氷点下の激情・5 「あんなこと、って……」と呟いてようやく彼が言う事柄に思い当たったらしい。 エイトは寝転がっていた身体を起こすと、枕をぎゅうと抱きしめて、向かいのベッドに腰掛けているククールを睨んだ。 「何であんなことしたんだ?」 強い光の宿った瞳、きつい口調でそう尋ねてくる。 その言葉を聞いてククールは、もしかしたら自分は彼にこう詰問されることを望んでいたのではないか、と思った。罪を犯し裁かれるのを待っている。なんと自分勝手な罪人だろうか。 「あれ以来お前の態度、全然変わらねえし。俺も今まで通りにしといた方がいいのかなと思って放っておいたけど」 そう言うエイトを見て、ククールは彼の態度に対する自分の勘違いにようやく気がついた。 「オレはお前がいつもと同じだったから、なかったことにしたいのかなと思って蒸し返さなかっただけなんだけど」 ククールの言葉に、エイトは眉をひそめて「なかったことにしたいのはお前の方じゃなかったのか」と呟く。 どうやら互いの演技があまりに堂に入りすぎて、二人とも同じような誤解をしていたらしい。 あれだけのことがあったのだ、仕掛けた方も仕掛けられた方も気になっていないはずがなかった。 「そりゃ俺だって思い出したいことじゃねえけど、理由は気になる。一生懸命考えたんだけど分かんなかったし」 どうしてあんなことをしたのか、とエイトはもう一度ククールに尋ねた。 あの夜も、彼は同じように「なんで、」と問い掛けてきた。ククールがそれに答える前に彼が気を失ってしまったので結局何も言えなかったのだが、たとえエイトの意識があったままだったとしても彼が納得するような理由を提示することは出来なかっただろう。自分を納得させる理由すら、ククールにはなかったのだ。 「あの夜お前に言われたことで、癇に障るもんがあったのは確かだな。ものすげえ単純な八つ当たりだ」 自嘲の笑みを浮かべてククールがそう言う。おそらく彼が用意できる答えの中では一番マシなものだろう。 それを聞いてエイトは酷く悲しそうに顔を歪めた。それも当然だ、ただの八つ当たりで男に抱かれたとあれば誰だって悲しくもなる。そう思ったが、次にエイトの口から漏れた言葉はククールの予想とはかけ離れたものだった。 「そっか。やっぱり俺、何かお前を怒らせるようなこと言ったんだな」 エイトは沈んだ声でそう言って抱きしめた枕に顔を埋める。そんな彼を見てククールは軽く混乱した。 気にするべきはその部分なのか、と。 悩んでいるククールを置いて、エイトはさらに言葉を続ける。 「俺さ、その状況でどういう言葉を返せばいいのか、笑えばいいのか泣けばいいのか、分からなかったりすることがよくあるんだ。昔、城にいた頃それでよく怒られてた」 どうして今そんなことを言うのか。 どうして今そんなことを聞くのか。 どうして今笑っているのか。 どうして今泣いているのかと。 そう、いつも怒られていた。 「だから、ごめん。俺がもっとちゃんと考えてたら、たぶんお前を傷つけなくてすんだと思うんだけど。俺、バカだから大事なところでいつも間違える」 お前を傷つけたいわけじゃないんだ。 どんな反応を返せばいいのか分からない、とエイトは言う。 それはおそらく、彼が自分の感情に自覚的ではないから、ではないだろうか。だから今自分が悲しいのか嬉しいのかの判断もつかず、泣けばいいのか笑えばいいのかが分からない。 ここ数日エイトと会話を交わし、加えて今まで以上に彼をよく見ていたからこそ、その結論に至れるわけで、何の予備知識もなければエイトの話を聞いたところでさらに混乱するだけだろう。 本当に、どのような教育を施せば彼のような人間に成長するのか。 幼い頃の記憶がないと彼は言うが、失われた記憶が影響しているのか、それともトロデーンでの生活が影響しているのか。もし後者なら、エイトがこうなったのはトロデーン城という環境が悪かったということになる。 枕に顔を埋めてベッドの上で小さくなっているエイトを見やって、ククールは大きくため息をついた。その音にエイトがびくりと身を震わせ、恐る恐る顔を上げる。 「あのさ、エイト。お前にそんな風に謝られたらオレの立場はどうなるわけ?」 言葉で傷つけることより、もっと酷いことしてるオレはどうなるわけ。 先にそこまで真摯に謝られてしまったら、ククールとしてはもうどうしようもできない。「オレも悪かった」と続けて謝ることができるわけがない。エイトがした行為と、ククールがした行為と、同じ相手を傷つけることだとしてもその大きさがまるで違うのだから。 ククールの口調にいらついたものが混ざっていたことに気付いたのだろうか。エイトは不安げに瞳を揺らせて、「どう、って言われても」と言葉を濁した。 その彼の反応に、ククールはもう一度深くため息をついた。それにまた、びくりとエイトが肩を揺らす。 イライラしたように頭を掻いて、ククールは口を開いた。 「……お前さ、怒ってねぇの? オレにあんなことされて、なんとも思ってねぇの?」 ふわり、と彼を取り巻く雰囲気が変化した。すっと細められた目に、ククールは思わず息を呑む。罵倒が投げつけられる、そう覚悟を決めたがしかし、エイトという人間はどこまでもククールの予想を裏切る言動を繰り返す。剣呑な表情のまま、エイトはぽつりと「それが分かったら苦労してねえよ」と呟いた。 どういう意味だろう、と考えるが、続けられた言葉に更に混乱を覚えることとなる。 「悪いがな、俺は男に強姦されたなんて初めてだし、そういう話を聞いたこともないんだよ。普通はこういうとき怒るものなのか? だったら怒る」 いや、別にそこは悪くないと思う。そもそもそんな経験をしている人間などそういない。違う、そうではなく、エイトの言葉は相変わらず根本的にどこかずれている。 「待て、エイト。それは、何か違う。違うぞ」 混乱したままそう口にすると、次の瞬間勢いよく飛んできた枕が顔面に直撃した。そしてその隙に伸びてきた腕に胸倉をつかまれてベッドに押し倒される。 「俺が『違う』ってのは分かりきったことだろうが!」 押さえつけるように体の上に圧し掛かってくるエイトを見上げ、ククールは地雷を踏んでしまったことに気が付いた。 おそらくエイトは今まで何とか他人と「同じ」であろうと努力してきたのだ。それは自分が他人と「違う」ことに対する極度のコンプレックスからくるもの、とでも考えれば良いのか。 「俺の面倒を見てくれてたばーさんの葬式で笑って、『お前は人間じゃない』って散々殴られた! じゃあ笑わなければいいのかと思って、隣に住んでた兵士のにーちゃんの結婚式で笑わなかったら、『目出度いのに辛気臭い』って怒られたんだ! 俺は自分で考えたら絶対に間違える。間違えないためには人と同じようにするしかねぇだろうが」 そもそも、「間違える」「間違えない」という問題ではない。しかし今それを指摘したところでエイトには届かないだろう。 エイトは自分の感情に酷く無自覚だ。そう結論付けたのはククール自身ではないか。「怒り」もその感情に含まれることに何故気づかなかったのか。彼に「怒っていないのか」と尋ねるほど愚問なことはない。 だからといって彼に怒りという感情がないわけではない。そう、今こうしてククールへ圧し掛かっているその雰囲気をみれば、彼は明らかに怒っている。エイトは自分が怒っていることに気づいていないのだ。分かっていないのだ、それが「怒り」であることを。 「エイト、一つ答えて」 ぐっと胸元を強く抑えてくる彼へ、ククールは努めて優しい声で呼びかける。 「お前さ、オレに抱かれた後何を思った? 何も思わなかった? どうでもいいやって、その程度だった?」 「それ本気で言ってんの? 俺がお前に、男に抱かれてなんとも思ってねえって?」 ククールの質問に返ってきた答えは酷く平坦な声音のものだった。それを聞いて場違いではあるが、ククールは安堵の笑みを浮かべる。その笑みに毒気を抜かれたのか、押さえつけてくる彼の腕から力が抜けた。ふ、と睨みつけていたククールから視線を逸らせると、「いくら俺でも」とエイトは小さく呟く。 「あんなことされて、流せるわけねえじゃん。何か、俺したのかなって。すごい気に、なったし。何か、何で俺がこんなことされなきゃいけねえのって」 「それが『怒る』ってこと。男に襲われて他の人間が怒るかどうかはオレは知らないけど、エイトはオレに抱かれて腹を立てたんだ。 良かった、犬に噛まれた程度に思われてたらどうしようかと思った」 つまりは怒るほどにはエイトはククールを意識してくれていた、ということである。彼の中で自分の存在がある程度の大きさを持っているのなら、それでいい。 自分の中で出した結論に、ククールはふと気づく。もしかしたらこれが原因ではないだろうか、と。 エイトにとって自分がどれほどの存在なのか、いまいち掴みかねていた。もしかしたらその辺りに生えている雑草と同じ割合にしか考えられていないのではないだろうか、そんな不安があったのかもしれない。だから自分の行為を気にし、怒りを覚えるエイトを見てこれほどまでに安堵するのだろう。 「でもさ、そんなに怒ってるなら、何でオレを心配するとか言えるの」 上体を起こして彼の下から抜け出ると、エイトはベッドの上にぺたりと座り込んで唸った。何か言おうと口を開くが言葉にならないらしくすぐに閉じる。それを何度か繰り返したのち、ようやく彼は、 「だって、お前が言ったんじゃん」 と呟いた。 心当たりのないククールは「オレが? 何を」と尋ねる。 「だってお前がさ、どうする? って聞くから。ゼシカが杖持ってても持ってなくても、いきなりいなくなったら俺、多分探しに行くと思うし、行きたい。ヤンガスでもそうだろ? って、聞くから。そうなのかなって、そう思ったら、たぶんお前が突然どっか行っても俺、探しに行くだろうなって」 「あんなことされても、それでもオレを探しに来るって?」 理解できない、と正直にそう思って呆れたように口にすると、「だって、そう思ったんだもん。しょうがないじゃん」とエイトは唇を尖らせた。 自分がエイトの立場だったら、その場で相手を殴るなり問い詰めるなりするだろう。相手のことが本気で好きでない限り、きっとそれからは口さえ利かなくなるだろう。そう想像して、ククールは恐る恐る疑問を口にした。 「……お前さ、オレのこと、好きとか言わねぇよな?」 その言葉にエイトは驚いたように目を見開いて、「え? そうなの?」と叫んだ。 いや、だからそれを聞きたいのはこちらの方で、とククールは頭を抱える。そもそも自分の感情を言葉にする能力に欠けた彼に、これ以上何か問うたところで明確な答えが得られるはずもない。 「ええと、じゃあエイトくん。ちょっとお兄さんの質問に答えなさい」 座り込んだエイトの真向かいに来るように体を移動させてそう言うと、彼は正座して頷いた。 さて何から尋ねるべきか、と思案して、ククールは口を開く。 「エイト、お前さ、オレとセックスして気持ち良かった?」 意味を理解した途端、ぼん、とエイトの顔が赤くなる。初々しい反応だなー、と思って見ていると、エイトは口をぱくぱくとさせて言葉を捜しているようだった。 「だから、吐き気がするほど気持ち悪かったり、とにかく何でも良いから、オレを殺してでも良いから逃げたいって思ったりした?」 そのまま彼が何か言うまで待っても良かったのだが、話が進まないので具体的なことを言ってみる。するとエイトはしばらく黙って考えたあと、赤い顔のまま「……そこまでは、思ってなかった、と思う、気がする」と非常に曖昧に答えた。 ふむ、とそれに頷いて、ククールは目の前で畏まっているエイトへ手を伸ばす。 びくり、と彼が震えたがそれを無視してその頬に触れた。 「じゃあ、こうして触られるのはイヤ?」 ゆっくりと撫でてやるとくすぐったそうに身を捩って、エイトは首を振る。 「完璧に嫌われるわけじゃない、ってことか」 そう呟くと、「俺、ククールのこと嫌ってるの?」と首を傾げられた。 「いや、だからオレに聞かれても分かんねっての」 もしかしたら彼は自分の感情をククールに尋ねる癖がついてしまったのではないだろうか。呆れてそう答えるも、エイトは「でもだって、ククールよく俺の気持ち当てるじゃん」と言う。 「あれは一般的に想像できる範囲内だって。できないお前がおかしいの」 「……どうせ俺バカだもん」 だからそもそも彼がバカだとか、そういう問題ではないのだけれど。 わざわざそれを言うのも面倒で、ククールは「そうだな、本当にバカだな」と頷いておいた。 「あんまりはっきり言うなよ、傷つくだろ」 「お前が自分で言ったんじゃねえか」 唇を尖らせて文句を言うエイトへ間髪容れずそう答えて、頬へ添えたままだった左手を彼の頭へ移動させた。 柔らかな茶色の髪の毛へ指を差し入れて、ゆっくりと撫でる。手触りはとてもいい。小さな子供をあやすように何度も何度も頭を撫でてやる。エイトはそれに文句を言うでも、何か反応をするでもなく、ただされるがままで。 彼との付き合いはそう長いわけでもないが、短いわけでもなく。ある程度の濃さがある関係を築いていたとは思うが、それでも彼の心情を理解することはできなくて。 それも当たり前だ、何度も彼に言ったように、他人であるククールがエイトの心を覗けるわけがない。そもそもエイトの心など、エイト自身さえ理解していない対象なのに。 「あー、なんか面倒くさくなってきた」 ククールはそう呟くと、頭を撫でていた手を首筋に移動させついでに右手も伸ばして、エイトの体を抱きこんだ。突然の事態に腕の中のエイトは「え?」と声を上げるだけで。 自分の置かれている状態に気付いたらしい彼は、何やら抗議の声を上げながらククールの腕から逃れようと暴れ始めた。 「イヤだったらオレを殴り飛ばすなり、ギガデイン食らわせるなりして逃げて」 耳元でそう囁いてやると、ようやくエイトが大人しくなる。そしてククールを見上げて「そういう言い方はずるいと思う」と呟いた。 「大体さ、普通男同士で抱き合ったりしないんじゃないの?」 ずいぶんと常識的なことを言う彼に少しだけ笑って、ククールは「互いに好きだったら別にいいんじゃないの」と答える。 するとエイトは「お前、俺のこと好きなの?」と首を傾げた。 「どうだろうね。人としては好きだと思うけど」 恋愛対象としてはどうだろうか。素直にそう答えると、エイトは「だろうな」と頷いた。 これはエイトも同じだろう。どうやら人として嫌われているわけではなさそうだが、恋愛対象としてククールを好きであるわけではないと思う。大体彼が誰かへ恋愛としての好意を向けるということ自体、ククールには想像できなかった。たとえそれがあったとしても、エイト自身がきっと気付かないままだろう。 本当に、厄介なやつ。 そう思いながら、エイトの首筋に顔を埋める。 「でも、抱きたいとは思う。 確かに前は頭に血が上ってたとこもあるけど、もともとお前を抱いてみたいとは思ってた」 そう言うとエイトが再び暴れ出した。身の危険を感じたのだろうか。 素直な彼の反応にククールはクスクスと笑いを零して、抱きしめる腕に力を込める。そして唇を彼の耳元に寄せた。 「今でも思ってるよ、お前を抱きたいって」 もともと赤かった耳朶がさらに赤く染まるのが分かった。 誘われるようにそれへ舌を這わせて、「ね、エイト」と直接吹き込むように名前を呼ぶ。 「前みたいに無理やりはもう絶対にしないから。イヤだったらイヤだって言って? 本気で抵抗して。お前に力でこられたら俺かなわねえし」 宥めるように頬を撫で、頭を撫でてやる。 たまに軽く首筋や耳や頬に唇を寄せるだけで、それ以上は決して先に進まないでいると、しばらくしてエイトが俯いたままぽつりと言った。 「ほんとに、嫌だっつったらやめてくれる?」 どこか震えたその声に彼が今どんな顔をしているのか気になって、顎を掴むと無理やり上にあげさせる。 「……悪ぃ、エイト、その顔、」 すげー、そそる…… 囁くように呟いて、そのまま彼に口付けた。 唇をうすく舐めて親指で顎を抑えてやると軽く口が開く。すかさず口づけを深くして、唇の内側へ舌を差し入れた。奥へ逃げようとする彼の舌を追いかけて、絡めとり、きつく吸い上げては舌先で突付いてやる。 思う存分口の中を堪能して満足した頃にようやくエイトを解放したククールは、唾液で鈍く光るエイトの唇を舐めて、「本当にイヤなの?」と額をすり合わせた。 「お前、ずりぃよ……」 どこか呆然としたままエイトがそう呟く。 それにククールは笑みを浮かべて「今ごろ気付いたの?」と、もう一度エイトに口付けた。 今度こそ本当に「どうしてこんなことをしたのか」と問いかけられても、答えを用意できない。エイトの言葉に頭に来たわけでもない、八つ当たりでもない。面倒くさいなと思ったのは確かだったけれど。 行為が終わったあと、あるいは明日の朝にでもまた彼に「どうして」と聞かれたら確実に困る。 そう思うが、おそらくエイトはその言葉を口にすることはないだろう。 ククールの予想はほぼ当たっており、翌朝目覚めたエイトは「バカリスマ、エロカリスマ、不良僧侶、性欲の権化、本能しかない獣」と散々に罵倒の言葉を並べ立てることはしたものの、けっきょく彼の行為の理由を問いただすことはなかったのである。 ←4へ・結へ→ ↑トップへ 2005.02.04
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