氷点下の激情・4 エイトと会話をしていると、たまにふと違和感を覚えることがあった。 何であるのかを知る前に大体それはすぐに霧散し、結局あまり気にしてはいなかったのだけれど。 あまりにもいつも通りすぎる。そのことに疑問を覚えていなかったわけではないが、どうせ今日で終わりだと思うからこそ、その日はただ普通に会話をし普通に酒を飲んで互いに眠りについた。 しかし現実とはどこまでも予想を裏切るもので、翌朝血相を変えたヤンガスに叩き起こされてゼシカが姿を消したということを知らされる。 「家出!? 今流行のプチ家出?」 「いや流行ってないし。そもそもゼシカは初めから家出の身だろう」 「どうしよう、お父さんになんて言えばいいの!」 「いや、だから家出から離れろ。動転してるのは分かったから」 てきぱきと行動だけは機敏に宿を出る準備をしながらも、エイトの口は休まることを知らない。自分も身支度をしながらいちいち突っ込んでやっているのだから、そうとうのお人よしだと思う。 「兄貴、宿屋の女将の話だとゼシカの姉ちゃん、北に向かったらしいですぜ」 先に一階へ下りていたヤンガスにその報告を受けると、エイトはすぐさま地図を広げた。 北には関所が一つあったはずだ。王家の山へ行った際にそういう看板を見た記憶がある。おそらくその関所の方面だ。 「とりあえず急ごう」 エイトの言葉に異を唱えるものはおらず、既に町の外で準備を整えていたトロデ王と姫とともに北へと向かった。 途中無残にも破られた関所を越えて辿り着いたリブルアーチという名の町で、ずいぶんと顔色の悪くなった彼女と再会する。 「……ゼシカ、顔が変わってた。あれが今流行のプチ整形?」 「お前の中では今『プチ』が流行ってんのか」 「でも兄貴、整形するなら普通元より良くなってねえと。あれじゃあ人相が悪くなっただけでがすよ」 人相の悪いヤンガスに言われたくはないだろうが、確かに彼の言うとおりで。 彼女が持つ杖に最も詳しいトロデ王にそのことを報告すると、彼はしばらく考えてから言った。 「杖に呪われておるのじゃろう」 とにかくゼシカから杖を取り戻すことが先決だ、そして彼女を正気に戻してやらなければならない。 これがメンバ一致で出した結論ではあったが、彼女の行く先に心当たりがあるはずもなく、彼女が狙っているらしい魔術師の側にいるのが一番確実だろう、ということになる。 「……で、だからってなんであのおっさんの命令を聞かなきゃならねぇんだ」 成り行きで魔術師に頼みごとをされ、仕方なくそれを受けることになったが納得がいかない。ククールがそうぼやくと、エイトは側で「でも俺頑張った」と何度も頷いていた。 彼の頑張りは確かにククールも認めるところだ。エイトは何度もあの魔術師に「嫌だ」と断りを入れていたのだ。そんな石など取りに行く暇はない、もしその間にゼシカが来たらどうするのだ、と。 しかしあの魔術師はエイトのその言葉に一切耳を貸すことなく、進まない会話の応酬に疲れ果てたエイトが結局承諾してしまったのである。 「受けちゃったもんは仕方ねえ。さっさと行って済ませてこよう」 石を持っているという彫刻家の家へ行き、その息子から石の剣を託される。どうやら思っていたよりも手間がかかりそうな事態にうんざりしながらもエイトがそう言うと、横でヤンガスが「今からでがすか?」と声を上げた。 「兄貴、もう日も落ちてやすし、今からじゃ危険でがしょう」 とりあえず今日は宿で休んだ方がいいんじゃないでがすか? 彼のその言葉に、エイトは首を傾げてククールの方を見た。意見を求められているのだろう、そう判断するとククールも頷いて「オレもそう思う」とヤンガスに同意する。 「ゼシカが心配なのも分かるけどな、今日は朝から歩きづめなんだ。身体を休めないとゼシカを助ける前にオレたちがどうにかなっちまうぜ」 実際そう疲労を感じているわけではなかったが、ここから先は行ったことのない土地なのだ。不慣れな場所ならばそれ相応の準備をしておかないと酷い目を見るかもしれない。 今までならこういう場合ゼシカがエイトを止めていたのだ、ちゃんと準備をしてからにしましょう、と。それを今は彼女の変わりにヤンガスとククールがエイトを止めている。 些細な状況の変化に仲間が一人いなくなった事実を突きつけられ、ククールは軽くため息をついた。 二人からそう言われたエイトは、どこか妙な表情をしながらも「じゃあ、宿屋に行って休もうか」とあっさりと己の行動を翻す。 ククールもヤンガスもエイトがもう少しごねるかと思っていたので、態度の変わりように驚きながらも休憩をするということ自体に異論はない。大人しく彼のあとを追った。 トロデ王と姫には明日の朝早く出発する旨を伝え、二部屋だけ取れた宿屋へ向かう。いつもの通り公平にジャンケンで部屋割りをし、勝ったヤンガスが一人で部屋を使うことになる。 ククールとエイトが常に同じ部屋になるのは、おそらく二人ともジャンケンが面白いくらいに弱いからだと、エイトはそう信じていた。 食事をとってヤンガスと部屋の前で別れ、二人してもう一つの部屋へ向かう。さすがのククールもこういうときに酒場へ行く気にはなれず、今日はこのまま休むことにした。 薄暗い室内に入り込んで、ベッドサイドのランプへ火をともす。どうせこのあとすぐに眠るのだ、明かりはこれがあればよいだろう。 マントを取り外して首元を緩める。この服は嫌いではないが、ずっと着ていると肩がこる。ベッドに腰掛けてブーツを脱いでいると、向かいのベッドの側でもエイトが同じように寝るために衣服をくつろげていた。 彼はポケットにいたトーポをサイドテーブルの上へ出してやってから、ばさりと乱暴にバンダナを外し、ベルトを抜き取って上着を脱ぎ捨てている。 会話はない。もともと二人だけでいるときにそれほどたくさん言葉を交わすわけではない。同室になることが多かったとはいえ、そのうちの半分はククールは部屋にいなかったのだから。 彼と同じ部屋で眠るのを避けていたわけではなかったが、いつも通りに行動していたら自然とそうなっただけだ。もし多少でもその行動を自粛していたら、もっとはやくあの夜みたいに彼を組み敷くことになっていたかもしれない。 嫌な方向へ走り出した思考を振り払って着替えを続けていると、突然「あ」というエイトの声が響いた。 どうした、と顔を上げると、彼もククールと同じようにベッドに座ってブーツを脱ぎながら、 「あのさ、ちょっと聞いてもいい?」 と尋ねてきた。 上着を脱ぎ捨てインナーも脱いで、素肌に直接寝着を着ながら「ん?」と返事をすると、彼は少し考えた後に口を開く。 「俺さ、ゼシカを心配してんの?」 問われたその言葉の意味が、初めククールにはよく分からなかった。 しばらく無言で自分の作業を続けたのち、ようやく「ああ」と頷く。 昨夜交わした会話の中で、確かエイトは言っていた。 考えに考えて、もしかしたら自分は寂しいのかもしれないという結論に至った、と。 自分の感情をあまり口にしない彼は、考え抜いてようやくそれを自覚したと言うのだ。 そのせいだろう、こうして他人であるククールに尋ねてくるのは。 確か先ほど「ゼシカを心配するのも分かるけど」ということを彼に言ったばかりだ。 「ククール、俺より俺の気持ち分かってそうだし」 なあ、俺ってゼシカのこと心配してんの? 行儀悪くブーツを脱ぎ捨てて、ばさりとベッドに転がった。彼のベッドの側には黄色い上着が脱ぎ捨てられたままで、きちんと畳むか、かけるかしておかないと明日の朝しわが寄っているだろうにと思うが、どうせ人のものなので口は出さないでおいた。 自分の方はきちんと脱いだものをハンガーにかけて窓際へ吊るしてから、ククールは「うーん」と唸り声を上げる。 「じゃあさ、お前、何でゼシカを助けに行こうとするの?」 そう尋ねるとエイトは寝転がったまま顔だけをこちらに向けて、「……杖持ってるから?」と疑問形で答えた。 「うん、そうだな。その杖をトロデ王が取り戻したがってるからな。 じゃあ、もしゼシカが杖持ってなかったらどうする? 杖を持ってないけどゼシカがいきなり姿を消したら、お前はどうしたい?」 「お前は」という部分を強調して問いかける。 たまに、彼には自分の意思がないのではないだろうかと思うことがある。それはすべて彼の王の意に沿うからであり、下手をするとトロデ王が「追うな」と言えばエイトはそれに従ってしまいそうだと思った。 だから敢えて彼自身の意思を尋ねてみる。 ククールの言葉の意図に気付いたらしいエイトは、ゆっくりと時間をかけて考えて、考えて、考えながら口を開いた。 「……探しに行く、と思う。っていうか探しに行きたい」 その答えに、ククールは笑みを浮かべる。 「そう、そういう気持ちがゼシカを心配してるってこと」 ヤンガスが相手でもそうするだろう? 尋ねるとエイトは「うん、たぶん」と答えた。 自分の気持ちが分からない、それを言葉にすることが出来ない。 感情など、誰かに教えてもらうものではない。自分が嬉しいと思っているのか、悲しいと思っているのか普通は自然と感じ取れるようになるものなのだ。そして自分の感情に疑いを持つことなくそれを口にする。 エイトにはそれが出来ない。少なくとも出来ているようには見えない。 昨日からの彼との会話で、ククールはそのことに確信がもてるようになった。 そして、気がつく。エイトとの会話で覚える違和感は、これが原因だったのだろうということに。 「お前は、ヤンガスのこともゼシカのことも好きなんだよ。だから心配する。OK?」 「うまい」「まずい」や「楽しい」「悲しい」という言葉と同じように、彼の口から「好き」「嫌い」という言葉が発せられることは少ない。おそらく同じ理由からだろう。 エイトにそういう感情がないとは思わない。いくら演技がうまいとはいえ、すべてがそうであるようには見えなかった。単純に感じているそれを自覚していないだけ。 ククールはだから敢えて「好き」という言葉を使ってそう言った。 これから少しずつでも、彼が他人を大事に思う気持ちに自分で気付けるようになればいい、とそう思う。王や姫では駄目だろう、彼らはエイトにとって守るべき存在なのだ。 そうではなく、対等な立場にいる存在で尚且つ彼が大事に思える存在。ゼシカやヤンガスならば十分その位置に立つことが出来るだろう。 早くゼシカに戻ってきてもらわないと。 エイトのためにも、と柄にもなくそう考えていたククールの耳に、「じゃあ俺、ククールが相手でも心配するよ」という彼の呟きが届いた。 一瞬、言葉に詰まる。 いつも通り振舞うよう、今まで努力してきた。前と変わらぬ態度でいよう、と。だからいつものように「そらどーも」と軽く流してしまえばいいのだろうが、それでも、そのときククールは己の口からその言葉が漏れるのをとめることは出来なかった。 「あんなことされたのに、よくそういうことが言えるな、お前」 ←3へ・5へ→ ↑トップへ 2005.02.03
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