激情の終着点・2 雪、というのは思った以上に冷たく、人に対し優しさを持ち合わせてはいなかったようである。もともと世界は人間に対し優しくない。こんなに生きにくいのに、人はどうして生に、世界にしがみ付くのだろう。 小さな頃からずっと思っていた疑問ではあったが、おそらくそれを口にすると「また変なことを言う」と怒られるだろう。誰が怒るのかは分からなかったが、自分以外はそんな疑問をあまり抱いていないらしいことは分かっていたのでわざわざ言う気もなかった。 怒られないためには人と同じようなことを言えばいい。 幼いエイトが学んだことのうちの一つである。 なんか、すごい、懐かしかった気がする。 薄暗い部屋の中、ふと目覚めたエイトはぼんやりとした思考のままそう思っていた。 何に対して懐かしさを感じたのだろう。雪だろうか。もしかしたら記憶のない頃に雪を見ていたのだろうか。考えて自分で否定する。雪ではない、懐かしいと思ったのは雪崩に巻き込まれたその後だ。 何処を向いても真っ白で、自分以外の人間がいない場所。 ああ、昔の…… エイトの過去は突然始まる。 気が付いたら広い空と広い大地に挟まれた、広い草原に立っていた。雪の中にいる感覚は、あの頃と似ているのだ。何も分からない、自分以外誰もいない場所に閉じ込められている。地平線に囲まれていたはずなのに、どこか息苦しさを覚えるそんな場所。 あのあと、陛下と姫殿下に拾っていただいた…… そこまで考えて、ようやくエイトは仲間たちのことを思い出す。勢いよく上体を起こすと突然動いたためだろうか、頭の血液が一気に心臓へ流れ落ちる感覚。吐き気がするほどの眩暈に、思わず再びどさりとベッドへ倒れこんでしまう。 陛下と姫は……皆は…… 今度はゆっくりと体を起こし、しばらくじっとベッドの上で血液が巡るのを待つ。眩暈が治まったところで温かな布団から抜け出して、エイトは室内をゆるりと見回した。暗くてよく見えなかったが入り口が一つ、目に留まる。 生きてる、よな。 足の裏から伝わる冷えた感触に、ようやく己の生を実感する。ふらふらとする体を無理やり支えて、エイトは唯一ある扉から廊下へと出た。 すぐ目の前には木の階段。温かな空気と、聞きなれた声に、エイトはほっと安堵の息をもらす。 転がり落ちないように手すりへすがり付いて階段を上り、暖炉の炎に照らされる二階へ顔を出すと、それに気が付いたゼシカが「エイトッ!」と立ち上がった。 「良かった……良かった、エイト……なかなか起きないから……っ」 駆け寄ってきた彼女は今にも泣き出しそうなほど顔を歪め、エイトへ抱きついてくる。 「何処も痛いところない? 寒くない? 大丈夫?」 矢継ぎ早に問いかけてくる彼女へ、笑みを浮かべて「大丈夫だから」と答えた。ゼシカの後ろにはヤンガスもククールもおり、二人ともどこか安心したような表情を浮かべている。 暖炉の側にはトロデ王が座っており、彼が無事だということはミーティア姫も無事だろうと予測する。どうやらエイトより先に気が付いたらしいトーポは、机の上でチチチ、と鳴き声をあげていた。 「皆、無事で良かった」 心の底からの言葉に、仲間たちがそれぞれ笑みを浮かべて答える。 その後、エイトたちが助けられた経緯を聞き、その優秀な救助犬と飼い主であり薬師であるメディへ謝辞を述べる。人の良さそうな笑みを浮かべた老婆は、「そんなことよりもまず体を温めなさい」とヌーク草と呼ばれる薬草を煎じた飲み物をくれた。 「しばらく吹雪くみたいですしの、ゆっくりしていきなさい」 彼女の言葉を聞きながら、両手で持ったカップへ口をつける。仲間たちはそれぞれ既に飲んだらしい。 「すっげぇ体が温まるでげすよ。アッシはまだこの辺が燃えてるようでげす」 ヤンガスはそう言って大きなお腹を摩る。「ささ、兄貴もぐぐっとどうぞ」そう促されるまま、一気にぐっと呷った。 「……ヤンガスさん、一気飲みするには辛すぎます」 ひりひりとする口を持て余しながら、恨みがまし気に仲間を睨みつける。しかし、「ホントに一気に飲む馬鹿がいるか」とククールに怒られた。 こんな他愛もない会話をして、ようやく彼らと生をともにしているのだと実感する。何とか生きているのだ。 「まさか雪崩に巻き込まれるとは思ってもなかったでげす」 「モンスタ以外の脅威はさすがに想定してなかったな」 「これからはそういうことも考えながら進まねばならぬのぅ」 「でも自然が相手の場合は、手の打ちようがないわよ」 確かにあの雪崩は誰にも想定することが出来なかった、避けることも出来なかった。咄嗟に四人が固まるように集まったがそれが正しかったのかも分からない。もっと別の手があったかもしれない。その辺りの知識も少し得ていたほうが良さそうだな、とエイトは思った。次の町オークニスで、そういう本がないか探してみよう。 そうぼんやりと考えていると、突然名前を呼ばれた。 「何か、だるそうだけど大丈夫か?」 そう言って心配げにククールは顔を覗き込んでくる。大丈夫、と答えようと思ったが、何故か口を開くことも今は難しかった。ぱくぱくと意味なく唇を開閉させたのち、結局何も言わないままのエイトにククールは呆れたようにため息をつく。 「だるいってより、眠そうだな」 彼の言葉に、「ああ、それだ」とようやくエイトが言った。 「それだ、ってエイトね、自分が眠いのかどうかくらい分かるでしょ」 向かいの席でやはりゼシカも呆れたような顔をしている。うまく回らない頭で周囲を見回し、とりあえず怒っている人間がいないことだけ確認しておいた。もし誰か怒っているのなら、何か間違った発言をしてしまったということである。次からは言わないようにしなければならない。 「そういえばエイトの兄貴って、あまり眠そうにしてたりしやせんよね。睡眠欲があまりないんでがすか?」 ヤンガスの言葉にエイトはただ「んー」と答えるだけだった。 「確かにそうね、エイトがここまで眠たそうにしてるの、初めて見るわ」 そう言ったゼシカに視線を向けられ、ククールも「オレも」と答える。この中で一番エイトと同室になっている回数の多いククールだが、基本的に彼は寝起きがいい。規則正しい生活を強いられていた修道院生活に慣れているためククールも朝は強いが、眠っているエイトをたたき起こしても大抵すぐに活動を始める。自分と同じように朝早いのに慣れているせいだと思っていたが。 確かにヤンガスの言うとおり、エイトには睡眠に対する欲求が少ないように思えた。 「とりあえず下へ行ってゆっくり眠ったらどうじゃの?」 メディに促され、エイトは一人ベッドへと戻ることになった。 「エイト、寒いのがダメだったりするのかしら」 「そういう風には見えなかったけどな」 ふらふらと階段を下りていくエイトの後姿を見ながら、ぽつりとゼシカが呟く。それに答えながら、ククールも小さく首を傾げていた。 エイトという小柄な男は、自分の感情に極度なまでに無自覚である。以前エイトと一悶着あったときにククールは彼に対し、そう結論付けていた。 エイトはふざけているとき以外、感情を口にしない。心の底からの彼の感情というものを、今まで一度も聞いたことがない。 自分が今嬉しいのか、あるいは悲しいのか。彼には分からないらしい。 そしてふと、今のエイトを見て思う。 もし感情だけでなく、本能的な欲求に対しても無自覚的であるのなら、と。 ←1へ・3へ→ ↑トップへ 2006.09.04
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