ココロの行方・4


 レオナルドの状態を鑑みて効果が切れるまで閉じこもる、という手段も考えられなくはなかったが、そうなるとザップもともに引きこもることになる。さすがにそれは申し訳ない、ザップにだけではなくライブラのほかのメンバにもしわ寄せがいくだろう、とレオナルドが固辞した。

「どうせ昼間ライブラにいたら、僕、大体ザップさんと一緒ですし」

 レオナルドには戦う力がない。彼を守り、補うためにザップがともに行動することが多く、またザップひとりだと不必要なトラブルを引き起こすことがあるためそれを抑えるためにレオナルドをともに行動させる。レオナルドがライブラ入りして以降、そういった理由でふたりは同じ任務につくことが多かった。いつもどおりに過ごしていれば大丈夫だろう、と事務所へと出勤している。

「普段それだけザップと一緒にいる、っていうのも正直腹立たしいものはあるんだけどね」

 大人げない上司がそう言っていたが、そもそも任務を振っているのは彼であるため文句を言うのはお門違いだ。

「依存、ですか。それは……なんというか、ある意味このひとで良かった、ってことなのかもしれませんね」

 レオナルドが浴びてしまった薬の詳しい効果、現在レオナルドがどういう状況にあるのか、あの場にいたツェッドにも詳しく説明すれば、彼はひどく複雑そうな顔をしてそう言った。

「まあ、言われたらそうっすね。クラウスさんやスティーブンさんだと仕事が仕事だからいつも一緒ってわけにはいかないでしょうし」
「僕もこれがありますから、ずっと一緒は難しいかもしれません」

 こつん、と首もとのエアギルスを爪で叩いたツェッドが寂しそうに笑みを浮かべる。

「水槽越しでも大丈夫だとは思いますけどね。まあでもザップさんだと、常にあの憎たらしい顔を見てなきゃいけない腹立たしさを我慢さえすれば、一緒にいることが難しくないですから」

 レオナルドが笑みを浮かべてそう言えば、間髪入れず、ずびしっ、と横からこめかみに手刀が繰り出された。

「レオナルドくんや。おめーのためによく分かんねー同居までしてやってるザップさんに、そーゆーこと言っちゃう?」

 ずびしっずびしっ、と連続で繰り出されるつっこみに、普段のレオナルドならば止めろ、と切れていただろう。しかし今は笑いながら、「すみません」と謝罪を口にする。

「今回のことについては、ほんと感謝してますって」

 薬品を浴びてしまったことも、最初に見てしまった相手についても、レオナルドやザップに非があるわけではない。いや、注意不足という点ではふたりとも(あるいはその場にいたツェッドも含め三人に)非があるといえるのかもしれない。不幸な事故でしかなかったが、それでもこうして仲間内でなんとか処理できているのは幸いだったのだろう。
 本当に大丈夫ですか、と心配そうなツェッドへ、少年ははい、と笑って答える。

「ザップさんも協力してくれてますし、クラウスさんとスティーブンさんもすごく良くしてくれてますから。なんとか効果が切れるまで乗り切ります」
「僕にできることがあれば何でも言ってくださいね」

 生真面目な同僚が、上辺だけでなく心の底からこちらを想ってくれているのが分かった。良い仲間に囲まれているのだ、厄介な惚れ薬を浴びてしまったことくらい、どうとでも乗り越えることができるだろう。そう信じている。


**  **


「じゃあお先に失礼しますけど、おふたりは今日、帰りは遅いんです?」

 ザップ、ツェッドと聞き込み調査で街中を歩いたが、成果はあまり得られなかった。それについての報告をし、今後の対策を話し合ったところで、今日はもうあがっても良い、と許可が出る。時刻は夕方の五時を少し回ったところで、夜というにはまだ早い時間帯だ。
 あがると言ってもあと三日はザップとともに同じ部屋へ戻ることになる。帰っぞー、とレオナルドを呼ぶ男の元で足を止め、まだデスクに向かっている上司ふたりへそう尋ねた。
 レオナルドの声に頭を上げたスティーブンは、一度視線を手元に落としたあと「あー、いや、そう遅くはならないと思う」と答える。

「クラウスは?」
「私も小一時間で終わるだろう」

 だとすれば帰宅は六時過ぎ、遅く見積もっても七時くらいであろう。

「ご飯、どうしましょう。スティーブンさん作ります? それとも僕らで何か用意しておきましょうか」

 って言っても僕の腕じゃあ大したものは作れませんけど、とレオナルドは頬を掻きながら言った。普段はひとりで暮らしているため、自炊もしなくもない。けれど、胸を張ってひとに出せるレベルの料理にはほど遠く、ザップ曰く「とりあえず食える」程度である。スキルのあるスティーブンとは比べものにならない。あるいは作るのではなく、デリバリーを頼むか、すぐに食べられるものを買って帰っておく、という手もあるだろう。もし上司ふたりが外食をするのであれば、自分たちもどこかで夕飯を食べて帰ったほうがいいかもしれない。
 そう思っていれば、「できたら、」とスティーブンが口を開いた。

「用意しててくれたら助かるよ。食べて帰るのも面倒だし」
「うむ。我々の帰宅を待つ必要はない、先に食べていてくれて構わないから」

 生真面目にそう告げてくるクラウスに苦笑を浮かべ、「ほんと、期待しないでくださいよ」と牽制しておく。レオナルドの作ったものを口にしたことのあるスティーブンならまだしも、クラウスに食べてもらうことを考えれば早まった申し出だったかもしれない。けれどこちらにはザップがいるのだ、レオナルドが言ったところで動く可能性は低いだろうが、彼に手伝わせることができればまだ挽回ができる。かの紳士が恋人の手料理を喜ばないはずがないのだから。

「じゃあご飯作ってザップさんと待ってますから、早く帰ってきてくださいね」

 せっかく食事を用意するのなら、皆で一緒に食べたいではないか。普段は忙しいひとたちなのだから、トラブルの起きている今くらいは早めに仕事を終わらせてゆっくり休んでもらいたいものだ。
 さっさとひとりで事務所をあとにしようとしている先輩のジャケットを引っ張り、何か言えと促す。ちらりと室内へ視線を向けた彼は、軽く手を振って「またあとで」とそう言った。上司に向けた挨拶ではなく、恋人へ告げたものであろう。憮然とした表情は照れを隠しているのだと思う。珍しい顔に思わず小さく笑いを零せば、気づいたザップにすぺんと頭を叩かれた。
 ふたりの姿が消え、ぱたむ、と扉の閉まる音が響いた室内では、残された上司ふたりの顔から表情が消えている。「そういう場合じゃないって分かってはいるんだけど、」と言葉を吐き出したのはスティーブン。

「うちの嫁、かわいいな……?」

 夕飯の支度をして家で待っていてくれているかわいいひとのことを、「嫁」以外なんと表現すればいいのかが分からない。その言葉が指す対象人物は異なってはいるが、少し離れたデスクでクラウスが無言のまま何度も頷いていた。


 待っていてくれる嫁がいるのなら、早く仕事を終わらせて帰宅し抱きしめてやるのが夫の勤めである(かどうかは知らないがそういうことにしておく)。状況が状況であるため浮かれがちだが、それで仕事が疎かになっては意味がない。仮住まいである部屋へ戻るまでの車で今抱えている案件について打ち合わせをし、最近聞いた中で気になるニュースを共有する。クラウスとふたりでいればいくらでも話題は出てくるものだ。しかし、部屋の玄関までやってきたところで、ふたりは顔を見合わせて口を噤んだ。言葉にせずとも分かる、仕事の話はここまで、ここ以降は無粋な話題は禁止である。
 事前にスティーブンが連絡をしていたのだろう、ドアを開ければ挨拶をする前にリビングから「お帰りなさい!」とレオナルドが姿を現した。

「ただいま」
「ただいま、レオ。いい匂いがするね」
「夕飯はキャベツとツナのパスタです。ザップさんもちゃんと手伝ってくれましたよ」

 スティーブンの持つ鞄を受け取りながら、もうひとりの上司を見上げて言えば、彼は目を細め嬉しそうに笑みを浮かべた。

「それは楽しみだ」
「ふたりはもう食べたの?」
「いえ、まだです。どうせならみんなで食べたいじゃないですか」

 へへ、と笑うレオナルドを前に、伊達男がへにゃりと頬を緩める。仕事中の彼を知っているものが見れば、誰だお前は、とつっこみを入れかねない表情だ。恋人の少し情けないこの表情はレオナルドのお気に入りではあったが、クラウスやザップのいる場ではあまりしないでもらいたい、と少し思う。自分だけが知っていればいい顔なのだ。
 ふたりに続いてリビングへ戻れば、ソファに寝転がったままザップが「おかえりなさーい」とどうでも良さそうな声をあげる。挨拶があるだけマシかもしれないな、と思っていれば、頭を上げたザップと視線があった。ちょうどスティーブンが脱いだ上着やネクタイを預かっていたところであり、「よぉやるわ」と呆れた言葉を投げつけられる。彼の家で帰宅を迎えたときは大体似たようなことをしているため、レオナルドとしてはさほど不自然なことをしているつもりはなかった。仕事で疲れて帰ってきた恋人を出迎えているだけのこと、早く寛いでもらいたいし、ゆっくり肩の荷を降ろしてもらいたいと思ってのことだ。そんな自分たちの姿を、ザップはどのように見ているのだろう。薄ら寒い夫婦ごっこだと思っているのかもしれない。父親にまとわりつく子どもと思われるよりはそちらのほうがいいけれども。

「ザップさんもすればいいじゃないですか」

 クラウスだって同じように仕事をして疲れて帰ってきている。労ってあげたいけれど、こうした出迎えはやはり恋人にしてもらうのが一番だ。レオナルドの言葉にザップは盛大に顔を顰め、「冗談だろ」と吐き捨てた。

「俺はそんな柄じゃねぇっつーの。そーゆーのやってもらいてぇっつーなら、してくれるやつ探してこい」

 けっ、と喉を鳴らして言うザップはまだ身体を起こそうとはせず、帰ってきた恋人のほうを見もしない。さすがにその言い方はどうだろう、とレオナルドは眉間にしわを寄せたが、それより先にソファのそばへとクラウスが歩み寄った。伺ったその表情に怒りは浮かんでおらず、どちらかといえばいつもより穏やかで優しい顔をしているように見える。
 ザップを覗き込んだ男は、「何度でも言おう、」と言葉を紡いだ。

「私は君がいいのだ」

 出迎えをし、甲斐甲斐しく尽くしてくれるようなひとを望んでいるわけではない、ザップ・レンフロという個人を求めている。
 嘘のつけない性格をしているクラウスは、端的な言葉でまっすぐに想いを告げる。クラウスの言葉を前にすれば、拗ね続けることも言い返すことも難しいようだった。険しい顔をしたままの彼の恋人は一言だけ、そうかよ、とぶっきらぼうな返事を寄越す。
 愛おしそうな感情を隠すこともしないクラウスと、素直ではないザップのやりとりを一部始終見ていたスティーブンとレオナルドは、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。




3へ・5へ
トップへ

2016.07.20