺には分からないし、きっと雪男にも分かってない。けれど縋る相手は雪男しかいなくて。
 どーしたらいいんだよぉ、と泣き言を口にしてみても、ここにはいない雪男から答えは返ってこなかった。
 いや? って雪男はよく聞いてくる。兄さんがいやならやめるよ、って。イヤじゃねぇから困ってるっていうの、あいつは全然分かってない。ちっとも分かってない。イヤどころかもっとって、思ってるっつーのに。そんなこと思うのってどこかおかしいんじゃねぇかって、怖くて仕方ねぇのに。

「もっとって……これ以上、どーするっつーんだよ……」

 男の、それも身内の勃起したブツを目にする日がくるとは、ちょっと前の俺は思ってもいなかった。実際には目にするどころか、握って扱くとこまでやっちまってんだけど。
 腹立つことに、俺のよりでかかった雪男のユキオくん。見るのも触るのも、全然イヤだと思わなかった、むしろすごくエロいことをしてるみたいで、イケナイことをしてるみたいで、頭ががんがんするくらいに興奮してた。雪男にちょっと触られただけでイっちゃったのは、俺が早漏だからじゃなくて、ものすっごく興奮してたからなんだ。そうに違いない。弟のチンコ見て握って興奮したってのと早漏だっての、どっちがマシかは分からないけど。

 恋人ってのが、こういうことをする関係なのか、俺にはもうよく分からない。第一俺ら男同士だし、これ以上何をどうしたらいいのかも分からない。分からないくせに、雪男に触って、触られてる間はもっともっとって、そう思ってんだ。だからもっと何をどうしたいんだよ、俺は。そんなつっこみに答えをくれるやつなんて、最初からひとりしかいない。

「先がないわけでもないんだけどね」

 ただ、と少し言いづらそうに説明された行為に、俺は開いた口がふさがらなかった。エロ的な知識は(志摩から聞いたのも含めて)雪男より多く持ってると思いこんでいたけど、そうじゃなかった、エロでも弟に勝ててなかった!
 いやいやいや、おかしいだろ、ケツ使うとか! 確かに男には入れる穴、ねぇけどさ! ケツってのは出すとこであって入れるとこじゃねぇって。ていうか誰だよそんなことを最初にやったチャレンジャーは! 呆然としてる俺に気づいた雪男が苦笑を浮かべてる。

「ちゃんと準備をすれば大丈夫らしいし、男女間でもそういうプレイってあるんだけどね」

 ただやっぱりそうやって使うところじゃないから、うまくやらないと怪我をすることにもなるのだそうだ。男同士のカップルってのが世の中にいないわけじゃない、ってことは俺でも知ってる。そういうひとたちの全部が全部、ケツを使ってるわけでもないらしいって雪男は言った。
 でも、だ。
 でも、恋人なら、ちゃんとした恋人をするなら、手を繋いでちゅーをして、そしたらあと残っているのはエッチをする、じゃねぇのかな。できるんなら、しないといけないんじゃねぇのかな。俺が分からないまんま「もっと」って思ってた「もっと」の部分がケツでエッチすることなんじゃねぇのかな。
 そう思って悩んでいれば、「兄さんがしたいなら僕はいいよ」って雪男は笑うんだ。初めてちゅーしたときとか、初めてべろちゅーしたあと逃げ出した俺を探しにきてくれたときとか、初めて抜き合いっこしたあとに気持ちよかったねって言ったときとかと同じように、可愛く笑って、言うんだ。ああもう、お前はほんと、兄ちゃんをどうしたいわけ、兄ちゃんとどうなりたいわけ。

「俺は、雪男に怪我、させたくない」

 ちゃんと準備をしないと、って雪男は言った。その準備が俺には分からない。

「それは僕が教えてあげる。準備すれば大丈夫だって、」
「でも、できるか自信ないし、『ちゃんと』ってのがどこまでか俺には分かんねぇ」

 だから雪男が入れてくれ、って。

 そう言うのはすごく勇気がいった。だって、チンコをケツに入れんだぞ? どんな感覚なのか想像できないし、きっと気持ちよくなんて全然なくて、すっげぇ痛いだけなんだと思う。
 でも。

「……いいの?」

 雪男は優しいから、たぶん、俺が入れたがるだろうって考えてそう言ってくれたんだと思う。でもこいつも男だし、エッチするってなったら、やっぱり入れるほうがいいに決まってる。
 俺と雪男は恋人なんだ。男同士で双子だけど、ちゃんと、恋人なんだ。恋人だから手も繋ぐしキスもするし、べろちゅーもするし、その先だってして当然なんだ。「もっと」って欲張りな俺が欲しがってるものは、雪男からしかもらえないって知ってる。

「雪男がイヤじゃなかったら」

 そう答えた俺に、雪男がめいっぱい抱きついてくる。さすがの俺でも苦しいって呻くくらい、ぎゅうぎゅうと抱きしめられた。いやなわけないじゃない、って雪男は言う。

「優しくする、すごく、いっぱい、優しくするし、兄さんがいやなことはしないって約束するよ」
 だから兄さんに入れさせてください。

 真剣な顔をしてそんなお願いを言ってくる弟にどきどきした俺は、やっぱりどっかおかしいんだと思った。




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2014.06.03