恋人宣言・8


 彼の言葉に、ブーツを脱いでいた手を止め、エイトは驚いたように目を丸くした。もともと顔の割りに目が大きいため、そんな表情をするとさらに大きく見える。
 ククールはエイトの目が好きだった。
 真っ黒で、何も写していないかのような、それでいておそらく彼の口以上に雄弁にその気持ちを語ろうとするその瞳が好きだった。

 一方エイトは突然のククールの言葉に驚きを隠せないでいた。ククールに対し「好きだ」と言い始めて既にかなり時間がたつが、その間エイトからの一方的な好意しか二人の間には成り立っていなかった。ククールはそんな厚かましい思いを否定するわけでもなく受け入れるわけでもなく、たださらりとかわし、流すだけで、それに対して今のような疑問すら返してこなかったのだ。
 それがいきなりどうして、とエイトは普段あまり使われてないと言われる脳を回転させて考える。しかし考えても分からないものは分からない。ましてや対象はククールなのだ、一皮どころか二皮、三皮と本音を覆っている彼のことなど分かるはずがない。

「えー、ククールってば俺の言葉信じてなかったの? こんなに好きだって言ってるのに」

 結果、いつものノリで返すことを選ぶしかない。「エイトくん、ちょっと傷ついちゃったなー。どうやって責任とってもらおう」と、エイトは唇を尖らせて続ける。しかし、そんな彼は気づいていなかった。ククールの表情がどんどんと硬く、厳しいものへ変化していったことに、残念ながら気づくことができていなかった。
 彼の様子がいつもと違うことにようやくエイトが気づけたのは、無言のままエイトが座るベッドの脇に立ち、こちらを見下ろしてくるククールを見上げたそのときだった。
 「ククール?」と呼びかけても返事はない。無言のままこちらを睨みつけてくる彼に軽く恐怖を覚えたエイトは、後ずさって背後の壁に背を預けた。
 エイトがもう一度名を呼ぼうと口を開いたところで、「お前さ」とククールがそれを遮る。

「好きだ好きだって馬鹿みたいに繰り返してるけど、お前の言う『好き』ってどういう意味での好き?」

 尋ねられるも答えられない。そもそもククールが言っている言葉の意味がエイトには良く分からなかった。混乱している彼に気づいていながらもそれを無視し、ククールは言葉を続ける。

「友達としての『好き』? 仲間としての『好き』? それとも」

 無意識にか、逃げようと引かれた顎を捕まえて、ククールは無理やりエイトの唇を奪った。さすがに舌を入れるのはまずいだろう、と頭のどこかで誰かが警告する。しかし一度走り出してしまった激情がその程度で収まるはずもなく、ククールは顎を押さえる指に力を込めた。
 痛みに薄く開いた瞬間を縫ってエイトの口内へと舌を突き入れる。そのまま吐息さえ奪い、犯すほど激しい口付けをし、双方の息が上がってきたところでようやくククールはエイトを解放した。
 唇と唇の間に光る銀糸を乱暴に拭ってから、酸欠からか、ぼう、とした表情のエイトの耳元に口を寄せ、「こういう意味の『好き』?」と尋ねる。
 いつもより低いその声音に、エイトはびくりと身をすくませて首を横に振った。

 怯えた彼のその様子が、ざわり、とククールの何かを刺激する。

「へぇ? じゃあ今までオレに『好きだ』って言ってたのは全部嘘だったんだ?」

 尋ねながらククールはエイトの目を覗き込む。不安に揺れてはいたが、その目はいつものように強い光を湛えていた。
 エイトは負けじとククールを睨みつけると、きゅ、と唇を噛んでから口を開く。

「嘘じゃない。俺は本当にククールが好きだ」

 首を振ってきっぱりと言い切られた言葉に、ククールは喉の奥でくつり、と笑った。

「だったらさ、こうやって部屋の中でオレに触ってこないのはなんで? 外でしか抱きついてこないのはなんで?」

 その言葉にエイトは答えることができない。それが分かっているからこそ、ククールも問いかけるのを止めなかった。
 壁とククールにはさまれるようにしているエイトはいつも以上に小さく、幼く見える。そんな彼の頭へ手を伸ばし、柔らかな髪を指に絡めながら、ククールは言った。


「誰かさんの視線がないと燃えないってこと?」


 びくりとエイトの体が大きく震えた。
 その言葉の言い方からして分かる、彼の指す「誰かさん」は特定の人物を言っているのだ。そしてそれはエイトが思いあたった人間と同一の存在であろう。
 恐る恐る顔を上げると、頭上には怖いほど酷薄な笑みを浮かべたククールがいた。ぞっとエイトの背筋に嫌なものが這い上がる。しかしそんなときでも、美人はどんな顔しても美人なんだな、とどうでも良いことを頭の片隅で思っていた。


「わざわざ姫の前でそういうことをするっていうのは、自分が姫を諦めるため? それとも姫に諦めてもらうため?」

 口を開くこともできないエイトを無視して、ククールは言葉を続ける。その声の一つ一つがぐっさりとエイトに突き刺さっていることをすべて承知した上で、彼は口を閉じようとはしなかった。

「どっちでもいいんだけどさ、そういう使われ方をするのはオレとしては非常に不本意なわけ」
 分かる? 

 ぐ、と指に絡められた髪を引かれ、無理やり頭を上げさせられる。痛みに顔をしかめたエイトへ向かって、ククールはきっぱりと吐き捨てた。


「今後一切オレにそういう感情を向けるな。たとえ嘘でも迷惑だ」


 いつかは言われるだろう、そう思っていた。だから覚悟もしていたつもりだった。
 しかしやはり実際に突きつけられた拒絶は思いのほか効果が強く、所詮つもりはつもりでしかなかったことをエイトは思い知る。
 バタン、と大きな音を立てて閉められた扉が、そのままエイトとククールの距離を表しているようで、エイトは無性に泣き出したい衝動に駆られた。

「ッ、そんな資格、俺にはねぇもんなぁ」

 浮かんできた涙を閉じ込めるように両目を押さえ込んで、エイトは呟く。
 今回の件は全面的に自分が悪い。それは紛れもない事実で、結果もある程度は予測できていた。
 それでも行動に移してしまったのは、自分の思いが止められなかったから。


「だって、こうでもしなきゃ面と向かって言えねぇじゃん」


 こういうとき、人はどうやってその悲しみと孤独に耐えるのだろうか。




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2006.01.16