ココロの行方・3


 そうして四人で生活するためにクラウスが用意した部屋は、セキュリティのしっかりした高層マンションの一室であった。

「レオの状態もあるし、僕ら以外は入室させないからな。ザップ、女連れ込むなよ」

 さすがにしないだろうとは思うが、そう釘を指せば耳の穴を掻きながら「へーへー」と気のない返事をザップは寄越した。
 生活に必要なものは揃えてあるらしい。それぞれが簡単な着替えだけを持ち込めばすぐにでも暮らせる状態である。

「レオ、バイトは休めよ?」
「はい。さっき連絡したんで大丈夫っす」

 リビングの隅に荷物を置きながらそう返したレオは、「いろいろすみません」と眉を下げて謝罪を口にした。いくら彼が悪いわけではないといえど、この状態で平気な顔をしていられるような神経は持っていないのだ。
 心優しい恋人を前に苦笑を浮かべたスティーブンは、柔らかな癖毛をくしゃりと撫でてその頭を捕らえる。軽く上向かせて前髪を払い、「もう謝るのはなしな」と額へキスを落とせば、少年は頬を赤らめてふにゃりと笑った。
 使用感のまるでないソファにどかりと腰を下ろしてその様子を一部始終見ていたザップが、はぁああ、とこれ見よがしにため息をつく。

「できればそーゆーの、見えないとこでやってくんないっすかね……」

 上司と後輩のラブシーンを見せつけられるだなんて、罰ゲームでしかないではないか。



 顔を真っ赤にしたレオナルドと脂下がったスティーブンが部屋の隅での痴話喧嘩を終えた頃、特にすることもなく暇を持て余していたザップはソファに寝転んだまま持ち込んだ雑誌を眺め、仕事の調整が残っているらしいクラウスはその向かいに腰を下ろしてラップトップを開いていた。あの大きな手、大きな指でよくもあんな小さなキィを叩けるものだ。戦闘においては「基本的にぶん殴る」という大技のみの男だが、その指先が器用なことをザップは身を以て知っている。かたかたと、キィの上を滑る太い指を見やりながらそのときのことを思い浮かべてしまったザップは、何を考えてるんだ、と己に呆れ雑誌で顔面を覆った。

「夕飯、どうします?」

 キッチンのほうからレオナルドの声がする。かたん、と冷蔵庫の開く音、「あ、結構いろいろ入ってる」と少し嬉しそうだ。そばにスティーブンがいるようで、「十七時かー」と返している。

「夕飯にはちょっと早いな。君ら、腹減ってる?」
「まあ多少は」
「俺は減ってます、すげー腹減った」

 ここにいる間、食費は上司持ちだ(と信じている)。食べられるときに食べておかねば、とリビングから空腹を主張するザップへ、「む、そうだったのか、それはすまない」となぜかクラウスが謝罪を口にした。

「早急に何か手配しよう、すぐに用意できるものは、」
「あー、クラウス、ストーップ。ねだられるまま与えてたら教育に良くない。我慢を覚えさせなさい」
「…………俺はガキかなにかっすか」
「せめて人類の子どもであってもらいたいね?」

 ペットと言わないだけマシだろう、と言外に含められ、ザップは「ひっでぇ」と吐き捨てた。

「せっかく時間も材料もあるから作ろう。レオ、手伝ってくれ」
「あいさー」
「私も手伝おう」

 仕事に一区切りついたのか、ぱたむ、とラップトップを閉じてクラウスが腰を上げた。「俺は待つ係で」とザップは寝転がったままである。

「つーか、酒とかねぇんすか、酒! いんもー、ビール!」
「ああもううるさいなぁ、それくらい自分で取りに来てくださいよ」
「えーめんどくせー。頼りがいのある先輩にビールどーぞ、って持ってくるくらいの気遣いはできねーのか。うわ、冷蔵庫でかっ! おめーんちの何倍だこれ」
「ひとりで暮らす分にはうちにあるので十分っすよ」
「でもあれ、あんまもの入らねぇじゃん」
「あんたがバカみたいに酒買ってくるからでしょ! せめて食い物持って来いよ」

 冷蔵庫を前にぎゃあぎゃあと言い争いを始めたふたりだったが、エプロンをつけた上司たちが表面上はにこやかな顔を作りつつも、どうしてザップがレオの家の冷蔵庫の大きさを知っているのだろう、酒を持ち込むほど頻繁に出入りしているのだろうか、食べ物持ち込んだら少年の家に入り浸っていいってこと? 私の部屋に自主的に来てくれたことはないな、ていうかザップ殺す、などという思考をそれぞれ働かせていたことなど知る由もなかった。


**  **


「この四人だけで飯とか、初めてじゃないか?」

 何でもできると思っていた上司は、やはり料理も得意だったらしい。テーブルの上に並べられたそれは、見た目も華やかで食欲をそそりつつ、ボリュームたっぷりで男四人の胃袋をしっかり満足させてくれそうなものである。スティーブンのことだから栄養的なバランスも考えてあるのかもしれない。どこまで完璧なんだこのひと、と思わず呟いたザップへ、いやになるでしょ、と恋人であるレオナルドまでもが乾いた笑いを零していた。
 ごく当たり前のようにスティーブンとレオナルドが隣り合って座り、居心地の悪さを覚えながらザップはクラウスの隣に腰を下ろしている。レオナルド以外が軽くアルコールを取りながらの食事で、確かに、と少年は無ぐむぐと口内の野菜を咀嚼しながら思った。
 ザップと食事を取る機会は多い。たいていがツェッドも一緒であるが、懐事情を鑑みながら食べに行く場所を口論している。スティーブンと食事を取る機会もそれなりにある。何せ恋人同士だ、ディナーをごちそうになったり、スティーブンの家で一緒に食事を作ることもある。クラウスとは食事というより、ティータイムを一緒に過ごすことが多い。彼自身が甘いものが好きなのか、それともレオナルドに気を使ってくれているのか。出先からスウィーツを買って戻ってくると、一緒におやつタイムになるのだ。
 別個にはそれぞれ時間を持ったことがあるが、四人で一緒に、というのは珍しいだろう。

「飲み会とかだと揃うけど、そゆときはほかにもいるからなぁ」

 秘密結社ライブラにはかなりの人員が所属している。対BB戦で戦えるものたちだけでなく、武器の扱いに長けた戦闘員、電脳戦に優れた技術員、出所不明の薬や術を解析する研究員、一同に会することはなかなか難しいが、一部が集まるだけでもそれなりに広い場所を必要とするレベルではある。だからこの四人で限定して、となるとザップの(不確かな)記憶にはないことだった。

「僕とレオは一緒にご飯食べることも多いけど、君らはそういうの、あるの?」

 仕事抜きでのプライベートの食事だからだろうか、スティーブンの作る雰囲気がいつもより柔らかくなっているような気がする。おそらくこの中で一番オンとオフの切り替えをするタイプであろう。正直見慣れないためどんな顔をすればいいのか、ザップにはよく分からなかった。つきあいの長いクラウスや、オフのときの顔を今一番見ているであろうレオナルドが平然としているのが、なんだか少し腹立たしい。

「……まあ、なくはねぇっすよ」

 がつがつと、絶妙にスパイスを効かせてあるチキンソテーをかきこみながら答える。クラウスとふたりで食事をしたことがないわけではないから、嘘はついていない。

「招待しても断られることが多いのだ」

 ザップの隣でクラウスがしょんぼりと肩を落として言った。落ち込まれるレベルには機会が少ない、ということをザップも認めなくもない。だから、と口の端についたソースを親指でこすり取り、ナイフとフォークを優雅に操って食事をしている男へ視線を向けた。

「旦那と俺じゃあ生活レベルがちげーんだっつの」

 こちとら野生動物のような食生活を送っていた時代もあるくらいなのだ、貴族の出であるらしい男とは暮らす世界が違う。自分には不釣り合いだから、と遠慮するような謙虚さは持ち合わせていないが、息苦しい食事はごめんだった。

「ただ飯はありがてーけどな。マナーがどうのって場所は俺にゃ無理だって」

 クラウスもそのあたりは考慮してくれているらしいが、いかんせんもともとの基準が異なっているのだ。クラウスにとっては気安い店でも、ザップからすればお高く止まった場所に見えることだってある。
 どうにかその溝を埋めたい、とがんばってくれているらしいが、無駄なことはよせ、と誰かこのリーダに言ってやってくれないものか、とザップは常々思っていた。無理にこちらに合わせる必要はないのだ。ザップだってクラウスに合わせろと言われても困る。

「別にわざわざ飯食いに出なくてもいいと思うけどな、俺は」

 確かに、クラウスとはそういうつきあいがある。その点は否定しない。けれど結局そこにあるものはセックスであり、甘ったるい恋人同士のやりとりだとかを欲しているわけではない。どちらももう子どもではないのだ、ティーンのような恋愛などできるはずがない。少なくともザップはそう思っている。

「それでも、私は君と食事がしたい」

 そんなザップを前にしても、それでも真剣にそんなことを言う男だから、気恥ずかしいのを堪えてときどき食事につきあっているのだ、と気がついてくれているだろうか。
 ため息をついて押し黙ったザップを前に、ふたりのやりとりを聞いていたレオナルドがふふ、と笑いを零した。

「じゃあクラウスさん、あとでザップさんでも平気なお店、教えますね」


**  **


 家事が苦にならないというより、ふたりで一緒にこなすから楽しめるのだろう。食事の片づけはレオナルドが率先して手を挙げ、「じゃあ僕も手伝おう」とスティーブンが隣に立った。

「お、食洗機あるよ」
「僕、使い方分かんないっすよ」
「洗剤と食器入れてボタン押せばいいだけじゃないの、こういうのって」
「じゃあ、ボタン、どうぞ。いくつかあるんで、お好きなのを」
「えー壊したらやだから一緒に押そうよ」
「ヤですよ! 子どもか!」

 冷血漢と名高い上司が年下の恋人に甘える様子に、しょっぱい気分になるのもこれで最後だ、と心に決める。今後はすべて聞こえなかった振りをしよう。聞こえてしまったものはしょうがない。くしゃん、と顔を歪めて不機嫌を表したあと、「俺、風呂入ってきますわ」とザップは腰を上げた。このメンバで酒盛りをするということもないだろうし、女を連れ込むことも女のもとへ行くこともできない。正直手持ちぶさたで、時間をつぶすならあとはもう寝るくらいしか思いつかなかった。
 キッチンへ視線を向ければ、レオナルドは恋人と楽しそうに片づけをしている。同じ屋根の下にいるのだし、今はこうしてザップのほうを見ていなくても平気そうではあった。
 少年の様子を窺ったクラウスも大丈夫と判断したのだろう、ああ、と頷きが返される。それも、ザップが風呂にさほど時間をかけないことを知っているからかもしれない。

「あるものは好きに使ってくれて構わない」
「うーっす、もとよりそのつもり」

 そういえばバスルームの場所を確認していなかった。適当にそのあたりのドアを開ければたどり着くだろう。そんなことを考えながらリビングをあとにしようとしたところで、「ザップ」とクラウスの声が響く。

「服はきちんと着て戻ってくるように。私は君の裸を彼らに見せるつもりはない」

 突然の発言に思わず顔が熱くなる。確かに、シャワーを浴びたあとしばらく、全裸で過ごすことも多いけれど、そしてその姿を彼には目撃されてもいるけれども。
 驚いてクラウスを見やれば、うっすらと口元が緩んでいることに気がついた。どうやらこちらをからかっているらしい。

「っせぇな、俺だってもうあんた以外の野郎に見せる気ねーよっ!」

 そう言い捨てて、ザップは今度こそリビングをあとにする。ちらりと視界に入った男が、小さく笑っているのが見えた。

「クラウスさん、ザップさん、何か飲みます?」

 レオナルドがそう尋ねてリビングに顔を出したのは、それから少ししてのことである。ザップの姿がないことに気がつき、少年は端から見ても分かるほどに顔を青ざめさせた。

「コーヒー入れるけど飲むかい?」

 その後ろから顔を覗かせたスティーブンも、固まってしまった小さな背中と表情を強ばらせたクラウスを見やりすぐに状況を把握する。視線で窺えば、「シャワーに行っている」と端的な説明が返ってきた。

「大丈夫だ、レオ。ザップの風呂はそう長くない、すぐに戻ってくる」

 クラウスがそう言葉を続ければ、少年はこくり、と首を縦に振って理解を示す。その肩に後ろからそっと手をかければ、振り返ったレオナルドが縋りつくようにスティーブンの腕を握った。

「うん、僕はここにいるよ。ザップだってすぐに戻ってくる。クラウスがそう言っただろ?」

 言い聞かせるような優しい声音に、彼はまた二度、頭を振った。

「わ、わか、って、るんです、分かってる、つもり、ザップさん、いなくても、別に、大丈夫って……っ」

 普段圧倒的に迷惑をかけられることのほうが多い先輩だ。命を助けられたこともあれど、そばにいなければ耐えられない、という感情を抱く相手ではない。そもそもひととして生きていく際、そこまで依存する相手がいては生活すらままならないではないか。
 そう頭のなかでは分かっているというのに。

「あた、あたま、と、こころ、が、ばらばらになった、みたいで……っ」

 ザップがいない、その事実を前にするとどうしてこんなにも不安になってしまうのか、泣き叫びたくなる衝動が溢れ、今すぐ探しにいかないといけない気分になってしまうのか。
 自分の心のはずなのに、自分ではどうしようもできない感情が、レオナルドにはただひたすら怖くて仕方がなかった。この状態にあと四日、耐えられるだろうか。
 被害者以外には理解できない恐怖と戦うレオナルドを前に、悋気に捕らわれている場合ではないと判断したスティーブンがクラウスへ視線を向ければ、彼もまた同じことを思っていたのだろう。「バスルームは向こうだ」と案内のために腰を上げた。追いかけても良い、とクラウスが許可したところで、レオナルドはきっと動こうとしないだろう。己の恐怖や苦痛よりも、ひとの気持ちを考え優先させてしまうところが彼にはある。
 レオ行くよ、とスティーブンがその背を押して促したところで、ガチャリ、とリビングの扉が開いた。男が部屋を出ていって十五分も経っていなかっただろう。確かに恋人の言うとおり、ザップのシャワーは長くはないらしい。
 室内の異様な空気、レオナルドの様子を見てすぐに状況を察したザップは、顔を顰めてつかつかと少年の元へ足を向けた。

「シャワー浴びたら喉乾いた。陰毛、ビール寄越せよ」

 俯いたレオナルドの頭に顎を乗せ、のっしりと背中に乗りかかるように体重をかけて普段と変わらない口調でそう命じる。寄越せと言う割に少年の動きを制限しているかのような行動だが、誰もその点を指摘することはなかった。
 己の意志や感情とは無関係の場所でわき起こる衝動に震えていた子どもは、恋人に縋っていた手を片方だけ外して現れた男のシャツを握る。

「……ビール、くらい、自分で、取ってきて、くださいよ……」

 返される言葉は食事前のものと同じであったが、何とか平静を保とうと必死な声音であることがはっきりと伝わってきた。静かに戦っている少年を挟み、大人ふたりが視線を合わせる。音にはしない言葉で短慮に部屋を出た謝罪と、「あとで凍らせないでくださいよ」と懸念を伝えたザップへ、スティーブンは分かっている、と頷いて答えた。
 すまない、助かった。
 唇の動きだけでそう紡いだ男の顔は心底安堵しているそれで、この上司がレオナルドに惚れていることは疑いようのない事実なのだな、とザップは今更のように痛感する。しかも遊びやつまみ食いといった類ではない、これは本気の愛情だ。この少年のどこにそこまでひきつけられたのかは分からないが、お互いどこか危ういところを持っていたふたりだ、ともに歩めば少しは安定するようになるのではないか、と自分のことは棚にあげてそう思った。




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2016.07.20