今度は、二人で。・3


 少年が目をやった先に佇むのは、レッシンたちを追いかけて来てくれたリウとディアドラの二人。セツナさん、と彼の発言を咎めたコクウの言葉に重なるように、「そいつの言うとおりだよ」と興味なさそうな顔をしていた風の魔術師が声を上げた。

「ルックまで、そんな……」

 眉を顰めたコクウへ冷めた視線を向けた魔術師、ルックは「そっちの二人」とリウたちを指す。

「こちらにとっては存在自体が災厄だ。いるべき場所に戻れ」

 とん、と石畳の床をロッドの先で叩いて彼は淡々と言った。
 その言葉に激昂したのは言われた二人ではなく、聞いていたレッシンたちの方。その言い方はないのではないか、とレッシンが声を荒げようとしたところで、「いいから」と苦笑を浮かべたリウが抑えた。

「悪かった、騒がせるつもりはねーんだ。ただ、ちょっとだけ休ませてもらいたい。道を作るのがかなり辛いらしいから」
「悪いわね、私も万能ではないの」

 リウの言葉にディアドラがどこか疲れたような声音でそう続ける。同じ世界の中で道を作ること自体はさほど苦ではないらしいが、世界を違えてトビラを開く行為はいかな彼女といえど、かなりの魔力を要する。せめて同じ『書』を持つ世界ならばいいが、この世界はどうやらリウたちが必死で守っているそれとは違う柱を持っているらしい。
 道とは何のことだ、と首を傾げているのはディルク一人だけで、彼女の言葉に、「医務室、ご案内しましょうか」とコクウが手を差し伸べた。

 ディアドラの魔力が回復するまでは城の中を見せてもらうことになり、夕方日が暮れるころに再び入口へ集合することになる。子供たちは城の中を探検してくる、と飛び出していき、ディルクは馬が合ったのだろうか、ビクトールと何やら話しこんでいる様子。
 仕方なくリウは隣接する図書館で時間でもつぶさせてもらおう、とそちらへ向かっていれば、「あんたさ」と背後から声を掛けられた。
 振り返れば思った通りの人物。緑色のバンダナに赤い胴着、漆黒の髪を揺らす少年。

「それ、いつか身を滅ぼすよ」

 彼の言うそれ、がどれのことなのか、詳しく聞かずとも分かる。

「力の種類が違うからなんとも言えねぇけどな、一つでも持て余してるっつーのに」

 そう言って少年は右手の甲を左手でぎゅう、と抑える。
 初めて対峙したときから、少年の右手にリウの持つ書と同等、あるいはそれ以上に強い力を持つ何かが宿っていることは気が付いていた。この世界を支える何かであろうそれは禍々しい気を放っており、そんなものが少年の小さな身体を冒しているのかと思うと思わず眉が寄る。

「でも、しょうがねーっての、お前なら分かるだろ?」

 へらり、と口元を歪めて言えば、大きく息を吐き出した少年は緩く首を振って背を向ける。緑と紫のバンダナの尾が揺れる背中を見やっていれば、不意に足を止めた彼はこちらを向くことなく言った。

「なあ、あんた、何考えてる?」

 あまりにも漠然としたその問い。今現在のことを問うているのかそれとも。
 目を伏せたリウは静かに、「何も」と一言。

「……何かを考えてたらこんなことにはなってないと思うわよ」

 二人の間に割って入ってきたのは休んでいるはずのディアドラだった。「医務室行きは拒否られました」と肩を竦めたコクウが後ろにいる。

「リウ、分かってると思うけど、今回のも前回のも」

 原因はあなただからね、と。
 ディアドラに告げられた言葉をリウは目を閉じたまま聞く。

「そもそもあのレッシンって子、トビラを通り抜けることのできない子じゃない。その彼がこうして異界へ来てしまった、それが何故だか分かる?」

 線刻の書と真正なる一書と、二つの記憶を同じ身の内に留めているが故、リウはその存在自体が歪んでいるようなものなのだ。本来ならば他の世界へやってきた場合そのトビラからしか戻ることはできない。移動先の世界からまた違う世界へ行くことは不可能。
 レッシンはもともとリウたちが生きている世界の存在ではなく、おそらく以前ディアドラを巻き込んで迎えに行ったあの世界の人間だ。あのときはレッシンが通ってきたトビラを偶然にも選んだがため向こうへ行けたが、シトロのある世界からこうして他の世界へ来ることができるなど、本来はありえない。

「オレがいたから、だろう」

 リウがシトロに長く留まった、だからリウを中心に世界が歪んでしまった。
 簡単に現れるはずのない扉が次々に現れ、なおかつ他世界の生物さえも飛ばす歪んだ性質を持つようになってしまった。
 それらはすべて、リウが一か所に留まりすぎたせい、だろう。

「分かってる、そろそろ潮時だとも思ってたんだ」

 目を開け、険しい顔をしたディアドラへにへら、と笑みを浮かべてみせる。
 シトロ村は本当に居心地が良くて、もし許されるのなら、可能ならば、しばらく生活をしていてもいいかもしれない、そう夢を見てしまうくらいの場所だった。
 わずかでもそんな経験ができたこと、この風景こそ自分が守りたかったものなのだと思い出させてくれたこと、それだけでも十分だ。

「悪い、ディアドラ。オレだけ先に、別の場所にトビラを繋げてもらえるか?」
「そうしようと思ってあなたを探してたのよ」

 そう言って彼女はとん、と持っていた杖で床を叩いた。世界の崩壊を一度味わったことのある彼女は、ひどく聡明で、機知に長ける。話の早い友人を持つと楽でいい、と笑みを浮かべたところで、「どういうことだよ、それ」と再び別の声が割って入ってきた。

「……レッシン」
「リウ、どういうことだよ、何でお前だけ別のとこに行くんだ? シトロに一緒には帰らねぇのか?」

 説明しろよ、と駆け寄ってきたのは彼一人だけで、逆に良かったのかもしれない、と思う。

「あのな、レッシン。こうやってお前らが変な世界にぽんぽん飛んでんの、たぶんオレのせいなんだよね。オレ、そこにいるだけで色々歪めちゃうから」

 何年たっても姿が変わらないということ以外にも、一か所に留まれない理由。苦笑を浮かべて言えば、「それはさっき聞いた」と憮然とした声が返ってくる。

「そうじゃねぇ、何でそうなるのかを聞いてんだ」

 どうしてリウがいるだけで世界が歪んでしまうのか。
 簡単に説明できることではなく、なんと返そうか悩んでいる間に。

「世界の記憶をその身に抱え込んでいるからよ。二つも、ね」

 答えたのはリウではなくディアドラだった。
 レッシンに、この少年にそのような事実を伝えて一体何になるというのか。誰にでも話して良い事柄ではない、そのことは彼女自身知りすぎるほど深く理解しているはずなのだが。

「ディアドラ」
「大丈夫よ、この子なら。あなたも分かるでしょう?」

 確かにレッシンが書を悪用する、ということは想像ができない。性格的にそういうことは絶対にしないであろう。もし仮になんらかの事情があり人々の上に立たなければならなくなったとしても、書の力を振りかざすことなく、彼自身の魅力だけで十分に人を集めることができそうだ。

「二つ?」
「そう。一つは既に滅んでしまった別の世界の記憶」

 それは私も持ってるわ、とディアドラは手にした杖を揺らして石床を叩く。

「もう一つは、私たちが生きているあの世界そのものの記憶」

 他の記憶とは違い、世界そのものを記す真に正しい唯一なる書。
 真正なる一書。
 人の身に余る力を有したそれらを二つとも抱え込み、抑え込み、誰にも渡すことなく生き続けてきた、それが故の存在自体の歪み。




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2010.09.19