氷点下の激情・2


 これが最後の戦いになる。
 そのとき、誰もがそう思っていた。
 元凶であるドルマゲスを倒せば王や姫の呪いが解ける。そうなればエイトが旅をする理由もなくなり、それに伴いヤンガスも旅をする理由がなくなる。
 肉親や育ての親の仇を討つことができるのだから、ゼシカとククールが旅をする理由もなくなる。
 つまりはこれが終われば皆バラバラに、元の生活へ戻っていくとそういうことで。

 もしかしたら自分は、そのことが少し寂しいのかもしれない。

 元々あまり自分の感情に自覚的にならないエイトは、珍しくも沸きあがってきたその想いに多少戸惑っていた。今自分が感じているものが「寂しい」と呼ばれる感情であるかどうかは分からなかったが、それでもなんだかはっきりしない、もやもやしたものが胸の中にある。
 好きな人と離れ離れになった人々は口々に「寂しい」と言っていた。
 だから、今自分が感じているのもその感情である可能性が高い。

「エイト、そのまま進むと落ちるぞ」

 背後からかけられた言葉にはっと現実へ意識を戻したエイトは、がくり、と自分の体が傾くのを感じた。慌ててもう片方の足に力を入れるものの、現状を把握していなかったためどうやら逆効果だったらしく、そのまま階段を踏み外して転げ落ちそうになる。
 それを止めてくれたのはすぐ後ろを歩いていたククールだった。

「……できればもう少し早く教えてくれているとありがたかったんですが」

 礼を言った後でそう文句を言うと、「気付いてなかったとは思ってなかったんだよ」との言葉が返ってくる。

 ククールから見たエイトという人物は、いつ如何なるときでも意識を現実から外さない人間だった。その黒い目で真っ直ぐに今ある物事だけを見詰める。そうたとえば「もしもあの時」といったような仮定の話さえエイトはしない。過去を振り返っても時間の無駄だといわんばかりに、ただ前だけを見ている、そういう人間だった。

「お前が考え事とは珍しいな」

 誰だってふとした瞬間に考え込むことくらいあるだろう。いくら普段から馬鹿な行為を繰り返しているとはいえ、彼だって何かを考えることくらいあるはずだ。しかし今までの旅の間でエイトのそういった姿をほとんど見たことがなかった。ダンジョンの中だったら尚更である。
 そのためからかいの色を含んだ声でそう言うと、エイトは肩を竦めて「ドルマゲスのおじさんへの挨拶を少々」と答えた。

「何か良いの思いついたか?」

 呆れたように尋ねられ、「ついてからのお楽しみ」とエイトは笑った。



 彼らは今、闇の遺跡の内部を歩いている。

 外で魔物と戦い、十分に戦力も上げた。装備も整え、薬草もしっかりとそろえた。これ以上はないというほどの準備を整えてきた。
 ドルマゲスがこの遺跡の奥に未だ姿を隠したままだというのは確認済み。
 どうやら体調が万全でないらしい、という情報も得ている。
 今ならいける。
 今なら彼を倒せる。
 それはエイトだけの思いではなく、おそらく他の仲間たちもそう思っているだろう。
 その事実がエイトには重要だった。
 強敵を相手にする場合、自分たちは勝てるのだ、という自信こそが一番入手困難で、かつ一番必要なアイテムなのだ。

「エイト、あの扉……」

 瞳から光を発する像を動かしてレティスの羽を焼き、更に地下へ続く階段を出現させる。そこを降りていったその先の扉の前で、ゼシカが呟いた。

 彼女はこの遺跡に入ったときからずっと、期待とも恐怖ともつかぬ表情を浮かべている。仇を追い詰めたことが嬉しいのか、戦えることが嬉しいのか。もちろん、強大な敵に対する恐れもあるだろう。

「あの向こう、すごい、強い力を感じるわ」

 彼女の言葉にククールも「ああ、一段と禍々しい気が増えた。おそらく、奴はあの向こうだ」と頷く。

 彼の端正な顔にもやはり緊張の色が浮かんでいる。高揚とも取れそうな、それは仇が討てることに対してか、それとも強敵と戦うことに対してか。
 その側のヤンガスは、いつもと同じように見える。それは彼の顔の作りのせいだろうか。しいて言えば怒りと高揚。緊張の色はあまり浮かんでいない。

 エイトはその扉の前で立ち止まると、一旦振り返って仲間たちの顔を順に見た。
 彼の強い瞳に答えるかのように、三人がしっかりと頷き返す。それを確認してから、エイトは扉を開けた。


 これが終われば、みんな元の生活に戻ることが出来る。
 その思いとともに、湧きあがってくる感情を振り払うようにエイトは首を振った。
 これからのことを今考えたところで仕方がない。
 ドルマゲスを倒したそのとき自分が何を思うかなど、どうでもいいことだ。
 仇を討てた、とゼシカやククールは喜ぶだろう。ヤンガスも、王の呪いがとける、と喜ぶだろう。
 ならば一緒に喜べばいいだけだ。いつも通り、何ら変わりはない。


 そう、いつも通りでいい。たとえ、今目の前に広がる光景がいつもとはかけ離れた、異様なものであったとしても、エイトが行うことはいつも通りなのだ。

 部屋の奥に描かれた結界のような模様が不気味な光を放っている。
 その上に、まるで守られているかのように憎き道化師が不思議な球体に取り込まれて、浮いていた。

 ヤリでつついたらきっと、パン! と破裂して水があふれ出るんだろうな。

 どうでもいいことを思いながら、おのれを奮い立たせるかのようにエイトはぎゅ、と拳を握ってそちらへ向かって歩き出す。ほかの三人も、その華奢な背中を追った。
 勝っても負けても、これでこの戦いが終わる。その思いを胸に、一歩ずつ敵へと近づく。

 そしてドルマゲスが浮かぶ球の真下にやってきたところで、突然エイトが口を開き歌い出した。



「おっでこ、てっかてーか、あっごも、なっがなーが、そーれがどうしーた、ぼくドルマゲスー!!」



「やめんか、バカもん!」
「あんた、いきなり何歌ってんの!」
「あ、兄貴、ずいぶん音程が外れてるでがす」


 先ほどまでの緊張が一気に崩れた。


「お前、もしかしてさっき言ってた挨拶ってのはあの歌か」
「なかなかうまく出来てるだろ? 一生懸命考えました」
「そうね、確かにあの顎の長さは個性の枠からはみ出てる気もするけど。でもエイト、今はそういう歌を歌ってる場合じゃないでしょう?」
「いや、兄貴はきっと、あのモグラの大将と同じように音で攻撃をするつもりだったんでがすよ。ね、兄貴?」
「攻撃じゃなくて挑発だ、ありゃ」
「エイト、挑発っていうのはね、こう相手に向かって中指を立てるのよ」
「ゼシカ、お嬢さまがそういうことやっちゃ駄目だと思う」
「お前もこないだやってただろうが」
「俺は男の子だからいいの」
「あら、それは差別よ」
「……いや、ゼシカの姉ちゃん、それは差別とかそういう問題じゃないでがすよ」


 彼らが球体の中にいるドルマゲスの存在を思い出したのは、その五分後のことであった。






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2005.02.01