漆黒の海に沈む黄金の星・3


「ある程度予想はしてたけれど……」

 そう言ったきり口を噤んでしまったククールに代わり、ゼシカが進み出てエイトの頬へと触れる。肌の変色と硬化は顔のほぼ全てを覆っており、人の肌を残しているのは右下の口元のみだった。右半身へもその異変は進んでおり、右手が変化するのも時間の問題だろう。左足は既に、人のものとは思えぬ形態へと変化していた。

「ねぇ、エイト、痛くない? 苦しくない?」

 今にも泣き出しそうな顔をしたままゼシカがそう問う。かろうじて人の形を残している右手を伸ばしてゼシカに触れると、「だいじょうぶ」と掠れるような声で言った。

「エイト、お前喉も……?」

 今までの声とは明らかに違うその音に、ククールが驚いて言う。身近に魔物へ変化してしまった王がいるため、一行はなんとなく、たとえ魔物になっても人の言葉は操れるだろうとそう考えていた。しかしどうやらそれは間違いだったらしい。エイトは苦笑を浮かべて頷いた。そして、満足に動かない口をなんとか開閉させて言葉を紡ぐ。

「陛下と、姫殿下は、ここに近づけ、ないで。お前らは、止めても無駄だろうから、止めないけど」

 エイトの言葉に当たり前だ、という表情で三人が頷く。それに安心したように笑って、エイトは言葉を続けた。

「もしこのまま、俺が元に戻らなくても、皆は、旅を続けて。こんなことを頼むのは間違ってるかもしれないけど、陛下と姫殿下を、元に戻して差し上げてくれ」

 俺の代わりに、と続けられた言葉に、三人はぐっと唇を噛む。重い沈黙が支配する中、ヤンガスが了解の意を示そうと口を開いた途端、ククールに遮られた。

「悪いが、オレはそんな役を引き受けるのはごめんだね。実際オレはあの王さまと姫さまに恩があるわけでもねえし、そこまでしてやる義理もない」

 冷たく言い放ったククールへ、ヤンガスが「てめぇっ!」と声を荒げた。彼の怒りを無視して、ククールは言葉を続ける。

「だからそういうことはお前が自分でやれ。元に戻ればそれくらい出来るだろ」

 それだけ言ってさっさと小屋を出てしまったククールへ視線を向け、「私も」とゼシカが口を開く。

「私も、それはエイトがやった方がいいと思う。いいえ、エイトがやるべきことよ。それを人に頼んじゃダメ。大丈夫、すぐに戻してあげるから、ね?」

 二人の言いたいことを理解したらしいエイトは、複雑そうな表情を浮かべていた。諦めるな、とそう伝えたいのだろう。必ず元に戻してあげるから、戻らなかった場合のことを考えるのを止めろ、と。
 本当に、彼らはとても優しい。
 人の優しさを真似た偽りの優しさしか示せない自分とは違う。
 こういうときどんな言葉を返すべきなのかが分からず、考えに考え抜いて、エイトは既に情報を求めて旅立った三人へ向けて「ありがとう」と小さく述べておいた。


 ヤンガスは引き続きトロデ王、ミーティア姫とともにトロデーン城へ向かっている。ゼシカは凄腕の占い師がいるというトラペッタへ。ククールは昨日調べ切れなかったのでひとまずは、もう一度マイエラへと飛んでいた。
 しかし必死の努力も適わず、その日も収穫は全くない。この小屋へ来てからエイトは迷惑をかけているという気持ちがあるのか、今までのように騒いだり、声を上げて笑わなくなった。いつもすまなそうな笑みを浮かべている。全て諦めているようなその笑みに、見ているこちらが胸を締め付けられた。

「申し訳ねぇ、兄貴……。でも、でも、必ずっ! 明日には必ずっ!」

 土下座でもしかねない勢いで戻ってきたヤンガスが頭を下げる。肌の硬化が進んでおり、エイトは満足に動くことさえ出来ない。小屋の壁へ背を預けたまま、彼は「だいじょうぶ」と小さく言った。

「別に、俺がこうなったのは、皆のせいじゃ、ないし」

 金の目を細めてエイトは笑う。口端からは犬歯が覗き、耳は鋭く尖っていたが、それでもその笑みはいつもの彼の表情だと、そう思った。たとえどれだけ姿は変わってもエイトはエイトだ。それさえ変わらなければいい。
 しかしそんな考えもエイト自身が否定した。

「俺が、俺であり続けられる保証は、ない。明日にも、俺でない、別の何かになってる可能性も、ある」

 もちろんその可能性があることは皆が気づいていた。トロデ王やミーティア姫はそれぞれの自我を保っていたが、呪いを掛けられた全ての人間がそうであるとは言い切れない。むしろ己を見失う例の方が多いのだ。

「別にそれは、どうでも、いいんだ。そうなったら、俺がいなくなるだけだし、いなくなったら、その先のことなんて、関係ないし」

 黒い肌と金の目、魔物の手を持つ少年は、「どうでもいい」と己のことをあっさりと切り捨てる。その神経がククールにはよく分からなかった。どうしてどうでもいいと、そう言えるのかが分からなかった。

「もし、俺が俺でなくなったら、さっさと捨ててくれ。他の魔物みたいに、人を襲い始めるかも、しれないから」


 出来れば殺してもらいたい。


 続けられた言葉に、ついにゼシカが「ふざけないでっ!」と声を上げた。

「そんなっ! そんなことが、出来るわけないじゃないっ! あんたは、私たちに仲間を、友達を殺せって、そう言うの!?」

 ククールもヤンガスも口には出さないが、彼女と全く同じ気持ちだ。いくらなんでもそれは、それだけは出来るはずがない。
 大きな目からほろほろと涙を零して肩を怒らせるゼシカへ、エイトは金の目を向ける。そして眩しそうに目を細めて口元を緩ませただけで、結局エイトは何も言わなかった。


 今日は私が残るわ、と鼻を啜りながらゼシカがそう申し出る。女性一人にこの役は押し付けたくなかったが、ゼシカはきっぱりと他二人の言葉を跳ねつけた。

「いいの、私だってここまであんたたちの間で戦ってきたのよ。この辺りの魔物くらい倒せるし、それに一人じゃないもの」

 ね、エイト? と振り返ってゼシカは言った。


 出来るだけエイトの側にいたいのだろうか、ゼシカは隣の部屋から毛布を運び込んで、エイトの隣で横になる。そしてその体勢のまま、壁に凭れて目を閉じているエイトを呼んだ。

「たとえ、エイトがエイトじゃなくなっても、私たちにとってあんたはエイトなんだからね」

 何だか矛盾したことを言うな、と思いながらエイトはゼシカの言葉を聞く。

「だから、もし魔物になって私たちのことが分からなくなっても、エイトはエイトだし、私たちの仲間なの。人を襲いそうになっても止めてあげる。襲わないようにちゃんと躾けてあげるわ。ずっと一緒にいるから」

 もうニ度と、「殺して」なんて言わないで。

 涙交じりの言葉にエイトは小さく頷くと、「くびわ」と呟いた。

「できるだけ、可愛い首輪、買って?」

 それなら大人しく飼われてると思う、と言うエイトに、ゼシカは泣きながら微笑んだ。




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2006.07.21