激情の終着点・4


 自分が無力であることなど、当の昔に理解していたつもりだった。しかし、人間とは忘れやすい生き物である。生きるということは忘れるということとほぼ同じ意味なのだ。

 追いかけていた黒犬に出会えたまでは良かった。ここで倒せたならばもっと良かった。
 しかし現実はどこまでも厳しい。
 彼女は命の恩人だった。それがなかったとしてもとても気持ちの良い老人で、賢者の末裔だといわれて納得できる人柄だった。
 死なせたく、なかった。

 ギリ、と奥歯を噛んで、ククールは墓石を見つめる。しゃがみこんで手を合わせているのは、実はメディの息子だったというグラッド。彼の少し後ろにヤンガスがぐ、と拳を握って立っており、その隣には今にも倒れそうなほど青白い顔をしたゼシカ。おそらく誰もが自責の念に捕らわれている。一度杖に操られたことのあるゼシカなどは、特にその思いが強いのかもしれない。
 ふと、一人足りぬことに気が付いて振り返ると、エイトは皆から少し離れた場所に立っていた。暗いためよく見えなかったが、その顔にはどんな表情も浮かんでいない。言うなれば無表情。

 彼はこの状況で「悲しい」と思っているだろうか。悲しいと思っている自分を、きちんと認識しているだろうか。

 そう思っていると、不意に彼と目があった。やはりその視線からは何の感情も読み取れない。
 ククールの目から何を感じたのか、エイトは小さく頷いて仲間の側へと歩み寄った。グラッドへ一言声をかけてから、ゼシカたちを促し洞窟を後にする。
 いつまでもここにいても仕方がないし、まずは彼を一人にする時間が必要だろう。そして自分たちも今日はそれぞれ一人で、ゆっくりとした時間を取った方が良い。外に出てそう言うエイトの声があまりにも平坦で、それにつられるように後悔の波に押しつぶされそうになっていた心が冷静を取り戻す努力を始める。もしかしたらエイトはそれを考えて、努めて平静な態度を取っているのかもしれない。
 オークニスへ戻るとエイトはすぐに仲間たちを酒場へ連れて行き、温かい飲み物を押し付けた。そのまま自分はどこかへと消えてしまい、戻ってきたときには手に四つの部屋のキィ。

「一人一部屋、取ってある」

 どうやら宿の手配を済ませてきたらしい。地下にひろがる宿屋の個室までメンバを案内し、それぞれの鍵を手渡した。

「今日はゆっくり休んで。俺は205号にいるから」

 自分の鍵をジャラリ、と揺らし、エイトは言った。それに「じゃあすまねぇでげすが、休ませてもらうでがす」とヤンガスがふらりと宛がわれた部屋へと向かい、ゼシカもそれに続く。部屋へ入る前にククールが彼女へ軽く声をかけると、「大丈夫」と少しだけ微笑んでくれた。彼女も弱い人間ではない。進むべき自分の道をしっかりと見据えることができる人間だ。もし縋る人間が必要なら、そしてそれが自分でも構わないのなら肩でも胸でもいくらでも貸したが、どうやらそれは必要ないらしい。
 その様子に少し安堵の息を吐いて、ククールはエイトへと視線を向けた。彼は「ククールもゆっくり休め」と相変わらず平坦な声で言う。
 そんな彼に、「……お前は平気か?」と尋ねた。

 深い意味があったわけではない。しいて言えば社交辞令に近かったのかもしれない。
 一体自分はどんな答えを期待していたのか。

「……なんで?」

 きょとんとした顔で小さく首を傾げる。「どうしてそんなことを聞かれるのかが分からない。」それがエイトからの返答だった。


 エイトを深く知るようになり、何度となく考えてきたことを、ククールは一人また考えていた。
 彼は感情がないわけではない。感じているそれが何であるのか分からないだけだ。だから、メディの死を悲しんでいないわけではないはずだ。
 それでも、結局ククールは彼に尋ねることができなかった。
「メディさんが死んで、悲しいか?」と。
 少し考えてエイトはこう言うだろう、「悲しいよ」と。そして続けるだろう、「だって、人が死ねば悲しい」と。

 エイトはその状況に対し、己の感情をただ機械的に当てはめている。
 彼自身それがどこかおかしいことであると認識しているのは分かっているが、それでも今は、エイトのそんな様子に耐えられる自信がなかった。
 やはり自分も弱っているのだ。好意を抱いていた人間の死に。
 オディロ院長を始め、この旅に関連して何人かの死を見てきた。直接的にその死を見たのはリブルアーチのチェルスと、メディの二人。どちらも、何故殺されなければならなかったのか、全く分からない。いや、暗黒神ラプソーンに精神を支配されていたゼシカが言うには、向こうにはそれなりの理由があるらしい。が、そんなものが人間側に通じる道理などない。
 死んで良い人間などいない、とはよく言うが、少なくとも彼らには死ぬべき理由は見当たらない。そんな人間がむざむざ殺されていくのをとめることさえできない自分の無力さに、心底腹が立った。
 ここは腹を立てるべきところだし、後悔も腐るほどするべきところだ。どうせなら、ラプソーンを倒すまで後悔し倒しても良い。重要なのは後悔だけで終わらないこと。無力なのだと自分を貶めただけで終わらないこと。なすべきことが、なさねばならぬことがあることを忘れないこと。

 大丈夫、とククールは己に言い聞かせる。根拠のない自信は身を滅ぼすが、それでも自分を保つために必要な自信もある。
 大丈夫、まだ進める。
 何せこちらはまだ生きている。
 無残にも命を奪われてしまった彼らとは異なり、まだ生きている。ラプソーンと同じ次元にいるのだから、たとえ神であろうと討つ機会だって必ずあるはず。
 なければ、無理やりにでも機会を作れば良い。ただそれだけだ。


 ある程度自分の心に折り合いをつけたククールは、小さく頷いてからふと、部屋の壁へと視線を向けた。右隣はゼシカが、左隣はヤンガス、そして向かいにはエイトがいる。
 ゼシカとヤンガスは大丈夫だろうか。ヤンガスは人情家とはいえ、自分よりも長いときを生きている。悲しみを乗り越えることだってできるだろう。ゼシカにしても、先ほどの笑みを見れば大丈夫だろうと思う。彼女は強い人間だ。己の兄の死を「敵討ちをする」という方法で乗り越えようとする、芯をもった女性だ。ここで悲しみと後悔に捕らわれ、先へ進めなくなることもないだろう。
 問題は、とククールは扉の方へと視線を向ける。
 それを問題視するのが正しいのか、正しくないのか、ククールには分からない。
 それでもおそらく、彼のあの性質(といっても過言ではないだろう)に気づいているのは、今のところ己一人だ。考えすぎかもしれないが、それでももしあれのせいでエイトが苦しんだりすることがあるのなら、それを事前に防ぐことができるのも、そのあとでフォローをしてやれるのも、今のところ自分一人しかいない。

 そもそも、とククールは思う。
 どうして彼はあんな風になってしまったのだろうか。
 己の感情や欲望に無自覚的である、など普通に成長すればありえない現象だ。
 エイトは過去の記憶がないという。何も覚えていない状態でトロデーンに引き取られた、という話は以前彼自身から聞いた。
 トロデーンでどういった教育を受けてきたのかは分からない。今のトロデ王やミーティア姫を見ていると、そう酷い扱いを受けてきたわけではないだろう。それでも彼は言っていた。葬式で笑い、結婚式で笑わなかったら怒られたのだ、と。つまりは昔から、もしかしたらトロデーンに拾われたそのときから、彼は感情自体をよく理解していなかったということである。
 そういった過去に何らかの原因があるだろうことは間違いない。
 しかしそれが何であるのか、ククールには想像も付かなかった。




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2006.09.06